309話 準決勝第二試合
試合が終わって、ルヴィアは安堵のため息をついた。
それはとても小さいもので、それに気づく事が出来たのは一人しかいなかった。
「良かったな」
ダイアンは短くそう言った。その言葉にはルヴィアにしか分からない棘が含まれていた。
「ええ、そうね。エメラの応援のおかげね」
「う、うん……」
エメラは少し震えていた。
その頭をルヴィアが優しく撫でると、エメラはルヴィアにしがみ付いた。
「……どうしたの?」
理由はわかっていたが、ルヴィアは口に出させた方が良いと思って、そう問いかけた。
「怖かったの、セージ様が。
あの時の人殺しみたいで……」
あの時の人殺しというのは、ルヴィアと一緒にさらわれたところを助けてくれた男の事だろう。
エメラは助けてもらったと聞かされてもその男を恐れていた。それこそ彼女たちを誘拐した犯人よりも、強く怖れていた。
「そんな事ないでしょう。セイジェンド様は試合が終われば怪我を治していたじゃない。人を殺すような方ではないわ」
エルシール家がセージを恐れていると思われるのは良くない。
だからこそそんな嘘を口にした。
あの時のセージは対戦相手の命に関心を持っていなかった。
必要なら殺す。
そんな考えしか読み取れなかった。
それが美しいと思った花を手折るような、或いは目についた虫を興味本位で潰すような、子供の無邪気な残酷さだというのならば、ルヴィアは悲しいとは感じても心配はしなかっただろう。
エメラもここまで怯えはしなかっただろう。
だがあれはそうではなかった。
無知や想像力の欠如ではない。
人を殺す事を理解している。
人を殺した後のことを想像している。
その上で、何の気負いもなくそれをしようとする。
それは普通ではない。
ともすれば心が壊れている。
あの子はいったい、これまでに何人の命を奪ってきたのだろう。
そう思って、ルヴィアは胸が締め付けられた。
あの子は優しい子だ。
そうだというのに、そんな事を強いられている。
自分の心を殺して、人を殺している。
とても残酷な事を強いられている。
あの子は幸せだと言った。
それが本心だったとしても、あの子は普通の幸せを知らないだけなのではないか。
ルヴィアは一般人だが、それでもライムが本気で戦おうとしたことはわかる。
そんな彼を、セージは実力で圧倒した。
観客の反応を見れば、これまでの試合もセージが実力で勝利してきたのだと信じさせるに足るものだった。
たった十歳の子供が、最強の一人として認められる。
この国で最高峰の舞台に上がる。
そんな新しい英雄を育てたジオレイン・ベルーガーは確かに偉大な教育者だろう。
だが彼は毒を盛られた息子のために、何かをした様子はない。
彼のせいで、そうなったというのに。
彼は、守ってくれると約束してくれたのに。
あるいはルヴィアの知らないところで何かをしていたのかもしれない。
しかしセージは体調を崩したまま試合に上がり、その実力で試合に勝利した。
そして試合が終われば一目散にジオの下に駆け寄った。
あんな凄惨な試合をしたその後に、褒めて欲しいとねだるように。
セージはただの子供のように試合に勝ったことを父親に報告し、ジオはそんな息子をぞんざいに扱っていた。
それがルヴィアの目に映った事実だった。
「そうだな。さすがは英雄殿の息子だ。実に人間が出来ている」
ダイアンがそう言った。
それはエメラを落ち着かせるためのものであり、ルヴィアに問いかけるものであった。
このままでいいのかと、そう問いかけていた。
ルヴィアは何も答えられず、ただ無垢な笑顔を浮かべた。
彼女は無力だった。
******
「さあ本日も残すところあと一試合。
皆様お待ちかねの二大優勝候補の激突です」
実況の声は今日一番の熱を持ってその声を観客席に響かせる。
「一人はこの男。
天衣無縫にして傍若無人。
竜殺しの英雄ジオレイン・ベルーガー。
過去最強とうたわれた彼は、その実力に衰えはないと言わんばかりの瞬殺劇を披露してきました。
本気を見せて決勝へと進んだ息子に続き、新人戦では惜しくも逃した同門対決を実現するのか」
観客は惜しみない歓声を上げ、ジオは面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「対するはこの男。
この十二年間、国を守って来たのは引退した英雄ではなく、守護都市が誇るこの殲滅騎アルバート・セル。
四年前は時代の寵児、天才ケイ・マージネルに屈した若き英才。
彼女がそうしたように、新たな時代をその手で開き、天使との決戦に挑むのか」
アルは手を上げて観客の歓声に応える。
「サービスが良いな、小僧」
「貴様に比べればな」
二人がにらみ合い、審判が構えてとコールする。
ジオはこぶしを握りこみ、アルは大剣を抜いて大上段に構える。
審判はもう繰り返してジオに抜刀を促すことはない。
「ジオレイン選手は今回も抜かないつもりでしょうか」
「そのように見えるの。はてさて、あれが慢心であればアルにも勝機はあるんじゃがのう」
「ではカナン様の目には、余裕の表れと?」
「いやいや。それもまた違うのう。
誓いのように、儂には見えるよ」
「誓いですか」
実況は重ねてカナンに問いかけようとしたが、試合を始めろと合図が来たため、それに従った。
「それでは本日最終試合、準決勝第二試合のはじまりです。
どうぞ皆様目を離さずに最後までご覧ください」
実況の言葉が終わると同時に、審判が試合開始を宣言した。
初動は同時だった。
ジオもアルも同時に動き出す。
一回戦でも二回戦でもそれは同じだった。
ジオはアルよりも速く、その拳を走らせる。
神子であるジオの魔力量は人間の限界を超えている。
ゆえに肉体強化に差が出るのは当然だ。
だがセージがライムやアリーシアに勝ったように、魔力量の差は絶対ではない。
人間の限界まで成長したアルバートとの差はランク一つ分。
一般人どころか中級の戦士の目にも止まらぬジオの動きは、しかしアルバートの目ならば追える速度だ。
そしてそれは1回戦と2回戦で散っていった戦士達にも言える事である。
見えている拳を、歴戦の戦士が何故まともにくらったのか。
それはジオの拳が予備動作のない洗練されたものだったという理由もある。
そしてそれだけではない理由も。
ジオの拳が繰り出される瞬間、アルバートの身体が鉛のように重くなった。
正確には身体活性による肉体の強化が減衰された。
竜は世界を維持するために生み出された守護者である。
ゆえに竜には現世神ほどではなくとも、特別な権能が与えられている。
人間では到達できない魔力量もその一つだ。
しかし竜にただの人間が勝てない理由はそれだけではない。
限界まで鍛えた人間の戦士達であれば、ランクが一つ上なだけの魔物ならば決して勝てないと嘆く相手ではない。
竜の恐ろしさは世界から貸与されているその権能にある。
竜の結界〈聖域〉。
それは竜の願いをかなえる小世界であり、その中で竜に歯向かう事は――本来――許されない。
魔法という技術を身に着けた人間は、その世界でも竜にその剣を向ける事が出来る。
しかし魔法という大きな世界の中では見過ごされる小さな嘘は、しかし竜の小世界では容易く暴かれる。
竜は現世神ほどの権能を持たないため、嘘の全てを封じることは出来ない。
それでも魔力の使用や身体活性は大きく制限をされる。
それはランクで言えばおおよそ二つ分。
上級上位の戦士は上級下位にまで能力を減衰させてしまう。
そして神子であるジオは、竜の聖域を扱う事が出来る。
それは現世神の権能の不正使用のようなもので、竜の聖域よりも権能としてはさらに劣る。
ジオの聖域で制限できるのは、おおよそランク一つ分だ。
そのランク一つ分の身体能力の減衰を、殴られる直前でされればどうなるか。
その答えが1回戦と2回戦の結果だ。
負けた彼らは急に重くなった肉体とジオからの圧力で、咄嗟の反応が遅れてしまったのだった。
本当に僅かな、ごく一部の人間しか気づかなかったその僅かな遅れは、しかし攻撃動作に入ったジオに対しては致命的な隙だった。
最初から聖域を使われていれば、少なくとも一撃で終わるようなことはなかっただろう。
事前に心構えが出来ていたアルのように、彼らも何かしらの反応を見せる事が出来たはずだった。
ジオの拳を、寸での所でアルは避けた。
しかし完全には避けられず、頬をかすめて血と髪が舞った。
間合いは完全に殴り合いの距離まで入られた。
大剣を振るえる距離ではない。
躱されたジオの拳はアルの襟奥を掴みにかかるが、アルはさらに前へと踏み込むことでそれを避ける。
身体を密着させるほどの距離で、アルはいつもより重たい体に気合を入れて、ぶちかましを行う。
吹き飛ばす手ごたえは得られず、木の葉が舞うようにジオはひらりとターンをしてその衝撃を逃し、回転肘でアルの脇を打った。
アルはたまらず前へと走って距離を空け、がむしゃらに大剣を振るってジオの追撃をけん制する。
ジオは無理には追わず、その場で軽くステップを踏む。
アルの肋骨は折れたが、それは深手ではない。
即座に治して、大剣を構えなおす。
「行くぞ」
「いいだろう、来い」
アルの突貫を、ジオは正面から迎え撃つ。
ステップを繰り返し、リズムを刻んでアルの呼吸に合わせ、崩す。
******
「私の技」
ジオのステップを見て、セルビアがそう言った。正確にはミケルの技だった。
眼下のジオはリズミカルなステップだけでアルの剣技を躱し続けている。
それはミケルがセルビアに、セルビアがレイニアに見せた光景に似ていたが、しかしその速度と練度は段違いだった。
「……遊んでる?」
「いや、さすがにそれは……」
「遊んでいるぞ。
見ろ。
ようやく遊べる相手が来たと、笑っている」
ケイの見立てをカインが否定しようとしたが、しかしラウドが肯定した。
ラウドもまた楽しそうに笑っていた。
「ふん。ここまで小細工一つ凌げん未熟者が相手だったからな。
さしずめ決勝に備えて準備運動といったところか」
ラウドの言い様に、ケイがむっとして口を開く。
「まだ試合は終わってないでしょ。ちゃんと見てなさいよ」
「おや? お嬢様はアルバートを応援しているのですか」
マリアが面白そうに言い、ケイは面白くなさそうに口元を曲げた。
「別にそんなんじゃない。
……なによ。
何なのよ」
「いえいえ。ほほほ」
マリアはそれこそ母親のような生暖かい目でケイを見て笑った。
そんなマリアとは対照的に、カインは不機嫌に口をとがらせる。
「親父に勝てるわけないだろ」
「簡単に言うな、馬鹿」
「はぁ⁉」
「あんたはまだあそこに立ててないでしょ。
わかったような口を利くな、馬鹿」
真剣なケイの言葉にカインは押される。
押されて、それでも我慢できずに口を開く。
純な思いと、不純な思いを織り交ぜて。
「四年後は立ってるさ。
次にあいつを負かすのは俺だ」
ケイははっきりと言い返すカインを見て、ふいに四年前を思い出した。
その時は生意気なだけのガキだと思っていた。
今も生意気だと思っている。
でもそれだけだとは思っていない。
ケイは口元を綻ばせた。
「うん。頑張んなよ」
「当たり前だ」
ケイの言葉にカインは頷いた。
ケイは弟のように思っているカインの言葉に、何か別の意味が込められているなどとはみじんも思っていない。
ただそれはそれとして、込められているんだろうなと思ったマリアは、ニマニマと二人の様子をうかがって楽しんでいた。
「気持ち悪い笑い方だな」
そしてラウドにそう言われ、ラウドの座る椅子を蹴った。




