313話 決勝の朝
その日の朝、ブレイドホーム家はたいそう忙しない様相を呈していた。
その日に限らずだいたい毎日賑やかに大騒ぎをしているが、それでもその日は特別な朝だった。
皇剣武闘祭というこの国最大にして最高の舞台を、この道場の親子が独占する。
彼らを応援するため、付き合いのあるポピー商会を中心に応援団が結成され、かなりの人数が会場に足を運ぶ。
ただ出場選手関係者という事で購入優先権が与えられていてもその数には限りはあるし、入場券そのものが無料となるわけではない。
入場券の購入代金は半額を商会とブレイドホーム家が出していたが、それでも高額となる(半額でも日本円換算で15万円ほど。子供割引などはない)ため、会場に足を運べない人も多い。
そんな彼らの受け皿として、パブリックビューイングの放映がブレイドホーム家で行われ、こちらは関係者であれば無料としていた。
感謝祭の後に守護都市に上がる予定の戦士たちなどは、お金を払ってもこの道場で見たいと望んだが、関係者だけで席も立ち見も一杯となったために断ることになった。
パブリックビューイングにやって来る関係者は主に近所の住民やブレイドホーム家に子供を預けている親子、そして道場で学んでいる街の不良とその家族だ。
不良たちは今現在、道場に通っている生徒だけでなく、過去に通っていて、セージたちが出場すると聞きつけて遠方の外縁都市から足を運んできた元不良たちも数多く含まれている。
元不良たちは会場設営などの準備を手伝おうと早めにブレイドホーム家を訪れており、手土産に食事や飲み物などを持参していた。
ブレイドホーム家という縁でつながった彼らは、別の都市に降りたため久しく会っていなかった懐かしい友人たちと再会し、それを喜び、そして持ち込んできた食事を寄せ合って宴会を始めた。
元から頼まれて準備に来ていた現役の生徒たちも先輩たちの自由な振る舞い見れば、じゃあ俺たちもとその宴会に加わり、さらにそんな賑やかな喧騒を聞きつけてご近所さんも集まった。
結果として、ブレイドホーム家では朝からとりとめのない大騒ぎが始まってしまっていた。
「……それじゃあアリスさん。あとのことはお願いします」
酒瓶と怒号と拳と、そして笑い声が飛び交う宴会を前に、アベルはそう言った。
「いやいやいや、これ無理じゃない?
とりあえず落ち着かせないといけないんだけど、手伝ってくれないの?
決勝まで全然時間あるでしょ」
「いえ、ここにいると父さんがお酒を飲み始めますので。
それに妹たちのドレスも汚れかねないので」
守護都市では馬車に乗れず、そもそもそんなものに乗るという発想もないため、決勝の会場までは歩くことになる。
そのため会場で正式なドレスに着替える手はずになっており、今着ているのはそれとは別のおしゃれ着だ。
だが着替えが用意されていると言っても、せっかく着飾った服を汚されて喜ぶ女の子はいない。
アベルはそう言って酔っ払いたちからマギーとセルビアを守りつつ、家を出ていく。
余談ではあるが、クラーラなどは大会期間中は会場近くのホテルに泊まっており、そこからさらに馬車を使って会場入りする。
そしてその上で着替えを会場に準備させてもいる。
ブレイドホーム家にはそんな事をするだけの経済的な余裕がないので、着替えだけ国立闘技場の方に(無料で)置かせてもらっていた。
「え、ちょっと待って。本当に出ていくの? ひどくない?」
「落ち着けアリス。私もいる。殴りあっている馬鹿どもも、しばらく騒げば落ち着くさ」
狼狽するアリスとは対照的に、安心して行ってこいとアールがアベルたちを見送る。
「ジオ。
余計な事だろうが、楽しんでくると良い」
「ああ」
こうしてジオたちは笑顔のアールと涙目のアリス、そして多数の酔っぱらいの声援に送り出され、決勝の会場へと足を向ける。
ブレイドホーム家に残るアールは、ジオの背中を見送って、未だ騒ぎ続けている子供たちに向かって歩く。
「さてお前ら、祭りはまだ始まってもないんだ。ほどほどに抑えておけよ」
そう説教をしたアールは、酔っ払いに特に意味もなくその場のノリで殴り掛かられ、殴り返して乱闘騒ぎが始まった。
とりあえずそれはしばらく続き、アリス以外の腕力自慢が横になったことで静かになった。
会場設営は、横たわる負傷者の片づけから始まった。
******
ジオたちが守護都市を歩けば、道行く人たちから頑張れよという声援がかけられる。
彼らはそして二言目には、セージはどうしたんだと声をかけてくる。
それらすべてに応えていたわけではないが、何度も試合には出ると繰り返し答えたジオの機嫌は少しずつ下降していった。
そして守護都市を降り、政庁都市に入るところでも同じことを役人に言われる。
この時期は守護都市の乗り降りに通行税はかからないのだが、それでも人の移動を記録している。
緊急時であれば、あるいは緊急だと言い張れば、特級のジオはその手続きをフリーパスにできるのだが、しかしその事を良く分かっていないジオは普通に並んでその手続きを受けた。
「おや、セイジェンド様は一緒ではないんですね」
「ああ」
不機嫌なジオの返しに役人は色々と察して、迅速に都市間移動の手続きを終えた。
「なあ親父、本当にセージは間に合うんだよな」
「ああ、大丈夫だ」
色んな人間から声をかけられ、そして朝になっても戻ってこないセージを心配してカインが言い、ジオは自信をもって答えた。
じゃあ大丈夫かとカインは一応納得して、彼らは政庁都市の街並みを歩く。
政庁都市でも注目は集まり、遠巻きに人々が彼らを見る。
守護都市とは違って気軽に声をかけてくるものはいなかったが、視線の熱量は強く、主にマギーが狼狽えることとなった。
ジオは聖域を使って人払いを試みたが、人払いの結界は僅かに気持ちを誘導する程度のもので、はっきりこちらを見ようという意識を変えるだけの力はない。
それはジオの神子の力で強化されても変わらず、国立闘技場に着くまで熱を帯びた視線にさらされ続けた。
「大丈夫か」
ジオは後ろを歩くマギーにそう声をかけた。
だがそこには誰もいなかった。
ジオが驚いて周りを見渡すと、アベルたち他の家族はもとより遠巻きに見ていた群衆の姿も消え、街の喧騒も失われた。
人の気配が消えた大きな町の中で、ジオは一人立ち尽くした。
聖域を発動しても何の異常も、何の魔力も感じ取れない。
数キロ先の針の穴さえ見通す目でもなにも見つけられない。
どんな些細な音でも聞き分ける耳でもなにも捉えられない。
「誰か、いないのか」
ジオはそう言った。
自分でも驚くほど狼狽えた声音だった。
不安に駆られるジオに、かけられる声があった。
「一人は寂しいよね」
いつの間にいたのか、あるいは最初からいたのか、気配の希薄な男がジオの前に立っていた。
かつて竜からジオを救った男。
かつてジオに神技を授けた男。
かつて竜の死を悼んだ男。
黒い髪と黒い瞳の、厭世的な雰囲気を持つ男がそこにはいた。
「お前がやったのか。マギーたちをどこにやった」
「いいや。何もしてないし、どこにも行ってない。
あんたが踏み外しただけ」
男は苦笑してわからないことを言い、そして続ける。
「竜の呪いは枷だった。
あんたの力を縛る枷。
はみ出したあんたを人間に留めておくための枷。
たぶんこれは、最後の機会だ。
人間のまま死ねるってのも、出来なくなっちゃえば惜しいもんだよ」
男の言葉は意味が分からない。
意味のわからない言葉を聞く気はない。
「答えろ。マギーたちはどこだ」
ジオは繰り返しそう問い、男に手を伸ばした。
その手は男の胸倉を掴むことはなく空を切り、そして世界に音が戻った。
「どうしたの、父さん」
アベルの声が聞こえて、ジオは振り向いた。
そこにはアベルがいた。
マギーがいた。
カインがいた。
セルビアがいた。
彼らだけではない、消えていた群衆も街の音も戻ってきた。
何の異常もない。
ジオの感覚はそれをちゃんと捉えられるようになった。
ジオは安堵のため息を漏らした。
そんなジオに、どこからともなく男の声が届く。
「許すか、許さないか。それが境界線だよ」
ジオは心臓を凍り付かせ、周囲を警戒する。
だが男の姿も気配もどこにもない。
常に正解を導いてきたジオの勘もまるで働かない。
何も分からないことが、ジオにはたまらなく恐ろしかった。
「どうしたの、お父さん。大丈夫?」
顔色を悪くして周囲を警戒するジオを心配して、マギーがその手を取った。
ジオの手は冷たい汗をかいていて、マギーはとても驚いた。
「……大丈夫だ。行くぞ」
ジオは手を握ったまま街を歩く。
そんなジオの空いた方の手を、セルビアが握る。
「どうしたのセルビア」
寂しかったのと、ジオを挟んだ反対側からマギーが声をかけ、セルビアは首を横に振った。
「なんでもない。早く行こう」
ジオは娘二人と両手を繋ぎ、闘技場へと歩く。
息子二人は何だろうと互いに顔を見合わせたものの、気にしても仕方がないかとその後に付いて行った。
******
ジオたちが普通に闘技場入りをしている間に、シエスタとマリアは別行動をとっていた。
より正確に言えば、シエスタは昨夜の食事を終えてから軍に詰め込み泊まり込んで、マリアは護衛がてらそれに付き合っていた。
「それで?」
「はい。セイジェンド様ですが、遅くとも今日中にはカグツチ様を乗せた馬車と共に政庁都市入りがなされると」
不眠不休でその報告を待っていたシエスタは、ほっと安堵の息を漏らした。
「ですから、心配はいらないといったでしょう」
軍の中という事で護衛の必要もないだろうと、夜は普通に寝ていたマリアが起き抜けのあくびをかみ殺しながらそう言った。
「あなたまでそんな事を言うの。
セージさんは毒に侵され、その上で悪逆なライムを成敗し、さらに夜を徹して山賊の征伐までしたんですよ。
これからあのジオさんを相手に決勝戦だというのに」
「同情はしますけどね。全部、本人が望んだことでしょう。
あまり外野で騒ぎ立てても疲れるだけですよ。
あの子もあれでジオとよく似ていますからね。
きっと何もありませんでしたよなんて、平気な顔をして決勝に出てきますよ」
マリアに窘められ、シエスタは不満顔になる。
そんな顔を見て、夜通し彼女にしつこくセージの状況は分からないのかと問いただされていた騎士が、こっそり満足げに頷いていた。
「納得できません。事件の詳細は分からないんですか?」
前半はマリアに向けて、後半は騎士に向けてシエスタは言った。
騎士はまじめな顔を取り繕って用意していた答えを返す。
「現状では山賊に襲撃されたという事しか伝わってきておりません。詳しい報告を求めますか」
「いえ、それには及びません。
すでに事件の詳細をまとめていて、後程報告書を出せば済むからと、通信での報告を簡素なものにしているのならばそれも良いでしょう。
ですがそうでない場合、ここで詳細な報告を求めることで、事件を解決した功労者であるセージさんへの聞き取りが発生する可能性があります。
それは避けなければいけません。わかりますね」
「はい」
シエスタの言葉に、真摯な態度に見えるよう努力しながら騎士は頷いた。
シエスタは余所の都市の、さらに軍人でも何でもない監査官なので、そこそこ偉いこの騎士に命令権は全くない。
ただそれはそれとして何を言い返しても面倒臭いとこの一晩で思い知っているので、真面目な顔を作って頷いたのだった。
「よし、ではここで出来ることはもうありませんね。
次に行きましょう、マリア」
「え? 無事だと確認できたのですから、寝たほうがいいのでは?」
「そんな暇はありません。セージさんが闘技場入りした時にくつろげるよう待合室を整えて、あとはやはり正しい情報を広めなければいけませんね。
おそらくあの理事長も動いているでしょうが、号外の手配を……いえ、それではあからさますぎて逆効果ですね。
ええ、やはりファンクラブ経由で情報を発信しましょう」
ふふふと、シエスタは不敵に笑った。
先日のライムとの試合をシエスタは見ていない。
だが何が起きたかは聞き及んでいたし、その際の一般観戦客が見せた恐怖も聞き及んでいた。
彼らの気持ちが、シエスタには良く分かる。
いつの日か、喧嘩の邪魔をした、ただそれだけの理由でセージがマリアを殺そうとしたことがあった。
守護都市の人間は暴力の行使に思い切りが良すぎる。
平和に暮らしていると縁のない凄惨な真似も躊躇なく行う。
そして彼らの持つ力は同じ人間のものとは思えない。
みんな最初から知っているそれを、肌で実感したのだろう。
シエスタには彼らの恐怖が良く分かる。
その上で、セージの素晴らしさを彼女はよく知っている。
その素晴らしさを無知な人たちに教え広めるのは、自分の責務だと信じていた。
「決勝前夜に、親しい人のために山賊退治。
セージさんの人気はもっともっと上がりますよ」
シエスタはなんだかやばいぐらいにハイテンションで意気込みを表明した。
マリアはその延髄に手刀を叩きこんだ。
シエスタは失神し、倒れるところをマリアが抱き留める。
「おっと、年甲斐もなく徹夜をしたので気を失ってしまいましたね。
ゆっくり休ませようと思います。
それでは騎士の皆様、お騒がせしました」
シエスタを抱えたマリアが優雅に一礼して、騎士はありがとうございましたと返礼をした。




