02
というわけで、婚約が決まった。
相手はこの目の前で不機嫌な顔をしたサーシェス・レッドメイン侯爵様。
濡れたように光る黒髪。猛禽類を思わせる鋭い目。低身長なお父様やお兄様と同じ人間かと疑いたくなるような長身。物語に登場する人物のような見目をしている。外の世界にはこんな人もいるのね。
それよりも婚約について。
私が婚約を知ったのはつい先ほどのこと。
先ほど、本当に先ほどなのよね。
あら、先ほどと後ほどはあるけれど、中ほどはそれらとは違う意味合いの言葉というのは違和感を感じない?
もちろん中ほど、は言葉としてある。けれど先ほどは少し前の時間。後ほどは少し後の時間。ならば中ほどは現在、ということになるんじゃないの。
ならない?
あぁ、また話が逸れた。
とにかく先ほど。先日まで蛇だった子が翌朝には竜になるぐらいにはあっという間の出来事。ほら、蛇が竜になるまでは数千年の時間が必要でしょう? それがたった一日に凝縮されてしまった感じよ。
えっ? 竜を知らない。私も知らないわ。
けれど先月読んだ本には確かにその存在は……いえいえ違うわ。
そもそも成長に時間がかかるのってどうしてなのかしら、ってことよね。
蛇は数千年生きないと竜にはなれないなんて不服でないのかしら。それは人だってそう。今年で十五になる私だって、この十五年はとてつもなく長く感じるし、この先の年月だって長く感じてしまうわ。
あら?
私の疑問ってこれであってる?
「こら、ニア」
お父様が小声で私の意識を戻す。
いけない。また思考があらぬ方向に。
レッドメイン侯爵は不機嫌というよりも怪訝な表情で私を見ている。
「本当によろしいのですかな? このように少し、いえかなり抜けたところのある娘なのですが」
ちょっとお父様。
それは心外、とは言えないけれど言い過ぎではなくて?
そうこの人畜無害というか、特徴のないのが特徴と言い表したくなるザ・平均的な王国貴族紳士といった男性。
これがミークリヤ伯爵。私のお父様。常に貼り付けたような愛想笑いを浮かべ、相手の顔色を窺っている。
正直かなり頼りない方だけれど、それでも家柄だけは立派だけれど、取り立てて何もない伯爵家の体裁を保ち続けるという非凡さはある。
この貼り付けたような愛想笑いも、下手に出過ぎて相手を不快にする喋り方もお父様の処世術なのでしょうね。
ちなみに……。
「ニア」
またお父様に窘められてしまった。
私もニコリ、と侯爵様にミークリヤ家流の愛想笑いを向ける。
「……」
侯爵様は眉根を寄せたまま、観察するように私のことを見ている。
沈黙が流れる。
その沈黙を恐れるようにお父様が侯爵様に最近の王宮内での話をふる。侯爵様は適当な相槌を返す。
うん。私には関係のない話題ね。
なら先ほどの話に戻ろう。
えぇっと、成長に時間がかかることについてだったっけ。
違う、違う。
そうこの状況、婚約というビッグニュースについてよね。
先ほど、私は昨年の誕生日に送っていただいた異大陸の動植物に関する図鑑を読んでいた。
「後ほど、ご当主様が王宮よりお客様とお戻りになるそうです」
侍女から告げられたのは来客の予定。この伯爵邸に来客があるとは珍しい。驚いて図鑑から顔をあげると侍女はさらに驚くようなことを告げる。
「お嬢様のご婚約について、とのことです」
その時の私の驚きを表現する言葉が見つからないわ。
婚約って確かに貴族家の令嬢として必要なことよね。ミークリヤ伯爵家にはすでに後継者としてお兄様がいるから、私の場合は嫁入りになるかしら。
そもそもミークリヤ伯爵家と縁を結びたいと願う家があるの?
歴史の長さだけが取り柄。政治的な立ち位置はどちらつかずの日和見。娘を学園に通わせるお金もない貧乏貴族。
嫌な予感しかない。
絶対にロクな縁談ではない。
理由を考えて悶々としていたらすぐに『後ほど』となった。
王宮で閑職を承るお父様にしても珍しいお早いご帰宅。そのお隣には長身の男性。年の頃はお兄様と同じかそれよりも少し上くらいかしら。
あの人が私の婚約者?
「ニア、執務室に来なさい」
「……はい」
お父様の執務室、と言っても執務するようなことはミークリヤ伯爵家にはないので、ただの書斎。さらに言えばお父様は滅多に読書もしないので、もっぱら私の読書室。
だから執務室で読書の途中にお父様を迎えに出て、そのまま執務室に戻っただけ。
「サーシェス・レッドメインだ」
「……ニア・ミークリヤです」
「時間が勿体ないのですぐ本題に入ろう」
侯爵様は挨拶もそこそこにソファーに腰を落とした。
「ミークリヤ伯爵家が抱えている借金は我が家ですべて清算しよう」
はっ! 借金? どういうこと、とお父様を睨みつければ心底申し訳なさそうに微笑む、という独特な表情をしていた。
「その交換条件としてミークリヤ嬢には私の妻となってもらう。まぁ妻と言っても対外的なものに過ぎない。俺は結婚などに興味はないのだがいい加減周囲が煩くてかなわないのでな」
何かを思い出したのか侯爵様の眉間の皺がより深くなった。
「つまり君は見せかけの妻という役目を果たしてくれればいい。それ以外は好きにすればいい」
話は終わったとばかりに侯爵さまは紅茶の残りを飲み干した。おかわりを用意する執事を手で制す。よっぽどお口にあわなかったようね。
と、これが婚約についての説明。冒頭までにつながる『先ほど』起きた事柄ってわけ。
二話目です。語り多め。会話少な目。恋愛薄目です。




