第27話 王女様は褒美ではありません。面倒な仕事仲間です
「第一王女エレオノーラを、褒美として受け取る気はないか?」
国王アルベルト四世の言葉が、謁見の間へ静かに落ちた。
落ちたまま、誰も拾わない。
ザイフリート宰相はいつもの無表情を保っていたが、こめかみがわずかに動いている。バルガス隊長は天井を見上げ、ルーカスは目を丸くし、当のエレオノーラは耳まで真っ赤になっていた。
俺は念のため、もう一度聞いた。
「王女様を、ですか」
「ああ」
「褒美として?」
「ああ」
「俺が受け取る?」
「先ほどから、そう申しておる」
「いや、おかしいでしょう!」
謁見の間に俺の声が響いた。
「どうして麦を取り戻した報酬が、人間なんですか! 王女様は金貨とか屋敷と同じ種類のものじゃないでしょう!」
「孝太郎」
エレオノーラが低い声で俺の名を呼ぶ。
怒っている。
だが、俺は間違ったことを言っていない。
「王女様も怒ってくださいよ。父親に褒美扱いされてるんですよ」
「怒っています」
「ですよね」
「主に、あなたへ」
「どうして!?」
エレオノーラは真っ赤な顔で俺を睨んだ。
「もう少し言葉を選べませんか!」
「選んだ結果がこれです!」
「選んでそれなら、選ばない方がましです!」
「酷くないですか?」
「人間を受け取れと言われて、開口一番『おかしい』と叫ぶ男性よりは酷くありません!」
「おかしいものはおかしいでしょう!」
俺たちの言い争いを眺めながら、国王は楽しそうに笑っている。
病人なのだから、もう少し静かにしていた方がいいと思う。
「父上」
ルーカスが呆れた声を出した。
「最初から、姉上を本当に褒美として渡すつもりではありませんね」
「さて、どうであろうな」
「顔が笑っています」
「陛下は、孝太郎殿の本心を確かめたかったのでしょう」
ザイフリート宰相が淡々と口を挟んだ。
「本心?」
俺が聞くと、宰相は小さく頷く。
「爵位や領地を与えるより、殿下との婚姻を提示した方が、その人物が何を望んでいるかよく分かります」
「試したんですか」
「王とは、人を試すものだ」
国王が悪びれずに答える。
「性格が悪いですね」
「孝太郎!」
エレオノーラに叱られた。
「父親を褒美に出そうとする人ですよ?」
「出されたのは私です!」
「なおさら怒ってください!」
「怒っていると言っているでしょう!」
「俺にだけ!」
また周囲で笑いが起きる。
しかし、エレオノーラは笑わなかった。
怒っているだけではない。
何かを傷つけられたような顔をしている。
「それで、答えは?」
国王が尋ねた。
俺は迷わなかった。
「お断りします」
空気が変わった。
エレオノーラの顔から、赤みが引いていく。
「……そうですか」
小さな声だった。
「王女様?」
「当然ですね。私は気が強く、素直でもなく、国を捨てることもできません。妻としては、ずいぶん扱いにくいでしょう」
「待ってください」
「気を遣わなくて結構です」
「いや、そういう理由じゃ」
「謁見は終わりでしょうか、父上」
エレオノーラは国王の返事を待たず、一礼して背を向けた。
「王女様!」
「ついてこないでください」
「まだ何も説明してませんよ!」
「説明されれば、もっと惨めになります」
「どうしてそうなるんですか!」
「人の気持ちが分からないのですか!」
「今まさに分からないから聞いてるんです!」
エレオノーラは振り返らなかった。
謁見の間の大扉が、普段より大きな音を立てて閉まる。
残された俺は、しばらく扉を見つめた。
「……何で怒ったんです?」
誰も答えない。
「俺、間違ったこと言いました?」
バルガスが深くため息をつく。
「貴様は時々、火災現場より危険だな」
「どういう意味ですか」
「燃えていることに気づかず、油を注ぐ」
「俺が悪いんですか!?」
「半分はな」
「残り半分は王女様でしょう!」
いつもの答えを先回りして言うと、バルガスは首を横へ振った。
「今回は八割が貴様だ」
「増えた!」
ルーカスまで呆れた目を向けてくる。
「孝太郎。姉上は、あなたが自分を嫌だから断ったと思っています」
「どうしてです? 俺は人を物みたいに受け取れないって言ったでしょう」
「そのあと、はっきり断ったからです」
「断るしかないでしょう!」
「なら、なぜ断るのか説明すべきでした」
「説明する前に出ていったんですよ!」
「女性というものは、待ってくれぬこともある」
国王が偉そうに頷いた。
「陛下が原因でしょう!」
「追わなくてよいのか?」
「追いますよ!」
俺は国王へ一礼するのも忘れ、謁見の間を飛び出した。
背後からザイフリート宰相の声が聞こえる。
「陛下。少々、悪ふざけが過ぎましたな」
「そなたも面白がっていたであろう」
「否定はいたしません」
この国の上層部は、やはり信用しすぎてはいけない。
◇
エレオノーラは自室にはいなかった。
侍女のマーサに尋ねると、彼女は露骨に嫌そうな顔をした。
「殿下を泣かせましたね」
「泣かせてません。怒らせました」
「両方です」
「泣いたんですか」
「それを私に聞くのですか?」
声が怖い。
「どこにいます?」
「お教えしたくありません」
「でも誤解を解かないと」
「誤解させたのは、どなたです?」
「俺です」
「素直に認めるのですね」
「最近、そうした方が早いと学びました」
マーサはしばらく俺を睨んでいたが、やがてため息をついた。
「東の塔です」
「ありがとうございます」
「孝太郎様」
「はい」
「余計なことは言わず、殿下のお話をお聞きください」
「努力します」
「努力ではなく、実行してください」
「難しい注文だなあ……」
「何か?」
「何でもありません!」
東の塔は、城壁と城下町を見渡せる場所にあった。
階段を上り切ると、窓辺にエレオノーラが立っている。
背中を向けたまま、俺が来たことには気づいていた。
「来ないでと言いました」
「聞きました」
「では、なぜ来たのです」
「話が終わってないので」
「私は終わりました」
「俺は終わってません」
「自分勝手ですね」
「王女様にだけは言われたくありません」
余計なことを言うなと、ついさっき注意されたばかりだった。
けれど、エレオノーラは少しだけ肩を揺らした。
泣いているのかと思ったが、笑いを堪えたらしい。
「本当に、腹の立つ人ですね」
「知ってます」
「褒めていません」
「それも知ってます」
俺は少し離れた場所で立ち止まった。
近づきすぎれば嫌がるかもしれない。離れすぎても、突き放しているように見える。
人との距離は、畑の畝幅より難しい。
「王女様を断ったのは、嫌だからじゃありません」
「では、なぜです」
「人間を褒美として受け取るのは違うと思ったからです」
「父上は、本当に私を物として渡そうとしたわけではありません」
「分かってます。でも、結婚ってそういうものでいいんですか」
「王族の婚姻とは、国のために行うものです」
「王女様は、それでいいんですか」
彼女はすぐに答えなかった。
「よいか悪いかではありません」
「また、それですか」
「私は王女です」
「知ってます」
「私の婚姻で国が救われるなら、私はそれを選びます」
「本当は嫌でも?」
「ええ」
「俺は嫌です」
エレオノーラが振り返る。
傷ついた顔をしていた。
「俺が嫌って意味じゃありません!」
「まだ何も言っていません」
「顔が言ってます!」
「人の顔を勝手に読まないでください!」
「最近、鍛えられたんですよ!」
俺は頭をかいた。
言葉にしようとすると、どうしても格好がつかない。
「王女様が国のために誰かと結婚するのを、立派だとは思います」
「なら」
「でも、俺がそれを利用するのは嫌です」
「利用?」
「国を助けた報酬として王女様をもらう。それって、王女様の気持ちはどこにあるんです?」
「私の気持ちなど」
「あるでしょう!」
思ったより大きな声が出た。
エレオノーラが目を見開く。
「あるんですよ。嫌だとか、怖いとか、腹が立つとか、こいつとなら一緒にいてもいいとか。王女様にだって、そういうものがあるでしょう」
「……あります」
「だったら、それを抜きにして決めたくない」
「では、私が望めばよいのですか」
「え?」
「私が望んだなら、あなたは私を妻にするのですか」
今度は俺が固まった。
エレオノーラは真っ赤になりながらも、目を逸らさない。
「ちょっと待ってください」
「待ちません」
「考える時間を」
「先ほど、私には考える時間も与えず断ったでしょう」
「それとこれとは!」
「どう違うのです!」
「違うでしょう!」
何が違うのか説明できない。
結婚。
妻。
王女様。
十九年間、彼女すらいたことのない俺には、話が急すぎる。
「王女様は、俺のことが好きなんですか」
聞いた瞬間、エレオノーラの顔が燃えるように赤くなった。
「い、今それを聞きますか!」
「大事でしょう!」
「知りません!」
「自分の気持ちなのに?」
「あなたのせいで分からなくなったのです!」
「俺のせい!?」
「あなたが勝手に国へ来て、勝手に怒って、勝手に人を助けて、勝手に危険な場所へ行くからです!」
「王女様が連れてきたんでしょう!」
「途中からは、あなたが勝手に残ったのです!」
「それはそうですけど!」
エレオノーラは息を切らし、俺を睨んだ。
目には、また涙が浮かんでいる。
「あなたがいなくなると困るのです」
前にも聞いた言葉だった。
「仕事が増えるからですか」
「それもあります」
「そこは否定してくださいよ」
「嘘はつきたくありません」
「正直すぎるなあ……」
「でも、それだけではありません」
声が小さくなる。
「あなたが危険な場所へ行くと、胸が苦しくなる。帰ってこないかもしれないと思うと、何も手につかなくなる。戻ってくれば腹が立って、顔を見ると安心する。それが何なのか、私にもまだ分かりません」
「……俺もです」
「孝太郎も?」
「王女様が勝手に国境まで来たとき、嬉しかったです。でも同じくらい腹が立ちました」
「なぜです」
「危ないでしょう」
「あなたに言われたくありません」
「だから、同じなんですよ」
俺たちは顔を見合わせた。
どちらからともなく、少し笑った。
好きかどうかは分からない。
結婚するかどうかなど、もっと分からない。
でも、いなくなれば困る。
たぶん今は、それで十分だった。
「だから、王女様を褒美としては受け取れません」
「……はい」
「その代わり」
「その代わり?」
「仕事仲間として、俺の隣にいてください」
エレオノーラが瞬きをする。
「それは、命令ですか」
「お願いです」
「国が豊かになるまで?」
「たぶん、それだと一生終わりませんよ」
「失礼ですね」
「国を豊かにする仕事に、完成なんかないでしょう」
「では、いつまでですか」
「王女様が、もう俺はいらないと思うまで」
彼女の眉が寄る。
「その言い方は嫌いです」
「どうしてです?」
「あなたは、また自分だけいなくなる前提で話しています」
言われて初めて気づいた。
日本へ帰れる方法が見つかれば、俺は帰るかもしれない。
この国で役に立てなくなれば、出ていくかもしれない。
ずっと心のどこかで、俺は余所者だと思っていた。
「なら、どう言えばいいですか」
「私たちが、お互いに必要なくなるまで」
「同じ意味では?」
「違います。あなた一人で決められません」
「面倒だなあ」
「嫌なら断っても構いません」
「断ったら、また泣くでしょう」
「泣きません!」
「さっき泣いたってマーサさんが」
「マーサ!」
塔の階段下から、何かが落ちる音がした。
聞いていたらしい。
「あとで叱らないであげてください」
「孝太郎が余計なことを言うからです!」
「すみません」
「最近、謝るのが早くなりましたね」
「成長しました」
「そこだけですか」
「他にもありますよ!」
俺が抗議すると、エレオノーラはようやく素直に笑った。
「では、お願いします」
「何をです?」
「私の仕事仲間になってください」
「もうなってるでしょう」
「正式にです」
彼女が右手を差し出す。
俺も、その手を握った。
「分かりました。俺一人では何も作れませんから」
「私一人でも、国は救えません」
「喧嘩は増えますよ」
「今さらでしょう」
「面倒な仕事仲間ですね」
「お互い様です」
婚約でもない。
主従でもない。
まして、褒美でもない。
その日、俺とエレオノーラは正式に、国を立て直すための共同責任者になった。
◇
翌朝。
俺が久しぶりに柔らかい寝台で眠っていると、扉が激しく叩かれた。
「孝太郎! 起きてください!」
「もう少し寝かせてください!」
「緊急事態です!」
「最近、毎朝それじゃないですか!」
扉を開けると、エレオノーラが旅装のまま立っていた。
「どうしたんです」
「城門に、エルフの使者が来ています」
「エルフ?」
「北方の大森林に住む、長命種族です」
「知ってます。いや、実物は見たことないですけど」
「その使者が、あなたを名指しで呼んでいます」
「また俺?」
「ええ」
「今度は何の用ですか」
エレオノーラは困惑した顔で、一枚の木札を差し出した。
そこには、人間の文字で乱暴に書かれていた。
『森を殺した人間へ告ぐ。黒い病を止められる異邦人を差し出せ。さもなくば、グランヴェールへ一粒の種も渡さない』
「黒い病?」
俺は木札を見つめる。
三年続いた凶作。
麦を蝕んだ黒穂病。
そして、人間を憎むエルフたち。
七台の麦を取り戻しても、この国の飢饉は終わっていない。
むしろ、本当の国づくりは、ここから始まるのだ。




