329話 表彰式の朝
その日の朝、ブレイドホーム家はバタバタと慌ただしかった。
その日に限らず朝はだいたい慌ただしいが、特に殺気立った朝だった。
もっと言えば、一人の少年が家から姿を消してからは殺気立った朝が続いており、その日はそれがピークに達していた。
「セルビア、はやく準備しなさい」
「いや、行きたくない」
「セルビアっ‼」
マリアに叱られて、セルビアはそっぽを向いた。
「いい加減に機嫌直せよ、セージが出れないのは仕方ないだろ。絶対安静って言われてるんだからよ」
「……それ、親父のせいだもん」
皇剣武闘祭決勝戦、そして閉会式が終わって、ジオが皇剣の座についてからさらに数日が経った。
今日は表彰式が執り行われる日だった。
セージは重傷の身体で無理をしたことが祟って、未だに退院には至っていない。
体力こそ順調に回復していたが、左腕も失ったままだった。
表彰式は皇剣武闘祭だけではなく、この四年間の戦士や騎士たちの戦績も表彰されるため、一日がかりの長い式典となる。
現状のセージが長時間、緊張を強いられる式典に出席することは望ましくなく、本人も希望しなかったことから欠席という扱いになった。
わずか十歳で皇剣武闘祭準優勝。加えてギルドにおける四年間の個人実績も国内最優秀と、皇剣の座に就くジオを除けば間違いなく最も表彰されるべき人物が出席できないという事態に対して、批判の声も上がった。
本当は大した怪我ではないのに式典が嫌で逃げたんじゃないか。
天使は竜討伐やワイバーン討伐の表彰式からも理由をつけて逃げていた。
精霊様に対する敬愛の念が欠けているのではないか、と。
実際に会場で試合を見たものはそんなことは口にしない。
だがセージが魔力の暴走供給を行った際、パブリックビューイングに映像を送る魔法が破壊された。
正確に言えば、その魔法を安定して起動するための機材が修理不可能なレベルで破壊された。
そんな訳で決勝戦の一番大事な決着のシーンが、安くない入場料を支払った観客たちに届かなかったのだ。
セージが最後に使った技がそれを引き起こしたという事は、公式発表こそされないもののひそやかに人の口から口へと伝わり広まっていた。
そのため彼らの不満が、セージに向かってしまったのだ。
ブレイドホーム家で開催したパブリックビューイング観戦者の中にも、不満を口にする者はいた。
街中ではもっと多くいて、彼らはブレイドホーム家に近しい者たちとは比べ物にならないくらい口が悪かった。
それらの言葉が聞く気はなくとも耳に入って来たし、なんでセージはそんな事をしたのと、セルビアたちが尋ねられることもあった。
ジオに勝つためとはいえ、国の大事な道具を壊すような技を使う必要があったのかと。
セルビアに答えられる事は無い。
むしろ彼女が聞きたいくらいだった。
なんであんな危ない技を使ったのと。
なんであんな技が使えるのと。
セージから避けられない死の予感を突きつけられたことを、セルビアははっきりと覚えている。
あれが何か特別な技で、セージがセルビアたちを殺そうとしたわけじゃないことはわかっている。
それでもその時に感じた恐怖が、胸の奥から消えないのだ。
それは初めてセージの戦う姿を見たときに感じた恐怖が、大きく強くなったものだった。
得体のしれない恐ろしいものが、何もかも殺してしまうような化け物が、誰も彼もを死に導く災いが、セージの中に潜んでいる。
かつてはそれを曖昧にしか感じ取れなかった。
成長したセルビアはそれをはっきり感じとれた。
このままだといつか想像もつかないようなひどい事が起きると、確信的な予感が生まれていた。
だからこそ誰よりもセージを恐れていた。
そしてそんな気持ちを否定したいからこそ、セージを悪く言われるのが許せなかった。
もっともだからといってセルビアに出来ることなど無く、
「私は行かない。病院に行く。セージのところにいるもん」
燻ぶった不満がこうして爆発することになったのだが。
「あっちにはマギーがいるでしょう。
セージだって、ジオが馬鹿なことしないかちゃんと見張ってとお願いしていたでしょう」
「それ嘘だもん」
セルビアは再びプイっと顔をそむけた。
昨日のお見舞いでセージがその嘘をついたときは、聞き分けのいい妹でいたいから――嫌われたくないから――わかったと答えたが、やっぱりわかりたくないのだった。
朝から表彰式の出席者として相応しい奇麗なドレスを着せられたけれど、それを見せたい相手は、着飾った姿を褒めてほしい一番の相手は、セージなのだから。
「わかったわかった。じゃあもういいよ。俺たちだけで行くから。勝手にしろよ、バーカ」
「はぁっ⁉ 馬鹿じゃないし、カインの方が馬鹿だし」
「ふざけんな馬鹿。お前のが馬鹿だろ。土壇場になってわがまま言いやがって、はっ倒すぞ馬鹿が」
そう口にしたカインは、マリアに後頭部をはっ倒されて顔面を芝生に埋めた。
「すぐに腕力に頼るな、馬鹿め。
セルビア。良い子だから付いて来て。
セージには表彰式が終わった後、みんなで報告に行きましょう。
セージが貰うはずだったメダルを、セルビアが渡してあげるの。
ね?
きっとセージも喜ぶから」
「人を殴っといてなに善人ぶってんだババア、ふざけんっ‼」
カインは再び庭に顔面を埋めた。
ただし今回は先ほどよりもクレータが少しばかり大きかった。
軽く地面が揺れるぐらいにはすさまじい勢いだった。
空気が震えるほどの衝撃だった。
これから表彰式に出席しなければならないカインは、ピクピクと危険な痙攣をした。
「ね? セルビア、わかるでしょ?」
マリアは笑顔だった。
ただその笑顔はとても引きつっていた。頬はピクピクと痙攣をしていた。
「う、うん」
身の危険を感じたセルビアは、頷くことしかできなかった。
少し離れたところでは、アールがやれやれと肩をすくめて一部始終を黙って見守っていた。
ちなみに声をかけようともしないそんなアールの姿は一緒に働く保育士たちにしっかり見られており、彼女たちからの評価をそれなりに下降させることとなった。
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一方そのころ表彰式の主役であり、セージたちブレイドホーム家の長であるところのジオは、ブレイドホーム家の喧騒から離れスロットを打っていた。
場所は建国から続く老舗のホテル〈エーテリアホテル〉、その遊技場である。
皇剣武闘祭優勝者にはこの歴史あるホテルに泊まる栄誉を与えられる。
ジオはエルアリアがうるさいこともあって――過去の大会ではジオが泊まらなかったためホテルの価値が上がらず経済損失が発生した――前日の夜からこのホテルに泊まっており、ほぼ徹夜でカジノに籠っていた。
なお新人戦優勝のカインも泊まるよう要請されていたが、本人が断った。
ジオがカジノで遊んでいるのかと言えば、そんな事は無い。
ジオはジオなりにセージの機嫌を取ろうと、金策に励んでいたのだ。
正直なところ、ジオにとって借金などというものは気が付けば誰かが押し付けてくるもので、そして気が付けば誰かが何とかしているものであって、わざわざ返そうと気合を入れるようなものでは無い。
だが一応、ジオも自分が作った借金がセージの負担になっていることは自覚している。
セージのご機嫌取りを考えるまでは意識することもなかったが、借金が自分の作ったものだという事はかろうじて理解していたのだ。
そんな訳で、ジオはギャンブルをしていた。
最初はジオもまっとうに働くつもりだった。
ジオの言うまっとうな仕事と言えば、魔物を殺すことである。
暇な時間を見繕ってちょっと外縁都市の一つである学園都市まで足を伸ばし、仕事をさせてくれとギルドの受付に言った。
やって来たのがジオだという事を理解したギルドスタッフからは――最初はこんなところに来るはずもないから、コスプレしてるだけのおっさんと思われた――ひどく婉曲に慇懃に丁寧に、それは無理ですと断られた。
ちなみにその説明をされている間、ジオは精霊エルアリアに怒られた。ものすごく怒られた。
ギルドスタッフの言葉が耳に入らないくらいの勢いで、エルアリアから何を考えているのさっさと帰ってきなさいと、罵詈雑言をぶつけられた。
そんなエルアリアの口汚い説教は脳内に直接届けられていたので、ギルドスタッフには聞こえていない。
ギルドスタッフにはお断りの言葉を黙って聞いているジオの眉間が、ちょっとづつ狭まっていくのが見えただけだった。
対応したギルドスタッフの胃に大きなダメージはあったものの、ジオはその説明を聞き入れて渋々と政庁都市に戻り、政庁都市のギルドに入って再度、怒られることになった。
政庁都市のギルドでも学園都市と全く同じ説明をされて、ジオはなぜ仕事が出来ないのかと首をひねった。
俺はもう皇剣だから引退じゃないだろうと。
そんなこんなで揉めていると、ギルドにスノウが現れ、ジオが仕事できない&しても給料がもらえない理由はセージにも話してあるので、わからないなら聞いて来てと言われた。
ジオはギルドで働くことをきっぱりと諦めることにした。
そんな訳で、ジオはギャンブルをしているのである。
遊んでいるのではない。
お金を稼ぐためにやっているのだ。
だから何も悪くは無いのだ。
同じホテルに泊まっている――時期的に国内有数の重要人物――からは大事な式典の前にギャンブルに興じる不心得者としか映っていないが、本人的にはとっても真剣なのだ。
「む」
ジオは唸った。
スロットはチップを飲み込むばかりで、吐き出す事は無い。
金が欲しい時の賭け事は負けたことが無いジオだったが、昨晩からどうにも調子が良くなかった。
完全お小遣い制のジオだが、今は手元にそれなりの大金がある。
皇剣武闘祭の優勝賞金は各種勲賞の副賞と同時に、表彰式の際に手渡されるためまだ受け取っていない。加えてジオ(とセージ)の賞金はそもそも差し押さえが決まっているので、それではない。
ジオは皇剣武闘祭で、自身の優勝に賭けていたのだ。
武闘祭出場者が賭ける場合、八百長の疑いを避ける意味でも自身の勝利にのみ賭けることが出来る。ジオはそれを知っていたわけではないが当然、自身の優勝に賭けていた。
決勝戦の組み合わせが決まってからジオの優勝に賭けたのであれば、その払戻し額はほぼほぼ一倍となっていたが、ジオは賭けが始まった武闘祭組み合わせ発表初日に賭けている。
それも自身の優勝だけではなく、16人全員の順位を予想し、それを的中させていた。
セージが現実味がないと見送り、予想のしやすさと払戻し倍率を勘定し3連単に賭けたのに対して、ジオは16連単の、それも一点買いをしていた。
16連単は当たるはずのない夢を求めて賭けるものだが、しかしお祭りという事で多くの国民がその夢にベットしていた。
そして夢を見事、完璧に的中させたのはジオだけだった。
払戻金額は優勝賞金を大きく超える額となっていた。
その額は日本円換算にして、およそ10億円。
それだけのお金をジオは手に入れていた。
そして今、ジオは日本円換算にして1億円を持っていた。
一晩で十分の一にはなってしまったが、まだ1億円――正確には百万円相当のチップ百枚――も持っているのだ。
元手がそれだけあれば十分だと、ジオは出の悪いスロット台から立つ。
ジオは生粋の戦士だ。
人形を相手にするよりも生きた魔物や人間を相手取る方が得意だ。
つまりはスロットマシンよりもポーカーやブラックジャックの方が得意なはずだ。
そう思ってカードエリアに意識を向けると、朝の早い時間だというのに人だかりができていた。
「む」
ジオは何やら嫌な予感を覚えた。
人だかりの中心に何だか知っているような魔力を感じたからだ。
しかしあまり記憶力がよろしくないジオはその小さな魔力が誰のものかとっさには思い出せず、怖いもの見たさもあってそちらに足を向けた。
負けが込んでいたので気分転換に何か面白そうなものを見たいと思ったのもある。
「おや、英雄様も美女の姿を拝みに来られたのですか?」
ブラックジャックのカード台を囲むギャラリーの一人が、ジオにそう声をかけた。
「いや、人だかりが気になっただけだ」
美女という単語に嫌な予感を刺激されたジオは本心からそう答えたが、ギャラリーはそうは取らなかった。
「ははは、そういう事にしておきましょう。おや、ちょうどワンゲーム終わったようですね」
そう言っている間にギャラリーたちは英雄ジオを気遣って二つに分かれ、カード台までの道を開いた。
ジオの眼にはまず艶やかな黒い髪の女性の後ろ姿が入った。
次いで、それと対峙する青い顔のディーラーが映る。
「む」
ジオは嫌な予感の正体を知った。
そしてそろそろ表彰式の時間だからホテルを出ようと思った。
表彰式はカジノに籠って逃げようと思っていたが、それは良くない事だと思ったのだ。
そう思ったのだが、ジオがその場を離れるより早く、黒髪の美しい女性は振り返って微笑みを浮かべた。
それはとても美しい笑みで、ギャラリーが一斉に見とれてしまうほどだったが、ジオは怖いとしか思わなかった。
キレてる時のセージによく似ているとしか感じなかったのだ。
「奇遇ですね。ご一緒にいかがでしょうか。
席には私一人で、寂しく思っていたのです」
「いや、遠慮しておこう」
ジオはそう言って、その場から戦略的撤退を図った。
ルヴィアの台の上にはジオも持っている高額チップが山と積まれており、さらには見たこともない黄金のチップ――本来は特別なイベントでのみ使われ、実質展示用となっている一枚一億円相当(日本円換算)のチップ――が三枚ほど置かれていた。
「そう、残念ですね。
それでは次のゲームを」
ルヴィアはジオから視線を切ると、ディーラーに艶然と微笑みを向けた。
ディーラーは蛇に睨まれた蛙のような情けない顔でカードをシャッフルする。
この日、ルヴィアはジオがカジノに落とした大金のほぼ全てを回収し、めでたく政庁都市全てのカジノから出禁となるのだが、それはジオやセージのあずかり知らぬ話であった。




