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霧の日、古い祠にて  作者: 圭沢
キリコ

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18/23

18話 結束

 斜面は思いのほか登りづらかった。

 気をつけていないと、足元の濡れた落ち葉ごと滑り落ちてしまう。


 気持ちばかり焦って三歩登っても、ずるずると二歩落ちていく。

 仕方なく陽介はペースを落とした。

 自分を追い越して昇っていく霧を無視して、陽介は斜面に抱きつくようにゆっくりと這い上がっていった。しかし、その間にもどんどん時間は過ぎていく。気持ちは焦るばかりだ。


 そうやって陽介が少しずつ登っていくと、そこかしこに同じように誰かが滑り落ちた跡があった。

 間違いない。裕太はここを登ったんだ。

 陽介のペースが上がった。息を切らしつつも、とにかくよじ登った。

 急げ。


 陽介が泥だらけになって崖を登りきると、霧であまり遠くまでは見えないが、そこは開けた台地になっていた。

「裕太ー」

 陽介が叫ぶと、右手の方、ちょうど洞窟の上あたりで動きが感じられた。へたり込んでいる斉木を置き捨て、陽介は走り出した。


 いた。

 裕太だ。

 泥だらけになった裕太が真っ青な顔で崖の方を向いて立っていた。こちら側の頬に落ち葉が一枚貼りついている。


 キリコは見当たらなかった。

 陽介はほっとしたが、とたんに足が止まってしまった。

 また邪魔だって言われたらどうしよう。なんでお前が寄ってくるんだ、あっち行ってろよって言われたらどうしよう。嫌な予感が入道雲のように陽介の中で成長した。


 セイジが陽介に追いつき、陽介の隣で立ち止まった。

 と、その時、裕太がそのまま崖の方へふらふらと歩いていった。


 危ない!

 陽介は洞窟周辺の岩だらけの急斜面を思い出し、何も考えずに再び崖に沿って駆け出した。


「ゆううたああー」

 陽介の叫びも裕太の耳には届いていないらしい。裕太の足取りは変わらず、崖の縁まであと僅かだ。


 陽介は、破裂しそうな肺も、鈍く痛む肩もすべて無視して裕太めがけて走った。が、まるで半クラッチのまま加速しようとする車のように、思うようにスピードが上がらない。


 もっと速く!

 陽介は突如として密度を増した空気の中、全精力を傾けて前へと進んだ。

 裕太が崖の直前で立ち止まり、何かを求めるかのように手を前に伸ばした。お願いだからそのまま!


 陽介の願いも虚しく、裕太は虚空へ一歩を踏み出した。


 陽介は跳んだ。

 ありったけの力を全力疾走の勢いに加えた、おそらく生涯最高のダイブ。


 裕太の体がゆっくりと斜め下へ落ちて行く。

 陽介は空中でちぎれんばかりに手を伸ばした。


 届いて神様お願い届いて…

 届いた! 陽介の右手がしっかりと裕太のウィンドブレーカーのフードを掴んだ。


 ドサッ。

 そのまま陽介は肩から斜めに地面に落ちた。痛めている方の肩だ。激痛が走る。


 しかし陽介は手を離さなかった。裕太が宙吊りになった。

 陽介は裕太を引きずり上げようともがいて愕然とした。

 文字どおり崖っぷちだったのだ。あと少し角度が悪かったら、あと少し勢いがあったら、あのダイブは陽介も崖下へと落としていただろう。なんと危なかったことか!


 しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。

 実際、裕太ごと落ちてしまわないため、陽介は猛烈に忙しかった。

 体をずらしてなんとか足場を確保する必要があった。今にも離してしまいそうな裕太のフードを両手で掴む必要もあった。それも今すぐ!


 しかし、陽介の左腕はいうことを聞いてくれなかった。

 少しでも動かそうとすると、肩が鋭く痛んで目の前が真っ白になった。そのたびに裕太のフードを掴んだ右手を離してしまいそうになる。


 離すもんか。絶対、離すもんか。

 が、徐々に力が尽きかけているのが、陽介は自分でも分かった。


 フードを掴んだ指が徐々に開きかけたその瞬間、セイジが助けに入った。

 遅れて斉木も駆けつけた。

 助かった。

 陽介は力なく地面に横たわった。


 裕太の引き上げは、ほとんどセイジと斉木の力ですることができた。陽介は肩をそっといたわりながら、九死に一生を得た裕太を見つめた。

 裕太は相変わらず真っ青な顔をしていた。頬に貼りついていた落ち葉はもうない。


 冷たい風が裕太の塗れた髪をかすかに揺らしている。

 霧が静かに流れていく。

 みんなの見守る中、裕太はゆっくりと口を開いた。

「涼平…」


 陽介は目の前が真っ暗になった。

 視界がぼやけて、自分が泣いているのが分かった。何も言えなかった。


「ふざけんな!」

 突然、セイジが裕太の横面をはたいた。



* * *



 セイジは猛烈に腹が立っていた。


 それまでなよなよしたヤツだと思っていた斉木の頑張りに、セイジは心の奥で感動していた。

 傷ついた陽介にオレは何も言えなかったけど、アイツは自分をさらけ出してまで陽介を元気づけた。すごいヤツだ。

 そして、あんなに裕太にひどいことを言われた陽介が、その裕太を救うために崖目指して跳んだことに、セイジは心をひどく揺さぶられていた。どう考えても無茶な行動だったけれど、その勇気はすごい。


 セイジは自分と父親の関係を思わずにはいられなかった。

 どうせ無視されるからということで、きちんと話しかけもしない。会話がないから何を考えているかもわからない。何を考えているか分からないから、相手の行動に腹も立つ。こっちが苛立っているから、相手も苛立って無視が始まる。


 悪循環だった。

 セイジは、筋道立ててそれを理解した訳ではなかったが、今、なんとなくそれが分かった。


 キリコと出会った時に見えた光景が頭にちらつく。このままだと、そのうちあれが現実になるかもしれない。

 オレもオヤジにちゃんと何かを話してみようかな、そうセイジは考えはじめていた。


 その矢先だった。陽介に助けられた裕太は、自分のあやまちを悟って泣いて謝る、当然のことのようにセイジはそう予想していた。

 が、裕太の口から出てきたのは、死んでしまったらしい弟の名前が一言。


 セイジは分からず屋の裕太に猛烈に腹が立った。



 セイジはもう一度裕太の横面をはたいた。

 裕太は心ここにあらず、といったようで、セイジにはたかれるままになっている。陽介と斉木が唖然としているのは目の端に映ってはいたが、そんなのはどうでもいい。

 半ば裕太へ、そして自分でも意識していなかったが、半ばは父親に向けて、セイジは怒りを爆発させた。



* * *



「おい、お前分かってんのか」

 陽介が呆然と見つめる中、セイジは裕太に声を張り上げた。


 裕太はまだぼうっとしている。

 セイジはますます怒って言った。

「相手から無視されるのがどんなにつらいか、分かってるかって聞いてるんだ」

 視線を逸らせたままの裕太を、セイジは乱暴に肩を掴んで揺さぶった。


「陽介はお前だけを見てきたんだ。お前があんな仕打ちをしても、陽介は体を張ってお前を助けたじゃないか。そりゃお前の弟のこと、オレ達は知らない。でもな、そんな陽介を無視するなんてあんまりだ!」

 セイジは裕太の手を握り締め、声を落として続けた。

「頼むから陽介を見てやってくれよ。陽介本人を。陽介が考えた今日の待ち伏せ、すごかったよな。あんなの考え出せるの陽介だけだって、お前は言ってたよな。それに陽介の考え方、一番分かってるのいつもお前じゃんか。オレ、お前らの間には入れないっていつも感じてたよ。なあ裕太、思い出してくれよ。そして、あの頃のお前に戻ってくれよ」

 セイジは泣いていた。


 陽介は初めて見るセイジの涙に、なんて言ったらいいのか分からなかった。

 自分も泣いた。

 自分のためにここまでしてくれる友達がいる、それが無性に嬉しかった。


 誰かの手が陽介の肩に置かれた。

 裕太だった。

 裕太の目に光が戻っていた。

「…何て言っていいか分からない。頭の中、ぐちゃぐちゃだ。でも、でも、これからも友達でいて欲しい。俺が悪かった」

 陽介は、何も言えずに、何遍も肯き、そしてニッコリ裕太に笑いかけた。

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