07
「ニア・レッドメインでございます」
「ははっ、お美しい奥方を迎えられてレッドメイン侯爵もますます精が出ますな」
などというまったく心のこもっていない賛美。社交辞令はありがたく受け取っておきますとも。
それよりもこの方。
「旦那様」
私は隣で不愛想に挨拶を返している旦那様の腕を引く。
すぐに何かを察した旦那様は少しホッとしたように周囲へかるく断りをいれる。
「失礼、妻が人酔いしたそうなので席を外されていただきます」
旦那様に先導されて向かったのはホールの喧噪を遠くに感じるテラス。あぁ夜風が気持ちいい。
「どうしたんだ?」
「最後にご挨拶された方」
「あぁ、フィッツロイ公爵だな」
「あの方がフィッツロイ公爵」
フィッツロイ公爵。ミークリヤ伯爵家と同様、建国当時からの古い家系。私の実家は冴えない貧乏伯爵家。しかし向こうは王国内でも有力な貴族派閥の筆頭。どこで差がついたのかしらね。
「公爵がどうかしたか?」
「いいえ、旦那さまがフィッツロイ公爵様とお話したくないように思えたので」
「……」
「違いましたか?」
どうしましょう? 旦那様は基本的にどの人との会話も嫌がっていましたが、それはあくまで人嫌いからのもの。しかしフィッツロイ公爵の時はそれらとは違っていた。だから人避けのお仕事として立派に果たしたつもりだったのですけれど。
「なるほどな、報告通りか」
「?」
「いや、こちらの話だ」
旦那様はよくわからないことを呟くと、大きく息をはいた。
「早速仕事を果たしてくれて助かった。礼を言う。ありがとう」
「そ、それはよかったです」
はわぁ。さっすがイケメン。なんという破壊力の微笑み顔。それよりもしかめっ面以外の旦那様なんて初めて見たかもしれないわ。
「君もフィッツロイ公爵やその派閥には気を付けろ」
「はぁ」
すごいのね。貴族社会って。派閥争いっていうのよね。私には無縁の世界だったから実感わかないわね。さっきのフィッツロイ公爵もお父様と同じ普通の中年男性にしか見えなかった。
そんな普通にしか見えないおじさんなのに、ここまで旦那様に警戒させるほどの人であるなんて。
あぁ、怖い怖い。できる限り邸に引きこもって読書していたいわね。
などと、私が貴族社会の末恐ろしさに怯えていると旦那様が口を開いた。
「なぁ、君は」
「はい」
「君は……その」
言葉を探すように口をパクパクさせている。どうしたのでしょうか。
淡水魚の中にはストレスから水面で口をパクパクさせることがあるらしい。人間に当てはめて考えるのはもちろんナンセンスだろうが。同じ生物。それに旦那様はどう考えてもストレス過多よね。毎日狂ったように仕事して、この世すべてを憎むかのように眉根に皺を寄せている。
「はっ? 魚?」
「まっ」
いけない口に出していたようだわ。慌てて口元を手で押さえる。
旦那様は豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をしている。そんな顔もできるのね。
「いえあのそれは」
「はははっ」
旦那様が笑い出す。
なんというかやっぱり変よね?
ストレス過多でおかしくなってしまったのかしら。
えっ、怖っ。
「おい、変なことを考えるな」
しまった表情に出ていた。
「そうだな。明日は仕事が休みなのだが、少し君の時間をくれないか」
「は、はい」
それってデートのお誘いってこと。
どうしたというのかしら。本当に怖いんですけれど。
「失礼なやつだな」
意味はわからないけれど、そんな表情の方がいいと思うわ。
次話以降でニアが無自覚に何をやらかしているのか、何に巻き込まれているのか判明していきます。よければもう少しお付き合いいただけると嬉しいです。




