326話 死にたくない
試合は竜に挑む皇剣の様相を呈した。
カナンは守護都市の皇剣として精霊から無尽蔵の魔力を引き出し、すべての分身体に己と同等の――いや、それ以上の魔力を注ぎ込んだ。
純粋なマルチタスク能力で言えば老齢のカナンはセージに劣っていた。
しかし〈臣出騎没〉の練度においては一日どころではない長があった。
分身体にイメージしたものは全盛期の、竜を狩った時の姿。
鮮明にイメージされたそれは土くれなどではなく、人間の色と質感を持って剣を振るい、生み出された竜に挑んだ。
それは時に大衆娯楽の舞台の演目で、立派な美術館の大きな絵画で、あるいは歴史の教科書で、そして人の口で伝えられる竜に挑む在りし日の最強の皇剣の姿だった。
上級上位の魔力をまとって襲い掛かるカナンたちを、ジオが生み出した竜が迎え撃つ。
聖域を持つジオにはセージにも匹敵しうる空間把握能力がある。
だがそれを十全に使いこなすだけの能力はジオにはない。
自身の分身体を作ったとしたらそれを動かすのが精いっぱいで、自身が刀を振るうことがおろそかになってしまう。
そんなジオが竜を操れるのは、その動きをよく知っているからだ。
竜とは三度戦った。
一度目はまるで歯が立たず、腕ごと刀を飲み込まれて殺されそうになったところを得体のしれない男に助けられた。
二度目は三人の皇剣との死闘を超え、なお猛り狂うその首を半死半生で切り落とした。
三度目は息子たちに痛めつけられ、弱っているところを刈り取った。
竜は本当の意味でジオを殺しうる敵だった。
かつてジオは、そんな敵こそを待ち望んでいた。
恋焦がれるその相手の一挙手一投足を、ジオはよく観察していた。よく理解していた。
竜はどんな状況でどう動くか、鮮明なイメージがあった。
だからカナンやセージがやるように、一体ぐらいならセミオートで竜を動かすことが出来た。
そしてセージとの試合を経て、不出来ながらもセージの俯瞰視座も獲得しつつもあった。
生み出された竜が暴威を振るう。
竜の雄たけびに、吐き出す火球に、客席保護の結界が悲鳴を上げる。
竜は客席とか気にしないはずだというジオの思い込みがあったせいで、それらは精霊やラウドが頑張らなければ大惨事を引き起こすところだった。
ジオもその二人を信用していたからこそではあるが、とにもかくにもジオは竜と共に大暴れをした。
なお観客も精霊様を――ついでに最初にやばいのを天井に逸らしたジオのことも――信頼しているので、無邪気にド派手な決闘を楽しんだ。
もともとジオは周りや相手を気にして戦うのは苦手だ。嫌いだと言っても良い。
それでもそうしていたのは、相手を殺さないと誓っていたからだ。そしてジオの試合をセージや他の子供たちが見ていたからだ。
だがそれらを気にしなくていい相手との決闘ということで、ジオは大変ご機嫌だった。
そこには観客や精霊はもとより、カナンへの配慮もない。
そしてそれこそがカナンが求めていたものだった。
「はっはー。好き放題やるのう、ジオ」
竜に、そしてジオに立ち向かうカナンは興奮を顕わにして笑った。
作られた竜は当然、本物には及ばない。
純粋にジオの魔力だけで作ったものであれば、すぐにでもカナンに狩られただろう。
魔力供給を受けられないジオが込められる魔力量は上級上位の魔法一発分程度だ。
それは当然のことながら上級上位の戦士や魔物と比べて、大きく劣る。
竜はカナンの分身体の一つと刺し違えることが出来れば、御の字の質になるはずだった。
だがジオの聖域は竜を本物に大きく近づけていた。
現世神の子という、本来この世界に生まれるはずのなかった異物であるジオには、魔法よりも強く世界を騙す力がある。
そうして騙された世界はジオの生み出した竜に力を与えた。
それは本来の竜に与えるほどのものでは無い。
だがそれでも上級上位の魔物と見まごう程に、竜は凶悪な力を発揮した。
分身体の一つは竜の翼を切り裂き、火球に焼かれた。
分身体の一つは竜の足に剣を突き立て、その足に踏みつぶされた。
分身体の一つは竜の目を貫き、かみ砕かれた。
上級上位の魔力を持つ分身体が、竜に傷一つを与えてその身を失っていく。
だが、それで良いのだ。
カナンの臣出騎没は使い捨ての強者を大量生産できることこそが強みだった。
昔は、それで良かった。
分身体は次々に倒れ、最後の一体が刺し違える形で竜を討った。
互いに無傷な形で、ジオとカナンは向かい合う。
ジオは血を流した。
カナンは準備していた血を失った。
単純な事実を並べればそれだけ。
それだけであるのに、勝利の機運ははっきりとジオに傾いている。
それはともすればセージとの決勝戦にも似ている。
セージとの試合を経てなおジオには体力と魔力に余裕があり、カナンには自らの血を流すだけの余力すらない。
カナンの血はもはや半ば以上が幻想の産物。
触媒としての力は他人の血よりも衰えていた。
そしてカナンの体力と気力は、もうすでに限界が近い。
全盛期に近い魔力量の分身体を生み出すことも、それを操ることも、カナンにとっては限界を超えて力を振り絞らなければならない技だった。
そしてそれは結局、ジオの技と相打つだけに終わった。
「かはっ、歳は取りたくないのう」
「……」
カナンは自らを嘲り、ジオは何も言えずに刀を構える。
首を落とすべきか、待つべきか、そんな悩みを抱えて。
「ふん。あのジオが、甘くなったもんじゃ。そうも弱くなっておらねば、あんな醜態は晒さんで済んだじゃろうに。哀れなもんじゃな」
「黙れ」
カナンが何を指して言っているのか、ジオには痛いほど良く分かった。
「黙らんよ。お主は悪鬼じゃ。それは死ぬまで変わらん。
お主はあの子のようにはなれんよ。
今は平穏な毎日にひと時の安らぎに幸福を感じても、いずれは全てを壊したくなる。
あの子を殺せるか試したくなる」
儂と同じようにと、カナンは言った。
「デイトを見て、お主も羨ましかったじゃろう。
死ぬならああいう最期が良い。
ああ、あれが戦士の死にざまじゃ」
「黙れ‼」
ジオは踏み込み、刀を振るった。
カナンは反応も出来ずに首を撥ねられた。
カナンの首が宙を舞い、観客が悲鳴を上げる。
首だけになったカナンは、笑った。
カナンは一年前にデイトの変貌を見て、一つの希望を見出していた。
彼は長く生き、そして多くを知っていた。
肉体がなければ魂は保てない。
魂がなければ魔力は保てない。
魔力がなければ肉体は生きていられない。
それがカナンの知っている常識だった。
だがそれは誤りなのかもしれないと、疑いを持った。
それは一縷の希望か、悪魔の囁きか。
デイトは魔力だけで偽りの肉体を作り、弱体化した。
だが〈臣出騎没〉を極めたカナンならば、もっと上手くやれる。
首だけでまだかろうじて命を繋げるカナンは、文字通りに命懸けで精霊からの魔力供給を全力で引き出す。
それはかつてケイに無理やり行われた暴走供給に似たものだ。
違うのはカナンの意思で引き起こされたという一点のみ。
健常なカナンの体にも入りきらぬほどの――上級上位を超えた、ジオと同等の――特級の魔力を引き出して、留める。
その先は老いた体ではない。
それとはもう別れを告げた。
かつての体は半ば以上が幻想であった。
ならばもはや体などなくとも己は生きると、カナンはその意思を通す。
首から下の体を触媒にして、カナンは生前の、全盛期の姿を作り出す。
それはカナンが理想とする臣出騎没の究極形。
それは自らの手足となって動く分身ではない。
それは新しい自分となるに相応しい体だ。
本音を言えば、カナンは死にたくなどないのだ。
もっと生きて、もっと戦いたい。
そのために若々しい肉体が欲しかった。
そのための肉体を、カナンは作り上げた。
あとは己がそれに宿るだけ。
サニアに寄生する精霊のように。
己も若さを取り戻して、もう一度人生を歩むのだ。
かつての輝かしい日々を、もう一度手に入れるのだ。
そんな夢を思い描いて、カナンは死んだ。
******
宙を舞ったカナンの首が地に落ちて、その命は失われた。
ジオはしかし、刀を収めることなかった。
その切っ先はカナンが最後に作った人形に向けられている。
その人形に魂は宿っていない。
だが特級相当の魔力を内包し、その魔力はジオに敵意を向けていた。
「馬鹿な奴だ」
カナンが何をしたかったのか、ジオにはわからない。
老いと戦いながら、かつての栄光と強さと血の湧くような戦いを求めたカナンの苦悩が、ジオにはわからない。
逃れられない死と向かい合って、わずかな希望にすがったカナンの弱さが、ジオにはわからない。
ジオにわかるのは、目の前の人形があの時のデイトを真似して生み出されたものだという事くらいだ。
デイトとの違いは、それには壊れた魂すら入っていないこと。
人形はただの人形でしかなく、込められた妄執に従ってその無念を晴らす実体を持った悪霊であった。
カナンの人形が、カナンの剣を手にとってジオに襲い掛かる。
人形は剣を振るい、ジオの刀と打ち合う。
剣戟の音は響くことなく、剣は刀をすり抜けてジオの体を切り裂いた。
それはセルビアがミケルに見せた技に似ている。
手首の返しを利用した剣筋の揺らぎで、打ち合いを躱したのだ。
人形はジオと対等な特級相当。精霊の魔力が基となっているため、聖域による能力ダウンもない。
久しぶりの対等な速度の相手ではあったが、それだけでミスを犯すほどジオは甘い戦士ではない。
見えていたのに、とっさに反応できなかった。
それは無我の境地に入ったセージの動きにも似ていた。
剣気や殺意の乗らない自動的な攻撃だから、感覚的な先読みが機能せず、反応がわずかに遅れてしまうのだ
胸元を裂かれたジオだが、その傷は深くはない。
気合でその傷をふさぎ、なお踏み込んでくる人形を迎え撃つ。
間合いが近すぎるため互いに武器は満足に振るえない。
人形は拳を、ジオは足を振るう
ジオの蹴りは空を切り、人形の拳はジオを捉える。
わずかにのけぞったジオは、驚きを隠せず人形の追撃を躱す。
やりにくい。
人形の技が先読みできないだけではない。
振るわれる技そのものにジオは脅威を感じた。
予備動作のない真っ直ぐな拳。
かと思えば弧を描き死角から蹴りが飛んでくる。
それらを避けて生まれた隙を突こうにも、隙など生まれていない。
流れる川のように延々と、絶え間なくジオを殺すための技が繰り出される。
ジオは防戦一方になって人形の猛攻を耐えた。
ジオは人形の技を美しいと思った
それはカナンの人生が詰まった技だった。
当千カナンの代名詞である〈臣出騎没〉は、カナン以外にまともな使い手のいない技だ。
無限の魔力を持つ皇剣でなければ、そもそも〈臣出騎没〉を使う意味がない。己と同等の魔力を分身に込めてしまえば、己自身の魔力が半減してしまうのだ。分身をうまく使いこなせたとしても、そのデメリットはあまりに大きすぎる。
だが最強を冠したカナンに憧れた戦士に、そんな合理的な理由は無粋でしかなかった。
格好良いから使えるようになりたい。
そんな理由で〈臣出騎没〉に手を伸ばした戦士たちは多い。ジオやデイトもその一人だった。
だが彼らには使いこなせなかった。同種の技である飛翔剣を使いこなすラウドにもだ。
カナンは無意識に最適な技を反射で出せるよう血の滲むような努力を積み重ねていた。
それと同じことはデイトやラウドもやっていたが、彼らとは年季が違う。
生きてきた百三十年の大部分を剣を振るうことに費やしたカナンの技は、極めた無数の型は、幾千万の戦術は、確かにジオを超えていた。
ただの人間の努力は、その集大成である人形は、神子という人知を超えた男を圧倒していた。
ジオは人形の技を美しいと感じ、そして悲しいと感じた。
その人形にカナンの魂が宿っていないことを、悲しいと感じた。
人形の剣がジオの首を狙う。
それをジオは躱さなかった。
人形の剣は、ジオの首を撥ねることはできず、薄皮一枚を切って止まった。
人形の手首が、技の反動で砕けて剣を落とす。
それでも人形は流れるような無駄のない美しい動きで、次を繰り出す。
「もういい」
ジオは人形の技を片手で払った。
人形は体勢を崩して転がり、立ち上がろうとして足から崩れた。
魂のない人形では魔力を留めておくことはできない。
特級というジオに互する魔力を有していたのは、最初の数合だけ。
技を振るうたびに、人形からは魔力が抜け落ち、速度も力も失っていた。
人形がジオを圧倒できたのは、ジオが人形に合わせて肉体の強化を抑えたからでしかなかった。
急速に魔力を失い衰える人形に、ジオはデイトの死に際を思い出し、そしてカナンが恐れていたものを垣間見た。
「すまんな」
ジオは刀を振るった。
人形は躱そうとした。
だが出来なかった。
人形は斜めに切り裂かれ、土くれに戻る。
「お前は強かった、カナン」
地面に転がるカナンの首は、魔力を失い干からびて骨と皮だけになっていた。
その首に向けて、ジオはそう言った。
カナンが全盛期の肉体と魔力を持っていれば、あるいはジオは負けていた。
だがそれはあり得ない仮定だ。
カナンは己を磨き上げながらも老いには勝てず力尽き、最後に残した人形もジオに技を見せる事しかできなかった。
憐れみと恐れが込められたジオの声は、とても悲しい音を響かせた。




