306話 準決勝の前に
「セージが具合悪いの。あっち。あっちの階段降りたところで、お爺様たちが看病してるから。早く行ってあげて」
第二貴賓室に駆け込んだケイは、ジオたちを見つけるなり大声でそう言った。
「わかった、行くぞ」
ジオは前半はケイに、後半は子供たちに言って、彼らは言葉通りすぐにセージの下へと駆けだした。
ケイもその後に続こうとしたが、しかしそれは一人の男に遮られた。
「待て、ケイ。話がある」
男の名はアルバート・セル。ケイに婚約を申し込んだシャルマー家の騎士だった。
「いや、私はセージの方が気になるから――」
ケイはそう断ろうとして、そこで初めて周囲の視線に気が付いた。
この日の試合は全て終わったとはいえ、まだ第二貴賓室に残っていた名家関係者は多い。
この2日間でその実力が本物だと示してきたセージへの注目度は高く、突然の不調を告げたケイの言葉は彼らの関心を強く刺激するものだった。
さらに最年少の皇剣ケイと、今期の優勝候補筆頭のアルバートの間に生まれたラブロマンスもまた、関心の高い問題だ。
彼らが向けてくる好奇の視線は試合を見られるのとは全然違っていて、ケイは顔が火照るのを抑えられなかった。
「――こっち」
ケイはアルの手を取って、周囲の視線から逃げ出した。
多くの貴婦人たちの興奮隠せぬため息に交じって、最強の皇剣などと呼ばれている男が一言漏らす。
「青春だな」
そんな男に、同じく対人戦で最強と呼ばれる皇剣の女が不満を漏らす。
「あれは青いと言うのですよ。仮にも名家令嬢がこの場で淑女として振舞えぬなど、情けない」
男はなるほどと、頷いた。
「姑が口うるさいと言う俗説は、本当のことのようだな」
「甲斐性無しの独り者が、知ったような口を利きますね」
女の射殺さんばかりの視線に、男はそっと視線を逸らして応えた。
******
「あんたね、周りからどう思われてるか考えてよね」
人気のないエリアまで来てからケイは、アルにそう言った。
マージネル家の者が聞いていれば、きっと彼女に鏡を渡しただろう。しかしアルバートは守護都市民であっても紳士なので、そんな意地悪はしないのだ。
「すまん」
「む。
……こっちこそ、ごめん。
私が気にしすぎてるだけだ。うん。堂々としてればよかった」
素直に頭を下げられたことで冷静になって、ケイはそう言った。
「いや、気にしてくれるのは嬉しい。
脈が無いってことじゃないんだろう」
「なんでそういう事言うかなっ」
ケイは再び、顔を赤くしてそう言った。
アルも再び、すまんと謝った。
「んんっ。ともかく、私はセージが心配だから戻るよ」
「いや、待ってくれ。セイジェンドはどうした。無事なのか」
「分かんないけど、大抵の事なら何とかするでしょ」
ケイははっきりとそう言った。アルは少し暗い顔で尋ねる。
「……そうか。それでも、心配するんだな」
「当然でしょ、弟だもん。
……いや、弟じゃなかったけど、弟みたいなもんだし」
「そうか」
アルははっきりと明るい顔で相槌を打った。
「話はそれだけ? あんたはセージの心配するより、自分の心配しなさいよ」
「いや、話はそっちが本題だ」
「え?」
声を上げたケイを、アルは真剣な表情でに見つめた。
「俺は勝てると思うか、ケイ」
「……」
ケイはアルを真っすぐに見返した。
少女だったケイの心が、騎士としてのケイに切り替わる。
そこにはもう浮ついた感情が混じる事はない。
ケイの眼は騎士として、戦う者として、冷徹にアルを見定める眼差しだった。
「勝てない。
四年前に私があんたに勝ったのは、言ってみれば奇跡みたいなものだ」
「そうだな。そしてその奇跡を起こせる何かが、あの時のお前にはあった」
「うん。でも今はそんな奇跡に頼らなくても、もちろん精霊様の力に頼らなくても、あんたに勝てる」
淡々と、何の感情も交えずケイは当たり前の事実を口にする。
アルバートはそれを否定しない。
「ああ、そうだな。この四年間で、お前は俺よりずっと強くなった」
「でも今の私は、ジオには勝てない。
セージにも、勝てるとは言い切れない。
精霊様の力を借りても、奇跡が起きてもね」
ケイは変わらぬ口調でそう言い、アルは静かに頷いた。
何一つ否定することはないと、頷いた。
ケイはそんなアルバートを、少しだけ目を細めて見つめる。
「私はさ、ちょっとあんたが羨ましい」
ケイがそう言うと、アルはかすかに笑った。
恋した少女の気持ちを、考えを、アルははっきり感じ取っていた。
「自分が戦いたかったから?」
「うん」
アルバートは笑った。
そうだ。
その通りだ。
明日、アルバートが挑むのは絶対に勝てないであろう圧倒的な強者。
そんな相手にもしも勝てれば、次はさらに輝くような才能を秘めた相手と戦える。
国中が注目する晴れ舞台でこんな経験を得られるのは、間違いなく一生で今回限りの事だろう。
これは天才ケイも羨む経験だ。
俺は運がいいと、アルバートは笑った。
「そうか。だがこれは俺の戦いだ。
見ていろ、ケイ。
俺はジオを倒し、セイジェンドを倒す。
その後で、答えてくれるか」
「……わかった」
何をとは、問い返さない。
私も真剣に考え、答えを出そう。
ケイはそう思った。
******
ジオはぐったりと横たわるセージを見つけると、何も言わずにその体を持って肩に担いだ。
「ジオ、大切に扱いなさい」
イリーナが窘め、ジオはわかっていると頷いた。
「帰るぞ」
「えっ、父さん、セージは? 病院に連れていかないと」
「必要ない。だろう?」
抱えられたセージはジオの背を叩いた。ジオは頷いた。
「こいつもこう言っている」
「いや、何も言ってねえだろ」
「でもアニキ、病院行きたくないって」
「分かるの、セルビア?」
「なんとなく」
セルビアは曖昧に頷いた。
セージが病院に行きたくないのはわかったのだが、しかし彼女は行った方が良いんじゃないかと思っていた。
ただジオも行かせるつもりが無いようだから、それは口に出さなかった。
兄はいつだって正しい。たまに間違えてもその時は父が殴って正す。
だから二人がそれで良いと思っているのなら、自分の心配は余分なのだと口を噤んだ。
「ジオ、薬を持って行かせる。飲ませておけ」
エースがそう言い、セージが再びジオの背を2回叩いた。
「必要ない。水が欲しい、だそうだ」
「……そうか。それで、良いのか?」
「ふん」
ジオは口をへの字に曲げて、そっぽを向いた。
何が言いたいんだとエースがしかめっ面になり、セージは顔を上げて口を開いた。
「良いとは、思っていない、とりあえず、私の好きにさせると、言っています」
「お前しゃべれんのかよ」
カインは突っ込んだが、焦点の合わないセージの目を見たせいで、その声にはいつもの元気さがまるで出なかった。
「しんどいけどね。うん。とりあえず、家まで、寝る。ご飯は食べるから、作って。おやすみ」
セージはそう言うと上げていた顔を下ろし、ぐったりと脱力する。
そしてそのまま本当に寝た。
******
その日の夕方、ルヴィアは皇剣武闘祭から戻ってきた父、ダイアンに呼び出された。
「明日はお前も来なさい」
「……まだ体調が良くないの」
「そうか、だが出ろ」
ルヴィアはその命令に沈黙する。
高い確率で、ダイアンはルヴィアとセージの関係に気付いている。
だがルヴィアが明かさなければ、セージが既に知っていることに気づかれなければ、具体的な行動には移れない。
ブレイドホーム家は既に新たな名家となりつつあるのだから、下手を打って不興を買うリスクは避けたいはずだ。
「何故?」
ルヴィアはだから、無垢な笑顔を張り付けてそう尋ねる。
ルヴィアとの関係を持ち出せなければ、ブレイドホーム家に対して強引な手は取れない。
真っ当な形での交流は計るかもしれないが、それならば許容範囲だ。その時はルヴィアも影ながら動く事が出来るだろう。
そのためにもここは折れるわけにはいかない、そう思っていた。
「セイジェンドに毒が盛られた。スナイク家から報復の対象として、息子が狙われた」
ルヴィアの笑顔は、凍り付いた。
「順を追って話そう。
お前は察していただろうが、英雄ジオレイン殿はスナイク家のシード枠を強奪している。その際には武力のみならず、精霊様の威光をも持ち出したそうだ。
セイジェンドは今日、準決勝進出を決めた。
対戦相手はシード権を奪われたスナイク家のライム・スーザー。
彼に呼び出された後、セイジェンドは倒れた。毒を盛られたのだ」
ルヴィアは必死に頭を働かせて、冷静さを取り戻そうとする。
だが父が正直に話をしていると分かってしまうからこそ、ルヴィアは己の心を統制できなかった。
「お前には、試合を見届ける義務がある。
理由など、お前自身が分かっているはずだ。
あの子が死ねば、それはお前の責任だぞ」
ルヴィアは表情を取り繕う事も忘れ、俯いて唇を噛んだ。
一条の血が滴り、絨毯を汚した。
◆◆◆◆◆◆
そんな訳で夜が明けて、朝を迎えました。
とても清々しくない朝です。
正直、一杯飲んだ後の記憶が曖昧です。
夕ご飯は食べた気がするのだが、何を食べたかは思い出せない。やたらと水を飲んだ気はする。
ベッドは寝汗でぐっしょりになっており、私の腕を妹ががっちりホールドしている。
妹は三日に一回ぐらいそうするので、いつもの事でもあるのだが、なんとなくいつもより気合が入っている感じなので、抜け出すのに苦労した。
ベッドから抜け出すと足が少しふらついた。
朝食を作る前にシャワーを浴びようと思ったのだが、その前に少し体を動かして、体調を確認しておこう。
部屋を出ると、そこには親父がいた。
「……おはよう」
「道場だろう。付き合う」
「……」
親父は何でもないようにそう言った。
何となく気恥ずかしかったので、その脛を蹴っておいた。
「朝の挨拶をしろっ」
「何だお前は。
わかった。
おはよう。
これでいいか」
「ふんっ」
そんなこんなで道場に行き、親父相手に軽く打ち込み稽古を行う。
とはいっても試合を控えているし、私は本調子ではない。
あくまで軽く、魔力の使用も抑えて少し汗を流す程度だ。
それが終わって、二人でシャワーを浴びる。
「勝てそうか?」
「まあ、余裕かな」
私がそう言うと、親父は不機嫌に鼻を鳴らした。
「ふん。お前が負ければ、俺はあいつを殺すぞ」
「なんでだよ」
そうは言ったが、親父が何を言いたいのかは分かっている。
私の手で片を付けられるから、私がそうしたいから、手を出さないでいるだけだ。
いつもは見づらい親父の感情は、今は明確な殺意のくすぶりを示している。
……もし試合に負けたら、毒は自分で飲んだと白状しよう。
…………なんで私は飲んだんだろうな。
………………いや、わかってるんだけどね。
しかしこれだけ勘の良い親父が、過去には毒を盛られたこともあるのか。
「そう言えば親父は昔、なんで毒入りの弁当なんて食べたの?」
シャワールームから出て、濡れた体を拭きながら同じく出てきた親父に聞いた。
「何だ急に。どうでもいいだろう」
親父がぶっきらぼうにそう言った。
忘れたとは言っていない。
これはつまり話したくないという事ですね、わかります。
「参考までに聞いておこうと思ってね、それで何で?
毒が入ってるって、わかってたんだよね?」
親父が舌打ちをした。私はちょっと楽しくなってきた。
「ねえなんで? なんでなんで?」
「しつこいな。
……マギーには言うなよ。
知らない女じゃなかった。
俺が食わなければ、その弁当は女が食う事になった。
で、お前は? 逃げようと思えば逃げれただろう」
「怯えてて可哀そうだから、ハンデあげようと思って。それだけだよ」
服を着て、二人で家の方に戻る。
負けた時の説得材料のつもりだったのだが、流れで答えることにした。
ただ正直に話したというのに、親父は不満そうに声を上げる。
「お前はいつもそうだな。セルビアを泣かせるなよ」
唐突に妹を持ち出す理由は、まあわかっている。
わかっているけど、たぶんそれは、私にはどうしようもない。
私にできるのはいつか来るその日に備えて、妹の成長を手助けすることだ。
「……人は泣いて成長するものだよ」
「ふん」
「それより、その女の人とはその後どうなったの?」
「金を持って余所の都市に行った。そこから先は知らん」
親父はそう言って誤魔化すが、私に通じるとは思わないことだ。
いつもの親父なら余所の都市に行ったことすら知らないはずなのだから。
「親父が気に掛ける相手なんて珍しくない?」
「別に気に掛けたわけじゃない。アンネの奴が聞いてもないのに教えてきただけだ」
そんな話をして、家の中に入る。
いつの間にかみんな起きていて、家の中には料理の匂いと雑多な生活音が満ちている。
いつも通りの平凡な朝だった。
「おはようセージ、調子はどう?」
「おはよう、ぼちぼちだよ」
「無理すんなよ」
「うん」
「試合、棄権したらダメなの? 体、悪いんでしょ」
「そうはいかないよ」
「……アニキ、勝ってね」
「ああ、勝つよ」
私はそう答えて、食卓に着く。
シエスタさんが用意した朝食を食べて、皆と一緒に国立闘技場に向かう。
体調は万全ではない。
けれども負ける気はしない。
さあ、前座君との準決勝だ。




