痕跡
翌朝、透はコンビニの屋上からあたりを見回していた。
「......ダメだ、なんも見えねえ。」
昨夜鳴り響いた崩落音。
あれはなんだったのか。
単なる建物の老朽化か、
それとも.....。
視界を遮る雨雲の向こうに、
答えは見えない。
透は小さく舌打ちをすると、屋内へ戻った。
リュックに飲料水を詰める。
缶詰。
乾パン。
懐中電灯。
工具箱から拝借したペンチと小さなバール。
数日分の荷物になると、思ったより重い。
「........こんなもんか。」
肩に背負い、店内を見渡す。
2日間だけ過ごしたコンビニ。
見慣れた散乱した売り場。
積み上げられた段ボールの寝床。
もう誰も来ないセルフレジ。
次、ここに帰ってくるのは何日後だろう。
それとも、もう二度と帰ってこないのか。
透は視線を切り、出口へ向かう。
外は小雨だった。
空は低く垂れ込み、街全体が灰色に沈んでいる。
季節という概念がまだあるのかわからない。
だが風は冷たく、肌に触れる雨粒は確かな寒さを運んでいた。
コンビニから拝借したビニール傘を開く。
透は人気のない交差点へ踏み出した。
「とりあえず....高いところだな。」
顔を上げる。
曇天の向こう。
植物に覆われながらもなお、空を突く巨大な塔。
渋谷スクランブルスクエア。
「....あそこからなら見えるか。」
透は傘をさしたまま歩き出す。
昨日、キノコジカを見かけた場所。
膝丈ほどの草が生えたその下の
アスファルトの割れ目から木の根が顔を覗かせていた。
足元で何かが蠢く。
カタツムリだった。
透は思わず立ち止まる。
「うわっ...でか。」
バスケットボールほどの大きさの殻を背負ったそれは
ぬらりと触角を伸ばし、草むらへ消えていく。
かつて日本一人が集まると言われていた交差点は、
あまりにも静かであった。
車の音も。
話し声も。
スマホの通知音も。
電車の走る音もない。
ただ静かに雨音だけが響いていた。
「......気持ち悪ぃな。」
誰に聞かせるでもなく、ひとりで呟いた。
その時だった。
雨音に混じって、何かが倒れる音。
透は反射的に身をひそめる。
「......。」
高架橋の向こうだ。
すると今度は何かを引きずる音がする。
「.......なに?」
恐る恐る音がした方へ、足を運ぶ。
ツタのに覆われた高架橋をくぐった先の光景に
透は絶句した。
大型トラック。
横転したコンテナ車。
観光バス。
その車体を、一本の樹木が貫いている。
幹の太さは5メートルを優に超えていた。
まるで何百年もの歳月を生きてきたような巨木だった。
その根が、コンクリートを押し上げ、
道路を砕き、大きな車両を持ち上げていた。
「.........なんだよ、これ。」
葉の先から雨粒が落ちる。
その瞬間。
巨木がわずかに軋んだ。
透は息を呑む。
さっき聞こえた大きな音。
木が成長する音だった。
「なんなんだよ....。」
ありえない。
だが、その木の幹からは今も新しい芽が伸びていく。
ゆっくりと。
確実に。
「........。」
透はしばらく言葉を失った。
理解が追い付かない。
昨日見た鹿も、さっきのカタツムリも。
街を覆う植物も。
そして今目の前で成長し続ける巨木も。
何ひとつ。
理解できない。
「........なんなんだよ。」
やっとの思いで言葉が漏れる。
「どうなってんだよ、この世界!」
足元の石を拾う。
思い切り投げつける。
透の憤りむなしく、乾いた音が返ってくるだけだった。
「............。」
雨を拭う。
いや。
雨じゃない。
目元を乱暴に擦る。
「........クソが。」
スクランブルスクエアへ向かって再び歩き出した。
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巨木を後にしてから15分ほど歩いただろうか。
透はスクランブルスクエアの前に立っていた。
小雨だった雨は先程より激しくなっており、
ビニール傘を叩く音が絶え間なく続いていた。
外壁面はツタに覆われ、
ショーウィンドウのガラスにはヒビが入っていた。
遠目から見ても、長らく放置された廃墟にしか見えない。
「.......。」
透は入口へ近づく。
すると、何事もなかったかのように自動ドアが開いた。
一瞬戸惑ったが、足を止めることなく中へ入る。
そうだ、今更驚かない。
コンビニもそうだった。
この世界には人間はもういない。
でも電気はまだ生きているところがある。
理由はわからない。
透は肩についた雨粒を払った。
中に入る。
「.........え。」
思わず声が漏れた。
綺麗だった。
外の光景とはまるで別世界だった。
照明は生きている。
空調も動いている。
床には落ち葉一つない。
所々に散乱した商品やチラシが落ちているだけだった。
だが、
それは長い年月の風化ではなく、
人々が突然いなくなった後の名残のように見えた。
まるで、ついさっきまで誰かがいたかのように。
透は少し駆け足になり、フロアを回る。
総合案内。
小綺麗だがパンフレットが散乱している。
誰もいない。
お土産売り場。
陳列された商品。
誰もいない。
食品売り場。
空のショーケース。
誰もいない。
透はいよいよ立ち止まる。
聞こえるのは静かな空調の音だけだった。
「.........。」
期待していたわけじゃない。
だが、
どこかに誰かしらいるのではないか。
そんな考えが頭をよぎっていた。
「.......いるわけないか。」
小さく呟いた。
透は当初の目的、
上層階を目指すべくエレベーターを探した。
展望エリアは45階以上。
最悪、商業エリアは自力で上ったとして、
オフィスエリアを階段で上るのは避けたい。
エレベーターホールが見えてきた。
エレベーターの前まで駆け寄ると
階数表記が1階で光っていた。
ボタンを押す。
扉が開く。
「....よかった。」
透は一歩足を踏み入れようとして
ギリギリでのけ反る。
「.......っ!?」
エレベーターがない。
いや、
正確にはあった。
シャフトの中の数メートル下。
ワイヤーが切れて落ちているようだった。
まさか。
他のエレベーターも開き、中を確認したが
全て同じ状況だった。
「まじかよ...。」
目の前の案内看板を見上げた。
商業エリアは14階まで。
透は軽く舌打ちをして、非常階段へ歩を進める。
「まあ、14階くらい。」
自分に言い聞かせるように呟く。
2階。
余裕余裕。
3階。
まだまだ。
4階。
少し息が上がってきた。
5階。
ちょっとしんどいな。
6階。
休憩をしよう。
階段に腰を下ろす。
足が重い。
思った以上に体力を使っている。
「はあ.....。」
額に滲む汗を拭おうとして、
服の袖を見た。
汚れていた。
土なのか。
埃なのか。
いつ付いたのかもわからない。
鼻を近づける。
「くっさ...。」
思わず顔をしかめてしまった。
「着替えれるものあるかな。」
フロアを見渡す。
アパレルフロア。
色鮮やかな服が並んでいた。
「.......。」
お洒落をしたいわけじゃない。
ただ、
数日も風呂に入っていない。
服も洗濯していない。
気にし始めると、気になって仕方がない。
汗と雨で濡れた服が肌に張り付いていた。
透は上下階含め、いくつかのショップを回った。
高級ブランド。
派手な衣装。
スーツ。
そういうものには目もくれず。
SALE品が無造作に積まれたカートに手を伸ばした。
無地の白いTシャツに黒のカーゴパンツ。
そして、グレーのジャンパー。
普段からあまりお洒落に興味がなかった透には、
モノクロでそろえれば、それなりの格好になる。
という最低限の知識で服を選んだ。
誰かに見せるわけでもないが。
「これなら着れるか。」
Tシャツの値札を見る。
赤いSALEの文字の下に6000円。
「高っ!」
思わず笑った。
以前の世界だったら絶対手にしていないだろう。
試着室を見つけ中に入った透は、
久しぶりに会った自分の姿を見てはっとした。
伸びた髪。
汚れた服。
無精髭。
頬はこけ、目の下には薄い隈。
思わず顔に触れる。
「.......ひでぇな。」
苦笑いする。
服を着替え、試着室を出た透は
その足で日用品コーナーに行った。
カミソリ。
櫛。
ヘアゴム。
改めて試着室の鏡の前で身だしなみを整える。
格好良さを気にしたわけではない。
それでも。
少しだけ。
人間に戻れた気がした。
その後、何度か休憩を挟みながら、
透はようやく14階まで辿り着いた。
「.......ついた。」
達成感も束の間、
展望エリアへのエレベーターを探す。
見つけた。
「SHIBUYA SKY」行きエレベーター。
階数表示には45階と点灯している。
ボタンを押す。
45
↓
動き出した。
高速エレベーターはすぐに14階へ到着した。
扉が開く。
そこには先程とは違い、
エレベーターのカゴがしっかりあった。
「よかった.......。」
足を踏み入れ、「閉」ボタンを押す。
扉が静かに閉じる。
次の瞬間、
体に重力が掛かった。
高速エレベーターが上昇を始める。
透は壁にもたれた。
天井のモニターが点灯する。
映像演出。
だが、
所々ノイズが走っていた。
本来なら鮮やかな映像だったのだろう。
今は色褪せ、
途切れ、
時折画面がブラックアウトする。
軽快な音楽も
少し歪んで聞こえていた。
「......。」
それでも透は目を閉じる。
久しぶりだった。
透の知っている世界へ戻ってきた感覚がした。
しばらくして、
庫内に到着を知らせる音が響く。
扉が開く。
屋内展望フロア。
ガラスにはツタが張り巡っており、
外があまりよく見えない。
上へ向かう。
動かない屋外エスカレーター。
歩いて上るのは少し変な感じがした。
よくテレビやSNSで取り上げられて
画面越しに見たことがある。
開発部の水瀬先輩も行きたいって言ってたな。
『夜景好きなんだよね~。』
そう言って笑っていた顔が浮かぶ。
エスカレーターを上り切る。
47階屋外展望フロア。
目の前に広がる世界に、
透は言葉を失った。
どこまでも続く緑。
高層ビルの隙間を埋め尽くす木々。
線路はライン状の草原になり。
高速道路は森となっていた。
遠くには、
雲を突き抜けるような巨木。
さらにその向こう。
かつて高層ビル群が立ち並んでいた場所。
その中で。
東京タワーだけは
今も姿を残していた。
そして遥か東の空。
折れた大きな塔が見えた。
何かにへし折られたのか。
斜めに傾き、
植物に絡みつかれながら。
街の墓標のように。
静寂。
いつの間にか雨も止み、
雲の切れ間から日の光が差し込んでいた。
風が吹く。
木々が揺れる。
世界が呼吸をしている。
「..............きれい。」
透はしばらくその景色を眺めていた。
どれくらい経っただろう。
ふと。
視界の端に違和感を覚える。
「.............?」
目を凝らす。
一本の巨木が横倒しになっていた。
周辺の木々をなぎ倒しながら、
森の中に巨大な傷跡を刻んでいる。
そして、その根元付近から
白い煙が立ち上がっていた。
方向は六本木方面。
高層ビル群の中でも、
ひときわ目立つ巨大な建物。
六本木ヒルズ。
「行ってみるか...。」
透は小さく呟いた。




