328話 最近全然うまくいかない
マギーが目を覚ますと、見慣れない白い天井が目に入った。
頭痛をこらえながら、その違和感にぼんやりと考えを巡らせる。
そうして国立病院に入院したことを思い出した。
家族の中でセージと同じ血液型だったのはマギーだけだった。
輸血は決勝戦の日だけではなく、その日以降もおこなった。
その輸血はセージに血を補給するためのものではなく、魔力の回復を促すためのものだ。
マギーは毎日セージに血を与えるため、国立病院の同じ部屋にセージと一緒に入院していた。
重い頭でそこまで思い出し、カーテンで仕切られたベッドの向こう側に顔を向ける。
隣のベッドにはセージが眠っている。
初日の夜は、少しだけ怖かった。
夜中、感情のない目をしたセージが、自分を見下ろしている夢を見た。
その手には武骨な刀が握られていた。
飛び起きて恐る恐るカーテンをめくり隣のベッドを見れば、セージは苦しそうな顔で眠っていた。
マギーは濡れたタオルでセージの寝汗をぬぐい、自分のベッドで眠った。
次の日からは、もう怖いとは思わなかった。
悪い夢も見なかった。
マギーはベッドから降りると、立ち上がって伸びをする。
貧血気味の体は軽いめまいを起こし、マギーはベッドに腰を下ろした。
「しっかりしなきゃ」
マギーは頬を叩いて気合を入れる。
鉄分の多い食事をとり、食後は造血剤も飲んでいる。
セージにはこれまで何度も助けられている。
ようやく助けられる機会が来たのだから、ちゃんとやりたいと思っていた。
「おはようセージ」
マギーはそう言って、カーテンを開ける。
この数日間、セージが目覚めることは一度もなかった。だから今日もまだ寝ているだろう。
左腕を失ったセージの姿は痛々しいが、しばらくすればそれも治せるとお医者さんは言っていた。
セージには悪いが、これを機にしばらく休んでもらいたいと思っている。
セージが普段どれくらい稼いでいるかはよく知らないが、皇剣武闘祭の優勝賞金は新聞で見て知っている。
あれだけのお金があれば一生遊んで暮らせるだろう。
優勝賞金は父のお金だが、セージには準優勝の賞金がある。それだけでも大金だろうし――準優勝の賞金額はよく覚えていない――父のせいでこんな大怪我をしてたのだ。
普段から父はセージに面倒ごとを押し付けているんだし、賞金の半分くらいはセージにあげても罰は当たらないと思った。
ちなみにセージは当然の権利としてジオの賞金を全額奪っていくのだが、それはまた別の話である。
ともあれ借金のことを未だに知らされていないマギーは、これからはゆっくりと静かな生活をしてほしいななんて思いながら、セージにおはようの挨拶をした。
「あれ……?」
ベッドはしかし、空になっていた。
「ええぇぇぇえええええええっ⁉」
マギーの絶叫が病院中に響き渡り、セージを死なせるなと厳命された多くの病院関係者が駆けつけ、大騒ぎになる。
マギーは気づかなかったがベッドの脇の小さな机に書置きが残されており、そこにはこう書かれていた。
散歩に行きます。探さないでください、と。
マギーに病院関係者、そして見舞いに来たセルビアやカインたちは血眼になって探したが、セージの姿は見つからなかった。
******
セージが病院を抜け出して何をしているかと言えば、不法侵入である。
それはこの国で最も警備が厳重で、最も重要な施設である。
つまり精霊エルアリアの鎮座する政庁特別区域である。
セージは暴走供給の反動から魔力が行使できない。
そして魔力が行使できないため、体も治せていない。
失った左腕はもとより、決勝戦で負った傷も治っていない。
外科的な治療は行われたが、体力の消耗を避けるため治癒魔法はほとんど使われなかったのがその理由だ。
そんな体を押して、精霊エルアリアが鎮座する皇宮へと忍び込む。
ただの子供同然の肉体は痛みで悲鳴を上げている。
それでも止めなければと、セージは向かった。
セージの魔力感知は、神の眼は、世界から望む情報を授かる権能である。
そこに魔力の行使は必要ない。
封じられた神の眼は十全にその権能を発揮する事は無いが、空間の把握とその場の人間の意識の方向性ぐらいは簡単に読み取れる。
セージはその小柄な体で、這うような速度で、目的の場所へと進み、
「――止まれ。殺すぞ」
最強の皇剣ラウドに、行く手を阻まれる。
場所は皇宮手前の庭園。
侍従や警備の眼を盗むことはできても、その男からは逃げられなかった。
「あなたには無理だ。
どいてください。
ジオを止めないと」
セージはあえて尊大にそう言った。
時間はもうないのだ。
最短で目的の場に割って入るには、ここは押し通るしかなかった。
それが絶対に不可能だとわかっていても。
「親父とは呼ばないのか」
脇を抜けようとするセージの体を、ラウドがその武骨な手で押しとどめる。
「どうでもいいでしょう。放してください」
「お前はいったい誰だ。
俺は、お前を殺すべきなのか」
ラウドはそう言った。
それはセージだけでなく、己の中にいる精霊に問いかけた言葉だった。
セージは精霊を殺しうる危険な存在だ。
セージは人格者だと言われ、ラウドもそう思っていた。
だが決勝戦を見た後は、あの時の死の気配を感じた後は、それが酷薄な本性を隠す仮面のように思えてしまっていた。
精霊からの返事は無かった。
「あなたには無理だ」
答えを返したのはセージだった。
それが強がりなのはわかりきっていた。
ラウドの手を払おうとするか細い力は見た目通りの子供のものだ。
押し通れないのは誰よりもセージ自身が分かっているのに、それでも諦めようとしない。
これだけを見れば、思い通りにならないことに駄々をこねる見た目通りの子供だ。
ラウドはセージを芝生の上に転がし、その体を足で抑えた。
体重はほとんどかけていない。ただ置いた足が動かないようにしている。
それだけでもセージは跳ねのけることも、這い出ることもできない。
セージの体は立って歩くも困難なほどに損耗しているのだ。
「馬鹿な奴だ。
そんな体で何が出来る。
おとなしく寝ていればいいだろう。
あれも馬鹿だが、お前と違って大人だ。
自分の面倒ぐらいは見れるぞ」
「大人にだって、助けはいるんですよ。
ジオは馬鹿だから、馬鹿な事をする前に止めてあげないといけないんです。
あなたは、皇剣になって後悔した事は無いんですか」
「それを問うか、今ここで。
もとより許しなくこの場に立ち入った時点で、お前の首は撥ねても構わんのだぞ。
不敬を重ねるなら、殺す」
ラウドはセージに殺気を当てた。
それは周囲に漏れるものでは無かったが、それでも空気は変わり、遠目に様子をうかがっていた侍従たちが悲鳴を上げた。
「優しいんですね」
「何?」
「私なら、そこまで念入りに警告はしません。スノウも、おそらくはしないでしょうね。
あの人からの警告はもう受け取りましたから」
ラウドはしばし無言になる。
殺したいかと言えば、殺したくはない。
ただここで殺すべきではないかという、迷いがある。
セージは面白いやつだが、ひどく危険な子供だ。
殺してしまった方が憂いは無いのかもしれないと、そう思う。
だが同時にセージの物言いも気になっていた。
まるで殺してほしいような、殺されれば何かが起きるような、そんな狙いを感じ取っていた。
セージの狙いとは死に戻りによる魔力回復だった。
もっとも魔力が回復したところで、それを操る力は傷ついていてどうにもならない。
セージもそれはわかっていたが、それでももう他に手がなかった。
何かが起きるかもしれない、そんな希望的観測にすがった無様な悪あがき。
体も精神も限界を超えているセージに、この状況を打開できるだけのまっとうな策などなかった。
あるいは決勝戦の最後に受けた理不尽な暴力で生死の境をさまよっていなければ、口先でラウドを丸め込め、その場に割って入ることもできたかもしれない。
馬鹿な男の通訳をすれば、精霊も気が変わったかもしれない。
だがそれは訪れなかったもしもの話。
セージは何もできず、タイムリミットを迎えた。
「どうした?」
足の下からの抵抗がなくなり、ラウドがセージに疑問を落とした。
「……なんというか、馬鹿馬鹿しくなりましてね。
もう寝ます、お休み」
セージはそう言うと、意識を失った。
ラウドは足をどけ、セージを抱き上げてその容体を確認する。
消耗は激しいが、命に別状はなさそうだった。
限界を迎えて失神するのを予告するとは変な奴だと、ラウドは改めて思った。
そんなラウドに声がかけられる。
「何をしている」
そう問うたのは、皇宮から出てきたジオだった。
******
「――それが、お前の望みか」
「ええ。
力を貸しなさい、ジオレイン。
あなたにとっても益のある話でしょう。
神に抗う力を手に入れることは。
あの時、あなたは何もできませんでしたね。
それは恥ずべきことではありません。
あの瞬間、かの少年は確かに現世神の力の一端を使いました。
あれはあらゆる魔法を消し去る最悪の力。
ですが私の力を得れば、あなたはあれに抵抗できる。
それにカナンを見たでしょう。
あなたはこれから老い衰えていく。
かの少年が成長し、力を身に付けるのとは逆に。
私の力があれば、それを先延ばしにできる。
ええ。この国のために、私のために忠義を尽くしなさい。
それがあなたにとっての最善です」
言葉を重ねるエルアリアを前に、ジオは黙ってその手を見る。
「お前の力ならば、神に届くのか」
ジオの問いを、エルアリアは否定する
「私だけでは届きません。
あなたもまた、届きはしない。
だから力を合わせるのです。
契約をしなさい、ジオレイン。
このエルアリアと――」
「いいだろうエルアリア、俺はこの国の敵と戦う。
力をよこせ」
「――いいでしょう。
ジオレイン・ベルーガー。
契約を結びます」
かくて守護都市〈ガーディン〉の皇剣ジオレイン・ベルーガーは生まれた。
皇剣ジオの最初の仕事は、重要人物である息子を病院に連れていくことだった。
病院に運ばれたセージは順調に回復していたはずの体がひどく消耗しており、それはとりあえずジオのせいだという事になった。
容疑者であるところのジオは俺は悪くないと抗弁したが、彼と被害者であるセージをよく知るブレイドホーム家の子供たちは、ジオが悪いに違いないと口をそろえて証言した。
そんな訳でセージの快復が遅れる責任はジオだけに生じ、病院関係者が責められる事は無かった。
そしてジオは皇剣になったので、責められるのは家の中だけで済んだ。
なお、これが原因で長期入院が確定したセージは表彰式――皇剣武闘祭およびギルドでの四年間の実績報労の式典――の出席が不可能となり、この国で一番偉いはずの女性がほっと胸をなでおろしたりしたのは、余談である。




