12話 洞窟と秘めた記憶
一行がしばらく無言の内に歩いていると、突然先導するセイジが立ち止まった。
「この辺りのはずなんだけどなあ」
陽介が視線を上げると、目の前にちょっとした崖がそびえたっていた。
この霧で良くは分からないが、高さはそれほどでもないようだ。絶壁という程に傾斜はきつくないが、登るにはちょっと厳しいかもしれない。落ち葉に埋もれた大きな岩が、そこかしこに見え隠れしている。
「セイジ、大丈夫なのかよ。こんな霧の中で、ハイ迷いました、なんて、しゃれにならないぞ」
「まあまあ、だいたいあってるって。この霧だからさ、仕方ないでしょ。でも、ビックリするなよぉ」
セイジは陽介達の抗議を軽くかわし、先へ進み出したが、またすぐに立ち止まった。
「あった!」
陽介はセイジの視線の先にあるものを見て驚いた。前方の崖にぽっかり穴があいている。岩肌のその穴は、黒々と奥行きの存在を誇示し、陽介においでおいでと手招きをしているようだ。
もしかして洞窟?
かっこいい!
それまでセイジを除いて黙り込んでいた一行だったが、急に大騒ぎになって駆け出した。
「うわ、本物の洞窟だ」
「秘密基地にしようぜ」
頭に浮かんだことを片端から口にしながら、陽介達は穴の中をつぶさに確認していた。
「どう、オススメってのはウソじゃないだろ?」
セイジは一人得意げだ。クスクス笑いが今にもゲラゲラ笑いに変わりそうだ。穴の入口に立ち、孫にクリスマスプレゼントをあげたおじいちゃんのように、陽介達のはしゃぎぶりを満足げに見守っている。
穴は入口こそかがんで入る必要があるものの、内部は意外に広く、幅が約2m、高さも一番背の高い裕太が楽に立てるぐらいあった。しっかりと乾いた明るい色の岩で半球状に囲まれており、床面もほぼ平らな岩になっているため、使い勝手がかなり良さそうだった。奥は3m程で行き止まりとなっているのがちょっと残念だが、基地として使う分には申し分ない。隙間風の心配をしなくて済む分、かえって都合が良いぐらいだ。
「これ、ボク達だけの秘密にしとこう」
「あったりまえ、絶対誰にも言うなよ」
「言ったヤツは永久追放だからね」
「そしたらさ、他のヤツらには見つからないように、入口をもうちょっと隠しといた方が…」
陽介が喋りながら目を外にやると、穴の外を霧が波打って流れていくのが分かった。
その向こうにあるはずの木々は、霧の波間に影が見えるに過ぎない。
この霧がなければなあ、陽介はため息をつきかけて、穴の中には霧が入ってきていないことに気が付いた。
陽介はなぜか少しほっとして、再び話に加わることにした。ありがたいことに、陽介の中断にはお構いなしに、さっきまで保護者ぶっていたセイジも加わって、みんな勝手に喋っている。
「まず、食料を運び込まないと」
「麦コーラは勘弁だよ」
「何言ってんだよ。オレはあれ、大好きだね」
「ウソつけって」
「ウソじゃないよ。"教頭先生は、エー、麦コーラ、毎朝飲んで、髪の毛フサフサ"」
セイジの無理やりのモノマネにみんな笑い転げた。
「ね、ね、今度ここで野宿しようよ」
「ワオ、いいね、それ。焚き火とかしちゃってさ」
「斉木、おねしょするなよぉ」
「し、しないってば」
「ここで野宿するとなると…」
陽介はゴツゴツした地面を触りながら言った。すると、またしても裕太が陽介の先回りをしてくれた。
「寝袋借りられるか、父さんに聞いてみるよ」
うーん、ホントに裕太は僕の考えていること分かるんだなあ。
本物の親友だ。陽介は嬉しくなって裕太にニッコリと笑った。
* * *
こいつ本当に涼平に似てるよ、裕太は久し振りにそう思った。
今みたいな笑顔、そっくりだ。裕太の胸がチクリと痛んだ。
裕太と涼平はびっくりするほど仲の良い兄弟だった。
涼平は裕太の二つ下の弟で、どこへ行くにも何をするにも兄の裕太にべったりだった。裕太もよく弟の涼平の面倒を見、涼平のわがままにも――そんなに無理難題でなければ――付き合ってあげていた。
あまり口が達者ではなかった涼平は、そんな時よく今の陽介みたいな顔で微笑みかけてきた。お気に入りのおもちゃをあげた時、裕太の自転車を貸してあげた時。
え、ホントにいいの?
ありがとう!
喜びと感謝でいっぱいの混じり気のない笑顔。
裕太はそんな笑顔を向けられると、誇らしくて、そして嬉しくて、弟への愛情で世界がふわっと暖かくなるのだった。
それが起きたのは、裕太が小学校へ入学する一週間前、言い換えれば涼平が幼稚園に入園する一週間前だった。
突然、涼平は死んだ。
交通事故だった。
裕太がランドセルを母親と買いに行っている間、涼平は家で留守番をすることになっていた。もちろん涼平もついて来たがった。
しかし、涼平が幼稚園で必要なものは裕太のおさがりで間に合ったし、それに、涼平は幼稚園に行けるという興奮のあまり熱を出してしまっていた。もう熱は下がったが、念のため人込みは避けた方が良かった。
じゃあ僕、一人で公園に行ってるよ、ね、いいでしょ?
涼平は言い張った。
裕太はちょっと微笑んだ。そういうことか。
先日、母親が庭にヒマワリの種を植えるのを手伝った時、種をひとつごまかして、それを涼平と二人で近所の公園に植えたのだ。
二人だけの秘密だぞ、そう言う裕太に涼平は大はしゃぎだった。
熱を出している間、裕太と二人きりになると、涼平はしきりにヒマワリの様子をこっそりと尋ねてきた。
まだ芽は出てないよね――僕、芽が出てるの一番最初に見るんだ――。
そんなにすぐに芽なんて出ないって、と裕太は散々言い聞かせたのだが、どうやらそれがまだ心配だったらしい。
裕太は、帰ってきたら一緒に行こう――ちょっとだけだぞ――ということで涼平を納得させた。母親も許してくれた。
そして裕太と母親は出かけたのだが、家の近くまで帰ってきてびっくりした。家のそばの交差点まで涼平が迎えに来ていたのだ。
遅いよー、涼平は道の向こうの歩道でぴょんぴょん飛び跳ねていた。裕太のジャイアンツの帽子を勝手に被っていて、大きすぎるそれが、涼平の頭の上で被り主の動きに合わせて飛び跳ねている。
まったく。
裕太はクスクス笑いながら、涼平のほうへ一歩踏み出した。涼平もこっちへ駆け寄ってくる。
そのとき母親が絶叫した。
トラックが一台、左から涼平のほうへすごい勢いで突進している。その距離、10m。
裕太の時間が止まった。
涼平は相変わらず嬉しそうにこちらへ向かっている。
裕太が叫ぼうとした時、ドン。
裕太の前から涼平がいなくなり、代わりにトラックが裕太の視界をふさいだ。
裕太の叫びが言葉をなさないものへと変わった。
トラックが裕太の前を急ブレーキにタイヤを軋らせて通り過ぎた。
しかし、そこに涼平はいなかった。
その事故は、子供の飛び出し、という妙にありふれた言葉で片付けられた。
しかし裕太にとって、そんなもので片付けてしまえる訳はなかった。
どうしてあの時、そこで待ってろの一言が言えなかったんだろう。どうして一緒に連れて行かなかったんだろう。
どうしてもっと普段から優しくしなかったんだろう。どうして。どうして。
裕太は自分を責め続けた。材料は山ほどあった。
そして、両親がいないところで、泣いた。声を押し殺して泣いた。隠れて泣いた。
思い出はいたるところにあった。涙は後からあとから溢れ出てきた。
じきに小学校が始まった。しかし裕太はそんな状況ではなかった。
涼平、幼稚園を楽しみにしてたよな。
そう思うと、自分だけ小学校へ行くなんてとても出来なかった。
しかし、お葬式やらなにやらが片付いてしばらくすると、父親が学校に行けと言い出した。母親も味方をしてはくれなかった。そして、裕太にはあまり反論する気力はなかった。
翌日、裕太は小学校へ行った。
入学式を含めて二週間も休んでしまっていた。
勇気を出して先生の後ろから教室に入ると、もうすっかり知り合いになっているみんなの好奇の視線が、遠慮なく裕太に注がれた。裕太は手を握りこぶしにして視線に耐え、淡々と自己紹介をした。
教えられた席に向かう途中、裕太は床に転がっている消しゴムに気が付いた。何気なく拾って渡してやると、その子はびっくりしたらしい。咄嗟に言葉が出てこなかったのか、ありがとう、と笑顔を見せた。
涼平?
裕太の時間が止まった。
その子の笑顔は弟の涼平に生き写しだった。
裕太の心臓が一拍とばしてまた動き出した。
別人だ。
裕太の胸がズキンと痛んだ。裕太は何も考えられなくなり、生まれて初めての小学校の授業がどんなだったか、全く覚えていない。
休み時間になっても裕太がぼんやり席に座ったままでいると、消しゴムを拾ってあげた子が話しかけてきた。竹中陽介って名前らしい。
こうやって見ると弟にはまるで似ていない。
裕太は少しほっとして、ともすればうつろいがちになる現実世界に意識して注意を集中しながら、陽介がにこやかに喋る様々な噂話を聞いた。
公園に植えたヒマワリが咲く頃、裕太は持ち前の明るさをすっかり取り戻し、抜群の運動神経とでクラスの人気者になっていた。裕太はヒマワリが咲いたことは通り掛かりに見知っていたが、もうどうでも良かった。
陽介がいたからだ。
時々陽介が感謝する時に見せる純粋な喜びと感謝の笑顔、それが弟の涼平にそっくりなことが、裕太をどんどん陽介に惹きつけていった。陽介は弟の生まれ変わりではないことを頭では理解していたが、もう裕太には欠かせない存在だった。
弟の死、その事実は裕太の中で知識として存在しているに過ぎなくなっていた。あまりにも小さなことなので、陽介にも話してすらいない。
それより、あの笑顔。
陽介のあの笑顔さえあれば、味気なかった裕太の生活も急に彩りを増す。
その笑顔が見たくて、裕太は陽介の考えていることを推し量り、先回りをして陽介からその笑顔を引き出すようになっていた。
今回も、裕太は陽介が寝床の心配をしているのが分かった。
固さを推し量るように地面を撫でている様子からピンと来た。確かに平らとはいえ剥き出しの岩だし、夜は冷え込むかもしれない。家に寝袋があったことを思いだし、すかさずそれを言ってみると、案の定例の笑顔が返ってきた。裕太は嬉しかった。
しかし、久し振りに涼平のことを思い出してしまった。
そして、陽介がいるとはいえ、もう長い間涼平のことを忘れていたことに裕太は気が付いて、罪悪感に胸がチクリと痛んだ。




