第九節 重なる日々、寄り添う心
十一月も半ばを過ぎ、夕方の空はすっかり冬の色を帯びていた。日が落ちるのが早くなっ
たことで、学校の下校時刻も繰り上がり、部活動の時間も限られてきた。
水泳部も例外ではない。プールの使用は可能だったが、日没に伴う制約から、十分に泳ぎ
込む時間が取れなくなっていた。現在は筋トレやランニング、基礎体力の強化が中心のメ
ニューに切り替わっていたが、部員たちの士気はむしろ高まっていた。
「じゃあ今日はこのメニューでいこう!」
部長の澪が声をかけると、部員たちは一斉に準備を始めた。
澪をはじめ、トレノのメンバーを含む部員たちは、限られた時間の中でも真剣にトレーニ
ングに取り組んでいた。
かつては軽い運動でも息を切らしていた部員たちも、今では肩や太腿に筋肉の輪郭がはっ
きりと見えるようになっている。もちろん、トレノの五人──さち、ハル、ユキ、リン、
まひろ──の体つきも、春とは比べものにならないほど引き締まり、筋力だけでなく持久
力や集中力も格段に伸びていた。
その成長を、澪は何よりも誇らしげに見守っていた。
部活を終え、下校の時間になると、トレノの五人はそのままリンの家のトレーニングルー
ムへ向かった。今ではそこが、彼女たちの“もうひとつの部活” になっていた。
その日も、部活とリンの家でのトレーニングを終えたさちは、心地よい疲労感を抱えなが
ら帰宅した。
「ただいまぁ……」
玄関で靴を脱ぎながら、ぽつりとつぶやく。
「今日のトレーニングも、だいぶハードだったなぁ……」
制服の上着を脱ごうとしたとき、キッチンから母・真由美の声が聞こえてきた。電話越し
の相手に、やや深刻な口調で話している。
……なにかあったのかな?
一度荷物を部屋に置いてから、さちはタイミングを見計らってキッチンをのぞいた。
「お母さん、誰と話してたの?」
「うん……ちょっとね。親戚のおじさんが階段から落ちちゃって、足を骨折したの。しばら
く入院になるらしくて……」
「えっ、大丈夫なの?」
「それでね、おばさん一人じゃ大変だから、今度の土日は私が様子を見に行こうと思ってる
の」
「
……そっか。じゃあ、お母さんが行くなら、私は一人でお留守番ってこと?」
「うん。でも、おかずは作っておくし、無理しなくていいからね」
「うん、大丈夫。なにかあったら、トレノのみんなに相談するし……」
さちはそう言って微笑んだが、その表情の奥に、ほんの少しだけ不安の色が浮かんでいた。
──土日、一人きりか。
ベッドに横たわりながら、天井を見上げる。
普段はなんでもないことなのに、いざ一人になるとわかると、心がざわつく。
翌日の部活。
トレーニングの合間、五人は自然と集まって週末の予定を話し合っていた。
「今度の土日、どうする? 天気良さそうだし、外で走るのもいいかも」
ハルが言うと、リンがふと首をかしげた。
「でも、さち……なんか元気ない?」
「えっ……あ、ううん。そんなことないよ」
慌てて笑うさちに、ユキが静かな目で問いかける。
「なにかあった? いつもより表情がかたい気がする」
そのまっすぐな眼差しに押されるように、さちはぽつりと口を開いた。
「
……実は、土日お母さんがいなくて。ひとりで家にいるの、ちょっと不安で……」
話を聞いた四人の顔つきが変わる。
「大丈夫? 親戚のおじさん、早くよくなるといいね……」
「それなら──」
リンがパッと手を挙げた。
「さち、うちにおいでよ! チームトレノでお泊まり会しよう! 私も一人だし、ちょうどい
いよ」
「おお、それいいね!」
「トレノ初のお泊まり会!」
「合宿みたいになるかも?」
「料理なら任せて! 最近ハマってるの!」
次々に飛び交う声に、さちは目を潤ませながら微笑んだ。
「
……ありがとう。ほんとに、ありがとう。なにかお土産、持っていくね」
帰宅後、真由美にそのことを伝えると、ほっとしたような表情でうなずいた。
「そう……よかった。じゃあ、おかずはちょっと多めに作っておくね。みんなで食べて」
「うん」
「さち、いい仲間に恵まれたね。お母さん、嬉しいよ」
その言葉に、さちは小さくうなずいた。
不安だった週末が、楽しみな予定に変わっていた。
どんな時間になるだろう。笑い合って、励まし合って、また一歩、強くなれる──そんな
気がして、さちは夜空を見上げた。
土曜の朝。冷たい風が冬の訪れを告げるように頬をなでる。
さちは荷物の最終チェックを終え、キッチンの真由美に声をかけた。
「冷蔵庫におかず、入れてあるから。温めて食べてね」
「うん、ありがとう」
「ほんとに大丈夫? ……じゃあ、行ってくるね。なにかあったら電話して」
「
……行ってらっしゃい。気をつけてね」
玄関のドアが閉まり、足音が遠ざかっていくのを見送ってから、さちも出かけた。
リンの家に着くと、すでにハル、ユキ、まひろが揃っていた。
「さち、来たー!」
「いらっしゃーい! 今日から“トレノ合宿” だよっ!」
「合宿って言うな~!」
笑い声に迎えられ、さちは自然と笑顔になった。
「じゃあ、アップから始めよう!」
リンが腕を回すと、ハルも構えた。
「筋トレ合宿、スタート!」
「だから誰も“合宿” って言ってないってば~!」
ベンチプレス、体幹トレーニング、サーキット形式の筋持久力トレーニング──内容は本
格的だったが、誰も手を抜かない。励まし合いながら、笑いながら、集中して体を動かし
ていく。
「ほんと、これ合宿みたいだよね」
「
……うん、なんか楽しい」
ユキのつぶやきに、みんながうなずいた。
夕方、トレーニングを終えると、今度は夕食の準備。
「うちのキッチン、なんでも揃ってるから任せて!」
リンがエプロンをつけ、まひろが手際よく副菜を準備する。
「私、炒め物やるね。リンちゃんは味噌汁お願い!」
「了解、隊長!」
「
…隊…長?」
まひろは微笑みながらも、やや照れたような表情を見せた。
一方、さち・ハル・ユキはテーブルを整え、真由美が作ってくれた煮物や卵焼きを温めて
並べていく。
「これ、さちのママの味だね。やさしい味がしそう~」
「ちょっと一口──だめ?」
「まだ早いっ!」
さちが箸を構えたハルの手を止めると、ユキが笑いながら「おあずけだね」とつぶやいた。
やがて準備が整い、それぞれが席に着いて手を合わせ、声をそろえる。
「いただきます!」
全員の声が揃い、トレノのお泊まり会の夜が幕を開けた。
食卓では、部活のこと、学校のこと、そして──
「ねえ、私たち……変わったよね」
さちがぽつりと言った。
「うん。小学生のときよりも、四月よりも……たしかに」
「部活も合宿も、大会もいっぱいあって……」
「練習もトレーニングも。筋肉もついたし!」
リンが二の腕を握ってみせると、笑いが広がる。
「まだまだだけど……でも、前よりずっと強くなってる気がする」
「やっぱり、毎日コツコツって、大事だね」
まひろが静かにうなずいた。
「じゃあさ──またやらない? トレノ記録会!」
ハルの声に、全員の目が輝く。
「クリスマスにやったやつ?」
「今年もやろう!パーティも一緒に!」
「トレノクリスマス、楽しみ!」
誰も反対はしなかった。
お風呂の順番をじゃんけんで決め、毛布を並べてリンの部屋に横になる。
「こうしてると、ほんとに合宿みたい」
「でも、合宿よりちょっと安心するよね」
「そうだね。ここ、私たちの場所って感じ」
誰かの言葉に、誰かがうなずいて、誰かが笑う。
筋肉痛になる朝が来るかもしれない。
でもその夜は、やさしくて、あたたかかった。
──大切な仲間と過ごす、初めてのお泊まり会。
夜は静かに、そして穏やかに更けていった。




