298話 愛は深く、底なしの沼のように
息子は二度化けた。
親のひいき目を抜きにしても、息子のアルバートは天才だった。
だがその溢れる才能がゆえに驕りも持ってしまっていた。
それが改められたのは、前回の皇剣武闘祭。
何を血迷ったか自分を負かした少女が好きだと言い出したのには頭を痛くさせられたが、その敗北をきっかけに息子は化けた。
驕りは消え、強くなろうという熱が端から見てもはっきりと分るほどだった。
その情熱を感じてしまうからこそ、切っ掛けとなったケイなどという女との交際を――正確には交際を申し込むことを――許すことになった。
二度目の変化は一年前。
セイジェンド・ブレイドホームと共に、デイト・ブレイドホームと戦ったこと。
本人が語ろうとしないせいで、何がどうしたのかは分からない。
それでもその日を境に息子が変わったことは感じ取れた。
情熱だけではない覚悟が備わったように見えた。
そして何より、息子がセイジェンドを認めていることを感じ取っていた。
決して口に出して認めることはなかったが、セイジェンドに敬意を抱いているようですらあった。
もしかしたらそこには母である己への遠慮もあったのかもしれない。
そしてそんな息子の気持ちが、今のアリーシアには少しわかる。
守護都市で生まれ育ち、武の道に生きるならそれは当然の感情なのだ。
強い者への敬意というものは。
アリーシアが精霊様からの魔力供給を受けたことで、セージとの魔力量の差はよりはっきりと大きなものとなった。
だが対峙するセージの眼に恐れはない。
緊張はない。
ともすればアリーシアへの興味すらない。
どう戦うか、どう勝つか。
感情のない人形のように、ただそれだけに専心している。
アリーシアは笑った。
それはひどく透明な、美しい笑みだ。
これから戦う相手は格下の子供などではない。
対等な敵でもない。
目の前にいるのは格上の、そしてアリーシアが諦めた高みを目指す先駆者だ。
ならば騎士として、相応の礼を示さねばならない。
「皇剣アリーシア・セル。
天使セイジェンド・ブレイドホームに挑戦を申し上げる」
******
端から見れば、その戦いは竜と人間のものだ。
屈辱をバネに上級上位まで己を鍛え上げたアリーシアは、精霊からの魔力供給を受けることで、生物の限界を超えた聖域に達する。
それは竜と呼ばれる、人間では決して抗えない特別な領域だ。
肉体の性能差は明白。
セージもまたデス子から魔力供給を受けて、彼女との差を埋める。
それでも差はまだ大きい。
成熟したアリーシアと未熟なセージでは基本となるスペックにあまりにも大きな差があった。
加えて、状況も悪い。
アリーシアの周囲を飛ぶチャクラムは彼女を守る結界である。
飛翔剣のような爆発的な火力も多数を相手取る汎用性もないが、しかし闘技台という限られたスペースで一対一の戦いとなれば無類の強さを発揮する。
「汚いぞ、ミズフェイク」
観客からのヤジが飛び、アルバートが威圧の魔力を放つが、闘技台の二人はそんなやり取りを気にした様子はない。
セージはチャクラムの軌道を見切りながらヒット&アウェイを繰り返し、アリーシアはセージの斬りこみを捌きながら間合いを詰め続ける。
「これは素晴らしい。
アリーシア様の華麗なる征天円舞を、セイジェンド氏が巧みに捌く。
これはいったいどういう事か」
「……征天円舞はのぅ。完成された技なんじゃ」
「カナン様」
「間合いに入ったものを四方八方から切り刻むチャクラムは、それはそれは恐ろしい。
アリーシャの奴に剣で勝てる者は、そうはおらんじゃろう」
独り言のようにつぶやくカナンの言葉に、実況は大きく頷く。
「流石は一対一では最強とされるアリーシア様です。
この技を出させた天使セイジェンド氏はやはり傑物というべき少年ですね」
「完成された技はのぅ。
言ってしまえば、格下に確実に勝つための技でもある。
それも良い事じゃよ。
勝てる戦いに確実に勝つ。武の道を行くには、なにより生き延びることが大事じゃからの」
カナンの独り言は続く。
「アリーシアではラウドには勝てん。
自動操作に頼り切っては、あやつの飛翔剣を超えることは出来んからの。
ジオにも勝てん。
あれの術理はちんけな結界なぞでは抑えきれんからの。
ケイにも、勝てんかもしれん。
あの子のセンスは、ともすればジオやセージ以上じゃ。初見を凌がれば、あとは差を詰められ、超えられてゆくだけよ」
「いえいえいえ、カナン様。
アリーシア様は終始優勢にセイジェンド氏を追い込んでおります。
皇剣の方がこのような遊びの試合で負けるはずがありません」
慌てて余計な事を言う実況に、カナンはくすりと笑った。
「そうじゃな。遊ばねば、アリーシアが勝つやも知れんな」
「え?」
「分からぬか。
アリーシアは長年かけて完成させた技を崩しおったのよ」
巧みに距離をとるセージに向けて、アリーシアはチャクラムの一つを飛ばす。
直線的なそれはセージの竜角刀に切り払われて、武器として完全に死んだ。
当然の結果だなとアリーシアは笑って、今度は二つのチャクラムを弧を描いてセージに襲わせる。
セージはそれを見切って、同じように切り払った。
チャクラムは残り五つ。
それまでよりも広くなった隙間に、セージが襲い掛かってくる。
「完成された技には先がない。
それだけに頼り切ってはその場で足踏みをするだけじゃろう。
先を行くのならば、己よりも強い者に勝ちたいのであれば、技を崩さねば、のぅ」
アリーシアのチャクラムは飛翔剣と違って、使用者を起点に完全自動で周囲を飛ぶものだった。
だが手動で操作する機能が無いわけではない。
二本のダガーで己を守りながら間合いを詰め、チャクラムで敵を切り裂くことが最適解であったから、使う必要が無かっただけだ。
「つ、つまりアリーシア様はセイジェンド氏を己より強いと認めたと」
「儂には、そう見えるの。
ほっほ。いやはや、若い者の熱とはいいのう。
年甲斐もなく血が滾るようじゃ」
カナンは愉快気にそう言った。目の奥でギラギラとした熱を輝かせて、そう言った。
******
今年で四十二歳となるアリーシアは、マリアよりも一つ前の世代の天才だった。
彼女はしかし、周囲に待望されがらも一度は皇剣を目指す道を諦めた。
当時、すでに皇剣級と言われていたジオレインを恐れたからではない。
皇剣を目指す青年と恋に落ち、子を授かり、その青年を支える道を選んだからだ。
魔人ジオレインは恐ろしくそして強いが、夫はきっと打ち勝ってくれるとアリーシアは信じた。
その信頼はしかし、裏切られることとなる。
征伐騎士であった夫は、ジオに挑むことも出来ずに荒野で殉職した。
部隊のだれ一人として生き残ることが出来なかったため、どんな魔物に殺されたかもわからない。
そもそも魔物だったかどうかも定かではない。
荒野の魔力障害に加え、彼らを襲った何者かの攻性魔法により、管制との情報連結は完全に断たれてしまった。
救援チームは即座に結成され、アリーシアも育児休暇を返上してそこに志願した。
そうして駆け付けた先で見たのは、絶命し腸を食い散らかされた無残な夫の姿だった。
アリーシアはその日から、再び皇剣を目指すようになった。
夫が残した最愛の息子のために、皇剣という栄誉を目指した。
いつの日か息子に、私は強いけれど、あなたのお父さんは私よりももっと強かったと、言いたかったから。
だから彼が認めた最強の戦士に打ち勝つことを望んだ。
最強と呼ばれる戦士に勝って、そして勝つはずだった彼の名を告げたかった。
人の心のない戦士に、少しだけでもいいから彼の死を悼んで欲しかった。
だが、それは叶わなかった。
アリーシアはジオに負けた。
負けてなお、諦めきれずにアリーシアはジオに夫の名を告げた。
あの人だったら貴方になんか負けなかったと。
嘲笑を受けたのならば、アリーシアは憤慨しただろう。
その上で次は勝つと、心燃やして己を鍛え上げただろう。
しかしジオは夫の事を覚えていなかった。
誰だと、何の関心もない顔でそう問い返した。
相手をしてやるから連れてこいと、そう言った。
それがきっと、最後の切っ掛け。
文字通りこの国に命まで捧げたアリーシアの愛する英霊は、魔人にとっては路傍の石ころだったのだ。
夫の死から目を背けて剣を取ったアリーシアの心は、こうして真っ黒な所に落ちていった。
それを慰めようと思ったのだろう。
先代シャルマー家当主は皇剣の座をアリーシアに与えた。
夫への手向けになると、そんな言葉を添えて。
アリーシアはそれを受け取った。
心のどこかで間違っていると思いながら。
彼女はそして、偽物と呼ばれるようになった。
そんな彼女が、長い時を経てかつて敗れた男の息子と剣を交える。
皇剣という魔力供給を借りて、一対一の試合で勝つために作り上げた技を振るって戦う。
そしてアリーシアは、再び負けた。
神の眼を持つセージにとって、チャクラムの軌道を見切る事は難しい事ではあるが、不可能な事ではなかった。
それを察して手動操作を織り交ぜたところで、そこにアリーシアの意志が混じるのならば、習熟の甘いそれはむしろ先読みの助けとすらなってしまった。
魔力供給による能力向上もセージの魔力供給に比べて劣るものでしかなく、そもそもの能力差はむしろわずかながらに縮まってしまっていた。
さらに言えば不死の心と、もはや国内最高峰となった魔力操作技術を持つセージに比べれば、アリーシアは他者からもらい受ける魔力の取り扱いが完璧ではなかった。
相手がただの上級上位の戦士であれば、それらは欠点たりえなかった。
だがセージを相手にして、それは欠点として明確に浮かび上がった。
誰よりもアリーシアがそれを理解して、それでも勝つと戦い抜いて、笑って負けた。
私は弱いのだなと、笑って負けた。
******
尚、大人げなく全力を出した皇剣アリーシアに打ち勝ったセージは、この日に決勝大会進出が決定した。
何かしらの特例が与えられたのではなく、セージと対戦する可能性のある戦士が、全員辞退をしたからだった。
負けたとはいえ、アリーシアは皇剣に相応しい実力を見せつけた。
それは強ければ強いほどに感じ取れる強さだった。
そんな訳で上級の戦士も含めて、セージと同じ山に入っていた戦士たちはこの試合を見て、揃ってこう言ったのだ。
あれには勝てない、と。
******
翌日、ルヴィア・エルシールは何気ない様子を装って新聞を開いた。
セージが何やら活躍したらしいというのを、予選を見に行っていた家族が話していた。
しかしルヴィアはこれ以上の疑いをもたれないよう、賑やかなその輪には入らなかった。
そんな訳でポーカーフェイスを保ちつつ、ドキドキしながら新聞を開いた。
もしかしたら新聞も読まない方が良いのかもしれないが、怪我をしていないかどうしても気になった。
そしてそもそも新聞は毎日読んでいたから、これが理由で疑われることはないとも判断した。
新聞を読んで最終予選初日にセージが異例の決勝大会進出を決めたのを知って、そういう事かと納得した。
中級の戦士を実力で倒し、皇剣アリーシアに勝ちを譲られることで、他の出場選手の辞退を自然に見せようとしたのだろうと。
これでセージは最年少の本大会出場という実績を得る。
あとは一回戦で父親のジオレインに善戦して負け、ジオレインがそのまま優勝すれば、実績のために便宜を図られたという悪評は最低限で済む。
きっと四年後は万全のバックアップを受けて、皇剣となるのだろう。
心配に思う部分が無いわけではないが、セージは順調なエリートコースを進んでいる。
そこまで考えて、ルヴィアはふと気になった。
皇剣アリーシアはミズフェイクとも呼ばれ、英雄ジオレインに敵意を持っていると噂される女性だ。
そんな女性だからこそセージが勝ったことに信憑性が出るとも考えられるが、彼女の名誉は間違いなく地に落ちる。
さらに英雄ジオレインはギルドを統括するスナイク家に殴り込みをかけて、決勝大会の出場枠を奪ったという噂もある。
どちらの話も名家と対立するもので、それが真実であるならばセージはバックアップされているわけではなく、実力でこの結果を手に入れていることになる。
そこまで考えて、ルヴィアはいいやと、再度考えを改める。
いくら偽物の皇剣と呼ばれていても、十歳の子供に実力で負けるはずもない。
そうであるならば、対立をしているのはジオレインだけで、セージは違うのかもしれないと考えつく。
英雄ジオレインの悪評は商業都市にも響き渡っているし、この一年間でも子供に対して虐待まがいの暴行を加える、ひどくスパルタな指導をしているという噂も聞いた。
セージの収入は家に入れさせられ、それだけではなく家事も押し付けられているという噂も。
そして大会前の大事な時期であるにもかかわらず外縁都市まで働きに行かされて、再起不能になるほどの怪我を負ったとも。
怪我に関しては後日誤報だったと訂正されたが、あの時は気が気ではなかった。
ルヴィアはふと、セージと会った時の事を思い出した。
あの時は自分の気持ちに押しつぶされて、まるで冷静ではなかった。
セージの口にした幸せという言葉は真実だと感じたが、それは本当に本当の事なのだろうか。
あの時のあの子は、悲しそうな顔をしていなかったか。
嘘を吐いた罪悪感が滲んでいなかっただろうか。
それを隠しているような顔ではなかっただろうか。
そんな記憶が思い浮かんだ。
もしかしたら、本当にもしかしたら、手を取って、無理やりにでも連れ出してほしいと思っていたのではないか、そんな事を思ってしまう。
そう思ってしまったからこそ、ルヴィアはマリアの言葉を思い出した。
あの子は母親を恨んでいる。
余計なことをする資格はないのだと、心臓に杭を打ち込んで自戒する。
あさましくも一緒にいたいという欲が、都合の良い妄想をさせているのだと。
そうして己を諫めても、あの子のために何かしてあげたいという欲は無限に湧いてきてしまう。
何も出来ることはないのか、何かしてあげた方が良いのではないか、本当に何も困ってはいないのか。
「セイジェンドは、5歳から働かされているようだな」
そんなルヴィアに、父ダイアンが話しかけていた。
新聞のページはもう皇剣武闘祭とは関係のない、舞踏祭(多種多様なダンスの競技祭)に移してある。
ルヴィアはごく自然な態度で首を傾げた。
「介抱をしてもらっただろう。興味があるかと思ってな」
「ええ。先方へのお礼は、どのように?」
ルヴィアはやんわりと話題を逸らした。
「あちらはあちらで、会場の状態に不備があったと考えているようだ。簡素な謝罪文と一緒に菓子折りが送られてきたよ。
しかし折角の祝いの席に私たちがケチを付けたのは間違いない。
金子を渡すのは不躾であろうから、こちらも菓子折りにしようと思う。お前にはそれに、一筆添えてもらう」
「ええ、それがよろしいでしょう。
では、さっそく」
ルヴィアは手紙をしたためようと、席を立って机に向かう。
「書き終わったら見せなさい、確認をする」
ルヴィアの背中に、何もかも見透かしているようなダイアンの声が届く。
「ああそれと、セイジェンドだがな。
私には助けを求めているように見えたよ。この一連の流れに、な」
「……そう」
ルヴィアは興味のなさそうな声を作って、父から離れた。
高く響く心臓の音が聞かれるのを恐れて。




