第17話 消えた麦を探したら、王女様まで倉庫の床を這い始めた
「火災で失われた麦が、本当に全部、倉庫に入っていたとは限らない」
管理官がそう言った瞬間、俺は手の中の木札を落としそうになった。
「つまり、どういうことです?」
「帳簿上では倉庫へ運び込まれたことになっている。しかし実際には、その前に抜かれていた可能性がある」
「麦を盗んだ後、火をつけて証拠を消した?」
「まだ推測だ」
「推測でも、かなり嫌なやつですよね」
国民は腹を空かせている。
農民は、春に蒔く種まで食べようとしている。
そんな状況で、誰かが麦を盗んだ。
しかも、その証拠を隠すために倉庫へ火をつけたのだとしたら。
「王女様に知らせます」
「待て」
管理官に腕を掴まれた。
「なぜ止めるんです」
「殿下へ報告すれば、直ちに捜査が始まる」
「始めればいいでしょう」
「倉庫へ出入りした者が、また全員疑われる」
「でも、犯人を放っておくわけには」
「分かっている!」
男は怒鳴り、すぐに周囲を見回した。
作業中の農民や役人たちが、何事かとこちらを見ている。
管理官は声を落とした。
「私も犯人を見つけたい。だが、倉庫を管理していたのは私だ」
「……ああ」
「麦が盗まれ、火まで出た。責任者として、最初に疑われるのは私だろう」
今にも倒れそうな顔をしている。
昨日から寝ていない。
倉庫が燃えた。
麦の数も合わない。
その上、自分が横流しに関わったと疑われるかもしれない。
「あなたは盗んでないんですか」
俺が聞くと、男の顔が引きつった。
「私を疑うのか!」
「疑われたくないなら、正直に答えてください」
「盗んでいない!」
「じゃあ、報告しましょう」
「簡単に言うな!」
「簡単じゃないですよ!」
俺も声を抑えながら言い返す。
「黙ってたことが後で分かったら、余計怪しまれます。俺まで一緒に隠したことになる」
「そなたは異世界人だ。責任など」
「それ、昨日も聞きました」
責任がない。
国の人間ではない。
いつでも帰れる。
そう言われるたび、腹の奥に小さな棘が刺さる。
「俺は、この国の役人じゃありません。でも今、この札を見つけた。見なかったことにはできません」
「……」
「それに王女様、後から知ったらものすごく怒りますよ」
「殿下が?」
「はい。国民の麦を盗まれたことより、相談されなかったことに怒るタイプです」
「なぜ、そこまで分かる」
「毎日喧嘩してるので」
「それは理解とは呼ばんだろう」
「俺たちなりの意思疎通です」
管理官は、信じられないものを見るような目をした。
俺も言っていて、少し無理があると思った。
◇
「なぜ、すぐに私へ報告しなかったのです!」
予想通り、エレオノーラは怒った。
王城の穀物乾燥場と化した中庭。
俺と管理官は、王女、宰相ザイフリート、騎士隊長バルガスの前へ並ばされていた。
「見つけてから、まだ半刻も経ってません」
「その半刻、何をしていたのです!」
「管理官さんを説得してました」
「なぜ、あなたが説得役になるのです」
「俺もそう思います!」
「殿下」
管理官が膝をつく。
「申し訳ございません。私が、報告をためらいました」
「理由は」
「自身が疑われることを恐れました」
エレオノーラの瞳が細くなる。
「あなたが盗んだのですか」
「違います!」
「では、なぜ恐れるのです」
「管理責任者だからです! 倉庫で火災が起き、数が合わない。その責めを負うのは私です!」
「責任と犯行は別でしょう」
「王宮の方々は、そう見てくださるでしょうか」
鋭い言葉だった。
王女の顔が強張る。
管理官は頭を下げたまま続けた。
「不作が始まって以来、官吏も倉庫番も、何かあるたびに責められております。配給が足りない。袋の数が違う。麦が湿っている。働きが悪いと」
「それは、民の命を預かる仕事だからです」
「承知しております!」
男が顔を上げた。
「ですが、誰も失敗したくて失敗しているわけではありません!」
中庭に声が響く。
「人手が足りない。修繕費は下りない。それでも不足が出れば、管理が悪いと叱られる。私どもは、何をどう報告しても責められるのです!」
エレオノーラは口を閉ざした。
正しい報告を求める。
不正を厳しく罰する。
それ自体は間違っていない。
だが、正直に失敗を話した者まで処罰されると思えば、人は隠す。
隠された結果、もっと大きな問題になる。
「王女様」
「何です」
「この人を、今すぐ処罰しますか」
「報告をためらったことは問題です」
管理官の肩が震える。
「ですが、麦を盗んだ証拠はありません。調査が終わるまでは職務を続けてもらいます」
「殿下……」
「ただし、今後何か見つけた場合は、即座に報告してください」
「はい!」
「それと」
エレオノーラは管理官の前へ歩み寄った。
「これまで、現場の事情を十分に聞かず、結果だけを求めていたのであれば、私たち王宮にも責任があります」
「殿下が頭を下げる必要は」
「あります」
王女が頭を下げた。
ほんのわずか。
それでも周囲の役人たちが息を呑んだ。
「申し訳ありませんでした」
「おやめください!」
「謝って終わりにはしません。倉庫の人員と修繕費を見直します」
エレオノーラが俺をちらりと見る。
俺が昨日言った言葉を覚えているのだ。
責任とは、謝って終わることではない。
最後まで面倒を見ること。
「王女様」
「何です」
「ちゃんと覚えてたんですね」
「記憶再現がなくても覚えています!」
「褒めたのに怒られた」
「今、余計なことを言う場面ではありません!」
管理官が、泣きそうな顔のまま少し笑った。
◇
問題は、どれだけの麦が消えたのかだった。
「帳簿を持ってきました」
管理官が厚い革表紙の冊子を机へ置く。
火災を免れた事務棟に保管されていたらしい。
俺には、この世界の文字がまだ完全には読めない。
簡単な看板や名前は分かる。
だが、癖の強い手書き文字と数字の並んだ帳簿は難しかった。
「読めません」
「胸を張って言うことですか」
エレオノーラが呆れる。
「異世界へ来て一か月ちょっとですよ。むしろ、ここまで話せてることを褒めてください」
「言葉は召喚魔法の恩恵でしょう」
「文字は別料金だったみたいです」
「誰に払う料金ですか」
「召喚した国?」
「請求してみてはいかがです」
「金貨三枚しかくれなかった国が、払うと思います?」
王女が帳簿をめくる。
宰相と管理官も覗き込む。
俺だけ読めずに暇だった。
「俺、何をすればいいです?」
「静かにしてください」
「それが一番苦手なんです」
「知っています」
少し離れた場所では、農民たちが麦を選別している。
その中に、昨日まで俺を追い返していたカレルもいる。
「孝太郎!」
呼ばれた。
「何です?」
「この袋を見ろ」
近づくと、カレルが一枚の麻袋を広げていた。
底の縫い目だけ、糸の色が違う。
「修理したんじゃ?」
「倉庫へ納める袋は、王家指定の糸で閉じる」
「この糸は違う?」
「ああ。しかも一度開けて、縫い直してある」
「中身を減らした?」
「分からん。だが、この袋はほかより軽かった」
管理官がやってきて、袋の印を確認する。
「ヘルマン商会」
「昨日、倉庫へ出入りした三つの商会の一つですね」
俺が言う。
「そうだ」
バルガス隊長が部下へ命じる。
「商会主と御者を連行しろ」
「待ってください」
「また止めるのか」
「連行する前に、ほかの袋も確認しましょう」
「証拠を隠される」
「もう火までつけてます。今慌てて一人捕まえたら、仲間が逃げるかもしれない」
「では、どうする」
刑事ドラマで見た知識。
推理小説。
それらが頭の中に浮かぶ。
だが、俺は捜査の専門家ではない。
「商会を見張る。出入りする人間と荷車を確認する。それから倉庫の袋を全部調べる」
「時間がかかる」
「袋の縫い目と印だけなら、人数を集めればできます」
「誰が確認するのです」
エレオノーラに聞かれる。
「カレルさんたち」
「また我々か」
カレルが不満そうな顔をする。
「袋を扱い慣れてるでしょう」
「麦を見るために来た」
「麦を盗んだ奴を見つければ、種も増えるかもしれません」
カレルは黙った。
「いくら増える」
「そこは分かりません」
「またか」
「でも、どこかに隠してるなら、全部燃えた麦よりは多いでしょう」
「……やる」
「即答ですね」
「腹を空かせた子供がいるのに、麦を盗んだ奴を逃がす方が腹立たしい」
周囲の農民たちも集まってくる。
「俺も見る」
「袋の印なら分かる」
「商会ごとに分ければいいんだな」
誰かが命令しなくても、人が動き始めた。
「孝太郎」
エレオノーラが、小声で言う。
「何です?」
「あなたは、また自分一人では何もできないと言うのでしょうね」
「実際そうでしょう。俺、袋の縫い目なんて見ても分からなかったし」
「ですが、人を動かしたのはあなたです」
「怒らせただけですよ」
「人間は、怒りでも動くのですね」
「扱いを間違えると、こっちへ向かってきますけどね」
カレルが遠くから叫ぶ。
「聞こえているぞ、異世界人!」
「ほら!」
「孝太郎が余計なことを言うからです!」
◇
調査を始めて一刻ほど。
王城の中庭には、商会ごとに袋の山ができていた。
ヘルマン商会の袋。
ロイド商会。
ベッカー商会。
さらに、王家直轄農場から運ばれた袋。
「明らかにおかしい」
カレルがヘルマン商会の山を指す。
「この商会の袋だけ、三つに一つは縫い直されている」
「中身の重さも?」
「軽いものが多い」
「秤で量りましょう」
管理官が言う。
大きな天秤が運ばれてくる。
王家の基準袋と比べる。
一袋目。
基準より、およそ一割軽い。
二袋目。
二割近く軽い。
三袋目は、ほぼ同じ。
「全部同じ量を抜いたわけじゃない」
俺が呟く。
「少しずつ抜けば、気づかれにくい」
宰相の顔が険しくなる。
「これが半年続いていたなら」
「かなりの量になりますね」
管理官が帳簿をめくる。
「ヘルマン商会が納入を担当した麦は、直近半年で六百袋以上」
「一割ずつ抜いただけでも六十袋」
一袋で、何人が何日食べられるのだろう。
考えたくもない。
「商会を押さえます」
エレオノーラが言う。
「今度は異論ありませんよね」
バルガス隊長が俺を見る。
「何で俺に確認するんです?」
「先ほどから止めるので」
「今回は証拠があります。でも、商会主が全部やったと決めつけないでください」
「まだ何かあるのか」
「倉庫側にも協力者がいないと、軽い袋を何度も受け入れられないでしょう」
管理官の顔が青ざめる。
俺は続けた。
「商会を捕まえた瞬間、倉庫の協力者が逃げるかもしれない」
「では同時に拘束する」
「誰が協力者か分かってないでしょう」
全員が黙る。
「面倒だな」
バルガス隊長が吐き捨てる。
「人間って面倒ですよね」
「お前にだけは言われたくない」
「最近、みんなに言われます」
そのときだった。
袋を確認していた若い農民が声を上げた。
「ここに何かある!」
倉庫から運ばれた木箱の底。
一枚の板が、ほかより少し浮いている。
カレルが工具を差し込み、板を外した。
中から出てきたのは、銀貨の入った袋。
そして、小さく折り畳まれた紙だった。
「読めますか」
俺がエレオノーラへ渡す。
王女は紙を開いた。
目を走らせた途端、表情が凍る。
「王女様?」
「これは……倉庫番への支払いの記録です」
「名前は?」
エレオノーラは答えない。
紙を持つ手が震えている。
「知ってる人なんですか」
「はい」
かすかな声だった。
「誰です?」
王女は、苦しそうに名前を告げた。
「王宮の食糧配給を統括している、フェルナンド卿です」
昨日、配給を減らせば現場の役人が責められると訴えた管理官。
その直属の上司。
そして、エレオノーラが幼い頃から信頼していた人物だった。
「私に、配給制度を教えた方です」
王女の顔から怒りが消えていた。
代わりに浮かんでいるのは、信じた人間に裏切られた少女の顔だった。




