325話 老騎士の願い
カナン・カルムという男は生粋の騎士であった。
貧民街に生まれ落ちた彼は物心つく前にシャルマー家に保護され、多くの兄弟たちと共に道場で武の技を叩き込まれた。
その生活に疑問を抱くことはなく、血と汗を流して己を鍛え、幼いころから多くの魔物を狩っていった。
そうして大人になって道場主に、そしてその主人の家にも認められて皇剣武闘祭に出場し、優勝を果たして守護都市の皇剣となった。
孤児だった彼は、拾ってくれたシャルマー家に恩を返すことが生きがいだった。そう思うように育てられた。そしてその恩返しの手段こそが戦うということだった。
だがシャルマー家はカナンが五十になるころには、もう恩を返せとは言わなくなっていた。
シャルマー家からは彼を薄汚い孤児だと侮蔑の眼差しで見る大人たちはいなくなっていた。
八十になるころには、もう戦わなくていいと言っていた。
その頃にはシャルマー家を取り仕切るのは彼にとって子供や孫のような者たちだった。
子供たちは後進を育ててくれれば十分だと、ここまで尽くしてくれた恩を返させてほしいと、そう言ってカナンを戦いから遠ざけた。
繰り返される日々の中で、カナンは己の衰えを感じていた。
日々の時間の流れは日を追うごとに早くなり、気が付けば一日が終わっている。
齢百歳を過ぎたあたりからは、己が本当に生きているのか分からなくなっていた。
何をするでもなく一日が終わり、戦わない日がまた重ねられる。
このまま死にたくはない。
安らかにベッドの上で死ぬのなんて嫌だ。
その思いこそがカナンの命を繋ぎ止めていた。
魔力は願望をかなえる力だ。
多くの人間は己の健康を望み、若さを望む。
だからこそ高い魔力量を持つ戦士たちは時の流れに逆らい、その姿を若々しい全盛期のままにとどめる。
だがそれはあくまで魔力があってこそ、魔力をとどめる魂があってこそだ。
時を重ね誤魔化せぬほどに肉体に衰えれば、魂にも変化が訪れる。
保有できる魔力は減っていき、それと共に嘘が剥げ落ち、老いという真実は姿を現す。
138年を生きたカナンの肉体はすでに寿命を迎えている。
それでも血と肉と魂を維持できているのは、精霊エルアリアの加護と本人の持つ強い未練のおかげ。
未練があるからこそ死ぬことも出来ずに、心躍る戦いを夢に見ながら平穏な日常を積み重ねることになる。
最強の代名詞である守護都市の皇剣カナン・カルムには敗北が許されない。
戦って死ぬなど、政治が許さない。
そんなものは糞食らえと思いながらも、皇剣であるカナンはそれに従わざるを得ない。
一年前とて、精霊が止めなければ死力を振り絞ってデイトと切り結んだだろう。
だからこそ政治が自らの敗北を許す、皇剣武闘祭という場に最後の希望を託した。
セージやジオを心変わりさせるためなど、クラーラを納得させるための方便だ。
ただ彼らと全力で戦える場が欲しかった。
アルバートやライムも今の己よりは強い。
だがそれではだめなのだ。
今の衰えた自分ではない、余分な忖度なく純粋に最強と呼ばれた全盛期の己を超える相手に挑みたい。
文字通り、命を賭して。
その待ち望んだ時が、相手が、ようやくやって来た。
******
「急遽始まりますは皇剣の座をめぐる決闘。
多くの武勇伝を持つ竜殺しの英雄ジオレイン様が挑むのは、彼以上の武勇伝を誇る生きる伝説。
守護都市〈ガーディン〉の皇剣、カナン・カルム様。
ジオレイン様は竜を二度狩ったが、カナン様は三度狩った。
百年を超えてこの国を守ってきた偉大な英雄が、若き英雄を見定める」
実況はやけくそな絶叫を上げて観客を鼓舞する。
セージから受けた死の予見もそうだが、今大会では予選からスケジュールにないイベントが続きすぎて、実況はいい加減ストレス値が限界に達していた。
それでも仕事を放り出さないのは彼がまじめな人間だからでもあるが、同時にこの重大な国事を投げ出せば社会的に、そして物理的に死んでしまうからだった。
実況席でも人知れず命懸けな奮闘がなされていたのだった。
「感謝するぞい、ジオ」
カナンはそう言った。
ジオとカナンが向かい合うのは残骸となれはてた闘技台跡の中央。
両者が舞台の修復を望まなかったことから、決勝戦の爪痕は残ったままだ。
「必要ない。俺もちょうど機嫌が悪かった」
「かかかっ。単純でええのう、お主は。
じゃがこれからはそうもいかんぞい」
ふんと、ジオは鼻を鳴らした。
ジオにとって、カナンというのは妙な相手だった。
敵というには親しみがあり、味方というには信頼がおけない。
ただ間違いなく貸しよりは借りの方が圧倒的に多い相手だった。
財布を無くして無銭飲食をしてしまった際に奢ってもらったことがある。
処刑人や騎士ともめた際にカナンがとりなすこともあった。
こそこそと逃げ回っていたデイトを捕まえて、アンネに渡したのもカナンだ。
それら一つ一つを覚えているほどジオの記憶力は繊細ではない。
だがそれは意識して思い出すことが無いというだけで、忘れているわけではない。
溜まりに溜まった恩を返す方法が、相手を殺すこと。
俺が勝ってよかったなと、ジオは少しだけ思った。
決勝戦の最後の瞬間、もしも相手がデイトだったならばとっさに竜角刀を爆散させることはできずにジオを殺していただろう。
もっとも対戦相手がデイトだったならば、ジオはあんなみっともない動揺はしなかった。
そう思ってジオは己の醜態をフラッシュバックして、暴れだしたくなる羞恥心を抑え込むのに苦心する。
そして一息ついて、逆の立場であった時も考える。
セージを殺さないぎりぎりの線を狙うことはできても、その見切りが間違いに直前で気づいて切り替えるのは、おそらくジオにはできない。
あれはきっと、セージだからできた事だとジオは思う。
そしてそんなセージには、人殺しは似合わない。そう思った。
「……聞いとるかの?」
「なんだ?」
「いや、ええ。先のことなぞ考えるべきではないの」
カナンがそう言って、審判に目を向ける。
審判は偉い人の方を見る。
もうちょっと待ってとハンドシグナルが返ってきた。
セージのせいで客席が全体的に臭くなってしまい、また化粧室に駆け込んでいる観客も多い。
未だに放心しているものはほとんどいないが、客席の簡易的な清掃と、観客の精神と身なりが落ち着くのにはまだ少し時間が必要だった。
カナンという偉大な皇剣の、最後の晴れ舞台をまばらな客席で始めるわけにはいかなかった。
審判はうまいこと間を繋いでと、実況席を見上げた。
実況は泣きそうな思いで頑張ることにした。
ちなみに実況の選手紹介は基本的に前もって準備されたもので、その内容について実況が責任を取らされることはない。
ただ皇剣の代替わりを決める決闘は公開前提ではなく、さらにどの皇剣が挑まれるかもわかっていなかった。そんな決闘の紹介文など用意されているはずも無かった。
そして決闘が公開されるにしてもそれは決勝戦のダメージが残る当日にされるわけ――常識的に考えれば――が無いので、原稿が用意されているはずもない。
そしてそもそも
そんな訳でここで変なことを言って二人の英雄、およびそのファンから報復を受ける可能性というものが、実況の頭の中によぎっていた。
ただやれと言われればやってやるさと、やけくそに気合を入れることにした。
そんな実況の頑張りもあって、決闘を見守る観客の気持ちはポジティブな方に快復した。
******
ジオとカナンの様子を、クラーラは真剣な目で見つめていた。
シャルマー家のブースには彼女だけではなく、甥のピーター・シャーム、護衛のルイス・オーゲル、腹心とは呼びたくない腹心の変態紳士トール・ホルスト、そしてブレイドホーム家のブースから戻ってきたアリーシアとアルバートがいた。
セル親子が戻ったのはブレイドホーム家のブースに主要な人間がいなくなったのもあるが、何よりもシャルマー家の人間としてカナンの最後を見届けたいと願っていたからだ。
尚、彼ら二人に合わせてケイとラウドもそれぞれマージネル家とスナイク家のブースに戻っていた。
彼らにとって、カナンは赤子のころから自分たちを見守ってくれた大事なおじいちゃんだった。
彼がそれを望んでいないことを知りながらも、穏やかな最期が迎えられるよう願ってしまう程にカナンを愛していた。
だがカナンの心を変えることはできなかった。
ならばせめてその最期を余さず見届けようと、この場に集まっていた。
******
実況の素晴らしく知性的で感動的なエネルギーに満ち溢れつつもユーモアを忘れないウィットに富んだクールでクレイジーな完璧にして最高の史上類を見ないレジェンダリィ級の煽りが会場を魅了した。
「構えて」
十分に時間が稼げたということで、審判はコールをした。
ジオは刀を抜き、カナンは懐から輸血パックを取り出す。
「お前もか」
「儂のは、貰いもんじゃがの」
カナンはセージと違って、老いのせいで血を抜くことが難しかった。加えて彼の血肉はいつぞやのデイト同様、幻に近いものとなっている。
触媒としての効力は衰えており、それならばと上級の騎士たちから今日のために血を譲り受けていた。
カナンは懐に忍ばせていた三つの輸血パックを全て床にぶちまけ、〈臣出騎没〉にて分身を生み出す。
「おぬしにも、これは真似できんかったの。
セージには手解きをしてもよかったが、機会に恵まれんかったな」
「……必要ない。俺にも、セージにも」
ジオはそう言って抜き身の刀身に手首を添え、引いた。
噴き出した血が大地を染める。
カナンは愉快に笑った。
「気に障ったのなら、すまんの」
「構わん。お前やセージと同じことは、確かに出来ん」
ジオはそう言って刀を振るって血を払い、傷をふさいで出血を止める。
ジオが作った血だまりから、ぼこりと大きく土が盛り上がった。
それは瞬く間に膨れ上がり、大柄なジオの背丈も横幅も大きく超える。
「ほう」
カナンは感嘆の声を漏らした。
その形には見覚えがあった。
ジオやセージと戦えぬのならば、それと戦いたいと願っていた相手だった。
ジオはその血で、竜を生み出した。
「これがお前から学んだ闘魔術〈破竜召喚〉だ」
ジオの血と魔力を受け、そして聖域を通じた世界のバックアップを受けて、作り物の竜には真に迫るほどの魔力が宿った。
審判はこの決闘は決勝戦よりも安全だろうと思っていた過去の自分を心の中で殴り飛ばし、試合開始と同時に避難することを決意した。
「最高じゃな。生涯最後の晴れ舞台に、これほど相応しいものはない。
改めて言う。
感謝するぞ、ジオよ」
「御託はいい。来い」
観客が興奮で声を上げ、実況はそれを煽る。
審判は決闘の開始を宣言した。




