15話 分裂
「何なんだよ、あれ」
しばらくしてキリコが行ってしまうと、セイジがポツンと言った。
洞窟の外では冷たい雨が休みなく降り続いている。だいぶ暗くなってきた。突き刺すような寒さが、びしょ濡れの体から容赦なく熱を奪っていた。にもかかわらず、みんなバラバラに座っていた。さっきキリコに見せられたものを、沈黙のうちにそれぞれ思い返していた。
セイジの言葉に、陽介は斉木を見たが、斉木は視線を逸らした。裕太は一人離れて洞窟の入口近くに座り、血の気のない顔で外を眺めていた。セイジはセイジでそれっきり何も言わない。
みんな変だよ。
陽介の中でムラムラと怒りが頭をもたげた。
やがて斉木が、陽介の視線を避けるように、途切れがちに喋り出した。
キリコの伝説というものがあったこと。霧の日にそれは現れるということ。良いキリコと悪いキリコがいて、悪いキリコに出会ってしまったものは……
「あれはきっと、わ、悪いキリコだったと思う。僕達、ツイてた、かもね」
斉木がそう話を締めくくった。運が良かったわりにはこのざまだけど。陽介は心の中で付け加えた。
陽介がズキズキと痛む肩を押さえながら見まわすと、みんなみじめに濡れそぼっていて、泥だらけで寒さに震えている。そして寒さは増すばかり、これから夜になってもっと冷え込むだろう。とはいえ、ここから脱出できる見込みもない。ああ、ツイてないや。
「ねえ、キリコってさ」
陽介はいつまでも続く気まずい沈黙に耐えられず、強いて明るく切り出した。
「キリコってさ、ひょっとしてあれなんじゃない。ね、死んだ人は雲の上に行くでしょ?」
それまで黙って外を見ていた裕太が、ビクンと反応した。が、それ以上の動きはなかった。
陽介は仕方なく言葉を継いだ。
「でさ、じゃあ死にきれなかった人、いわゆる成仏できなかった人って、どこに行くんだろ? ひょっとして、雲の上に出れずにずっと雲の中をさまよっているってことにならない? 雲の中イコール霧の中、つまりそいつらがキリコってこと」
誰も何も言ってくれないので、陽介は一人でまとめた。
「ま、それが合ってたとしても、バケモノはバケモノ、今の僕達は何にも変わらないけどね。明日になって霧が晴れるまで、ここでおとなしく待つしかないってことかな」
「俺、もう一度キリコに会いに行く」
それまで黙り込んでいた裕太が、突然立ち上がった。目がぎらぎらと光っている。
「何言ってんだよ、裕太。ヤバいって。あいつの目、見ただろ」
「ああ見たさ。でもお前はキリコの言ったこと聞いてないじゃないか」
陽介の頭に、キリコに会ったときに浮かんだ、裕太が去って行く光景が甦った。
言葉を失った陽介に、裕太はおもむろに歩み寄った。
そのまま裕太は陽介に覆い被さり、鼻と鼻がくっつかんばかりの距離で陽介の目を睨みつけながら、ゆっくりと言った。
「あいつはな、あの時、涼平に、俺のただ一人の弟に、会わせてくれると、そう言ったんだ」
陽介は混乱した。
陽介が裕太をキリコから突き飛ばした時のことだとは分かったが、裕太の豹変ぶりが怖かった。何を言っているのか、意味が分からなかった。
「ああそうだよ、この霧の中で会えるってことは、お前の言うとおり、あいつは成仏していないってことなんだ!」
そう叫ぶと裕太は陽介に背を向け、広くもない穴の中を歩き回った。
裕太の怒鳴り声が洞窟の中に響きわたり、雷のように陽介の頭の中でこだまする。
「確かに俺も悪かったさ。でも、涼平が俺のせいで苦しんでるなんて知らなかったんだ。それも全部、お前の」
くるりと振り返った裕太は、陽介に鋭く指を突きつけた。
「お前のせいだ、陽介。裕太は僕の親友だよ、だって? 俺はお前のこと、親友だなんて一度も思ったことはない!」
なんてこと。
陽介はここから逃げ出したかった。これは現実ではない、それだけは確かだった。目をつぶって十秒数えよう。目を開けたらおうちのベッドの中なんだ。
しかし、まばたきすら出来なかった。
裕太は無慈悲にさらに爆弾を投下した。
「陽介、お前はな、涼平の身代わりに過ぎないんだよ。笑った顔が似てた、それだけの理由。ごめんな、"親友"」
裕太は高らかに引きつった笑い声を上げた。裕太の言葉のひとつひとつが、陽介の胸を深くえぐっていく。
裕太が時々遠くを見ていたのはこれだったのか。
さっきキリコに会ったときに見たのはこれだったのか。
ダルマさんは転がって、壊れてしまった。
もはや陽介は息もつけず、猛る裕太をただ見ているしかなかった。
「でもな、やっぱり誰にもあいつの代わりなんて出来やしない。そんなことは当たり前だし、しちゃいけなかったんだ。俺、キリコに会ってくる。涼平に会って、謝るんだ」
裕太は洞窟の外へ向けて歩き出した。陽介は頭が混乱して何も考えられなかったが、それだけはいけないと分かった。
「ダメだ裕太。行っちゃダメだよ」
「邪魔すんな、身代わり」
裕太は陽介を振り払って霧の中へ消えた。
陽介の悪夢が現実となった。
* * *
陽介君、泣いているのかな――斉木はそっと陽介の様子を覗った。
裕太が出ていってからというもの、さらに重苦しい沈黙が洞窟を支配していた。陽介は裕太に振り払われた場所にそのまま座り込んでいる。誰も何も言わなかった。
斉木は、さっきキリコに見せられた光景が頭から離れなかったが、陽介のことが心配でもあった。
裕太君、あそこまで言わなくてもいいのに。
陽介がどんなに親友の裕太のことを誇りにしていたか、斉木は良く知っていた。自分もそう思われたい、さっきまでは常にそう思っていたからだ。
そして、裕太は陽介にひどいことを言って出て行ってしまった。
みんな実はひどい人なのかも。ボクも本当に陰で笑われているかもしれない。
そう思うと、斉木は涙が出そうだった。
それでも落ち込んでいる陽介のことが気になった。傷ついてざまあみろ、とはとても思えなかった。陽介の痛みが我がことのように感じられた。
みんなキリコのせいだ。やっぱりあれは悪いキリコだ。
悪いキリコ?
そう、悪いキリコなんだよ。
ボクに見せたあの光景もウソかもしれない。なんてったって、あれは悪いキリコだもの。
斉木の心は急に軽くなった。
裕太君は弟のことをキリコに言われて混乱していたから、あんなことを言ったんだ、斉木はそう確信した。
だって、ボクよりも裕太君は陽介君のこと考えてるから。
今、斉木は陽介を励ましたかった。
今ならまだ元に戻せる。それに、裕太君をキリコがうろつく霧の中に放っておく訳にもいかないじゃないか。
しかし、泣いている陽介に声をかける勇気がなかった。陽介を説得する自信もなかった。
ほっといてくれ、斉木なんかに励まされたくない、そう言われるのがとてつもなく怖い。
キリコが嘘をついたって分かっていても怖い。
陽介君、大丈夫。もっと自信を持ってよ。
斉木は口に出せずに、心の中で陽介に声をかけた。そして、そのセリフにドキリとした。
まさに自分にも当てはまるのではないか。友達に励ましの言葉をかけることすら怖がっている、そんな自分に。
これじゃあ説得力ないよな。斉木は自分が嫌になった。ボクはどうしてこんなにダメなんだろう。
その時陽介がしゃくりあげた。これまでこらえてきた涙がついに溢れてきたのだろう。斉木はいても立ってもいられなくなって、陽介の肩に手を置いた。
「陽介君、ねえ、陽介君てば」
一旦行動を起こしてしまうと、斉木は体中に力がみなぎってくるのが分かった。
どうしてもっと早くこうしなかったんだろう。
ボクはできる、ボクはできるんだ。




