335話 女の人って怖い
クラーラ・シャルマーは老女ロシェットの家を訪ねていた。
彼女はクラーラの母、ハイジアを看取ったお抱えの医師だ。高齢であり、またハイジアを救えなかったことを切っ掛けに引退し、政庁都市で余生を過ごしていた。
彼女の家を訪問し、簡単な前置きを挟んでからクラーラは本題を切り出す。
「カナンの遺言で、あなたから聞くようにと。
話してくれますね」
「はて、何のことでしょう」
ロシェットはそう答えた。
「あなたはもう呆けてしまったのかしら。
ではもう一度繰り返しましょうか。
カナンより、あなたから聞くべき話があると教えられました。
それで何もわからぬと言うのですか」
ロシェットは正面からクラーラの冷たい目を見つめ返した。
それは不自然なほどに真っ直ぐな眼差しだった。
何かを誤魔化そうとしている、クラーラはそう判断した。
「……そう、残念ね。
本当に残念。
やはりあなただったのね」
クラーラはそう言うと、棚に飾られていた一枚の姿絵を手に取った。
そこにはロシェットと息子夫婦、そして二人の間に生まれた幼い孫が描かれていた。
クラーラはトントンと、描かれた孫を指で叩いた。
ロシェットは血相を変えた。
「あれは、あれはカナンに命じられたのです。
私は何も悪くありません。
いえ、この老いぼれを責めるのならばいくらでも責めていただいて構いません。
ですが家族には――」
言い募ろうとするロシェットを、クラーラは手を上げて制した。
「私は真実が知りたいだけよ。
家族を守りたいのなら、真実だけを話しなさい。
嘘だと判断すれば、あなたが最も苦しむことをするわ」
「……はい。
カナンからは、何と?」
「質問を許した覚えはないわね。
立場をわきまえなさい」
冷たく見降ろされ、ロシェットは震えあがる。
そんな彼女の口からたどたどしく語られた話は、スノウの言ったことが正しかったと裏付けるものだった。
******
「それで、どうする?」
「どうとは?」
ロシェットの家から出て、護衛のアルが尋ねてきた。
シャルマー家にとって極めてデリケートな問題であるため、護衛はアル一人しか連れてこなかった。
「ロシェットだ。理由はどうあれ、先代を意図的に救わなかったのは間違いないだろう」
「何もしないわ、約束したでしょう。
彼女がカナンに逆らえるはずもないのだから、仕方がなかったのよ」
クラーラはそう言った後、頭を振った。
「いいえ、違うわね。
なんだか、どうでもいい気分なのよ。
カナンがずっと嘘をついていたことに比べたら、とてもちっぽけなことに感じられるの。
私は薄情ね」
母の仇を取ろうとしない。それに意義を感じられない。
そんな自分を嘲って、クラーラは言った。
アルは不器用な男だ。
幼馴染のそんな姿を見ても気の利いたことは浮かばない。
それでもクラーラが悲しんでいることだけは分かっていたから、思ったことを素直に口にする。
「泣きたいなら、泣けばいい」
「ふっ。余所の女に恋した男にそう言われてもね」
クラーラはそう言って笑った。
先代が急逝していなければ、殺されていなければ、二人は結ばれていたかもしれなかった。
だがその婚約はとっくに白紙になっている。
クラーラは結婚が出来ない。子をなせない。
それが若くして当主を継ぐための条件であり、幼いピーターが育つまでの一代限りの代役こそが、クラーラに許された当主としての地位だった。
「……すまん」
「謝らなくていいわよ。あなたには幸せになってほしいのだから」
そしてそれはそれとして、代役のままで終わらないためにもマージネル家とのコネが欲しいのだから。
クラーラは心の中でそんな勘定をしていた。
彼女はたくましい女なのだった。
そんな彼女をよく知るアルは肩をすくめて見せて、話題を変える事にした。
「それで、例の件はどうする」
そう言われたクラーラは、わずかに緊張した様子を見せ、それとなく周囲の様子を窺っていた。
政庁都市の騒然とした雑踏の中を歩きながら話していることで、会話の全てを盗み聞きできるものはいないだろう。
会話を聞き取れる位置取りで尾行を続けるような人間がいれば、アルが必ず気づく。
その信頼があって、それでもクラーラは自らも周囲を窺わずにはいられなかった。
「嘘をつかれていたことは真実でした。
でもだからと言って彼の話の全てが真実だと決まったわけではありません」
「……そうだな。
だが、もう信じているのだろう。
あいつらもそうだった。
中途半端が一番まずいんじゃないか」
「そうね。ええ、その通りよね。
それこそ彼らにとって私たちが邪魔になるかもしれないのだし」
クラーラは胃が痛くなる思いでそう言った。
この国を支える精霊様が現世の神となるべく、国民すべてを生贄にしようと目論んでいる。
にわかには信じられないが、クラーラはスノウの話を信じられると思ってしまっていた。
これは精霊様への叛意に繋がる考えだ。
名家の主であるからこそ、そんな考えを持っていると知られれば厳しい罰が与えられる。それこそ、クラーラの母のように。
だからと言って精霊様を信じ続け危険な思想を持つスノウを誅するならば、シャルマー家は一丸となって当たらなければならないだろう。
だがそれも無理な話だ。
カナンが去ったことで、クラーラの求心力は大きく損なわれている。
スノウたちと正面から戦争する力は今の彼女にはない。
さらにスノウと同じ考えを持つであろうエースも、クラーラが虚言を並べているだけだと証言し敵に回るかもしれない。
スノウを信じ、その上で何かしらの道を模索すると宣言したブレイドホーム家も、場合によっては敵となるだろう。
精霊様を信じたところでシャルマー家とクラーラに未来は無い。
スノウが口にした現状維持という言葉に、クラーラも大きな魅力を感じてしまう。
スノウの言葉が真実だとしても、すぐすぐ国民を皆殺しにする事は無いだろう。
この国は300年以上の間、発展を続けてきたのだ。
あと100年や200年、精霊様は時間をかけてくれるかもしれない。
自分が生きている間、あるいは自分が関わった人たちが死ぬまでは、これまで通りの生活を送れる可能性は十分にある。
そこまで考えてクラーラはため息を吐いた。
そうだとしても、いつかはその日が来る。
クラーラやアルは無事でも、その次の世代、次の次の世代が無事に済むとは限らない。
スノウの言った現状維持は、その日が来るのを遅らせるために尽力するという意味であって、何もしないという意味では無い。
結局のところ胃の痛い思いを抱えながら、日々を過ごすしかないのだ。
「おっさんにも話を聞いてみるか。おっさんは変態だが、有能だぞ」
変態と言われて、クラーラは真っ先にトール・ホルストを思い浮かべた。
それで正解なのだが、正解が分かってしまうことがちょっと嫌だった。
ホルストはカナンを失った今、クラーラにとって最も大事な後ろ盾である。
将来的なことを考えても普段から重用し、親密な関係でいなければならない相手だ。
だが――
「――いえ、止めておきましょう。
彼は昔から飄々としたところがありましたが、スノウ様の話を聞いた後では納得のいくところがあります。
あまり態度に出してはいませんでしたが、彼はスノウ様を嫌っています。
もしかしたら彼も、何かを知っているのかもしれません」
アルは難しい顔をして黙った。
「どういうことだ?
おっさんは仕事柄、ギルドとは反発しあうものだろう。
それとは関係なく、か?」
守護都市の財政に関わるホルストは金食い虫の軍や下請けのギルドとは対立しがちな立場であった。
軍やギルドからすれば何より大事な国防に金を出し惜しみをするなというのが言い分で、予算を割り振る側からすれば財源に限度はあるのだから節約できるところは節約してくれと言うのが本音だからだ。
「ええ。それに関しては隠してはいないわ。
それとは別の、もっと軽蔑に近い思いを彼が向けていたのを見たことがあるのよ。
その時はわからなかったけれど、今になってわかったわ。
彼もきっと、知っているのでしょうね。
そしてスノウ様とは別の考えを持っている」
「なら、なおの事――」
相談するべきだと口にしようとするアルを、クラーラは遮った。
「一年前のことを忘れたの?
彼は繋がっているのよ。
今の段階で信用するわけにはいかないわ」
「……」
「とりあえずは、胸の内にしまっておきなさい。
今の私たちにできることはそう多くない。
まずは力を蓄えなければならないわ」
アルという男は、クラーラが知る限り深く悩むことなく単純に生きる馬鹿である。
そしてクラーラが知らないところでも単純に生きている馬鹿である。
だからこそ答えの出ない問題に対して、もどかしい気持ちを抱いていた。
「それで、どうなる。
俺たちは何かをしなければならないんじゃないのか」
「機を待つのよ」
クラーラはそう言った。
「……機?」
「ええ。
スノウ様やエース様は動かなくとも、彼らは必ず動く。
その時に備えるのよ」
クラーラの言う彼らがどの家であるか、アルには良く分かった。
アルは単純に生きる馬鹿である。
アルに出来る事は戦う事だけである。
だからその機が来た時、アルは戦うことになるのだろう。
その家と、もっといえばその家の天使と。
あるいはその天使と、肩を並べて。
そんな未来を想像して、アルは胸を熱くさせた。
「そうだな」
「ええ、そうよ。それじゃあ帰ってお仕事を片付けましょうか」
「そうだな。早く帰ろう。俺はトレーニングがしたい」
唐突に元気になったアルを見て、クラーラは心の中でため息を吐いた。
色々あってご破算になった婚約だったが、何もなくても私は婚約破棄してただろうと、クラーラはそんな事を思った。
アルのことは決して嫌いではないのだが、人生のパートナーにはもうちょっと知的な方が良いのだった。
******
「セージ様のその御力を目の当たりにして、怯えた方は多いでしょう。
それは正しい事です。
あの方を畏れることは正しい事なのです。
あの方は終わりを告げる天使。
あの方の持つ力は、死の力。
生きとし生けるものが死を恐れぬ道理はありません」
狭く暗い部屋で開かれた集会で、主催者である美しい女性が良く通る声で集まった者たちに語った。
「ですが知ってください。
命とは、生きるという事は、死に向かって進むという事なのです。
決して避けられぬ終わりがあるからこそ、私たちは日々を懸命に生きることが出来るのです。
死を恐れてください。
あの方を恐れてください。
そして敬ってください。
命とは死があるからこそ輝くものなのです。
私たちはいつか死ぬ。
だからこそ限りあるこの命に意味を持たせようではありませんか」
女性は、シエスタは厳選したファンクラブのメンバーに語って聞かせる。
セージがどれほど素晴らしい人間かを。
セージのために生きることの素晴らしさを。
それはさながらカルト宗教の集会だ。
これをセージが望んでいないことを、シエスタは理解している。
だが同時に、必要な事だと判断していた。
シエスタはアベルと同様にスノウの言葉を信じると決めていた。
だがアベルにも言わないところで、スノウの隠し事にも気づいていた。
スノウは精霊エルアリアの目的を神になることだと語ったが、神になろうとする理由は語らなかった。
今の時点では推測することしかできないし、確証がない以上、話す価値がないと判断したのかもしれない。
全ての国民が生贄として殺されるのであれば、どんな理由であれそれを止めない選択肢は無いのだから。
だがシエスタはこう考えた。
スノウは精霊エルアリアの理由を知っていて、止められないと判断したのだと。
魔族の住む帝国とは荒野という緩衝地を挟むためにろくな交流も無いが、国家転覆の間者を送って来る事実上の敵対国である。
そしてその帝国には現世神である絶望を告げる魔女がいる。
魔女の恐ろしさは〈魔人伝〉という伝記風の物語でしか知らないが、神である以上、想像の及ばない凶悪な力を持っているのだろう。
それこそ竜よりももっと恐ろしい力を持っているに違いない。
精霊様に神の力がなければ、あるいはその魔女にこの国が滅ぼされてしまうのかもしれない。
あるいはただ精霊エルアリアが滅ぼされないためだけに、神の力を欲しているのかもしれない。
アベルは対話によって精霊様の心変わりを望んでいる。
それは正しい考えだと、シエスタも思う。
だが話し合いで解決できないのならば、誰かが神とならなければならないのであれば、シエスタにとってそれに相応しい人物はただ一人しかいない。
彼のためならばシエスタは喜んで生贄になるだろう。
「みなさん、死を称えましょう。
死を恐れましょう。
死は平等に訪れる最後の救済です。
その時を迎えるまで、日々を懸命に生きるのです。
皆で手を取り合って、祈りましょう。
セージ様はいつも命を懸けて、輝いています。
その美しさを称え、祈りましょう。
死は恐ろしく、孤独なものですが、死への道のりは決して孤独ではありません」
シエスタの言葉に酔い、信徒たちは静かに祈りをささげる。
これはあくまで保険である。
ただのファンクラブの集会として、アベルにも、そしてセージにも気づかれぬよう細心の注意を払って執り行っている。
無駄な手間暇をかけたと将来になって後悔するような保険だ。
シエスタはアベルの準備する話し合いが上手くいくことを望んでいるし、神様なんて生まれなくてもこのまま普通の日常が続くことを望んでいる。
だからこれはささやかな保険でしかない。
当てには出来ないようなちっぽけな保険だから、誰にも知られないように動いている。
本当に最悪の状況になった時に、この国の全てを精霊エルアリアに食べられるのが癪だから。
ただそれだけが理由だ。
それ以上の理由などない。
セージがそれを望むはずがない以上、みんなを犠牲にしてセージを神にしたいはずもない。
「さあ、祈りましょう。
天使セイジェンド様はいつもあなたたちを見守っています」
朗々と謡うシエスタの口元には妖艶な笑みが浮かんでいた。




