第13話 畑を見せてもらったら、農民に帰れと言われた
グランヴェール王国の王城へ入った俺を待っていたのは、盛大な歓迎ではなかった。
「ずいぶん若いのだな」
開口一番、それだった。
王城の小さな謁見室。
玉座へ座る国王は、想像していたよりも痩せていた。
名前はアルベルト四世。
年齢は四十代半ばと聞いているが、顔には深い皺が刻まれ、髪にも白いものが目立つ。
椅子の脇には杖。
膝には毛布。
顔色もよくない。
ただ、青い瞳だけはエレオノーラとよく似ていた。
「十九歳です」
俺が答えると、国王の隣に立つ白髪の男が眉をひそめた。
「陛下の御前である。もう少し礼を尽くされよ」
「ザイフリート」
国王が片手を上げる。
「よい。異世界の若者に、我が国の礼法を求めても始まるまい」
「しかし」
「それに、この者を招いたのはエレオノーラだ。客人に頭を下げさせる前に、こちらが無理を頼む立場だと心得よ」
白髪の男――宰相ザイフリートは不満そうだったが、一歩引いた。
俺は国王を見る。
「話が早くて助かります」
「孝太郎」
隣のエレオノーラが小声で咎める。
「何です?」
「言葉遣いを、もう少し」
「父はよいと言ってくださいました」
「限度があります」
「俺、何か失礼なこと言いました?」
「その態度が失礼なのです」
「エレオノーラ」
国王がわずかに笑う。
「お前が他人と言い争う姿を見るのは、久しぶりだな」
「言い争ってなどおりません」
「今のを言い争いと呼ばないなら、何と呼ぶのだ」
「意思の確認です」
「毎日、意思がぶつかってるんですけど」
「孝太郎は黙っていてください!」
「ほら!」
国王が咳き込みながら笑った。
宰相は頭が痛そうに額へ手を当てている。
俺たちの後ろに控えるマーサは、もう諦めた顔だった。
「聞いていた通りの人物らしい」
国王が咳を収めて言った。
「何を聞いたんです?」
「無礼で、口が悪く、すぐにエレオノーラを怒らせる」
「悪いところしか報告されてない!」
「そして、困っている者を放っておけない」
思わず黙った。
国王が俺を見据える。
「ラウル村の病を止めたと聞いた」
「止めたのは俺一人じゃありません。水を運んだのも、薪を集めたのも、病人を看たのも村の人たちです」
「それでも、最初に井戸を疑い、方法を示したのはそなただ」
「たまたま知ってただけです」
「知る者が口を閉ざせば、知らぬ者には届かぬ」
「……」
「我が国にも、その知識を貸してほしい」
王が頭を下げることはなかった。
だが、声には王としての威厳より、一人の父親に近い切実さがあった。
「最初に言っておきます」
「聞こう」
「俺は国を救えると約束してません」
「エレオノーラから聞いている」
「農業の専門家でもないです。できないことの方が多い」
「それも聞いた」
「失敗する可能性があります」
「何もしなくとも、我が国は失敗へ近づいている」
重い言葉だった。
「ならば、試して失敗する方がましだと、私は考える」
「その失敗で、誰かが飢えるかもしれませんよ」
「だからこそ、そなた一人へ任せるつもりはない。農務官、領主、農民、職人。国にいる者すべての知恵を使う」
俺はエレオノーラを見る。
彼女と同じことを言っている。
やはり親子なのだ。
「まず、何を見たい」
国王に尋ねられる。
俺は考えた。
詳しい報告書。
穀物倉庫。
市場。
役人の話。
どれも必要だ。
けれど、セントラ村で見た畑と、種を食べた女性の顔が頭から離れなかった。
「畑を」
「畑?」
「王都の近くでいいです。実際に作ってる人へ話を聞きたい」
宰相ザイフリートが眉を寄せる。
「本日は謁見後、国庫、穀物備蓄、各地からの報告について説明する予定であった」
「それも後で聞きます」
「物事には順序がある」
「畑を見ずに、紙の数字だけで農業の話をするんですか?」
「報告書には、各領の作付面積と収穫量が」
「その報告書、配給量も正しく書いてありました?」
室内の空気が冷えた。
セントラ村で配給が半分しか届いていなかった件は、すでに城へ伝わっている。
ザイフリートの顔が険しくなる。
「現在、調査中だ」
「だったら、報告書を全部信用するのは危ないでしょう」
「異世界から来て数日の若者が、我が国の官吏を疑うのか」
「疑いますよ」
「孝太郎」
エレオノーラが止めようとする。
俺は続けた。
「悪いことしてると決めつけてるんじゃない。単位が違うかもしれない。数え方が違うかもしれない。途中で腐ったのかもしれない。馬車が壊れたのかもしれない。誰かが盗んだ可能性だってある」
「それを調べるのが官吏だ」
「その官吏の報告と現場が違ったから、調べ直してるんでしょう!」
声が大きくなる。
ザイフリートの目が細くなる。
王の前だ。
相手は宰相。
剣を持った衛兵もいる。
今さらになって、少し怖くなった。
だが、国王は静かに俺たちを見ていた。
「ザイフリート」
「陛下」
「畑へ案内せよ」
「しかし」
「この者の言うことにも理がある。現場を見ずに、我らは三年間、数字とにらみ合ってきた」
宰相は唇を結ぶ。
「……承知いたしました」
「できれば、今から」
「今からですか?」
エレオノーラが驚く。
「日暮れまで、まだ時間があります」
「孝太郎は三日の旅を終えたばかりです」
「王女様、この前は馬車に乗ってるだけだろって言いましたよね」
「それとこれとは別です!」
「俺が行くって言ってるんだから、いいでしょう」
「疲れて倒れても知りませんよ」
「倒れたら運んでください」
「誰が?」
「騎士の人」
壁際の騎士たちが一斉に目を逸らした。
「俺、そんなに嫌われてる?」
「自分の足で歩いてください!」
◇
案内されたのは、王都の東門から馬車で半刻ほどの場所にあるカレル農園だった。
農園といっても、一人の所有地ではない。
国王直轄領にある畑を、複数の農家が分けて耕しているらしい。
俺たちが到着すると、農民たちが作業を止めた。
王女の紋章が入った馬車。
騎士。
宰相の使者。
緊張するのも当然だろう。
責任者らしい男が、土の上へ膝をついた。
「エレオノーラ殿下に、ご挨拶申し上げます」
「楽にしてください、カレル」
「はっ」
立ち上がった男は五十歳ほど。
日に焼けた顔。
分厚い手。
腰は少し曲がっている。
だが、こちらを見る目は鋭かった。
「こちらが、異世界から来た久世孝太郎です」
エレオノーラが紹介する。
「ラウル村にて、病の広がりを止めた方です」
「どうも」
俺が頭を下げる。
カレルは返事をせず、俺の服を見た。
マーサが用意した服は、村にいた頃よりはましだ。
それでも貴族の衣装ではない。
「その若者が、畑を見ると?」
「はい」
「農業の経験は」
「ありません」
俺が答える。
「……ありません?」
「日本で肥料や農具を売ってました。家庭菜園も少し手伝ったことはあります。でも、本職ではないです」
カレルはエレオノーラを見る。
「殿下。悪い冗談でしょうか」
「冗談ではありません」
「三年続く不作を、農業をしたこともない若者に見せて、何になるのです」
「異世界には、我が国にない知識があります」
「知識」
カレルが吐き捨てるように言う。
「土に触ったこともない者の知識で、麦が実るのですか」
「触ったことがないとは言ってません」
「畑を持ったことは?」
「ないです」
「一年を通して、作物を育てたことは?」
「ないです」
「なら同じだ」
胸に刺さる。
正しい。
カレルの方が、俺よりはるかに農業を知っている。
「まず、畑を見せてもらえますか」
俺が頼む。
「見て何が分かる」
「分からないから見るんです」
「分からない者が口を出すな」
「まだ口は出してないでしょう」
「出すために来たのだろう」
最初から敵意がある。
俺も苛立ち始めた。
「別に、全部変えろとは言いません。どういう作物を、いつ植えて、どう保存してるのか聞きたいだけです」
「報告は王都へ上げている」
「現場の話を聞きたいんです」
「我らは三年間、王都の役人に何度も同じ話をした」
カレルの声が低くなる。
「種が足りない。牛が減った。農具を直す鉄が高い。働き手が兵に取られた。病に強い麦を寄越してくれ。何度も言った」
「それで?」
「来たのは税の猶予を知らせる紙と、もっと収穫を増やせという命令だ」
エレオノーラの顔がこわばる。
「カレル。その件は」
「殿下を責めているのではありません」
男は言いながらも、声には怒りがあった。
「王宮にできることが少ないのも知っている。だが、我らも魔法使いではない。種も人も家畜も減って、どうやって収穫を増やせというのです」
「だから、孝太郎に」
「この若者は種を生み出せるのですか」
「できません」
俺が答えた。
「雨を降らせられるか」
「無理です」
「病にかからぬ麦を作れるか」
「今すぐには」
「では、何をしに来た」
答えられなかった。
カレルは疲れている。
ただ新しいものを嫌っているのではない。
何度も期待させられ、何度も失望した。
今回も、王女が異世界人を連れてきた。
農業経験のない若造。
こんな相手に希望を持てと言う方が酷だ。
「話を聞きに来ました」
俺は言った。
「またそれか」
「俺の国で使っていた方法が、何か一つでも役に立つかもしれない」
「かもしれない」
「絶対とは言えません」
「なら帰れ」
はっきり言われた。
背後で、騎士が動く気配がした。
エレオノーラが手で制する。
「カレル」
「殿下。畑は遊びではありません」
「遊びだとは誰も」
「この若者が試して失敗したら、失うのは我々の種です。冬を越す食糧です」
「小さな試験区画だけでも」
「その小さな区画から採れる麦を、誰が諦めるのです」
エレオノーラが黙った。
ラウル村でハインツから言われたことと同じだ。
新しい方法を試せるのは、失敗しても生きていける余裕がある人間だけ。
ここには、その余裕がない。
「畑を見るだけなら、何も減らないでしょう」
俺が食い下がる。
「見た後、どうする」
「土や作物を調べます」
「何を使って」
「それは、これから」
「考えていないのか」
「現物を見ないと、必要なものも分からないでしょう」
「そんな者を相手にする時間はない」
「話す時間くらい――」
「我々は働かなければならん!」
カレルの怒声が畑に響いた。
周囲の農民たちは、誰も目を合わせない。
「日が沈むまでに、この畑の雑草を抜く。壊れた水路を直す。牛が一頭減った分、人間が土を起こす。あなた方と話しても、王宮から食べ物が降ってくるわけではない!」
「分かってますよ!」
俺も声を張り上げた。
「分かってないから来たんだろう!」
「分かってないから聞きに来たって言ってるでしょう!」
「では聞け! 種がない、人がいない、家畜がいない、道具がない! それでも税は必要だ、王都の民も食わせなければならん! どうにかしろと言われて、どうにかできるなら三年前にしている!」
「だったら俺に怒鳴って何か変わるんですか!」
「孝太郎!」
エレオノーラが俺の腕を掴んだ。
「もうやめてください」
「でも」
「カレルの言う通りです。今日は突然押しかけた私たちが悪い」
「王女様まで」
「戻りましょう」
納得できなかった。
だが、畑にいる全員が俺たちを見ている。
作業の手を止めさせているのも事実だった。
「……分かりました」
俺はカレルへ向き直る。
「邪魔してすみませんでした」
「もう来ないでもらいたい」
「それは約束できません」
「何だと」
「今日聞いたことだけじゃ、何も分からないので」
「孝太郎!」
「今度は、話を聞いてもらえるものを持ってきます」
「何を持ってくる」
「それを考えます」
「また、これからか」
「俺は知らないことを知ってるふりできないんですよ!」
最後まで言い返し、俺は馬車へ向かった。
背中に農民たちの視線を感じる。
失敗だった。
何一つ聞けなかった。
何一つ見せてもらえなかった。
ただ怒鳴り合っただけ。
◇
帰りの馬車では、誰も口を開かなかった。
エレオノーラは窓の外を見ている。
俺は反対側の窓を見ていた。
気まずい。
非常に気まずい。
いつもなら、どちらかが余計なことを言い、すぐ喧嘩になる。
今日は、その余計な一言すら出なかった。
「何か言ってくださいよ」
耐えきれず、俺から口を開いた。
「今は話したくありません」
「怒ってる?」
「怒っています」
「即答だ」
「農民へ、あのような態度を取るべきではありませんでした」
「俺だけが悪い?」
「私も悪かったです」
意外な言葉だった。
「王女という立場で押しかければ、断れないと思っていた。現地の者へ事前に説明もせず、孝太郎を連れていけば理解してもらえると」
「俺も同じです」
「何がです」
「現代の知識を話せば、少しくらい興味を持ってもらえると思ってた」
「話す前に追い返されましたね」
「そこ、傷ついてるので言わないでください」
「事実です」
「王女様、怒ってると容赦ないな」
また沈黙。
車輪が窪みを踏み、馬車が大きく揺れた。
エレオノーラの身体がこちらへ傾く。
俺は反射的に肩を支えた。
「大丈夫?」
「……ありがとうございます」
すぐに離れる。
今度は二人とも、少しだけ気まずそうに座り直した。
「王女様」
「何でしょう」
「カレルさんが言ってた、働き手を兵に取られたって」
「魔王軍への備えとして、アストレア王国から各国へ兵の供出要請がありました」
「俺を召喚した国?」
「はい。グランヴェールからも若者を送りました」
「自分たちで勇者を召喚しておいて、ほかの国からも兵を?」
「前線を維持するには、勇者だけでは足りないのでしょう」
「そのせいで畑を耕す人が減った」
「……はい」
問題は不作だけではない。
戦争。
人手不足。
家畜の減少。
農具の不足。
報告と現場のずれ。
全部が絡み合っている。
「何から手をつければいいんだよ」
呟く。
「分かりません」
「王女様が言わないでくださいよ」
「分からないから、あなたを連れてきたのです」
「重いなあ」
「帰りたくなりましたか」
エレオノーラの声が小さくなる。
俺はすぐに答えられなかった。
正直、帰りたい。
ラウル村へ戻れば、石鹸を作り、柄杓の色で喧嘩し、宿代を払って暮らせる。
ここで十二万人の食糧を考えるより、ずっと気が楽だ。
「少し」
正直に答える。
エレオノーラの顔が曇った。
「でも」
「でも?」
「帰るにしても、今日みたいに追い返されたままは腹が立つ」
「誰に対してです?」
「カレルさんと、自分に」
「自分?」
「正しいことを知ってるつもりで、相手が何を怖がってるか考えてなかった」
ラウル村でも同じだった。
井戸が危険だと怒鳴った。
村人たちにとって、井戸は唯一の水だった。
飲むなと言うなら、代わりの水を用意しなければならない。
今回も同じ。
新しい農法を試せと言うなら、失敗したときの食糧を用意しなければならない。
「試験用の畑で失敗しても、農民が困らない保証が必要です」
「国が損失を補う?」
「国庫に余裕は?」
「ありません」
「ですよね」
「私の私財なら」
「それ、王宮の宝飾品を売ってる人が言う台詞じゃないですよ」
「では、どうします」
「考えます」
「いつまで?」
「今度は値切らないでくださいね」
エレオノーラが、ほんの少し笑った。
「では、明日の朝まで」
「短い!」
「明後日」
「まだ短い!」
「三日」
「最初から三日って言えばいいでしょう!」
「値切るなと言ったのは孝太郎です」
「増やす分には値切りじゃない!」
ようやく、いつもの調子が戻った。
だが、問題は何も解決していない。
王城へ戻ったところで、待っているのは数字と報告書だ。
畑の土に触れることすらできなかった。
そして城門が見え始めた頃。
前方から、一頭の馬が猛然と駆けてきた。
騎士が馬車を止める。
乗っていた兵士は泥だらけだった。
「エレオノーラ殿下!」
「何事です」
「西部の穀物倉庫で火災です!」
王女の顔色が変わる。
「被害は?」
「まだ燃えております! 今冬の配給用に集めた麦が――」
兵士は息を呑み、絞り出すように告げた。
「半分以上、失われる恐れがあります」
畑どころではなくなった。
この国には、失敗を試す余裕どころか、明日配る食糧さえ残らないかもしれなかった。




