巣食う棘-4
玄関を開ける音を聞きつけたのか、開けっ放しのリビングからフェリスが走ってくる。
「おかえぃなさ……」
が、声も足も唐突に止まってしまった。GRに抱きかかえられているアッシュローズを見て、大きな目をさらに大きく丸くする。感情が驚きから悲しみに移行するのは時間の問題だ。そうなる前にGRは、フェリスに向かっておどけた調子で笑ってみせた。
「やっぱ驚くよな、普通。昼寝すンなら帰ってからすりゃいいのに……。なぁ?」
フェリスが驚きを忘れてGRを見上げ、きょとんと瞬きをする。
「おひゆね?」
「おう。疲れたーっつって寝ちまったんだよ。あ、そうだフェリス。こいつの部屋教えてくンねえか? ちゃんとベッドに寝かせてやんなきゃ駄目だろ?」
「あ、う、うんっ。えと、こっち!」
頷き、すぐさまエントランスから繋がる階段を駆け上がっていった。アッシュローズを抱え直してそのあとに続く。
フェリスが開けたドアは東の最奥。ちょうどGRに与えられた部屋の真上にあたる場所だった。下とは間取りが違うらしく、半分程度の広さしかない。代わりに、隣に繋がる扉が北側の壁についていた。ほかに違う点はと言えば、花瓶に花が生けられていることと、アッシュローズのまとっている香りがすることだろうか。
と、呑気に見渡していたら服の裾をひっぱられた。
「じーゆ。べっど、あそこだよ」
顔を向けると、フェリスが開けた扉の向こう側を指差していた。中に入って見てみれば確かにベッドがある。
「サンキュ。悪ぃんだけど上掛けをどけてくれっか」
「はぁい」
言った通り上掛けを足元までずらしてくれたそこへ、片膝だけ乗り上げてアッシュローズを横たえる。振動で起きてしまうかとも思ったが、気をつけた甲斐あってか白い睫毛はぴくりとも動かなかった。
脇で見ていたフェリスがほっと微笑む。
「ねてゆねー」
「そうだな」
GRはゆっくり腕を抜きながら、アッシュローズの表情を眺める。
(ほんとに、よく眠ってる……)
呼吸は落ち着いている。表情も柔らかい。どうやら苦痛から解放されているようだ。眠っている間だけだとしてもいいことである。深く眠って疲れを癒すことができるのだから。
慎重に手を離す。
長い白髪が腕にわずか絡み、滑り、アッシュローズの顔に降り注いだ。
睡眠の邪魔になってはいけないと、髪を横に落としてやり──不意に気づく。アッシュローズの髪の色が、純白ではないことに。正確には銀髪なのだと思っていたが、これはどちらかというと金髪だ。迷いなく金髪と呼べるほど鮮やかな色でもないが。
ごくごく淡い色彩は、純白の絹布の上に広がって初めてわかるほどあいまいなものである。けれど気づいてしまえば明白だ。限りなく白に近い。けれど純白とは呼べない優しい色をしている。いちばん近いのはミルクの色。口に含んだら甘いのではないかと思わせる、そんな色。
つくづく綺麗な男である。形だけでなくまとう色彩まで美しいなんて。
GRはベッドの端に腰を下ろした。シーツに散った髪を手に取る。
(美人だなぁ。女でもここまで綺麗な奴、見たことねえかも)
フェリスを横目で窺ってみるが、彼に驚いた様子はない。戸惑いもない。当然と言えなくもないが、やはりアッシュローズの素顔を知っていたのだろう。
ずるいと思うのは、心が狭いだろうか。
(でもやっぱ、いいよなぁ)
掌に心地良い髪を、指先で撫でる。
どうしたらフェリスやメイと同じように接してもらえるようになるのだろう。彼に従って手伝っていたら、いつか認めてくれるのだろうか。仲間として受け入れてもらえるだろうか。近しい位置に立てるだろうか。
可能性はゼロではない。少なくとも彼を嫌って警戒しているよりはずっと見込みがあるはずである。そしてもしもかなったら、自分にも笑ってくれるようになるに違いない。彼の笑顔はきっと、恥ずかしくなるほど綺麗だ。
獣人族と祖国を護りたい。
フェリスに罪滅ぼしをしたい。
アッシュローズの笑顔が見てみたい。
理由も報酬も動くに値するだけのものが揃ってしまった。もう意地を張る気にもならない。自分を変え、現実と闘うための決心をつけられる。
(ま、たまにはこんなのも悪くねえさ)
GRは静かに眠るアッシュローズの肩に手を置く。
彼にかける言葉は思いつかない。けれど今はただひたすらに、彼の体から苦痛が消え去ることを願う。そして少しでも長く、安らかな眠りが彼のもとにあるようにと祈る。
「──アッシュ、様?」
不意に入ってきた声はメイのものだ。
顔を上げてみれば、確かに入り口前に彼女が立っている。メイはアッシュローズを見たまま放心していたようだったが、すぐ我に返ると顔を強張らせた。
「……フェリス、アッシュ様が目を覚まされたら教えてね」
「え、う、うん」
様子のおかしさに気づいたか戸惑っているフェリスに、しかしメイはそれ以上何も言わずに廊下へと足を返した。
「GR、ちょっと来て」
「お、おう」
返事も待たずに出て行ってしまったメイを追って廊下に出ると、彼女は階段の前で背中をこちらに向けたまま立ち止まっていた。
彼女が何を訊きたいのかはわかっている。フェリスには嘘でごまかしたが、メイには本当のことを話しておいたほうがいいだろう。GRはドアを閉めてから彼女に駆け寄った。
「ジルダからあいつが病気だって話を聞いたぜ」
「…………」
メイは何も言わない。ただ肩を硬くしている。
黙っていては話が進まないため、GRはそのまま話し続けることにした。
「急に苦しみ出して、そんで息ができなくなって倒れちまったんだけどよ。あれ、発作か? あいつの病気っていったいどういうもんなんだよ」
メイは、なおも口を開こうとしない。
胸の奥が苛立つ。
「おい訊いてンのか?」
と──
「アッシュ様が、頼んだの?」
答えでなく問いが返ってきた。
乱れそうになっていた心を慌てて落ち着け、それから問い返す。
「頼んだって、何をだよ」
「アッシュ様があんたに連れて帰れって頼んだの?」
「え、あ、いや。何も言わずに気ィ失っちまったからな。早いとこ休ませてやったほうがいいかと思ってよ」
「あんた……魔法が使えるわけじゃないわよね」
GRはそこで、彼女の言いたいことに気づいた。
なるほど、主人を介抱してもらったことが後ろめたいらしい。迷惑をかけたと思っているのかもしれない。アッシュローズが倒れたことで、ただでさえ動揺しているのだ。これ以上よけいな気疲れを背負わせたくはない。GRはあえて冗談めいた調子で笑った。
「おう。さすがに意識がない男を運ぶってなると重ェけど、ま、腕力あっからな。たいしたことじゃねえよ、気にすンな」
次の瞬間、灰色の髪とロングスカートが揺れ、なびいた。
──ほかのことに気を取られていたわけではない。気を抜いていたわけではない。ただ、思いもしなかっただけだ。メイに殴られるなどということは。
左の頬を打たれた。平手で。おもいきり。──なぜ?
疑問に支配されたまま、それでも首を動かして前を見る。そこには真っ青な顔でGRを睨むメイがいた。彼女は心底怒り、激怒のすべてをGRに向けていた。
「あたしは、最初から反対だったのよっ。絶対負担にしかならないんだからっ。でも、でもあの方が言うから、だからあたしは……っ。それなのにっ!」
拳にした手を肩から震わせ、憎しみすら感じさせる強い眼差しになる。
「なんてことするのよっ。アッシュ様がお許しになってもないのに触るなんて……っ」
淡いブルーの目からぼろぼろと涙が溢れ出す。
「なんでアッシュ様に触ったのよ! 触らないでよ! あの方に触らないで! あんたにそんな資格、これっぽちもないんだからっ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠そうともせずまっすぐに睨みつけてくる。
「どうして、こんなことしたのよぉ。……もし、もしアッシュ様に何かあったら、あたし、あたし……なんてお詫びしたら……っ」
緊張の糸が切れたか、メイがその場にへたり込んだ。うつむいた彼女の表情は、もう見えない。
GRはなんと声をかけたらいいか迷いながら、手を伸ばした。
「……メイ、あのよ……」
「出てって」
振り払うように、メイが感情的な仕草で外を指差す。
「出てって! ここから今すぐに出てってよっ!」
震える肩を隠しもせずに叫ぶ。
「あんたなんかいらない! アッシュ様を苦しめる奴なんかいらない! あんたなんか、これっぽっちだって信用してないんだからっ! あたしも、アッシュ様もっ!!」
(知ってるさ。そんなの、嫌になるくらい)
口から出かけた自虐的な反論。けれど悔しさと一緒に飲み込んで、GRは階段を下りた。




