第21話 金貨三枚で捨てた国が、今さら俺を欲しがっているらしい
アストレア王国から派遣されていた使節が、盗まれた麦と一緒に国境へ向かっている。
伝令の報告を聞いた俺は、すぐには意味を理解できなかった。
「……人違いじゃないですか」
「使節の顔を知る騎士が確認しております」
「似た顔の別人とか」
「名も確認しました。アストレア王国外交使節、ギルベルト・ローレン伯爵です」
「名前を聞いても知らないんですけど」
俺を異世界へ召喚した国。
金貨三枚で王都から追い出した国。
その使節が、グランヴェールの麦を盗んだフェルナンドと一緒にいる。
偶然で済ませるには、出来すぎていた。
「姉上へ報告します」
ルーカス王子が立ち上がる。
その腕を、俺は慌てて掴んだ。
「待ってください」
「なぜです」
「今、やっと寝たところです」
「しかし緊急事態です」
「だからこそ、起こす前に情報を整理しましょう」
「姉上へ隠すのですか」
「違います。半端な情報を渡したら、また馬車へ飛び乗ろうとするでしょう」
ルーカスは黙った。
十二歳の弟にまで、姉の行動を容易に予想されている。
「……否定できません」
「ですよね」
「ですが、後で知れば怒ります」
「怒るでしょうね」
「孝太郎は平気なのですか」
「毎日怒られてるので、今さら一つ増えても同じです」
「それは胸を張ることではありません」
王子は呆れたように言った。
年齢は七つも下なのに、たまに俺よりずっと大人に見える。
「伝令さん。現場の状況を、もう一度最初からお願いします」
「はっ」
若い騎士は息を整える。
「盗難された麦を積んだ荷馬車七台は、北東国境のグライス石橋で停止しています。橋の中央部が落とされ、馬車では渡れません」
「幅は?」
「川幅ですか」
「はい」
「五十歩ほど。流れは速く、馬で渡ることも難しいと」
橋の向こう岸には、旗を掲げない武装集団。
こちら側にはフェルナンドと、アストレア王国の使節。
その後方へ、バルガス隊長の追跡隊が迫っている。
フェルナンドたちは、前にも後ろにも進めない状態だ。
「武装集団の人数は?」
「三十ほど」
「こっちの追跡隊は?」
「二十四騎です」
「戦ったら?」
「橋のこちら側にいるフェルナンド卿の護衛を合わせれば、敵方は四十を超える可能性があります」
「勝てません?」
伝令は悔しそうに唇を噛んだ。
「正面からであれば、厳しいかと」
「麦を捨てて逃げられたら」
「軽装の馬だけなら、森へ入られる恐れがあります」
俺は机へ広げられた地図を見る。
文字は相変わらず読みにくい。
川。
石橋。
森。
国境。
道の線くらいしか分からない。
「この武装集団、橋を壊して何がしたいんでしょう」
ルーカスが尋ねる。
「麦を奪うつもりでは?」
伝令が答える。
「だったら橋を落としたら、自分たちも麦を運べませんよね」
七台もの荷馬車だ。
麦袋だけを担いで川向こうへ運ぶことはできない。
橋を修理するにも時間がかかる。
「麦が目的じゃない?」
王子が地図を覗き込む。
「フェルナンド卿を捕まえるためでしょうか」
「あるいは、証拠ごと消すため」
俺が言うと、伝令の顔が引きつった。
「皆殺しにすると?」
「橋を落として止めた後、口封じする。麦は川へ捨てるか燃やす」
「そんなことをして、何の利益が」
「関係が表に出るよりましだと思う人がいるのかもしれません」
自分で言いながら、嫌になった。
食べ物を盗む。
証拠を消すために倉庫へ火をつける。
その計画が失敗したら、今度は関係者ごと消す。
一つの嘘を守るために、次の悪事が必要になる。
「アストレアの使節は、なぜ逃げなかったのでしょう」
ルーカスが言った。
「橋が落ちる前に向こうへ渡れなかった?」
「使節なら、国境を通る情報を持っているはずです」
伝令が首を傾げる。
「武装集団の待ち伏せを知らなかった可能性はあります」
「同じ側じゃないのか」
「アストレア王国とベルガード公国が協力しているとは、まだ限りません」
ルーカスの言葉に、俺は地図へ視線を戻した。
フェルナンド。
ベルガード公国。
アストレア王国使節。
同じ場所にいるからといって、全員が仲間とは限らない。
悪人同士が仲良く一つの計画を進める。
そんな分かりやすい話ではないのだろう。
互いに利用し、裏切る。
人間は、本当に面倒だ。
「現場と話す方法は?」
「伝令を往復させるしかありません」
「片道どのくらい?」
「急いでも二刻以上です」
「遅すぎるな……」
スマートフォンなら一瞬だった。
電池の残った俺のスマートフォンは、今では時刻を見ることしかできない。
いや。
時刻すら、この世界の一日とのずれが分からないので怪しい。
「伝令さん。現場へ戻れます?」
「もちろんです」
「待ってください」
ルーカスが止める。
「姉上を起こす前に命令を出すことはできません。僕にも、その権限はありません」
「命令じゃありません」
「では何を伝えるのです」
「時間を稼いでくださいと」
「どうやって?」
「交渉です」
俺は伝令を見る。
「フェルナンドたちへ、盗まれた麦の袋を一つずつ確認していると伝える。商会の帳簿も押さえた。協力すれば罪を軽くできる可能性があるって」
「実際に軽くなるのですか」
「知りません」
「虚偽ではありませんか!」
「可能性がある、としか言ってません!」
「言葉遊びです!」
「交渉って、そういうものでしょう!」
隣でルーカスが困った顔をした。
「姉上が聞けば、確実に怒ります」
「だから寝てるうちに相談してるんです」
「なお悪いと思います」
俺もそう思う。
「でも、フェルナンドの護衛を揺さぶれます。城で剣を向けた兵士たちも、全員が計画を知ってたわけじゃなかった」
フェルナンドが捕まるまで従う必要があるのか。
このまま国境で殺されるかもしれない。
そう思えば、離反する人間が出るかもしれない。
「向こう岸の集団には?」
「麦を焼いたり奪ったりした場合、ベルガード公国が関わったと公表すると伝える」
「旗がない以上、ベルガードの兵とは限りません」
「だから効きます」
「どういう意味です?」
「ベルガードと関係ないなら、国名を出されても困らない。でも本当に関係があるなら、勝手に動きにくくなる」
伝令は難しい顔をする。
「脅し、ですか」
「警告です」
「言葉を変えただけでは」
「人間は面倒なので、言葉を変えるのも大事なんです」
最近、どこかで言った気がする。
「あと、一番大事なこと」
「何でしょう」
「麦袋を馬車から下ろさせないでください」
「戦闘になれば、荷を捨てて逃げる可能性が」
「だから交渉中に縄を確認する。車輪も。馬具も。すぐ走れないように見張る」
「こちらから壊すのですか」
「壊したら麦を運び戻せません。荷車の前後を騎兵で塞ぐだけです」
言うのは簡単だ。
現場では、剣を持った人間が向かい合っている。
俺は安全な城の中にいる。
その事実が重かった。
「孝太郎」
背後から、冷たい声がした。
身体が固まる。
寝室へ続く廊下に、エレオノーラが立っていた。
寝間着の上から上着を羽織り、髪も少し乱れている。
そして、ものすごく怒っていた。
「王女様。おはようございます」
「一刻も眠っておりません」
「でも少しは横になったでしょう」
「そういう問題ではありません!」
ずかずかと近づいてくる。
「なぜ、私を起こさずに国境の対策を話し合っているのです」
「やっぱり怒った」
ルーカスが小声で言う。
「予想通りですね」
「二人とも聞こえています!」
俺と王子がそろって口を閉じる。
「報告を」
エレオノーラが命じた。
伝令が最初から説明する。
橋。
荷馬車。
武装集団。
アストレアの使節。
すべて聞き終えた王女は、しばらく地図を見つめていた。
「馬車を用意してください」
「駄目です」
「まだ何も言っていません!」
「現場へ行くんでしょう」
「行きます」
「駄目」
「なぜ孝太郎が決めるのです!」
「寝起きで寝間着の人が、国境まで行けるわけないでしょう!」
エレオノーラが自分の服を見る。
頬が少し赤くなった。
「着替えます」
「そこじゃない!」
「では何です!」
「王都を空けるなって、宰相に言われましたよね!」
「状況が変わりました!」
「王女様がいなくなる危険は変わってません!」
「アストレア王国の使節がいるのです! 王族である私が対応しなければ、外交問題になります!」
「だから王城から使節を出せばいい!」
「誰を?」
詰まった。
宰相は王城を離れられない。
フェルナンドの共謀者が、まだ城内にいる可能性もある。
外交を任せられ、現場で判断できる人間。
「……俺?」
「なぜ孝太郎になるのです」
「今、王女様が俺を見たから」
「見ていません」
「目が合いました」
「人の顔くらい見るでしょう!」
こんなときまで、いつもの会話になった。
ルーカスが口元を隠している。
「俺、アストレア王国の人間でもあるんですよね」
「追放されたのでは?」
「向こうが勝手に召喚した人間です。使節と話す理由くらいにはなる」
「危険です」
「王女様が行くよりはましです」
「孝太郎は戦えないではありませんか」
「だから戦わない方法を考えます」
「失敗したら?」
「逃げます」
「逃げられなかったら?」
「捕まります」
「認めません!」
エレオノーラが机を叩く。
「そんな軽い調子で、自分の命を差し出さないでください!」
「王女様にだけは言われたくない!」
俺も机を叩いた。
ルーカスと伝令が同時に一歩下がる。
「王女様は、国のためなら自分が行くってすぐ言うでしょう! 俺だって、必要なら行きますよ!」
「同じではありません! 私は王族です!」
「俺は、この国へ知識を貸すって約束して来たんです!」
「見るだけだとおっしゃいました!」
「もう見ただけで帰れる状況じゃないでしょう!」
言ってから、自分でも驚いた。
エレオノーラも目を見開いている。
俺は逃げられる。
何度も、そう思っていた。
この国の人間ではない。
責任もない。
ラウル村へ戻ればいい。
でも、もう見てしまった。
腹を空かせた子供。
種を食べた農民。
火に包まれた倉庫。
泣きながら麦を選ぶ王女。
何も見なかった頃には戻れない。
「……本当に、行くつもりですか」
エレオノーラの声が小さくなる。
「はい」
「私が命じるからではなく?」
「王女様に命令されたら、少し嫌になります」
「なぜです!」
「自分で決めたことにしたいので」
「面倒ですね」
「王女様もでしょう」
「孝太郎ほどではありません」
少しだけ、いつもの空気が戻る。
エレオノーラは目を伏せ、考え込んだ。
「分かりました」
「本当に?」
「ただし、条件があります」
「何です?」
「バルガス隊長の副官と合流すること。勝手に一人で交渉しないこと。危険を感じたら、麦を諦めてでも戻ること」
「最後は、現場の人と相談します」
「今、約束しなさい!」
「分かりました。逃げます」
「絶対です」
「たぶん」
「たぶんは禁止です!」
ミーナから始まった言葉が、すっかり王女の口癖になっている。
「それと」
エレオノーラが俺の上着を掴んだ。
「アストレアの使節に、私から一つ伝えてください」
「何を?」
「孝太郎は、もう金貨三枚で捨てられるだけの人物ではない、と」
「それ、俺が自分で言うの恥ずかしくないですか」
「では、私の名で伝えなさい」
「どういう意味です?」
王女は青い瞳で、まっすぐ俺を見る。
「久世孝太郎は、グランヴェール王国第一王女が正式に招いた客人であり、我が国の重要な協力者です」
「重要って」
「不満ですか」
「重いです」
「知っています」
エレオノーラは、ほんの少しだけ笑った。
◇
出発準備をしている間に、アストレア王国使節から先触れが届いた。
国境で追跡隊と向き合ったギルベルト伯爵は、グランヴェール王国へ交渉を求めているという。
要求は三つ。
一つ。
フェルナンドと荷馬車隊を、アストレア王国の保護下へ置くこと。
二つ。
盗まれた麦については、両国で協議すること。
そして三つ目。
「異世界人、久世孝太郎をアストレア王国へ返還せよ……?」
読み上げたエレオノーラの声が、冷たくなる。
「俺、いつから物になったんですか」
「返還という言葉を使う以上、彼らはあなたを自国の所有物だと考えているのでしょう」
「金貨三枚で追い出したくせに」
「今さら価値に気づいたのかもしれません」
「嫌な気分だなあ」
役立たず。
物覚えがよいだけ。
戦えない無能。
そう言って捨てた。
だが、ラウル村の病を止め、グランヴェールへ招かれた俺を見て、欲しくなった。
「帰りませんよ」
俺は言った。
エレオノーラが、少し驚いた顔をする。
「まだ何も聞いていませんが」
「顔が聞いてました」
「どのような顔です」
「帰らないですよね、って顔」
「……そうですか」
「もっと喜んでくれてもいいんじゃ?」
「別に、喜んでいません」
「口元、緩んでますよ」
「寝不足です」
「寝不足で笑う人、初めて見ました」
「早く準備をなさい!」
背中を押される。
俺は扉の前で振り返った。
「王女様」
「何です」
「帰る場所くらい、自分で決めてもいいですよね」
エレオノーラは、今度こそはっきり笑った。
「当然です」
俺を金貨三枚で捨てた国が、返せと言い始めた。
だが、俺は商品でも、兵器でも、勇者でもない。
どこへ行き。
誰と働き。
どこへ帰るか。
それくらいは、自分で決める。
そして俺は、グランヴェールの紋章を掲げた馬車へ乗り込んだ。
盗まれた麦を取り戻すため。
俺を所有物だと言う国へ、はっきり拒絶を突きつけるために。




