22話 絆
陽介は地面にへたり込み、にやつくキリコが近づいてくるのをなすすべもなく見つめた。頭の中は真っ白で、あたかも周囲の濃霧が入り込んだようだった。進んでも戻っても、真っ白な霧の中。
キリコがけたたましく笑っている。陽介達の目の前で、もったいぶったお辞儀をひとつ。再びのたうちまわって笑い出す。
陽介は疲れ果てて、そして空っぽで、怒りすら湧いてこなかった。
キリコは調子に乗ってパントマイムを始めた。セイジの真似だろうか、びっこを引いて洞窟があった場所まで進み、額に手をかざして大袈裟にあたりを見まわす。何もないことが分かり、ピンと直立不動になって、そのまま地面に倒れる。キリコは倒れた場所で腹を抱えて笑いだした。
陽介は何も感じなかった。疲労感が津波のように押し寄せ、頭ががっくりと落ちた。涙が頬を伝って落ちる。
もうダメだ。
みんなここで死ぬんだ。
裕太。戻ってきてくれるって信じてた。ずっと親友だよ。
セイジ。さっきは嬉しかったよ。でも、崖から飛び降りるのはもう勘弁な。
斉木。いろいろありがと。そして、ごめんね。
陽介は、万感の思いを込め、心の中で三人にお別れを告げた。セイジと目が合った。セイジは無言で謝ってきた。真っ青な顔で、目に涙を浮かべて、必死に謝っていた。
何?
謝ることなんかないけど…ひょっとして、洞窟にみんなを連れてきたこと?
何言ってんだよ。
陽介は優しく首を振って、みんなに同意を求めた。涙の向こうで、斉木がこちらをじっと見ているのに気付いた。その目に浮かんでいるのは…信頼?
そんな目で見ないでよ。そうか、僕は斉木のヒーローだっけ。
情けないヒーローだよな。奥の手なんてないんだ。負けちゃったんだ。
陽介は、耐えきれずに斉木から視線を外し、裕太を見た。裕太は……裕太は、あきらめていなかった。目にまだ光があった。困っちゃったな、どうする陽介、そんな顔だった。
そんなこと言ったって。
しかし、陽介の中に一筋の光が射した。
裕太はまだあきらめていない。まだあきらめていないんだ。
陽介の体はもう限界だったが、心を支配していた疲労感は徐々に消えていった。陽介の頭が回転を始めた。
さあ、どうする?
逃げ場はない。街中まで逃げれればなんとかなるかもしれないけど、みんなこの状態だし、そこまで辿り着くことはまず出来ない。
四人バラバラに逃げるという手もある。誰かが逃げ切れる可能性はある。怪我の具合からいって、斉木と裕太を優先的に町の方向へ行かせて、僕とセイジ――ごめんな――が囮だ。
けど、斉木と裕太が納得するかどうか。僕が二人の立場だったら、断固拒否する。友達を犠牲にして生き延びるなんて、その後が辛すぎる。それに、これはどこか間違っている気もする。
僕達は四人一緒だったからこそ、これまで頑張れたんじゃないか。これは、いよいよ最後の手段として取っておこう。
四人一緒があくまでポイントだ。さあ、どうする?
その時、陽介は誰かの囁き声を聞いた。
他の三人でも、キリコでもなかった。しかし他には誰もいなかった。
頭を振って追い払おうとしてみたが、その声は現実だった。そして、現れた時と同様、その声は唐突に掻き消えた。信憑性はともかく、その囁きが告げた内容は陽介の心を捉えた。
確かにそうかもしれない。斉木も言ってたばかりじゃないか。
キリコも怖いけど、もっと怖いこともある…
陽介はひとつ肯くと、力強く立ち上がった。
陽介は立ち上がり、キリコを睨みつけた。力が満ち溢れていた。もし陽介に超能力があったら、たちどころにキリコは燃え上がったことだろう。
キリコは陽介の視線に気付くと、笑うのをやめ、じわじわと近寄ってきた。
風に暴力が宿った。
木々が危険なほどしなり、再び落ち葉が飛び交った。
陽介は無意識のうちに、裕太と斉木の手を握り締めた。
「お前なんか怖くないぞ。この死に損ないが!」
にじり寄るキリコに、陽介は立ちはだかって叫んだ。
陽介の遥か頭上で、何かがキラリと光った。
とたんにキリコが太く咆哮をあげた。
荒れ狂う落ち葉に激しさが増した。
風が轟音を立てて耳をかすめる。
雨ですら痛い。
落ち葉を全て剥ぎ取られて裸になった地面から大小の石まで剥がされ、狂乱する落ち葉に加わった。
とても目なんか開けていられない。
俯いて堪える陽介の耳を何かがかすめ、暖かいものが首筋を流れるのが分かった。
張りつめたふくらはぎに激痛が走り、裕太の手を離して顔を庇った二の腕にも、間髪を入れずに石が突っ込んできて鈍い音を立てた。
しかし陽介は怯まず一歩前に踏み出した。が、同時に脳天に衝撃が走って、陽介は頭がくらくらした。
「手をつないで輪になって!」
突然、陽介の頭の奥で先程と同じ囁き声が聞こえた。
風がなかったさっきはともかく、この轟音の中、なんでそんな声が聞こえたのか分からない。なんで輪になるかも分からない。しかし、陽介には直感的にそれが正しいと理解した。
キリコは僕達をバラバラにしようとした。
でも僕達は強かった。
キリコに対抗するにはこれしかない。
一瞬のうちに陽介はそう確信し、突風にもみくちゃにされながらも、裕太の手を探した。
裕太の手が陽介の手を握り締めた。
空いている方の手を斉木が握ってきた。
その瞬間、陽介には、さっきの囁きが今度はみんなにも聞こえていたことを悟った。
陽介は目を閉じていても、セイジが斉木の手を取り、裕太がセイジの手を握り締めるのが分かった。
輪が完成した。
両手を使ってしまったため、無防備になった四人の顔を小石混じりの落ち葉が次から次へと烈しく連打していく。
うわああああ。
陽介はいつのまにか目をつぶったまま叫び声を上げていた。
その時、四人の輪の中心から強烈な光が一筋、天めがけて立ち昇った。
キリコが悲鳴をあげた。
陽介はおそるおそる目を開け、息を呑んだ。
霧が光に沿って猛烈な勢いで天に吸い込まれていた。
もがき暴れるキリコがゆっくりと吸い上げられていく。
陽介はその光景を魅入られたように見つめていた。
やがてキリコは見えなくなり、周囲の霧を吸い尽くすと、唐突に光は消えた。
そういえば、さっきの囁き声は誰だったんだろう。
陽介は上を向いたままぼんやりと考え、視界の端に何かを捕らえた。
四人の輪の真ん中、光が立ち昇っていたその場所に、一本のヒマワリが咲いていた。鮮やかな黄色がまっすぐ天を向き、瑞々しい葉の先から雫が垂れている。
いつのまにか雨も風もやんでいた。陽介はゆっくりと体から力を抜き、押し寄せる開放感と安堵に身を委ねた。突然の静寂に、陽介の耳は微かにキーンと鳴ることで、その存在を示していた。
陽介はそっと地面に腰を下ろし、誰にともなく話し出した。
みんなに輪にならせた囁きの前に、自分にだけ聞こえたらしい初めの囁きがあったこと。
人の絆があいつの弱点だと教えてくれたこと。
逃げてばかりいないで、立ち向かえばなんとかなると教えてくれたこと。
陽介の問いに、自分は誰だかもう覚えていない、と答えたこと。ただ、ヒマワリを見ると、自分が幸せだったことを仄かに思い出す、と付け加えたこと。
「涼平……」
じっとヒマワリを見つめていた裕太の頬を涙が伝った。が、裕太はいつまでも両脇の陽介とセイジの手を離さなかった。
無数の落ち葉が、静けさの中、季節外れのヒマワリを取り囲む四人の上に、ゆっくりと音もなく舞い落ちてきた。
* * *
キリコは徐々に速度を上げながら、光に沿って上昇していった。そして、上空の雲に突入したとき、キリコを光が包んだ。
暖かな光の中、キリコの子供の輪郭が薄れ、元の霧に戻っていく。
キリコの中にあれほど燃え盛っていた怒り、その最後の塊があまりにあっけなく剥がれ落ち、霧となって雲と同化した。
キリコは、自分が軽くなるのが分かった。
振り向くと、あの川で自分を見捨てたはずの友達、涼平が光となって浮かんでいた。
ありがとう。純粋な感謝がキリコの内に沸いた。
キリコは自分がさらに軽くなるのが分かり、自らも光となって雲の上へと舞い上がった。そして、かつて涼平だった存在と寄り添うように、キリコは次のサイクルへと移っていった。
もうキリコではない、無垢な存在となったそれは、最後にチラリと振り返った。
自分の怒りも、やがて大地に降り注ぐ恵みの雨となるだろう。
それでいい。
( 了 )
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