表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女失格のわたしは、灰かぶりの魔女と世界を救い直す  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/19

第七章 魔女を背負う聖女

 川沿いの道を、リリアはエルゼを支えながら歩いた。エルゼは歩けると言い張ったが、足が定まらなかった。リリアは肩を貸したまま離さなかった。文句を言われても離さなかった。エルゼは三度言ってから、諦めた。

 半刻ほど歩いた頃、林の際に廃屋が見えた。屋根の半分が落ちているが、壁は残っている。扉は蝶番が錆びて動かなかったが、エルゼが蹴ると開いた。蹴るだけの力は残っていた。

「ここでいいですか」

「他にないなら」

 中へ入った。床に枯れ葉が積もっている。隅に古い藁が残っていた。リリアはエルゼをそこへ座らせた。エルゼは壁にもたれて、目を閉じた。

「火を起こします」

「あんたにできるか」

「昨日教わりました」

「一回教わっただけで――」

「やってみます」

 リリアは枯れ葉と枯れ木を集めた。火打ち石はエルゼの外套の内ポケットにある。取り出していいかと聞くと、エルゼは黙って外套を渡した。

 石を打った。火花が散らなかった。もう一度。散らなかった。三度目で、小さな火花が出た。枯れ葉が煙を上げた。四度目で、炎が立った。

 細い炎だったが、消えなかった。リリアは細い枝を足して、少しずつ育てた。

「できました」

 エルゼは目を開けなかった。

「見てた」

「見ていたなら、褒めてください」

「一回で成功しなかっただろう」

「三回で成功しました」

「昨日より一回多い」

「昨日は初めてでした」

 返事がなかった。眠ったかと思ったが、呼吸は穏やかに続いていた。

 リリアは水を探した。廃屋の外に雨水を受ける桶があった。覗くと、底に水が残っている。灰が混じっているかもしれない。布で漉してみた。清潔な布を一枚使って、水を染み込ませ、もう一枚で絞った。完全ではないが、飲めないよりましだ。

 モルが戻ってきたのは、そのときだった。

「木の実あったもる」

 小さな前足に、いくつかの木の実を抱えている。

「どこで」

「林の中もる。モルは食べ物の匂いが分かるもる」

「よく見つけてきましたね」

「モルは役に立つもる」

「ありがとう、モル」

 モルは満足そうに羽をぱたつかせた。それからエルゼを見た。

「エルゼ、寝てるもる?」

「休んでいます」

「起こしていいもる?」

「駄目です」

「モルが持ってきた木の実、あげたいもる」

「あとで起きたら、あげてください」

 モルは少し迷ってから、エルゼの膝の上に木の実を一つ置いた。それから自分もその隣に丸くなった。小さな番人のように、動かなくなった。


 エルゼが目を覚ましたのは、日が傾いてからだった。

 リリアは火の前で、エルゼの包帯を替えようと布を準備していた。外套のポケットを探ると、予備の包帯が出てきた。こういうものを常に持ち歩いているのだと気づいたとき、リリアの胸の中で何かが重くなった。

「包帯を替えさせてください」

 目が覚めたエルゼに、まず言った。

「自分でできる」

「見せてください。まずどのくらい広がったか確認したい」

 エルゼは少しの間リリアを見た。それから、左腕を差し出した。

 リリアは包帯を解いた。

 紋様は、昨日より広がっていた。肩の付け根まで来ている。黒い紋様は皮膚の上にあるのではなく、皮膚の中から滲んでいるように見えた。触れると冷たかった。

「痛いですか」

「慣れてる」

「それは答えになっていません」

 エルゼは黙った。

「痛いのか痛くないのか、それだけ教えてください」

「……少しは痛い」

 正直に答えた。リリアはそれを聞いて、また何かが重くなった。慣れているから痛くない、ではなかった。慣れていても、痛い。それでも慣れていると言う。

 新しい包帯を巻きながら、リリアは言った。

「エルゼ」

「何だ」

「自分の体を当然のように傷つけないでください」

 エルゼが少しだけ固まった。

「当然とは思ってない」

「そう聞こえます」

「あたしの体のことだ」

「今日、わたしを助けてくれました」

「それとこれとは――」

「同じです」

 リリアは包帯を結んだ。きつくなく、緩くなく。

「エルゼが自分を傷つけることを当然だと思っているなら、わたしはそれを、当然だと思いたくない」

 沈黙があった。

 火が爆ぜた。

「……聖女みたいなことを言う」

「聖女候補でした。今はもう違いますが」

「今も充分聖女みたいだ」

「それは褒め言葉ですか」

「さあ」

 エルゼは視線を火に向けた。横顔が、炎の色で染まっていた。普段より少し幼く見える。疲れているからか、それとも普段は力を入れている何かが、今は抜けているからか。

 モルが膝の上で木の実を押し付けてきた。

「エルゼ、これあげるもる。モルが持ってきたもる」

「……ありがとう」

 エルゼは木の実を受け取った。モルがまた満足そうにした。

 二人と一匹で、乏しい夕食を囲んだ。

 木の実と、干し果物の残り。布で漉しただけの水。

 リリアは干し果物を半分に割って、モルの前に置いた。

「明日は、どこかで食べ物を買えますか」

「町があればな」

 エルゼは木の実の殻を割りながら答えた。

「モルは甘いものがいいもる」

「贅沢を言うな」

「甘いものは大事もる。怖い夢のあとには、特に大事もる」

 エルゼは返事をしなかった。けれど、干し果物の小さい方をモルの前に押しやった。

 モルはそれを両前足で抱えた。

「エルゼは少しだけ優しいもる」

「黙って食え」


 夜になった。モルはリリアの鞄の中で眠った。エルゼは壁にもたれたまま、目を閉じていた。眠っているのかどうか、分からなかった。

 リリアは火を見ながら、今日のことを考えていた。

 セラフィナの祈りを見た。美しかった。完璧に見えた。その美しさの裏で、誰かが苦しんでいた。知らなければ、ただ美しいと思っていた。

 自分の浄化も、同じなのだろうか。

 リリアが祈るたびに、誰かの記憶が消える。それを代償と呼んで、目を逸らしてきた。セラフィナの「見えない犠牲」と、どこが違うのか。

 違う、と思う。でも、どう違うのかを言葉にするのが、まだできない。

「眠れないのか」

 エルゼの声がした。

「少し考えていました」

「何を」

「セラフィナさんの祈りのことです。それと、わたし自身の浄化のことも」

 エルゼは目を開けなかった。

「同じだと思ってるか」

「分からないんです。違うとは思う。でも、どこがどう違うのか」

「違う」

「どこが」

「セラフィナは選ぶ。誰を傷つけるか、自分で選んで移す。あんたは選ばない。救おうとして、結果として削れる」

 リリアは黙って聞いた。

「同じじゃない。ただ、どちらも完全じゃない。それだけだ」

「エルゼの力も、完全じゃないですね」

「そうだ」

「誰の力も、完全じゃない」

「当たり前だろう」

 リリアは膝を抱えた。

「教会は、浄化は完全な救済だと言っていました。教わってきたことが、全部そうでした。完全な救いがあって、聖女はそれを体現する存在だと」

「嘘だったな」

「嘘だったと思います。でも」

 少し間を置いた。

「完全じゃないから、救おうとしてはいけないということにはならないと、今は思っています」

 エルゼが目を開けた。リリアを見た。

「ミナが言っていました。助けてくれたことまで嘘にはしないで、と」

「聞いてた。あの子は強いな」 

「そうですね」

 火が小さくなっていた。リリアが枝を足した。炎が戻った。

「エルゼ」

「何だ」

「故郷の話を、いつか聞かせてもらえますか」

 しばらく、答えがなかった。

 火が爆ぜた。

「いつかな」

 それだけ言った。今すぐではない。でも、絶対に話さないとも言わなかった。

「おやすみなさい、エルゼ」

「……ああ」

 エルゼはまた目を閉じた。

 リリアも目を閉じた。壁に背をもたせかけて、膝を抱えたまま。聖女服の裾が、また汚れているだろうと思った。銀糸が、また何本か消えているだろうと思った。

 それでも今夜は、眠れそうだった。

 火が、穏やかに燃えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ