324話 lost blood
セージが発した殺意の魔力の影響は第二貴賓室にも当然、届いていた。
第二貴賓室には名家の貴人が多くいて、彼らの護衛もいる。
その護衛たちはもとより、ラウドやアリーシアも防護壁を生んでセージの殺意に対抗した。
完全に相殺することはできなかったが、セージの殺意は大きく減衰されたため、第二貴賓室で粗相をしたのは幼い十歳の少年と少女(※セルビアではない)の二人だけだった。
一般客席に比べて被害は少なかったが、それでも死を想起させたセージへの恐怖は第二貴賓室にも充満していた。
その中でもとりわけ過敏な反応をしたのは、他ならぬブレイドホーム家だった。
セージの二面性を、巧妙に隠している冷酷さを、ブレイドホーム家の少年少女は大なり小なり感じていた。
アベルとマギー、そしてカインは一年前に、セルビアは三年前に、直接目にもしていた。
それでも大きなショックを受けたのはジオと同じ理由からだった。
セージは拾われてからの十年間、本当の意味で怒りを家族にぶつけてくる事はなかった。
いたずらをしたり嫌味を言うこともあれば、耳が痛くなるような説教をすることもあった。
でもそこに悪意は無かった。害意は無かった。
叱る言葉の根底には、いつも子供たちへの思いやりが潜んでいた。
セージは時に、ブレイドホーム家の母親のように言われる時がある。
セージが幼い少年であるため、子供たちが母親だと思うことはなかった。
ただそれでも幼子が母に向けるような、無条件の信頼をセージに向けていた。
それに見合うだけのものが、この十年間に積み重ねられていた。
セージが発した殺意は、そんな信頼を裏切るものだった。
セージは自分たちに愛情など抱いていない。
魔物や、あるいは害虫のように、何の感慨も抱かずに殺せる無関心な人間だと思っている。
自分たちがよく知っているセージが、得体のしれない化け物のように感じてしまった。
高く積み上げられた信頼と愛情があるからこそ、あまりに大きな落差があった。
「……俺もあいつを軽く見ていたようだ」
震えそうな声でそう言ったのはラウドだった。
ラウドは飛翔剣を用いて結界の強化をして、観客を守っていた。
だからこそ彼はジオや同じく結界を強化していた精霊と同様に、ダイレクトにセージの放つ逃れられぬ死の予感を感じてしまっていた。
セージの発した殺意は、デス子の神力。
劣化はしているものの、亜神である精霊の契約者でしかない皇剣には抵抗する術はない。
セージが殺すと望めば殺すための道筋が示され、それは阻まれる事なく果たされる。
最強の皇剣と呼ばれる男は、人の限界まで己を鍛え上げたからこそ、それを肌で感じてしまっていた。
「ええ、ジオをも殺せるところまで成長しているとは思いもしませんでした」
相槌を打ったアリーシアは、セージがジオを殺さぬために最後の最後でとっさに機転を利かせたことを見抜いていたから、そう口にした。
結界にいた彼女は、ラウドほどにはセージの殺意を深刻に受け止めてはいない。
もっとも影響を受けていないわけではないので、彼女もまた意識して気を張っていたが。
「……」
この場にいるもう一人の皇剣であるケイは何も言わなかった。
ただ頬は紅潮し、興奮している様子が簡単に窺えた。
彼女ともう一人だけが、セージの殺意に怯えていなかった。
そんなケイに声をかけるのはアルだ。
「勝てるか、ケイ」
誰にとは言わない。
言わなくてもわかることだった。
ケイは意図せずして口角があがった。
「うん。勝つよ。次は、私も使いこなす」
ケイの目は爛々と怪しく輝いていた。
そんな第二貴賓室に、至宝の君の声が響く。
見上げれば第一貴賓室のサニアが姿(正確には上半身)を現し、ジオに言葉を下賜していた。
彼らの短いやり取りを見て、ラウドとアリーシアが立ち、彼らにわずかに遅れて、ケイも立つ。
それらを見たころに、アベルがようやく己を取り戻した。
「行こう。セージのところへ」
アベルはそう言った。
彼は確かに恐怖と不安を感じていたが、理性でそれは正しくないと判断した。
今まで見てきたセージを信じようと、声を発した。
「あ、うん……」
そんなアベルを見て、マギーは目を逸らした。
彼女はセージが怖かった。
今は近づきたくないと思ってしまっていた。
殺されるなどと思っているわけではない。
あれが何かの技なのだろうという想像は、武道に疎いマギーにもできている。
それでもそんな理屈では誤魔化せぬほどに、感じ取った死の予感は強烈なものだった。
それにもしも、もしも万が一にでもセージが自分たちを殺してもいいと思っていたとしたら、家族だなんて思っていないとしたら。
頭に過ってしまうその考えがどうしようもなくマギーを不安にさせた。
それでもそんな風に思ってしまうのが良くない事だとわかっていたから、胸の中の小さな勇気を奮い立たせてアベルの言葉に頷いた。
カインやセルビアも、同じ気持ちで立ち上がった。
マリアとシエスタはジオの決闘を見届けると残り、子供たちだけでセージが運ばれた医務室へと向かう。
そこには先客がいた。
******
国立闘技場の医務室の設備は充実しており、特に外傷に対する備えに関しては大病院にも見劣りしない。
さらにこの特別な時期は詰めているスタッフもまた一流のチームだ。
この国を守る戦士たちに不幸な事故が訪れないよう彼らは集まっており、そしてその力を発揮する時がきていた。
セージの容体はとても悪い。
心臓に近い左腕を失ったことで大量に失血をしており、血圧の低下はすでに危険域に突入している。
常人の、それも見た目通りの子供ならばもう死んでいてもおかしくない状況だったが、セージはその常識を覆すだけの魔力を保有していた。
ただ魔力を持っていても、その魔力を使うための回路が損傷しており、自力での治癒は難しい状況だ。
そもそも血圧の低下と容赦ない殴打によってセージは意識を失っているので、医師の助けが無ければどうしたって死んでしまう。
医師たちは何よりも止血を最優先し、同時に失われた血液を補充するための輸血をした。
腕の再生に関しては、この場では諦めている。
基礎体力が戻った際に治しやすくするには、傷口を完全にふさがないほうがいい。
再生魔法をかける際は患者が失われた肉体に幻痛を感じるほうが都合がいい。腕があるのだと錯覚してくれたほうが魔法が成功しやすいからだ。
それと同じ理由で、傷口を完全にふさがなければ腕が生えてくるというイメージが湧きやすい。
だがセージの容体はそんな事に気を回せる状態ではなかった。
一刻も早く傷口をふさいで出血を止めなければ命を失う可能性が高く、助かったとしても脳への酸素供給が途絶えることで重い障害を発症しかねない。
一流の医療スタッフたちは、その看板に相応しい大仕事に取り掛かった。
緊迫した治療の続くその国立闘技場集中治療室の前には、一人の美しい女性がいた。
彼女の名前はルヴィア・エルシール。
試合が終わりセージが運ばれるのを見るや、腰が抜けている家族たちを置いて一人でここに駆け付けていた。
彼女に何が出来るわけでもない。
それでも居ても立ってもいられずここまで来て、集中治療室の扉の前で立ち尽くしていた。
試合の内容はルヴィアに理解できるものでは無かった。
それでも最後に見せたセージの顔を、彼女は確かに見ていた。
セージは殺してしまうところだったと己を責めていた。
そして殺さなくてよかったと安堵していた。
そしてそんな子供を、ジオは怒りに任せて殴り飛ばした。
その時、ルヴィアの心には生まれて初めて人を殺したいと思うほどの怒りが沸き上がった。
それは未だ心の奥で燃え滾っていたが、今はセージが無事に助かることを祈り続けていた。
「やあ、お嬢様。そこにいられると邪魔になってしまうんだけどね」
ルヴィアはそう声をかけられて振り返った。
そこにいたのは三十代半ばに見える、優しそうな顔立ちの男性だった。
守護都市名家の当主スノウ・スナイク。
父ダイアンが警戒している男だった。
ルヴィアは廊下の脇によってスノウに質問をする。
「失礼を。セイジェンド様の容体は?」
「君に答える事ではないね」
声音こそ穏やかなものの、返された内容は冷たいものだった。
ルヴィアは静かにスノウを見据えた。
「君はセージ君の何なのかな」
「あなたに答える事ではありません。
ただ私は彼と同じ血液型です。お役に立てるのではありませんか」
「ご心配なく、輸血用の血液は十分な量が確保されているよ。どうぞお引き取りを」
表向きは紳士的な態度で、スノウはきっぱりとルヴィアの申し出を拒絶した。
「邪魔にならぬよう努めます。ここで待たせて頂くことを許してはいただけませんか」
「許す許さないの権利は僕にはないね。
ただそれは自己満足なのでは?」
ずきりと、スノウの言葉にルヴィアの心臓が悲鳴を上げた。
それでもここを離れてはいけないと、ルヴィアの心臓はもっと強い痛みを思い出して意地を張った。
もう逃げないと、彼女は誓っていた。
スノウはそんな彼女を見据えながら小さく、怖いねと呟いた。
スノウとルヴィアが対峙するその場所に、アベルたちはやって来た。
「スノウさん」
「やあ、遅かったね」
スノウはそう声をかけた。
「……セージの容体は? 聞いていますか」
「僕もたった今、来たばかりだ。何も聞いていないよ。
でも心配はいらない。ジオさんが殴ったんだ。死ぬほどの怪我じゃないよ」
そう言われて、アベルは戸惑いがちに頷いた。
アベルもほかの子供たちも、腕を失うほどの大怪我をしていたのに、セージが死ぬということを全く考えていなかったのだ。
それだけセージの見せた死の予感に――引いてはセージへの不信に――心が揺さぶられていた。
そしてそんな子供たちの感情の揺らぎは、ルヴィアやスノウにとって読み取るに容易いものだった。
「ああ、余計なことを言ったね。君たちの方が良く分かっていることだった」
「……冷たい家族ですね」
ルヴィアが我慢しきれずに漏らした言葉に、セルビアが一際大きく肩を震わせた。
「エルシール家の方がそれを口にするのかな」
スノウの牽制に、ルヴィアは失礼と、形ばかりの謝罪をした。
そのタイミングで集中治療室の扉が開いた。
中から現れたのは夥しい返り血に染まる医者だった。
「セージ君は?」
「止血は済みました。常人であれば死んでいるでしょうが、彼のポテンシャルならば持ち直せるでしょう。
そちらはご家族の方ですね。
患者は純粋な失血もそうですが、魔力面でも大きく被害を受けています。
あなた方の血液を調べさせてください。
型が適合するならば、あなた方の新鮮な血を輸血した方が回復も早いでしょう」
医者は淡々と必要なことを述べてアベルたちに協力を求めた。
アベルは頷いて答え、それに促される形でほかの子供たちも賛同する。
「あの、私も調べていただけませんか。お役に立ちたいのです」
「だめだよ。必要なのは血と魔力だ。
たとえ君の血がセージ君に近しく適合するものであったとしても、君の魔力量は一般人だ。
彼が生まれてからずっと一緒に過ごしてきたこの子たちは高い魔力を持っているし、その魔力はセージ君に高い親和性を発揮すると考えられる。
家族と他人、どちらの血を輸血するべきかは簡単な話でしょう」
スノウの言葉に医者が頷き、子供たちへ声をかける。
「あまり時間をかけたくありません。君たちはこちらへ」
「そして、お嬢様はお引き取りを。
邪魔をしたくないという先ほどの言葉は、本心なのでしょう?」
毒の潜んだスノウの言葉に、ルヴィアは心の中だけで歯をくいしばって耐える。
その感情は表に出すべきものでは無い。
ならば出さない。
少なくとも、今はまだ。
「お邪魔をいたしました。セイジェンド様のご無事を陰ながらお祈りさせていただきます」
ルヴィアは優雅に一礼し、その場を去った。
子供たちも医者に連れられ別室へと姿を消した。
誰もいなくなった廊下に一人残されたスノウは、ひとり呟く。
「あれだけいたセージ君の自称母親たちは、あの試合を見て誰も姿を現さなかった。
彼女は、僕よりも早くここに駆け付けた。
偶然な訳はないよね」
困ったように笑うスノウに、駆け足でやって来た一人の老人が息を切らせながら声をかけた。
「娘が来なかったか、スノウ」
「これはダイアン、久しぶりだね。娘さんなら入れ違いで戻ったよ」
「……そうか。
何か良からぬことを吹き込んではいないだろうな」
「それについては、お言葉を返させて頂きますよ。
セージ君は守護都市にとって、そしてこの国にとって大切な宝だ。
おかしな手出しはしないで欲しいね」
二人はしばし笑顔を交し合いう。
「セイジェンドは無事なんだろうな」
「ええ。あなたが心配する事ではありませんが」
二人はそれを別れの挨拶とし、互いに背中を向けて別々の方向に歩き去った。




