第四節 交差する気持ち、重なる影
二月九日──。マラソン大会の余韻も落ち着き、空気には次第に春の気配が混じり始めていた。
放課後、教室に残っていたさち、リン、まひろ。そこへ、少し緊張した表情のハルがやってきた。
「ちょっと、いい? 三人とも──ユキがいない間に、話したいことがあるんだ」
不思議そうに顔を見合わせる三人を、ハルは空いていた席に誘導し、そっと声を潜めた。
「……これ、ユキの机の教科書の間に挟まってた」
ハルが見せたのは、開封済みの白い封筒。そこには、一文だけが記されていた。
『二月十日、放課後。体育館裏で待ってます。』
「つまり……そういうこと?」
「うん。たぶん、告白……だよね」
驚いて口元を押さえるまひろと、目を丸くするリン。さちは少し頬を赤らめながら、静かにうなずいた。
「明日、その時間……どうする?」
「様子、見に行こうよ。さすがに気になるし……」
「でも、ユキのことだから……」
「……バレないように、ちょっと距離を取って見るくらいなら、いいんじゃない?」
小さな決意が、そこに生まれた。
──その頃のユキは、自宅の自室で、窓の外をじっと眺めていた。
手紙を手にしてから、胸の奥がかすかにざわついていた。
(……くだらない、って思えばそれまで。でも……)
頭の中には、明日の放課後のことが何度も浮かんでは消えていた。
(何があっても、ちゃんと断る。だって、私には──)
ポーカーフェイスを貫くこと。それは、ユキにとって「静かな強さ」の象徴だった。
揺れる気持ちを見せない。それが、今の自分にできる選択。
──そして、翌日。
二月十日。放課後のチャイムが鳴り終わるころ、ユキの姿は、静かに体育館裏にあった。
校舎の隙間を抜ける風はまだ冷たい。しかし、背筋を伸ばして立つその姿は、どこか凛としていた。
同じ頃、誰もいない体育館内の壁際隅に、ハル、さち、まひろ、リンの四人が、気配を殺して身をひそめていた。
「ユキ、ほんとに来たんだ……」
「それにしても、何も言わずに……」
「でも……かっこいいよね」
「うん……“勝負の顔”って感じ」
窓越しに見えるユキの背中が、風に揺れていた。
やがて、ひとりの男子生徒が現れた。
同じ学年の男子水泳部員。清潔感があり、誠実そうな印象の少年だった。
少し緊張した面持ちで、ユキの前に立つ。
「……来てくれたんだ、ありがとう」
「手紙を下駄箱に入れたの、あなた?」
「うん……突然でごめん」
「で、何の用?」
ギャラリースペースでは、四人が同時に息をのんだ。
「……ユキ、いつも以上に冷静……」
「清楚っていうか……ちょっと鋭い……?」
「塩対応って、こういうこと?」
「怒ってるわけじゃないけど、あれは緊張するよ……」
「僕、白水さんのことが好きで……ずっと気になってた」
「そう。ハルとか、さちと間違えてない?」
「違うよ。白水さんは、僕の憧れで……最後まで黙々と練習してるのとか、すごくかっこよくて」
「それは、トレノのみんなでやってること。……あ、もしかして、トレーニングの内容が気になるの?」
「うん……気になる。僕も、白水さんみたいに強くなりたくて。でも、話しかける勇気がなかった」
「そう。──付き合うかどうかは置いといて、トレーニングに興味あるなら、見に来たら?」
「え……僕、男子だけど、行ってもいいの?」
「自分を変えたいなら、見学くらい問題ない。やる気だけは、評価してあげる」
短い沈黙のあと、男子生徒は視線を落としながら尋ねた。
「……返事って、いつくれる?」
「あなたの頑張り次第で早めに答える。でも今日はこれで。部活があるから」
そう言って、ユキはくるりと背を向けた。
──体育館の中。
誰もが言葉を失っていた。
ユキの背中には、誰よりも真っすぐな強さが宿っていた。
数分後。体育館の出口。
こっそりと扉を開けて外へ出ようとした四人の前に、すでにユキが腕を組んで立っていた。
「……聞いてたでしょ?」
「えへへ、バレてたか……」
「照れ笑いしてもダメ」
ハルが苦笑しながら、真剣な表情で尋ねる。
「で、どうするつもり?」
「保留にしたけど……断るつもり。今は、部活と、みんなと過ごすこの時間が一番大事だから」
その言葉に、全員がどこか安心したように微笑んだ。
「でもさ、自分から相手に“雪”を降らせることなかったんじゃない? ユキだけに──」
「……そのダジャレ、氷点下以下よ」
「……座布団、没収だね」
笑いが弾ける。
夕暮れの空の下、5人の笑顔が、影を重ねるようにひとつになっていく。
──そして彼女たちは、今日もまた、部活へと歩き出した。




