邂逅
確かにここに何かがいた。
赤十字病院。
窓から差し込む月灯かりのもと。
透は救急外来の診察用ベッドの上で
夕飯にありついていた。
スクランブルスクエアで手に入れた缶詰。
明治通りの川で汲んだ水。
静かな病院の中に、
缶を開ける音だけが響く。
「.....何がいたんだろう。」
薬剤科の部屋。
あの空っぽのメンテナンス台を思い出す。
誰もいなかった。
それなのに。
誰かがいた気がした。
透は缶詰を口に運ぶ。
そして小さく呟く。
「......まあ。でも今はあそこだよな。」
六本木。
あの倒れた巨木の根元。
遠くで聞こえた、あの音。
不確かな気配を探すより、
確かめるべきものがある。
「明日の朝、行ってみるか。」
そう決めると、
透は残った缶詰を口の中にかき込んだ。
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次の日の朝。
透は出発の前に、
リュックの中身を整理していた。
残りわずかな、
缶詰と水。
懐中電灯。
電池。
そして気付く。
「....あ、結局薬探してないじゃん。」
また昨日の光景を思い出す。
何かがいた痕跡。
そればかり気になって、
本来の目的を忘れていた。
透はリュックを背負うと、
改めて薬剤科へ向かった。
薬剤科に入り、棚を物色していると、
倒れた棚の影に、隣の部屋へ続き扉を見つけた。
「昨日は気付かなかったな。」
倒れた棚を押しのける。
足元に散らばった書類を踏まないよう跨ぎながら、
扉の前に立つ。
『保管庫』
そう書かれたプレートが貼られていた。
少し重たい鉄の扉を開く。
ひんやりとした空気が流れ出た。
中には天井近くまで並ぶ薬品棚。
積み上げられた段ボール。
透明なケース。
無数の薬品が保管されていた。
「.......すげぇ。」
透は思わず声を漏らす。
そして棚に貼られたラベルへ目を向けた。
ひとつひとつ読み上げる。
「....アセトアミノフェン。」
「.........セフジトレン。」
「.....何これ?」
カタカナや英数字が並ぶ。
「ロキソプロフェン.....ロキソニンとは違うのか?」
名前が分かっても、
何の薬かさっぱり分からなかった。
「親切じゃないなぁ。これじゃなにがなんだか....。」
わからない。
そう言いかけた時だった。
視線の端で何かが光る。
部屋の奥。
積み上げられた段ボール箱の上。
薄暗い保管庫の中で、
微かに緑色の光が点滅していた。
「.....なんだ?」
薬品でもなければ、
機械にも見える。
誰かが置き忘れたように。
その小さな光だけが、
静かな保管庫の中で生きていた。
透は小さく光るそれに
ゆっくりと近づく。
「......タブレット?」
手のひらより一回り大きい。
角ばった黒い筐体。
頑丈そうなケースからは、
肩掛け出来そうなベルトが垂れている。
画面の左上の隅が、
鼓動のように緑色を点滅させている。
透はそれを手に取った。
思わず苦笑する。
「いや、今更タブレットなんて拾ってもなぁ。」
スマートフォンなら何台も拾った。
自分が持っていた端末もある。
しかし、
どれも電源は入らなかった。
バッテリー切れか。
故障か。
いつの間にか、
わずかな期待もしていなかった。
世界から人が消えて、
透だけが目覚めてから。
まともに動く端末機器など見たことがなかった。
透は恐る恐る画面へ触れた。
その瞬間。
緑色の点滅が点灯に変わった。
『起動シーケンスを開始します』
「うわぁっ!?」
画面には見たことのない
メーカーのロゴの様なものが映し出された。
端末は続けて話す。
『本人確認を実施します』
「.....は?」
すると、
端末の上部から淡い光が広がる。
光は透の顔をなぞるように走り、
全身を一瞬で読み取った。
思わず身を引く。
「うおっ。」
数秒後。
音声が告げる。
『認証失敗』
『登録された所有者の生体反応を検出できません』
「......そりゃあ。」
『最終接触から43,127日が経過しています』
「.....はぁ?」
4万....?
『緊急。サポートAIをへ起動します。』
「ちょっ!!まてまて、勝手に進めるな!」
画面が暗転する。
『こんにちは』
静かな声が響いた。
透は固まる。
そして、おそるおそる返事をする。
「.....は、はじめまして~。」
『統合支援AI《IK-K003》です』
「....ん、なんて?」
『IK-K003です』
「あいけーけーぜろぜろすりー?」
すると、画面上に立体的な
ホログラムで《IK-K003》と浮かび上がる
「.....あ、あいけー、けー..読みずらいな。」
『......。』
『あなたの呼びやすい呼称でお呼びください。』
こいつ、ちょっと沈黙したよな?
「.........じゃあ、イッコさん...?」
『....それで、いいです。』
「それで、ってなんだよ!」
『私は呼称にこだわりはありません』
「絶対今あっただろ!」
『ありません』
「嘘つけ!」
『嘘はつきません』
「.....まあ、いいや。」
透の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
「そういや、さっき最終接触から4万いく日経ったって言ってたよな?」
『はい。43,127日が経過しています』
「43,127日....え、100年以上経ってない?」
「え、まって.......今って何年?」
『本日は、西暦2205年5月24日です』
「二千二ひゃっ....!?
思わず声を上げた。
「嘘つけ!!」
『嘘はつきません』
「いや、だって.........。」
言葉が続かない。
頭の中がめちゃくちゃだった。
自分が最後に覚えている日付。
2087年3月10日。
あの日から、
100年以上経ってることになる。
「.................。」
透は言葉を失った。
数分後。
段ボールに背を預け、
透は未だ沈黙のままだった。
『.......♪~』
突然端末から、
聞き覚えのある音楽が流れだす。
「.....なんだよ。」
端末は淡々と答える。
『こちらは
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲、ピアノ・ソナタ第8.....』
「違うよ。なんで今流すんだよ....。」
『私の所有者が長考する際に良く流していましたので』
「....慰めてるつもり?」
『いいえ。統計的に会話が再開される確率が上昇します』
「AIのくせに沈黙気まずくなってんじゃねぇよ。」
『違います』
そうか、
この端末にも元の所有者がいるのか。
「イッコさんの所有者って....。」
しばらく沈黙が流れる。
そして端末は答えた。
『所有者情報は保護されています』
「........。」
『ただし』
『半径5km以内に所有者の生体反応はありません』
「え、今の短時間でそんなにスキャンしたの?」
『はい。私は優秀なので』
思わず吹き出す。
「自分で言うかよ。」
『嘘はつきません』
「またそれかよ。」
透は声を上げて笑う。
そして、勢いよく立ち上がる。
「まあ、くよくよ考えても始まらないしな。
独りぼっち同士、仲良くしようぜ。」
『私は独りでも寂しくありません』
「そこは素直に”よろしく”で良いんだよ。」
『....よろしくおねがいします』
透は端末を持ち上げる。
側面から古びたキャリングベルトがついている。
まるで前持ち主が肩から掲げていたかのように。
透はそれを肩へ掛けた。
「よし、じゃあ優秀なイッコさん。
俺は今薬を探しているんだ。」
『情報が曖昧です。詳細をください』
「なんか一言余分なんだよな~。
薬だよ、くすり!」
『解熱剤ですか』
「ん~。」
『抗生剤ですか』
「こうせい...。」
『鎮痛剤ですか』
「た、ぶん?」
『質問の意図が不明です』
「だから怪我とか病気とかした時に使うやつ!」
投げやりに透が叫ぶ。
少しの沈黙の後、
端末から一瞬だけ妙な音が漏れた。
『.....っふ』
「....は?」
『....え?』
「....今、バカにしたでしょ?」
『....いいえ』
「鼻で笑ったよね?」
『何を言ってるんですか。
鼻なんてついてません』
「絶対俺の事ばかn….。」
透の言葉を遮るように、
端末は喋り出す。
『周辺のスキャンを開始します』
「おいっ!」
『完了しました。
該当する薬品が数種類存在します』
「はえぇな!」
端末の指示のもと、
透はいくつかの薬を集めた。
まずは鎮痛剤。
ロキソプロフェン。
『頭痛、発熱をはじめ、打撲痛等に効く鎮痛剤です』
「ロキソニンじゃん!」
『....比較的有名です』
「......。」
『.........』
次に解熱剤。
アセトアミノフェン。
『発熱や軽度の痛みに効果的で胃に優しいです』
「胃に.....。」
透の腹の音が鳴る。
『空腹時にも使用可能です』
「......。」
『.........』
最重要な抗生剤。
セフジトレン。
『傷口からの細菌感染に効果的です』
「コウセイザイってなんだ?」
『......細菌を殺します』
「それ先に言えよ。」
『.........』
その他にも、
下痢や腹痛に効く胃腸薬、ビオフェルミン。
傷口消毒用の消毒薬、クロルヘキシジン。
傷や化膿に塗る軟膏、ゲンタシン。
包帯やガーゼも、
一通りリュックに詰めた。
「こんなもんか。」
透はリュックを閉じ、背負う。
部屋を出ようと扉の前で、
ケースに入った点滴に目が留まる。
「....点滴っている?」
『使用方法はご存知ですか』
「知らん。」
『では荷物です』
「....はい。すみません。」
透は薬剤室から出て、赤十字病院を後にした。
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数十分程、歩いただろうか。
周りは高層ビルが立ち並ぶ。
その窓ガラスから木々が伸び、
緑のトンネルのようになっていた。
「.....この辺あんま来たことないから道わからんなぁ。」
どこを通っても同じような風景が続く。
地名を案内する誘導看板もツタで見えなくなっていた。
『六本木ヒルズまでの案内を開始します』
端末がそう告げた瞬間。
透の目の前の空間に、
青い光の線が浮かび上がる。
線は道路の先へ伸び、
曲がり角では矢印に変化していた。
「イッコさん、こんなこと出来るの?」
『当然です』
「始めっから言えよ。」
『聞かれませんでした』
「冷たいな~。」
目の前に現れた矢印に沿って、
透は再び歩き出す。
曲がり角を曲がり、
歩き続ける。
すると端末が突然、
『停止してください』
「え?」
『右前方約三十メートル、
大型生物を検知しました』
透は慌てて身を隠した。
しばらくすると、
曲がり角の向こうから巨大な影が現れる。
体長5~6メートル程。
二頭のサイだった。
「.........なんだあれ。」
『サイです』
「あんなでかいの?」
『私の記録に存在する種より大型です』
小声で会話をする。
よく目を凝らすと、
岩のような灰色の体表には、
ツタや苔が張り付いていた。
まるで歩く崖だった。
『体表は非常に硬く、
縄張り意識が高い個体と推測されます』
『視力は低く、
聴覚が発達しています』
『接近は推奨しません』
「......了解。」
「....てか、なんでそんな詳しいの?」
『さっきスキャンしました』
「......いつの間に。」
その時、
サイの一頭が道路脇の壁へ顔を押し付けた。
コンクリートが砕ける。
そのまま口へ運ぶ。
「........今、食った?」
『はい』
「...マジ?」
『まじです』
少しの間、その光景を黙って見つめる。
『だからあんなに硬い体表なんですね』
「なんでそんなに冷静なんだよ。」
端末が示す青い矢印が指している曲がり角に
二頭のサイはゆっくりと消えていった。
それを見送り、透は物陰から身を出す。
「あの方向って...。」
『ルートの再検索が完了しました』
いましがたの矢印が消え、
新たな曲がり角へ矢印が伸びる。
「....やるじゃん。」
透は歩き出した。
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サイを見た所から、
さらに30分程歩いた。
「.....やっと着いた。」
六本木ヒルズ。
巨木の根元。
煙の発生源まではもう少し先ではあるが、
透は次の目的地にたどり着いた。
『ルート案内を終了します』
「......ありがと。」
目の前に伸びていた矢印が、
光の粒となって消えていった。
巨木が倒れていたのは、
この少し先。
だが、
もうその大きな幹は
視界の中に入っていた。
「.........。」
その時だった。
頭上から聞き慣れた鳴き声が響いた。
透は顔を上げる。
一羽の白いカラス。
病院までの道で見たものと
同じ個体だった。
ただ、
その大きさはあの時、群れていたものより
一回り大きかった。
「....ボスか?」
『カラスです』
「見りゃわかる。」
白いカラスは近くの標識へ降り立つ。
近くで見るとその大きさがよくわかる。
大型犬ほどの体格。
翼を広げれば、
優に三メートルは超えそうだ。
カラスは、
一度だけ透の方を見る。
「........。」
次の瞬間。
純白の大きな羽を広げ、
羽ばたいた。
向かった先は、
巨木の方角だった。
「........。」
透はしばらくその姿を目で追う。
やがて白い影は、
倒れた巨木の向こうへ消えていった。
『追跡しますか』
「いや。」
透は首を横に振る。
「あっちに行くのは元々同じだ。」
視線を前へ戻す。
倒れた巨木。
煙の発生源。
透は再び歩き出す。
倒れた巨木は、
近づくにつれてその異様さを増していく。
「......でかいな。」
幹の直径は十数メートル。
高層ビルをなぎ倒し。
道路を覆うその姿は、
倒木と言うより山脈の一部のようだった。
やがて、
透は巨木の根元へとたどり着く。
そこには巨大な穴が口を開けていた。
アスファルトは砕け、
地下の水道管や地下鉄の線路が引きちぎられている。
倒れた巨木からは、
無数の根が四方へと伸びている。
その中でもひと際太い根。
その表面には巨大な裂傷が走り、
傷口から今もなお白煙が立ち上っている。
「.........何があったんだ。」
『高熱源を感知しました』
「え?どこから?」
透は端末へ視線を落とす。
『あの根の傷口です』
「....燃えてるのか?」
『いいえ』
『木材の燃焼温度を超過しています』
透は再び傷口へ視線を戻す。
白い煙は絶え間なく吹き出している。
だが、
炎は見えなかった。
一歩踏み出したその時。
『停止してください』
「なんで?」
『孔内へ降りるのは危険です
人間が耐えれる温度でを超えています』
透は足を止めた。
「.....わざわざここまで来たのに。」
煙の正体。
音の正体。
結局何もわからないまま。
透は眉をひそめ、
空を見上げる。
「....あ。」
先程の白いカラス。
純白の翼を広げ、
巨木の上空を静かに旋回している。
「....あいつ。」
しばらくすると、
カラスは下降をはじめ
透の十数メートル先で降り立つ。
「......なんか知ってんのか?」
『追跡しますか』
「..........うん。」
透は巨大な穴に背を向け、
走り出す。
所々に建物の残骸が食い込んでいる巨木を横目に、
白いカラスを追いかける。
カラスは一定の距離で透を待つように止まり、
近づくとまた飛び立つ。
「.....案内してんのか?」
『不明です』
すると。
巨木の側面に大きな裂け目が見えてきた。
そこからも白煙が噴き出していた。
ふと足を止める。
『どうかしましたか』
「......煙の中、なんかいる。」
『生体反応は検知されません』
「いやいるだろ、あれ......。」
立ち上がる白煙の中、
ぼんやりと見えるその影は。
少なくとも、
人の形をしていた。
細い四肢。
陽炎のように揺れる輪郭。
「................。」
透は息を呑む。
数秒。
静寂。
そして。
煙に巻かれた人影は、
ふと消えてしまった。
「おいっ!!!」
透は叫ぶ。
返事はない。
「....いた。」
『認識できませんでした』
「....幽霊?」
『現実的ではありません』
「...じゃあ、本当にいるんだ。」
白煙は今も絶え間なく立ち上っている。
気付けば、
あの白いカラスもどこかへ消えていた。
透はしばらく、
人影が消えた場所を見つめ続けていた。




