21話 砕かれた希望
うわああああ。
突然セイジが岩棚から飛び出した。尻で滑り落ちながら叫ぶ。
「みんな続けえー」
陽介の呪縛が解けた。落下の恐怖とキリコの恐怖。比べるまでもない。
裕太は既に飛び出していた。
無茶なのは分かっている。
陽介はためらわずに、叫び声をあげながら斉木と後に続いた。
最初はセイジと同じように、順調に尻で滑っていった。
このまま下まで、と思ったのも束の間、下から物凄い衝撃と突き上げがあり、陽介は宙に投げ出された。
一瞬の開放感が陽介を包んだ。
が、今度は背中を引っ叩かれた。
次の瞬間には、顎から斜面に突っ込んでいた。
後は、何が何やら分からず、最後に地球が体当たりしてきた。
陽介は体中が痛かった。笑ってしまうほど、若しくは気が狂いそうになるほど痛かった。どこもかしこも最悪だった。中でも、肩、膝、肘、顎、尻が特別に痛かった。頭、手、脇腹も、陽介の無謀に猛烈に抗議していた。まるで体中で絶え間なく爆破実験をされているようだった。
しかし陽介は動くことが出来た。なんとか立ち上がりさえした。
キリコ。
洞窟、あと少し。
そう、安全な洞窟まであと少しだった。豪雨の中、陽介は洞窟を目指してよろよろと踏み出した。
周りを見ると、みんなふらふらと立ち上がろうとしていた。
みんな無事だね。洞窟だよ。
まるで悪夢の中にいるようだった。絶え間ない苦しみ。揺らめく意識。
右足を持ち上げて、前に落とす。
次は左足の番だ。さあいくぞ。
よし、今度は右足だ。お願い、動いて。
しかし、その懇願は無視された。足がもつれて、陽介はそのまま地面に倒れこんだ。一斉に爆破実験が体中で再開した。
ああ、ああ。ひどいよ。
誰かの力強い手が陽介を引き起こした。裕太だった。
「大丈夫か」
セイジも斉木もいた。みんな心配そうな顔をしていた。
僕なら大丈夫。早く洞窟…
陽介は精一杯笑顔を作ったが、三人の心配そうな顔は動かなかった。
早く洞窟へ行ってよ。陽介は腕を振り払おうとしたが、三人は動こうともしない。逆に、恭しいともいえるほどの丁寧さで、陽介を運ぼうとする。仕方なく陽介はみんなに身を任せた。
両脇から裕太と斉木に支えられ、びっこを引くセイジにそっと後押しされて、陽介は歩き出した。有難いことに、キリコは見当たらない。
体の痛みが減ることはなかったが、陽介は無性に嬉しかった。心の中から暗闇が追放され、暖かくふわふわしたものがいっぱいに広がった。三人は本当の友達だった。陽介は改めてみんなの顔を見た。
みんなひどい顔をしていた。雨に打たれ、泥やら葉っぱやら血やらをまとわりつけて、みじめとしかいいようがない。けれど、みんな陽介が心の底から誇れる友達だった。
ふと、陽介は、顔中血まみれの裕太が、微かに顔を歪めているのに気が付いた。
あ、裕太も体、痛いんだ。
陽介はそう思うと、自分だけ甘えているのが申し訳なく感じられた。裕太だけじゃない。斉木だってセイジだって辛いんだ。みんな大丈夫なんだろうか。陽介の心に不思議と力が涌いてきた。そっと足に力を入れてみた。痛いけど、大丈夫だ。
陽介は、自分はもう平気だということを、みんなに伝えた。
自分一人で立ってみると、やはりとてつもなく体中が痛んだ。が、先程のようにいじけてしまうほどではない、と思えた。危ぶむような周囲の視線をよそに、陽介はふらふらと歩き出した。
キリコに追いつかれる前に、とにかく早いとこ洞窟に逃げなきゃ。みんなだって限界のはずだ。
陽介はそのことだけを考え、着実に歩きつづけた。
右足、左足、また右足…。
裕太もつらそうだな。手が握りこぶしになってるよ。でも、もうちょっとだからね。
深い霧の中とはいえ、すぐに洞窟が見えてくるはずだった。漆黒の悪夢に射す、希望の光。体の全細胞が求めてやまない安息の場所。
が、どこかおかしい、と印刷された紙が、頭の中で執拗に舞い始めた。
どこもおかしくなんかない。陽介はむきになって否定した。
僕達は崖を飛び降りた。キリコは置き去りだ。それからすぐ歩き始めて、みんなに助けてもらって、こうして独りで歩けるようになって……
キリコはどこ?
追いつかれていてもおかしくないんじゃないか。
嫌な予感が熱い塊となって、陽介の喉元にこみ上げてきた。
「どうした?」
裕太が声をかけてきた。陽介は答えられかった。
言葉にしたら現実になっちゃうかもしれない。でも、もしこの予感が当たっていたら、今のうちに相談しなきゃいけない。でも、洞窟がダメだとしたら、どこへ?
陽介の逡巡を、キリコの高笑いが遮った。
霧の向こうに洞窟が見えていた。そして、その手前にキリコが立っていた。
陽介の予感は的中した。陽介達が逃げるとしたら、洞窟しかない。ちょっと考えれば分かることだ。キリコは、ただそこで待っていればいい。
キリコはひとしきり陽介達をあざ笑うと、ぺこりとお辞儀をして、おもむろに洞窟に手をかざした。霧が手に集まっていく。
まさか…。
陽介の頭は、臨海学校でスイカ割りをした時のように、ぐらぐらと回り出した。
キリコの手から閃光が迸った。
光の奔流が洞窟上部の斜面めがけて突き進んだ。
初めは何も起こらなかった。
が、次の瞬間。息を詰めた陽介が見守る中、地響きを立てて崖が崩れ出した。
そして、洞窟があっけなく轟音と共につぶれた。まるで斉木のゲップのように空気が飛び出し、周囲の霧を掻き混ぜた。
洞窟はなくなった。
声にならない叫びをあげる陽介の足元に、岩がひとつ転がってきた。
洞窟はなくなった。
もはや逃げ場はない。安全な場所も、限界に達した肉体を休める場所も、そして希望もない。
終わった…。




