巣食う棘-2
「──なぁんてな」
二分後、GRは潅木の間を突き進んでいた。
「おとなしく帰るわけねえじゃん」
もちろん足音と路の選択に気をつけつつだ。獣の気配を発することも忘れない。獣化していなくともこれくらいは朝飯前である。動物が歩いているふうを装って、森を南へと進んでいく。
「ふふん。あいつの隠してっことがわかるかもしンねえチャンスを見逃すかってンだ」
いったん立ち止まり、鼻を動かす。
濃厚な木々の香りにかき消されそうなほどかすかな、一筋の道を描く甘い残り香──花の匂いは、確かにアッシュローズがまとっていた香りだ。漂ってくる方角を確認してから再び奥を目指す。
(しっかし、わざわざ人払いして弔うなんて怪しすぎだよな。なぁにを隠してやがンだか。きっと見られたくねえこととか知られたらマズイことやってンだぜ……)
具体的な理由についてはさっぱりわからないが、何はともあれ論より証拠。この目で見てやれば言い逃れもできまい。
(ぜってー暴いてやる。弱点のひとつも掴んでやりゃあ、ちったぁ態度変えるだろ。この俺様を足蹴にしようなんざ、百年早ェ)
そうして、ざくざく進んでしばし。
ジルダの話の通りにいきなり森が開けた。身を伏せるとGRは、慎重に潅木の間から前方を窺ってみた。
そこは確かに丘だった。降り注ぐ陽光、吹きぬける風、一面に広がる短い下草。緑色の地面の上には無数の石が並んでいる。大きさも形もさまざまだが、それは確かに墓標に見えた。明確な理由などない。独特の臭いがあるからとしか言いようがない。それでもはっきりと言える。ここは墓地だ。
視線をめぐらすGRの目に人影が入ってきたのはすぐだった。真っ白な髪の持ち主は間違いなくアッシュローズである。こちらに背を向けてしゃがんでいる彼は、手元で何事かをやっていた。
GRは風向きを確認すると、風下側を選んで横に回りこんだ。ちょうどいい具合の木の陰に隠れ、アッシュローズの行動を覗く。
彼は黙々と草を抜き、地面を掘っていた。石と手で。それは大きな穴を掘る必要がないからかもしれない。見た限りコップ程度の穴を掘ったところで手を止めた。
そして取り出したのは、建物を消す代わりに形成した黒い石。それを両手に包んで別れを惜しむように抱きしめると、静かに穴へと落とした。土をかぶせる。
一分もかからなかっただろう。アッシュローズは上体を起こすと、埋めた場所を見つめて、汚れたままの手を祈りの形に組んだ。
「意思を、石へ」
刹那、振動を響かせて岩が隆起した。周囲に立ち並ぶ石と同じものだ。ただしほかのと違って真っ黒だったが。
大人の上半身程度の大きさになると、石は動きを止め、沈黙した。
「…………すまない」
手を解き、石を抱きしめるアッシュローズ。
「すまない」
肩が、震えている。
「もっと早く助けに向かえていれば、救えた魂もあったろうに……」
かすかに流れてくる声もまた、震えている。
「きみたちの悲哀はすべて、私が引き受けるから。だからどうか心安らかに、天へ……」
唐突に石が色を変え始めた。下から上に向かって、不自然な漆黒からありふれた灰色へと変わっていく。まるで色がアッシュローズに吸い込まれていくようだ。さらに、色が変化していくにつれて男の肩が強張り、先ほどまでの震えとは別物の痙攣が全身を包んでいく。
「く、ぅ……っ」
石の色が周囲のそれと同じものに変わったと同時に、体が剥がれて落ちた。受身のひとつも取らずに地面に突っ伏し、うめき、胸元を鷲掴みにする。
(え、ちょ、おいっ?)
GRは木の陰に隠れたまま慌てる。
弱点を見つけてやるぞと意気込んではいたが、腹黒かったり馬鹿馬鹿しかったりする、いわゆるすねに持つ疵を見つけるつもりであって、こんなものを探していたわけではない。むしろ正反対だ。
(もっ、もしかして病気? 発作とかっ? うわ、ど、どうしたら……)
あっちを向きこっちを向き、手足をばたつかせて動揺を鎮めようとしたがまったく効果がない。逆に頭が真っ白になっていく。何も考えていられない。衝動しか残らない。じっとしていられない。
「~っ、あぁもう!」
一声吠えてGRは、森から飛び出した。
「おい、大丈夫かっ!」
「!」
彼の肩がびくと震えた。とっさに見せた拒絶に、しかし構わず駆け寄る。
「気をしっかり持てっ。どこが苦しいんだ、薬は持────」
──ビッ!
指先がアッシュローズの肩に触れる瞬間、横一文字に振り抜かれた白い袖が頬をかすった。突然のことに言葉を失った隙を逃さず、上体を起こしていたアッシュローズがずるりと後退する。
青い唇の奥で耳障りな音がした。
「なぜ、お前が……ここにいるっ」
抑えていてもなお激怒が溢れている。
「私は帰れと言ったはずだっ。なぜここにいる!」
全身を震わすものが苦痛なのか激情なのかも判然としない。けれどこれだけはわかる。興奮状態が体にいいわけがない。GRは退いてしまっていた手を再度伸ばした。
「うっせぇよ! ンなこたぁ今はどうでもいいっ」
肩を掴む。
「まず落ち着────」
「触るなぁぁぁぁっ!」
突風に弾き飛ばされた。さらに下草が足を絡めとり、土がめくれ上がって無数の小石に皮膚を叩かれる。
「私に、触れるなっ」
葉が投げナイフのように飛んできて牽制するその向こうで、さらに息を荒くしたアッシュローズが己を抱きしめて深くうつむく。
「それ以上近づくな! 今すぐここから失せろっ。早く……早くっ!」
「………………」
GRの周辺だけに留まらず、丘全体で自然が荒れ狂っている。
体調が悪いのに魔法を使って退けようと思うほど邪魔なのか。
自分をかばいたくなるほど触られるのが嫌なのか。
それほどまでに近づいてほしくないのか。
「お前……っ」
頭の中で、何かが切れた。
襲いかかる風も草も土も石も葉も全部無視して一息で起きる。左手をアッシュローズに伸ばして逃げる腕を掴み────
──スパンッ!
「黙れっ!」
じんとしびれた右手を拳にする。
「病人なら病人らしくおとなしく看病されてろっ。ワガママは全部却下だっ!」
言いたいことをぶちまけたことで気が済むとGRは、一度の深呼吸で息を落ち着けてアッシュローズを見た。
頬をぶたれたのがそんなに衝撃的だったのか、斜め下に顔を向けたまま硬直している。気がつけば魔法も消えていた。維持することも忘れるほど驚いたらしい。すっかり放心状態である。
もしかして、強くひっぱたきすぎたのだろうか。
遅ればせながらアッシュローズの顔を覗き込んでみる。
「だ……大丈夫か?」
するとこちらも我に返ったか、慌てて腕を振りほどいた。数歩分あとずさって顔を伏せる。
彼の左手は依然強く服を握りしめたままだ。かろうじて見える唇も肌も青い。呼吸も荒い。座っているのがやっとなのだろう。深くうつむいた体は今にも力を失って地面に突っ伏してしまいそうだ。
「……なあ、ちっと横になれば?」
ぴくりともしないアッシュローズに体を寄せる。
と、彼が派手に震えて小さくなった。
なぜこんなに怯えられなければならないのだろう。そんなに怖いか? 病のせいで気が弱くなっているというやつだろうか。それにしてもあんまりな反応である。おかげで小動物をいじめている気分になってきたではないか。
GRはしぶしぶ腕を引っ込めた。
「わかった。了解。もう触ンねえから逃げンな。頼むって」
両手を上げて意思表示。
アッシュローズは相変わらず固まっているが、怒鳴られないだけましか。そう割り切って話しかける。
「お前、病気なんだってな。発作か何かか? 薬は持ってねえの? 家か?」
無反応。
「なーって。いくら俺でも病人相手にぎゃーぎゃーわめく気ねえよ。必要なもん言ってくれりゃ取りに帰ってやるし、楽になる方法教えてくれりゃあやってやるって。……なぁ、聞いてっか?」
やはり無反応。
「……喋れねえほど苦しいのかよ。だったらマジで横になれって」
変わらず無反応。
さすがにこれ以上一方的に話しかけるのはきつい。
GRは身を乗り出した。首を傾げてみせる。
「アッシュローズぅ。おーい生きてっかぁ?」
──それは、半分冗談で言った言葉だった。
「……おい……?」
なのに、冷や汗が出てきた。
「お……おいアッシュローズ。大丈夫か?」
呼べども白い男は声を出さず目も上げず、髪の一筋すら動かさない。
「……アッシュローズ……っ、おいっ。返事しろって、おいっ」
そのとき脳裏を占めていたのは、根拠の見当たらない危険信号だった。




