第六節 ひとつ上の舞台へ
十月半ば、朝の空気にかすかな冷たさが混じり始めた頃。
県内各地から選ばれた精鋭たちが集う、「県選抜強化大会」の本番がやってきた。
大会会場となるのは、県の中心にある大規模な屋内プール施設。観客席も充実したその場
所には、すでに多くの生徒と関係者たちが集まっていた。張り詰めた空気と熱気のなか、
出場者たちは黙々とウォーミングアップを続けている。
チームトレノのメンバーのうち、今日この舞台に立つのは──ハルとユキのふたり。
他の3人、さち、リン、まひろは会場のスタンドから応援に駆けつけていた。
「やっぱり……すごい人の数……」
スタンド席から見下ろしながら、さちは緊張したように言った。
周囲を見渡せば、筋肉のつき方からフォームまで、ひと目で「ただものじゃない」と分かる
ような選手たちばかり。雰囲気も市大会や県大会とはどこか違い、まるで空気そのものが
研ぎ澄まされているようだった。
「
……これが、県選抜強化大会のレベルか……」
リンが低く、でもワクワクを隠しきれないように呟いた。
「ハルとユキ、大丈夫かな……」
隣でまひろが心配そうに言うと、さちは小さく首を振った。
「ううん、あのふたりなら大丈夫。だって、ずっと一緒に練習してきたもん。今のハルとユ
キなら、きっと自分の力を出せるって信じてる」
その言葉に、リンとまひろも小さくうなずいた。
まもなくして、女子100mバタフライの招集がかかり、ハルがスタートブロックに立つ。
その顔は、まっすぐ前だけを見つめている。
私がここまで来られたのは、みんなとやってきたから。だから、今は──ただ、自分の泳
ぎをするだけ
合図が鳴り響いた瞬間、ハルは勢いよく飛び込み、水しぶきが四方に弾ける。力強く、し
なやかに水を切り裂くそのフォームは、見惚れるほどの美しさだった。
「速い……!」
スタンドから見守るさちたちが思わず声をもらす。
一度のターンを終え、最後の25mでライバルと並ぶ。だが、そこからぐんと加速し、一歩
前へ出た。
会場の空気が一瞬だけ静まり、そして──ゴール。
掲示板に名前が映る。
1位通過。予選突破。決勝進出。
「やった……!」
3人は立ち上がって拍手を送った。
ハルはプールの中から、控えめに手を上げて応えてみせた。
続く種目は、ユキの出場する女子100m背泳ぎ。
静かにスタート台に立つ彼女の姿は、どこか集中力が研ぎ澄まされていた。
冷静に。いつも通りのフォーム。あとは、迷わない
ピストルの音が響く。ユキが水中へ滑るように飛び込んだ。
ハルのような迫力ある泳ぎではない。しかし、ユキの強みは正確さとブレないリズムだっ
た。水面を滑るように、静かに、それでいて着実に進んでいく。
「
……ユキ、きれい……」
リンの呟きに、さちもまひろも同じように感じていた。
折り返し地点を過ぎてからも、ユキは一定のペースを保ったまま、少しずつ順位を上げて
いく。そして最後の5mで、他校の選手と完全に並び──わずかに前へ。
2位通過。予選突破。決勝進出。
「ふたりとも、すごい……!」
まひろの目が潤む。
張り詰めた空気のなかで、ここまで堂々と自分の泳ぎを貫ける──それが、心から誇らし
かった。
決勝までの空き時間。観客席のすみで、5人は短く言葉を交わした。
「見ててくれてありがとう。緊張してたけど、みんながいたから泳げたよ」
「決勝も、やれること全部やってくる」
ふたりの言葉に、さちは強くうなずいた。
「わたしも、もっと上手くなりたい。次は、あの舞台に一緒に立ちたいって思った」
「わたしも……!」
「私も……です!」
まひろとリンも声を合わせる。
それを聞いて、ハルとユキが笑った。
「じゃあ、次はみんなで行こっか。県大会の、その先へ!」
午後の決勝。ハルは一時トップに躍り出たものの、ラスト10mで一気に詰め寄られ、わず
かに届かず4位。ユキもまた、序盤はリズムをつかめず中盤から巻き返すも、6位という
結果に終わったが、5人にとっては間違いなく「前進」の一日だった。
強い選手たちと同じ空間で泳いだ経験、仲間と目指したその舞台。
すべてが、次の目標へとつながる糧になる。
秋の陽が窓の外に差し込む帰り道、さちは小さくつぶやいた。
「まだまだ、わたしたち、これからだね」
その言葉に、誰もがうなずいた。
未来へ──チームトレノは、またひとつ、次のステージに近づいた。




