色なき分岐-1
「ごちそうさまでしたっ。あしゅのとこ、いってくゆっ」
フェリスが夕飯を食べ終わるなり部屋を飛び出していった。その背中を見送ってから、GRはメイを見やる。
「あいつ、そんなに悪ぃのか?」
訊きはしたものの、彼女の表情はさほど暗くない。悪い知らせはなさそうだ。案の定、メイは食器を片付けていた手を止めて苦笑した。
「今は落ち着いてるみたい。安静にしていてくださってるから、悪くなることはないと思うわ」
「飯は。ちゃんと食ったのか?」
「えっ? えーと……」
メイはやや困惑気味に微笑んでから作業を再開させた。
「ううん。まだ何も……」
「駄目じゃねえか。食欲ないにしたって、何か入れなきゃ薬飲めねえだろ」
「うん……でも特異体質っていうか、アッシュ様の体、医療薬を受け付けないの。食事も無理をして入れたら吐くだけだし。だからその辺は心配なしってことかしらね」
絶句してしまう。ジルダが言っていた『有効な対処法がない』とは、こういうことだったらしい。
GRは眉間に力を入れた。
「倒れたらほっとくだけかよ」
「そんなわけないでしょ」
メイが眉を吊り上げる。
「体質から治すことはできないけど、普通の状態まで回復させることはできるんだから手を打つに決まってるじゃない。……主治医の先生に連絡を取ったから、じきにいらしてくださるはずよ」
怒りの表情はそこまでだ。メイは通常の笑顔で食器を乗せたトレイを持ち上げた。
「アッシュ様はフェリスがついてれば大丈夫。あたしは片付けをしてくるから、あんたはリビングでハウヤ様──お医者様がいらっしゃるのを待ってて。お見えになったら教えてね」
「お、おう」
頷くと、メイは回れ右して隣室のキッチンに入っていった。
誰もいなくなったダイニングにいつまでもいても仕方がない。まだまだ訊きたいことはあるが仕事の邪魔をするのも悪いし、頼まれ事の件もある。GRは腰を上げてリビングに向かった。
(思ってたより厄介な病気なんだな)
無人の広いリビングでソファーに体を投げ出し、頭の下で腕を組む。そうして天井を見上げ、思えば、胸の内に湧いたのは苛立ちのようで、どこか後悔に似た、重い感情。
(ったく……病気なんだって言やぁ、代わりに戦ってやったのに……。なんで言わねえんだ、あの馬鹿)
アッシュローズが見せる徹底的なまでの二面性は、すっかり矛盾でしかなくなっていた。もはや、どちらが本当の顔なのかという話ですらもない。彼はGRに、何かとんでもなく根本的で重要なことを隠している。そして隠蔽のために口を閉ざし、あるいは嘘をつき、メイに口を閉ざすよう指示したとしか考えられない。すべてはGRただ一人を騙すため──。
「あぁ~もう……」
寝転んだまま伸びをひとつ。脱力したら、ため息と一緒に苦笑が出た。
「……面倒くせぇ奴」
GRの頭が出せる結論はそんなものだ。つくづく考えることに向かない性質である。しかし、この短い期間でこれだけのことがわかったと思えば、充分すぎる収穫だろう。あせらずに付き合っていれば、きっとアッシュローズの思惑にぶつかる日が来る。そのためにも彼には元気になってもらわなければ。
GRは思考を放棄し、玄関ホールの物音にだけ注意しながら目を閉じた。
と──
澄ませていた耳に音が飛び込んできた。
しかし玄関の開く音ではない。声でもない。これは風の音だ。しかも締め切ったリビング内で起きるなどという不自然な。
体を起こした。ソファーから片足を下ろす。
リビング中央でいきなり風が巻いた。周囲にいっさい影響を及ぼさない突風がやむなり現れたのは、
「お邪魔しまぁ──……す?」
緩やかにウエーブを描く金髪と澄んだ翠色の瞳を持つ、人間の男だった。アッシュローズと同い年くらいだろうか。侵入者はGRを見たまましばし硬直していたが、我に返るなり眼光を鋭くした。
「誰だい、きみは」
これは敵を見る目だ。しかも傲慢に見下すそれだ。
気に入らない。
GRは隙を与えないよう慎重に立ち上がる。
「てめぇこそ何者だ。他人ンちに土足で入り込むんじゃねーよ」
「それは僕の台詞だよ、獣人。さ、出てった出てった」
茶化したように手を振って男が、リビングのドアへと体を向けた。
一足飛びでソファーを飛び越えて立ち塞がる。
男が驚いて足を止め、しかし次の瞬間には片目を細めて睨んできた。
「何のつもり?」
「言わなきゃわかんねえか?」
口端を吊り上げ、ねめつける。
男の眉間にしわが寄った。
「邪魔だよ。どいて」
「この俺様が手より足より先に口出してやってンだ。痛い目に遭いたくなかったら、今のうちに回れ右してとっとと帰りやがれ」
「……きみ、生意気だなぁ」
男が両手を腰に当てた。
登場の仕方といい体格といい、相手は魔法使いだ。たとえ素手でも油断はできない。いつでも跳びかかれるよう足位置をずらす。
「そりゃどうも。けど、いくら褒めたって通さねえぞ」
「うわー、ムカつく」
男はちらと天井に視線を向け、
再びGRを見据えるなり唇を尖らせ息を吹いた。
「縛れ」
とっさに横に跳ぶ。
体が動いたのは本能だった。それが正解だったとわかったのは、男の表情が驚愕で満たされるのを見たとき。
とまれ、この油断を見逃す手はない。
GRは膝を沈めた体勢から一気に飛び出した。標的は男の腹部。鳩尾。呼吸を乱して呪文の詠唱を妨害するのだ。
腰をひねり、つま先を鉤爪と化す。
高速の蹴り。
男がバックステップを踏む。
逃がしはしない。
軸足の踵を上げてリーチを伸ばす。
(捉えたッ)
渾身の蹴撃を叩き込む────
「GR! やめろっ!!」
──寸前、怒声に止められた。
「あしゅっ!」
フェリスの悲鳴。衣擦れの音。重い咳。
侵入者の存在は捨て置けないが、背後の状況のほうが数倍重要だ。
GRは足を下ろすなり踵を返した。リビングの入り口で膝をつき、胸を押さえてうつむいているアッシュローズに駆け寄る。
「何やってンだ、お前はっ。さっさと部屋戻って寝てろ!」
床に散らばっている髪を踏まないよう気をつけながら手を伸ばす。
「っ!」
声にならない悲鳴を上げて飛びのかれた。
今までのGRならば気にせず、強引であろうがアッシュローズを捕まえて部屋まで連れていっただろう。しかしほんの数時間前に見たメイの激昂が忘れられない。ゆえに触れない。動けない。
「んもう、どいてっ。邪魔だよっ」
声とともに横から男の手が伸びてきた。押しのけ、強制的に開けられた空間に金色の男が割り込む。そして戸惑っているフェリスの頭を撫でると、ためらいなくアッシュローズを抱きしめた。背中をさする。
「ごめんね、騒いじゃって。でも、こんなひどい状態になる前に僕を呼んでよ。どれだけ無理をしたら気が済むのさ」
「……すまな、い」
アッシュローズの手が男の体に回り、弱々しく服を握る。しかし男は肩を掴んで体を離すと、彼の顔を覗き込んだ。
「……ちゃんと眠ってないんだね」
「………………」
「眠れない?」
アッシュローズが頷く。
「わかった。じゃあ上に行こう。魔法をかけてあげるから眠りなさい。ね」
首を振って拒否したが、その唇が言葉を紡ぐより前に男の声がぶつかっていく。
「我儘は駄目だからね! ドクターストップ! 話ならあとでたっぷり聞いてあげるから今は眠るの! いいねっ」
「待ってくれ、話を────」
「却下っ」
アッシュローズの額に音を立ててキスをする。
「闇よ。優しき無よ。深き広き帳を閉じて、穏やかなる褥を与えよ」
「……ハウヤ……」
アッシュローズの手が服から外れ、体ごと崩れ落ちた。
両腕で受け止めた男──ハウヤが肩で息をする。
「不意打ち作戦成功~。良かったぁ、魔法効いて……」
「あれ……ハウヤ様、いつの間にいらっしゃってたんですかっ?」
壁の向こうから聞こえてきたのはメイの声だ。ハウヤが顔を上げる。
「や、メイ。ひさしぶり~。とりあえず先にアッシュを寝かせてくるから、みんなここで待ってて。聞きたい話が山盛りだよ」
振り返ったハウヤの視線がGRを見やる。
「もちろん、きみもね」
愛嬌のある目元には不似合いな、視線に混じる剣呑な光。
怖いとは思わない。気圧されるほどのものでもない。
なのに、背筋が冷たくなった。




