312話 けっしょうぜんや
「負けたな」
「……はい」
医務室で寝ているアルバートにそう声をかけたのは、母親のアリーシアだった。
アルはそれに短く返した。
見舞いに訪れたのは彼女だけではなく、主人であるクラーラも来ていた。
「あなたはもう23歳。
その意味は分かるわね」
ベッドで横になるアルの目は、空虚に天井を見つめる。
皇剣は竜と戦うこの国で最高峰の戦力であり、政治的にもとても大きい発言力を持つ。
なりたいと願う人間はそれこそ腐るほどいる。
そしてなるならば未来ある若者が望ましい。
アルはまだ若手だが四年後はそうとは言い切れないし、これからアルよりも若くて才能のある戦士が育ってもおかしくはない。
さらに言えばクラーラの幼馴染であるアルが皇剣となる事を快く思わない人間が、シャルマー家の中には一定数いる。
彼らを我慢させるのにも限度がくる頃合いだろう。
「……皇剣にはなれない。そういう事か」
クラーラはせっかちねと、鼻を鳴らした。
「ふん。早とちりしないで。
あと一回よ。その次は無いわ」
「……十分だ。
ありがとう。
次は勝つ。絶対にだ」
******
「相談なんだが、明日の主審を代わってはもらえないだろうか」
「嫌だ」
「嫌です」
皇剣武闘祭審判団のリーダーであり、選手たちと同じ闘技台の上で審判を務めている主審がそう提案し、闘技台の外からジャッジの補助をする副審A&Bは即座にそれを断った。
「何故だ。決勝戦の主審だぞ。誉れだぞ。臨時ボーナスも貰えるんだぞ」
「逆に聞きますけど、何で交代して欲しいんですか」
「いや、怖いだろ」
聞かれた主審は正直にそう答えた。
皇剣武闘祭の審判とは文字通りジャッジを下すだけでなく、貴重な人材に不幸な事故が起きないよう、いざというときはその戦いに割って入るのが務めだ。
ちなみに副審の仕事はジャッジの補助よりも、頭に血が上った選手が暴走した際に腕力で取り押さえる武力としての要素が強い。
そんな上級上位の実力者である彼らからしても、ジオの実力は底が知れないし、魔力量で劣るセージにしてもまた何をしでかすか分からない怖さを感じていた。
あんな連中の勝負に割って入るのなんて怖いと、そう思っていた。
「ぶっちゃけますね」
「うむ。正直二度目でなければ上に逃げたのは見逃しただろうな。あの時は目線でライムにばれないよう必死で自制していたんだぞ」
「ああ、セージのあれですか。俺たちは離れていたのではっきり見えましたけど、確かに闘技台にいると見逃しますよね。囮の幻像まで作っていましたし」
副審の言葉に、主審は頷いた。
「ああ。しかもセージはアリーシア様と戦っていた時は終始あんなことを続けていたぞ。
そして決勝はあのジオだ。
正直、何かあっても止められる自信はない」
「俺たちも見ていましたよ。
いや、あの試合は副審でなくて良かった。もし試合中止が宣言されたら、あの二人を力づくで止めなきゃいけないんですからね」
「言っておくが、俺は試合中止の許可を求めてたんだぞ。
ただ上がダメだって言うから最後までやらせただけで。
そして明日はあの試合よりも絶対にひどい事になるからな」
副審二人は乾いた笑みを浮かべ、なるべく明るい未来が訪れますようにと願望を交えて明日の試合を予測する。
「そうはいっても親子対決ですよ。
ジオが優勝を譲るか、そうでなければ優しくノックアウトして終わりでしょ」
「そうそう。ここまでジオの試合ではろくに血が流れてないんですよ。
セージだって、逆鱗に触れたライム以外はクリーンに試合をしてたでしょう」
主審は言いたいことは良く分かったと頷いた。
「そうだな。きっと明日の試合は落ち着いたものになる。
だから主審、代わってもらっていいか?」
「嫌だ」
「嫌です」
副審たちは即座に断った。
英雄と次世代の英雄の決勝戦。
それを間近で見たいから副審はやりたいが、ジャッジの責任は負いたくないし、さらに二人の攻撃に巻き込まれたりはしたくないのであった。
******
その夜、ブレイドホーム家の食卓は和やかな空気からは程遠いものとなっていた。
「そろそろ食わないか」
冷めた食事を前にして、ジオがそう言った。
夕食の支度はずいぶん前に終わっていて、お預けをくらっている状況だった。
「セージが帰るまで駄目。我慢して」
アベルがそう言って、ジオはむぅと唸った。
ジオはセージは帰らないと思っている。
そして危険なこともないと勘が囁いている。
だからさっさと夕飯を食べたいのだが、しかしあまりしつこく言うと怒られると分かっていたので、繰り返すことはなく黙って我慢することにした。
「いや、もう食わないか? セージの分は残しとけばいいじゃんか」
「よくない。心配じゃないの、カインは」
同じく空腹に耐えかねたカインがそう言って、マギーが目を吊り上げて叱った。
明日が大事な決勝戦という事で、アベルもマギーも家に戻っている。
感謝祭の中でも最大級のイベントである皇剣武闘祭に家族が出場している二人には、学校を公欠する権利が認められていた。
セルビアは揉めている家族に気づかれないよう、そっと手を伸ばしてこんがりと焼けたチキンを取ろうとして、ジオと目が合った。
その立派なチキンはジオも狙っていたのだった。
そんな二人を見て、マリアがため息を漏らす。
「いえ、食べましょう。
もう我慢の限界みたいですからね。シエスタも遅くなるのでしょう。
彼女の分と合わせて残しておいて、帰ってきたら温めなおしますよ」
マリアの言葉に、ジオとカインとセルビアが頷いて賛同した。
アベルが仕方ないかとため息をつき、マギーがひどいと腹を立てるその食卓に、シエスタの声が入ってくる。
「ただいまー。もうご飯始めてる?
あれ、待っててくれたの?
そんな、良いのに。遅くなるって言ってたんだから。
……あれ? セージさんは?
お手洗い?」
一仕事終え、緊張から解放されたシエスタの明るい顔は、しかし食卓にセージの姿が無いことを確認して、だんだんと冷たいものへと変えていった。
「それが、まだ帰ってないんだよ。
父さんが言うには(夕食には)間に合うよう帰って来るって話だったんだけど」
「本当ですか、ジオさん」
「ああ。荷物を受け取りに行くと言っていたが、(試合には)間に合わせると言っていた」
シエスタはより一層、表情を冷たく険しいものへと変化させる。
「荷物、ですか。あのクソ理事長、どこまでも人を馬鹿にしてくれる」
「落ち着いて、シェス。何があったの?」
「……そう、ですね。
こうなっては隠す理由もありませんね。
私は今まで軍に派遣要請をしていたんです。
名工カグツチ様とその武具を乗せた馬車が襲われている可能性が高いと、スノウ・スナイクから聞かされたので」
カグツチはジオにとって数少ない古い顔なじみだ。
その彼に危険が迫っていると聞けば、セージやジオが飛び出しかねない。
だからシエスタは勘の良い二人に気づかれぬよう、あえてアベルにも黙って事を運んでいた。
それを察したアベルは静かに頷いた。
「どうする、父さん?」
「……うん? そうだな。折角だから温めなおすか」
ジオは夕飯を見ながらそう言った。
どうせなら温かいご飯が食べたかったのだ。
そして温めなおすかと言ってはいるが、自分でやるつもりは毛頭なかった。
アベルは父が何を言っているのか理解するのに、十秒ぐらいたっぷり時間をかけることになった。
「……いや、ご飯の事は良いだろ。セージの手助けに行かないの? カグツチさんは父さんの大事な人でしょ」
「セージが行ってるなら大丈夫だろう」
ジオはこともなげに言って、シエスタが激しい怒りを見せる。
「ふざけているんですか。セージさんが今、何のために行動していると思っているんですか」
「待て、落ち着け。何故怒る」
「怒らずにいられますか。
あなたは一体セージさんを何だと思っているんですか」
ジオは言葉に詰まった。
ジオからすれば状況は単純だ。
セージが行った。
だから何も問題はない。
その事を勘が――生まれてからずっとジオを支えてきた運命を感じる神子の力が――絶望が遠ざかる事を教えてくれている。
それはセージを拾ってから何度も起きていたことだ。
ジオは竜の呪いから解き放たれ、その神子の力をより強く感じ取れるようになっていた。
だがそれを言葉にして説明する能力は、ジオには無かった。
「あいつは天使だ」
シエスタはテーブルを勢い良く叩いた。
「そう言っていれば良いというものじゃあありません」
ジオはびくりと体を震わせた。
魔力はなくとも、怖いと思わせるだけの迫力がシエスタにはあった。
「シエスタ、落ち着きなさい。
言っていることは何も間違っていませんが、ジオはジオで何かしらを感じ取っています。
セージは心配ありませんよ」
「それは……そうかもしれませんけどっ。
心配ぐらいしてあげてもいいじゃないですか」
ジオは口元をへの字に曲げた。
「あいつは嫌がるぞ」
「父さん、余計な事言わなくていいから。
ご飯にしよう。温めなおして、ね。
シェスも真っすぐここに来たでしょ。
先にお風呂に入ってきなよ」
「アベル」
シエスタは鋭くとがった言葉をアベルに向けて、アベルはそれを正面から受け止めて優しく諭すように言葉を返す。
「気持ち切り替えてきてよ。みんな怖がってるからさ」
「……っ。ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。誰も悪いなんて思ってないからさ。
悪いのは父さんだからね」
余計な事を言ってはいけないと学習したジオは、今度は沈黙で答えた。
そしてふと、昔を思い出した。
あの時の自分は、見つけることも出来ずに死なせてしまった。
あいつはちゃんと見つけて、助けるだろう。
そう思ってジオは口元を綻ばせた。
あいつはやはり天使だと、そう思った。




