第24話 王子様、麦と人間を同じ荷物みたいに数えないでください
森から現れた黒い馬車は、アストレア兵の後方でゆっくりと止まった。
翼を広げた鷲と、折れた王冠。
廃嫡された第二王子の紋章だと、ギルベルト伯爵は言った。
「廃嫡ってことは、王子じゃなくなったんですか」
俺が小声で尋ねると、ギルベルトは青ざめた顔のまま答えた。
「王位継承権を奪われ、王族としての権限も大幅に制限された。だが、血まで消えるわけではない」
「面倒ですね」
「王家とは、そういうものだ」
「その言葉、便利すぎません?」
「私に言うな!」
黒い馬車の扉が開いた。
最初に降りてきたのは、黒衣の従者だった。周囲を確認してから脇へ退き、続いて細身の男が姿を現す。
三十歳前後だろうか。
灰色がかった金髪を後ろへ流し、色白の顔には薄い笑みを浮かべている。剣も鎧も身につけていないのに、なぜか周囲の兵士より怖く見えた。
「久世孝太郎殿」
男は遠くからでもよく通る声で、俺の名前を呼んだ。
「お会いできて光栄だ。私はアルフォンス・ディ・アストレア。以前は、この国の第二王子と呼ばれていた者だ」
「今は何と呼べばいいんです?」
俺が聞き返すと、隣のバルガスが低く唸った。
「孝太郎」
「大事でしょう。呼び方を間違えて斬られたくないですし」
「礼儀を守れば斬られん」
「この世界、その礼儀の基準が難しいんですよ!」
アルフォンスは愉快そうに笑った。
「アルフォンスで構わない」
「それを真に受けたら、あとで不敬罪とかになりません?」
「ならないと約束しよう」
「王族の約束、最近あんまり信用できなくて」
アストレア兵たちがざわついた。
ギルベルトは額を押さえ、バルガスは俺の背中を小突いた。
「痛いですよ」
「口を慎めという合図だ」
「分かりにくい!」
「なら、もっと強く殴るか」
「分かりました。黙ります」
黙るとは言ったが、いつまでとは言っていない。
アルフォンスは怒ることもなく、壊れた橋と七台の荷馬車を眺めた。
「ずいぶんと奇妙な砦を築いたものだ」
「そちらが矢を射るからでしょう」
「私は命じていない」
「伯爵も同じことを言いました」
「今度は事実だ」
「最初に嘘をつく人も、だいたいそう言いますよね」
「孝太郎!」
今度はギルベルトに怒鳴られた。
「あなた、どっち側なんです?」
「少なくとも殿下へ不敬な態度を取る側ではない!」
「廃嫡されても殿下なんですか」
「血統は変わらぬと言っただろう!」
「本当に面倒だなあ!」
俺の声は、思ったより遠くまで届いたらしい。
向こう岸の傭兵たちから笑いが起きた。
「異世界人! 王族相手でも同じ調子だな!」
「こっちは命懸けなんですよ!」
「俺たちもだ!」
「あなたたちはお金のためでしょう!」
「金がなければ家族が食えん! 命と同じだ!」
笑っていた傭兵の頭が、最後だけは真剣な声になった。
俺は言い返せなかった。
盗まれた麦。
腹を空かせたグランヴェールの民。
報酬を待っている傭兵の家族。
アストレアの命令でここへ来た兵士たち。
誰も、自分を悪人だと思ってこの場に立っているわけではないのかもしれない。
だからこそ、余計に始末が悪い。
「アルフォンスさん」
「殿下と呼べ!」
ギルベルトが叫ぶ。
「アルフォンス殿下」
「何だろう」
「橋を壊させたのは、あなたですか」
向こう岸が静かになった。
アストレア兵の間にも緊張が走る。
アルフォンスは笑みを崩さなかった。
「ああ。私だ」
あっさり認めた。
「ベルガードへ麦を渡さないため?」
「半分はそうだ」
「残り半分は」
「君をここで足止めするためだ」
背中に冷たいものが走った。
俺は反射的に一歩下がり、バルガスの盾へ肩をぶつけた。
「やっぱり俺が目的なんですか」
「正確には、君の知識だ」
「俺と知識は別々に運べませんよ」
「もちろん分かっている」
「なら人間を荷物みたいに言わないでください」
アルフォンスの眉が、わずかに動いた。
「君の知識があれば、一つの領地を豊かにできる。グランヴェールで起きたことは調べさせてもらった。疫病を止め、穀物倉の火災に対処し、記録方法まで変えようとしているそうだな」
「俺一人でやったわけじゃありません」
「結果を出す者は、たいていそう言う」
「本当に違います。石鹸を作ったのは村の人たちです。火を消したのも騎士や役人や農民です。帳簿を直してるのはルーカス王子で、俺は口を出して喧嘩してるだけです」
「ならば、その喧嘩の方法に価値がある」
「そんなものを欲しがる人、初めて見ました」
「殿下は昔から、扱いにくい人間を好まれる」
ギルベルトが吐き捨てるように言った。
アルフォンスは彼へ目を向ける。
「久しいな、ギルベルト」
「このような形で再会したくはありませんでした」
「私もだ。君が兄上の使い走りにまで落ちた姿は、あまり見たくなかった」
「私は正式な王国使節です」
「その正式な使節を、後ろから兵が射ている」
ギルベルトの口が止まった。
痛いところを突かれたらしい。
「王子様同士の喧嘩は、あとでやってもらえません?」
「私はもう王子ではない」
「そこ、本人は否定するんですね」
アルフォンスが笑う。
だが、その目は笑っていなかった。
「孝太郎殿。私と来ないか」
「嫌です」
「話くらい聞いてはどうだ」
「それ、今日二回目です」
「兄上よりは良い条件を出せる」
「どうして皆さん、条件を出せば俺がついていくと思うんです?」
「人は条件で動く」
「条件だけじゃ動きませんよ」
「君は傭兵を金で雇ったではないか」
言葉に詰まった。
向こう岸から傭兵の頭が叫ぶ。
「まだ雇われていないぞ! 金額も決めていない!」
「今は黙っててください!」
「契約は大事だ!」
「分かってますよ!」
アルフォンスは肩を揺らして笑った。
「面白い男だ」
「よく言われますけど、褒められてる気がしません」
「褒めている。私は君に領地を与えよう。必要な職人、資金、兵士も用意する。君はそこで好きなように国を作ればいい」
領地。
資金。
職人。
それは正直、魅力的だった。
グランヴェールでは、釘一本作らせるにも職人と喧嘩になる。畑を試すにも種がない。石鹸を増産したくても油が足りない。
金と人があれば、もっと多くのことができる。
「迷っているな」
アルフォンスに見抜かれ、腹が立った。
「そりゃ迷いますよ。俺、聖人じゃないので」
「正直で結構」
「楽な暮らしもしたいし、毎日まともな飯も食べたい。柔らかい寝台と風呂だって欲しいです」
「すべて与えよう」
「でも、あなたの目的は何です」
アルフォンスの笑みが深くなった。
「私は王都へ帰る」
「帰ってどうするんです」
「本来、私のものであった場所を取り戻す」
「王様になるってことですか」
「そのために、君の力が必要だ」
「嫌です」
「決断が早いな」
「国を豊かにする話かと思ったら、王位争いじゃないですか!」
「王位を得なければ国は変えられない」
「そうやって最初から大きな話にするから、人が死ぬんでしょう!」
アルフォンスの顔から、初めて笑みが消えた。
「君に政治が分かるのか」
「分かりませんよ!」
俺は胸を張ることでもないのに、声を張った。
「政治も戦争も、王位継承も分かりません。俺はホームセンターの店員です!」
「ならば口を出すな」
「でも、麦が燃えたら人が飢えることくらいは分かります! 橋を壊せば荷物が運べなくなることも、兵士同士が戦えば怪我人が出ることも分かる!」
アルフォンスを指さす。
バルガスが慌ててその腕を下ろした。
「指をさすな!」
「今そこ重要ですか!」
「重要だ!」
「あなたは国を変えたいんじゃなくて、自分を捨てた人たちを見返したいだけでしょう!」
空気が凍った。
言ってから、さすがにまずかったと思った。
バルガスが小声で呟く。
「孝太郎」
「はい」
「私でも、もう少し遠回しに言う」
「先に教えてくださいよ……」
アルフォンスは、しばらく黙っていた。
「……否定はしない」
意外な返事だった。
「私は兄を憎んでいる。私を支持しながら、最後に裏切った貴族たちも憎い。王都へ戻り、彼らが間違っていたと認めさせたい」
「認めたんですか」
「認めぬ者よりは、話ができるだろう」
「それで許されるわけじゃないですよ」
「君は本当に容赦がないな」
「こっちはさっきから矢を射られてますからね」
アルフォンスは視線をアストレア兵へ移した。
「兵を退かせろ」
ざわめきが広がった。
先頭の騎士が振り返る。
「しかし、殿下」
「私は退けと言った」
「我々が受けた命令は、異世界人の確保です」
「誰の命令だ」
騎士は答えない。
ギルベルトが荷馬車の陰から進み出た。
「答えよ。私は国王陛下の全権を受けた使節、ギルベルト・ローレン伯爵である。陛下から軍を動かしたとの知らせは受けておらぬ」
「伯爵には関係のないことです」
「王国軍が国境を越えているのだぞ!」
「我々は王国軍ではありません」
騎士が左肩の布を引きちぎった。
アストレア王国の紋章が落ちる。
その下から現れたのは、折れた王冠の紋章だった。
「アルフォンス殿下直属、祖国解放軍です」
「勝手に名前を立派にするな!」
思わず突っ込んだ。
「黙れ、異世界人!」
「解放軍が人を捕まえるな!」
「貴様は殿下の大望に必要な存在だ!」
「本人が兵を退けって言ってるでしょう!」
「殿下は情に流されておられる!」
アルフォンスの表情が変わった。
怒りというより、驚きだった。
「ハインツ。お前は私の命令に逆らうのか」
「すべては殿下を王座へ戻すためです」
「私が望まぬ方法でか」
「王となる者は、時にご自身の感情すら捨てねばなりません」
その言葉を聞いた瞬間、フェルナンドが乾いた笑いを漏らした。
皆の視線が集まる。
「何がおかしい」
騎士――ハインツが睨む。
「いや。私も同じことを考えていた」
フェルナンドは、ひどく疲れた顔で笑っていた。
「殿下のため。国のため。民のため。そう言いながら、本人の意思を無視した。正しいのは自分だと信じてな」
「私と貴様を一緒にするな」
「同じだよ」
フェルナンドは静かに言った。
「自分の失敗を認めるまで、私も随分かかった。倉庫を一つ燃やし、国の麦を七台盗み、育てたつもりでいた王女殿下を泣かせた。それでもまだ、自分は国のためにやったのだと言い訳した」
「今さら善人ぶるつもりか」
「まさか」
フェルナンドは地面に落ちていた剣を拾った。
「私は悪人のままだ。ただ、同じ間違いをしている男を見ると、腹が立つだけだ」
「格好よく言ってますけど、投降するんですよね」
俺が確認すると、フェルナンドがこちらを睨んだ。
「今言うことか!」
「大事な話でしょう!」
「戦いが終われば投降する!」
「逃げません?」
「逃げぬ!」
「本当に?」
「貴様は私をどこまで信用していないのだ!」
「倉庫に火をつけて麦を盗んだ人を、どこまで信用すればいいんです?」
「……もっともだ!」
自分で納得しないでほしい。
ハインツが剣を掲げた。
「殿下を惑わす者どもを排除せよ!」
兵士たちが動く。
だが、全員ではなかった。
十人ほどが、その場に立ち尽くしている。
「何をしている!」
「我々は……殿下へ従うために来ました」
一人の若い兵士が震える声で答えた。
「殿下の命令へ逆らうためではありません」
「臆したか!」
「怖いです!」
若い兵士は泣きそうな顔で叫んだ。
「国境を越えれば賊になるなど、聞いていませんでした! 異世界人を連れ帰れば国が豊かになり、家族も楽に暮らせると、それしか聞いていない!」
「それで十分だ!」
「俺には十分じゃありません!」
兵士の声が裏返った。
誰もが立派な覚悟で戦場へ来るわけではない。
給料のため。
家族のため。
上官に言われたから。
断れなかったから。
そんな人間へ、急に命を懸けろと言っている。
「武器を捨てろ」
アルフォンスが告げた。
「私に従う者は、ハインツの命令を聞くな」
「殿下!」
「二度は言わぬ」
一人が槍を落とした。
続いて二人、三人。
金属音が、街道へ重なって響く。
「裏切り者どもが!」
ハインツが剣を振り下ろそうとした、その瞬間。
向こう岸から放たれた矢が、彼の足元へ突き刺さった。
「次は当てるぞ!」
傭兵の頭が叫ぶ。
「異世界人との契約は、まだ成立していないでしょう!」
俺が抗議する。
「前払い代わりだ!」
「請求されるの!?」
「当然だ!」
「王女様に怒られる……」
「今さら一つ増えても同じだろう」
バルガスに言われた。
「他人事だと思って!」
「王都へ戻ったら、私は席を外す」
「一緒に謝ってくださいよ!」
「断る」
剣と槍が地面へ落ちていく。
残ったのは、ハインツと十数人。
彼らの目は、まだ死んでいなかった。
むしろ追い詰められた分だけ、危険に見えた。
ハインツは俺を睨む。
「貴様さえいなければ……」
「それ、最近よく言われます」
「孝太郎、下がれ!」
バルガスが叫んだ。
ハインツが懐から小さな筒を取り出す。
見覚えがある。
フェルナンドが城から逃げるときに使った煙筒だ。
「全員、目と口を塞げ!」
俺が叫ぶより先に、筒が地面へ叩きつけられた。
白い煙が一気に広がる。
咳。
馬の悲鳴。
誰かが俺の腕をつかんだ。
「バルガスさん?」
返事がない。
引く力が強すぎる。
「孝太郎!」
遠くでバルガスの声がした。
では、俺の腕をつかんでいるのは誰だ。
煙の向こうで、男の声が耳元へ落ちた。
「抵抗するな。お前だけでも連れていく」
首筋へ、冷たい刃が触れた。
そして俺の体は、煙の中へ強引に引きずり込まれた。




