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盟約のトリスアギオン  作者: 神希
第3幕
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巣食う棘-5

 玄関前に作られた小さな階段に腰掛けてから、優に四時間は経っただろう。暗くなりはじめた空を見るとはなしに眺めながら、GRはふぅぅとため息をついた。

 メイに出て行けと言われて外に出たはいいが、ここから立ち去る気にはなれなかった。アッシュローズに追い出されたのならば素直に国へ帰れもしただろうが、メイでは弱かったらしい。彼女の怒りが鎮まるまで、もしくはアッシュローズが目を覚ますまでと、こうして待っているのはいいが、頭を占めるのがアッシュローズの体調についてというのはなかなか微妙なところである。何が悲しくて大人の、それも男のことばかり考えているのやら。


(でもなぁ。気になるしなぁ)


 またため息をついて、頬杖の形を変えた。


(ほんとに大丈夫なのかな、あいつ)


 手を後ろについて体重を預けてみる。


(すっげぇ苦しそうだったよな。いったいなんの病気なんだろ……。息ができなくなるってンなら、肺とか気管とかのか?)


 自分や身近な人に起こった怪我や病気ならわからないでもないが、それ以外はさっぱりである。

 もう何度目かも忘れた嘆息が落ちる。


「早く目ェ覚ますといいけどなぁ」

「アッシュ様だったら気がつかれたわよ」

「ぅあっ?」


 背後から声が飛んでくるとは思わなかった。

 振り返ると、いつの間に来ていたのやらメイが立っているではないか。ぼうっとしていたせいかもしれないが、ぜんぜん気がつかなかった。


「お、驚かすなよなっ」

「………………」


 GRが心臓を押さえてなだめているうちに、メイが隣に座った。顔どころか視線も向けず、膝を抱えてうつむく。


「…………さっきは、ごめん」


 口の中でくぐもった言葉が何を指してのことか、遅れて察する。

 GRは腰を落ち着け直した。


「気にすンな。それより、あいつ、大丈夫なのか?」


 メイは何に驚いたのか、少し目を見開いて顔を向けてきた。が、驚愕は少しの間だけだ。再び前を向いた顔は、硬かった表情がほどけて穏やかになっていた。


「うん。とりあえずは、だけどね」

「そっか。良かったな」

「……うん」


 頷く。が、居心地悪そうにエプロンの端をいじっているのが気になる。何か言いたいことでもあるのだろうか。それともまだ文句でもあるのだろうか。

 GRはメイの横に手をついた。


「どうしたよ」


 その瞬間、メイの体が派手にびくついた。座った体勢のまま一歩分離れる。そしてそのあとで、我に返って表情を歪めた。


「ご、ごめん。ちょっと、その、まだ苦手で……。ごめん」


 意気消沈している彼女を問い詰めるような真似をしたくはなかったが、その言葉だけで苦手としているものを察して避けてやるのは無理だ。GRは体勢を戻してから問うた。


「何が苦手だってンだ?」

「………………男」


 メイは迷ったようだったが、申し訳なさそうにそう言った。


「あたし、ここに来る前は娼婦だったの。暴力振るわれたこともあったし、屈辱的なこともいっぱいさせられたから……。さ、さっさと忘れたいって思ってるんだけどねっ。なかなかうまくいかないみたいで。あはは」


 笑ってごまかそうとしているが、それが逆に痛々しい。話を変えてやるのがいちばんなのだろうが、うまく転がせそうになくてGRは、仕方なく思いついたまま続けることにした。


「じゃあお前、まだここに来たばっかなのか」


 メイはふるっと首を振った。


「もう六年になるわ」


 はた、と気になることが。


「女にこういうこと訊くのはマナー違反なんだろうけど……お前、年いくつだ?」

「十九歳よ。数え間違えてなければね」

「…………俺より年下かよ」


 メイの目が半眼になる。


「なによ、私のこといくつだと思ってたわけ?」

「や、同い年くらいかなーっと」

「同い年って……あんた何歳?」

「二十三」

「二十三っ? うわ、しっつれいねー」

「悪ぃ。でも、なんつーの? 大人の女に見えたからな」


 メイはしばしGRを目だけで睨んでいたが、息を吐くのと一緒に力を抜いた。


「まぁいいわ、許したげる。男を知ってるって意味じゃ、間違いでもないんだし」


 外した視線は何かを悟り、達観した者の目。


「あ……う、ん……悪ぃ」


 少し、息苦しい。

 GRは両膝に腕をひっかけ、背を丸めた。


「じゃあ、さ。お前、六年もあいつの世話してンのか。男が苦手なのに、よくできたな」

「アッシュ様を男だなんて思ってないもの。あの方は『お兄様』。それに、違うわよ。アッシュ様がここに住むようになったのは二年くらい前からだから」

「え?」


 思わず体ごと横を向く。


「計算合わねえじゃん。お前、あいつに助けられたンじゃねーのかよ」


 すると彼に合わせるように、メイもまたこちらに顔を向けてきた。


「だから違うって言ってるじゃない。あたしもフェリスもお嬢様に救われたの。アッシュ様じゃないわ」


 遠まわしな物言いだ。歯の奥がむずむずする。


「お嬢様ってなァなんだ? お前らのほかにも誰か住んでるってのかよ。言っとくが、ンな嘘は通じねーぞ」


 すると、


「アッシュ様に口止めされてる以上、あんたには関係ないとでも言って適当にあしらうのが正解なんだろうけど……」


 メイが真剣な、本心を探ろうとする目でGRを見た。


「あんたさ」

「な、なんだよ」

「アッシュ様の味方になる気、ある?」

「……それが話とどう関係あンだよ」

「答えて」


 ごまかしはきかなさそうだ。

 GRは腹に息をためた。声に熱をともす。


「ある。少なくともあいつの目的が獣人族を助けることであるうちはな」


 わずかな間のあと、メイがふぅと微笑んだ。


「なら大丈夫ね。……それじゃあ今から話すことは絶対に、特にアッシュ様には、あたしから聞いたなんて言わないでよ? 怒られちゃう」


 メイはそこで一度言葉を切って、それから改めて口を開いた。


「この屋敷の主人はアッシュ様じゃないの。今は住んでらっしゃらないけど……本当の主は、シアリィ・デルマイヤー様。デルマイヤー家当主よ」

「デルマイヤー……って、どっかで聞いた名前だな」

「当たり前でしょ。隣の国で王様になろうって人がぜんぜん知らなかったら呆れてあげるわよ。デルマイヤー家は王家の親戚筋。リュンデン王子は母方の従兄弟にあたるわ」


 あまりの近さに汗が出てきた。いや、いきなり謎のひとつが判明した衝撃が強かったのかもしれない。


「それってさ、もしかしてあいつがハルメシオス家の紋章を持ってることに何か関係あったりする?」


 おそるおそる尋ねると、メイの回答は簡潔だった。


「アッシュ様はデルマイヤー家の遺産と権利をすべて預かってらっしゃるからね。そんな人に協力しろって言われたら、さすがの国王も無碍に扱えないでしょ」


 つまり大当たり、関係ありまくり。


「……む、むちゃくちゃしやがるなぁ。ほとんど職権乱用じゃねえか」


 額ににじんだ汗をぬぐうGRを見ておかしそうに笑うとメイは、ずいぶん明るくなった表情で空を見上げた。


「あのね。あたしは六年前、フェリスは二年前にお嬢様と出逢って、助けられたの」


 遠く、空の彼方に向けるように微笑んだ。


「お嬢様はね、種族の違う、それどころか弄ばれて汚いあたしを、妹だっておっしゃってくださったの。フェリスは息子だって、子供ができたって、はしゃいでいらっしゃったわ。……もし聖母っていう存在が本当にこの世にいるとしたら、それはお嬢様のことよ。きっと」


 泣いてしまうのではないか──そんなことを思わせる儚い表情だった。


「お嬢様は我儘どころかほとんど何も望まない方だったけど、代わりによく夢を語ってた。獣人族が人として自由になるっていう夢を……。アッシュ様はお嬢様の夢をかなえるために戦ってらっしゃるのよ」

「自分の命を犠牲にしてでも、か?」

「………………」


 メイが、目を閉じ、深呼吸をして、そして地上に戻した視線をまっすぐGRに向けてきた。


「ええ」

「そンでいいのかよ」


 一瞬見えたのは、悲哀。けれどすぐに笑顔で隠して、メイは首を振った。


「あの方が決めたことだもの」

「お前が決めたことじゃねえだろ」

「……あたしは、戦えないもの。そんな力ないもの。だからアッシュ様がお嬢様の夢をかなえてくださるっていうなら、お手伝いするだけよ」

「…………足手まといになりたくないってか?」


 今度こそ本当に、メイの表情が歪んだ。廊下で見た、あの狂おしいばかりの哀しみが浮き上がる。


「だって……だってしょうがないじゃないっ。あたしだってかなえて差し上げたいって思ってるもの! でもあたしにできるのはお世話くらいしかなくて……だから……」


 強く閉じた目の端から、次々と涙がこぼれてくる。伏せた大きな耳も小刻みに震えている。──彼女を気丈だなどと、なぜ思ったのだろう。ミューイとほとんど変わらない、ただの少女なのに。

 GRはまっすぐ手を伸ばし、メイの頭を抱きしめた。


「ちっと言いすぎたな。悪ィ。お前を追いつめるつもりじゃなかった」


 繰り返し髪と背中を撫でてやる。


「あいつが無理してンのが気に食わなくってよ。なんでお前が注意してやンねえんだろうって思った」

「あ、あたしだって言ってるわよ! でも頑固なんだものっ。無理しないでくださいって言っても言っても聞いてくださらないんだものっ」

「そっか」

「心配してるのに、大好きなのに、なのにいつも大丈夫だって言ってはぐらかして、何にも言ってくださらない……。あたし、そんなに頼りないかなぁ? 何にもできないのかなぁ?」

「ンなことねえよ。お前の作る飯、うまいぜ? あんなうまいもん食わせてもらっといて幸せだって思わねえ奴いねーよ。……幸せな気分にさせるなんて、そう簡単にできることじゃねえ。お前、すげーことやってンじゃん」

「でも、ほんとに何にも言ってくださらないのよぉ? 信頼してくださってない証拠じゃない……」

「それは……」


 少し困って、GRは苦笑した。


「たぶん、男の意地ってやつだろ」

「……何? それ」

「黙秘権発動。同じ男として、あいつのプライドとるわ」

「ケチ」

「ケチでけっこう。男ってやつァ大変なんだよ。大目に見ろって」


 するとメイが、GRを押しのけるようにして体を起こした。


「なんか、ずるい」


 唇を尖らせて睨み上げてくる。


「あんたのほうがアッシュ様のことわかってるみたいじゃない。あたしのほうが長い間一緒にいるのに」

「妬くな」

「妬くかっ! ……んもう」


 呆れ返った、とでも言うかのように大きなため息を吐いた。が、


「でも……ありがと」


 苦笑めいてはいたけれど、それでもはっきりわかる笑顔になる。


「あんた、いい奴ね」


 何が理由でそんな言葉が出てきたのかはわからなかったが、GRは素直に破顔した。


「気づくの遅ェぞ」

「はいはい」


 さらりとあしらい、腕で涙を拭いて立ち上がる。


「あんたは好物とかある? あぁ、甘いものが好きっていうのはわかったから、それ以外でね」

「うまいもんなら全部好きだけど……」

「単純ねー」


 そして玄関から中に入っていくメイが、その体を完全に入れる前に振り返った。ほんの少し唇を尖らせて。


「何してんのよ。もうすぐ食事の支度ができるから、リビングで待ってれば?」


 そこでやっとメイの言おうとしていたことのすべてを理解したGRは、尻尾を振って立ち上がった。


「じゃあそうすっか。メニューはなんだ?」

「鶏肉の香草焼き」

「おぉ。あれってさ、肉は柔らかいくせに表面がパリッとしてンのがうまいんだよなー」


 メイが半眼になる。


「……それ、挑発?」


 GRはからりと笑った。


「いーや、期待」


 メイが耳と尻尾をピンと立てる。


「そ。じゃあ度肝を抜いてあげるわ。楽しみに待ってなさい」


 キッチンへと歩いていく彼女の後ろ姿に、苦悩の気配は微塵もない。メイが元気になってくれて良かった。たとえ空元気だとしても、悲哀に潰されているよりはずっといい。


(──って、ついミューイを慰めるみてぇにやっちまったよおい……)


 男性恐怖症が治っていないと数分前に言われたばかりなのに、ついついいつものノリで抱きしめてしまった。

 あとになって失敗に思い至ったが、歩いていく彼女の背中に恐怖心や怯えた様子は感じられない。どうやら大丈夫だったらしい。──それはそれで、オトコゴコロは複雑だが。


(男扱いされてねえってか? いや、まぁ別にいいんだけどよ? 好みのタイプってわけじゃねえんだし? だいいち今は恋人なんざいらねえし。それに……女がどーのこーのより、あいつだろ。問題は)


 思い、GRは笑みを消した。感情を抑えた顔で屋敷を見上げる。

 二階の端の窓に白い影がある。そこから向けられているのは、本意の読めない視線。

 こちらを見ている眼の存在には早い段階で気づいていた。けれど、心配げだった眼差しがひどく混沌としたものに変わったのはいつだろう。メイの相手で精一杯だったため、はっきりとは覚えていない。


(お前は何を見てる? 何を考えてる?)


 声に出さない問いかけ。

 前髪で双眸を隠した男は身を翻す。

 彼の姿はもう見えない。

 その本心もまた、見えない。


(……気ィ許してくれるようになるときなんて、本当に来ンのかなぁ……────)


 GRは体をぶるりと震わせ、忍び寄る不安を振り払った。

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