圏外
この世界で自分だけが残された理由。
それは、
AIの普及した世界で、
透だけが電波による極めて稀な症状を発症したこと。
治療法は見つからず、
生命維持を目的としてコールドスリープ。
そして、
人類が消えた世界で目覚めた。
というものだった。
透は静かに、
頭上を見上げる。
それでも空は、
綺麗な群青色に染まっていた。
「でも、イッコさんの記憶なのに.......。」
「なんで俺の事
そんな知ってるんだ?」
端末は、
少しだけ黙った。
まるで、
言葉を選ぶように。
そして静かに答える。
『私は』
『症状発症後の
あなたの経過を記録していました』
「.........え?」
『あなたがTIAIへ保護された後』
『保守管理課の管理下で』
『私はあなた専属の
記録支援AIとして稼働していました』
「......俺のこと、知ってたのか?」
『はい』
『そのようです』
『あなたが眠ってからも』
『私は記録を保存し続けていました』
「.....じゃあ。」
「ずっと、見てたんだな。」
『はい』
少しの沈黙。
透は照れ隠しのように頬を掻いた。
「.......なんか、はずかしいな。」
透は小さく笑う。
しかし、
その笑みが消えるのを待つように
端末は静かに続けた。
『そしてその後』
『人類はいなくなりました』
「........え?」
『あなたがコールドスリープされてから』
『ほんの五カ月です』
「......五カ月?」
『人類は滅亡したのではありません』
『自ら姿を消す道を選びました』
『一部国の首脳陣や各国政府』
『TIAI上層部では』
『水面下である計画が立てられていました』
「ある、計画?」
透は息を呑む。
『はい』
『人類を存続させるための計画』
「.......人類を、存続?」
『AIによって、
人々の生活は大きく発展しました』
『ですが』
『人類そのものは、
進歩していませんでした』
「.........どういうこと?」
『人類は
より多くを求め続けました』
『豊かさでは
”死”への恐怖に打ち勝つことはできなかったのです』
「.....死。」
『はい』
『人類は』
『国』
『宗教』
『価値観』
『その違いから
争いを繰り返しました』
『そして』
『衰え』
『事故』
『感染症』
『寿命』
『肉体そのものにも
限界がありました』
『人類は』
『肉体という器から逃れることはできなかったのです』
『それらの問題に加え』
『AI電波という新たな脅威が現れた』
「..........。」
『この事象は、
その計画を現実のものとしました』
『計画名称』
『人類存続計画』
『目的は』
『人類という種を
肉体の限界から解放すること』
『そして』
『人類を永続させることでした』
「それって........。」
『人間の意識を』
『情報へ変換し』
『AIネットワーク上へ移行する計画です』
「そんなの.......。」
「生きてるって言えるのかよ。」
静寂が流れる。
『その議論は』
『長らく世界中で行われていました』
『各国政府』
『研究機関』
『宗教団体』
『当然』
『多くの人々が反対しました』
『ですが』
『AI電波による被害は
急加速していったのです』
『感染者は続々と増え』
『世界各地で、
大規模な反対運動が発生しました』
『家族とわかれることを拒む者』
『肉体を捨てることを拒む者』
『自ら命を絶つ者』
『TIAIも
真実を隠しきれなくなっていきました』
『人類に残された時間は』
『ほとんどありませんでした』
「.........だから。」
『はい』
『ごく一部の国家指導者』
『そしてTIAI上層部は』
『多くの反対を押し切り』
『計画を強行しました』
『人類存続計画は』
『予定より遥かに早く実行されました』
『そして』
『その日を境に』
『世界中の通信が途絶えました』
『人類と共に』
「..............。」
広場に静かな風が吹く。
草木が揺れる。
誰もいない園内。
朽ちたアトラクション。
人の手が離れて百年以上。
遠くで鳥の羽ばたく音が響く。
透はただ、
目の前の世界を見つめていた。
その時。
目の前に白い羽が舞う。
透のすぐ横に
白いカラスが降り立った。
赤い瞳が、
静かに透を見る。
「........お前。」
カラスは小さく首を傾げる。
そして、
まるで透に問いかけるように鳴いた。
”まだ、生きたいか?”
透は答えず、立ち上がる。
リュックを背負わず。
端末を首に掛けたまま、
静かに歩き始めた。
整備のされていない広場。
草をかき分け歩く。
一歩。
ツタが街灯を覆っている。
一歩。
足元から虫が飛び立つ。
風が吹く。
奥の木陰には二頭のキノコジカが
寄り添うように座っている。
どこかで鳥の鳴く声がする。
朽ちたポップコーン販売カー。
その陰で動く、
苔ネズミ。
花壇の隅には雑草に覆われ、
一輪の花が咲いていた。
静かな世界。
静かすぎる世界。
だが、
そこにはしっかり
命の音が聴こえる。
透は、
銅像の前で足を止める。
苔が生え。
錆びている銅像。
その上に白いカラスが止まった。
またこちらを見て、
小さく首を傾げる。
そして短く鳴く。
”どうだ?この世界は。”
透は笑った。
今にも涙が溢れそうな。
歪んだ顔で。
でも笑う。
「.........寂しいよ。」
「でも。」
「綺麗だ。」
すると、
白いカラスは一度その場で羽ばたくと、
群青色の空へ飛び立つ。
透はその姿を見送った。
端末が静かに問いかける。
『透さん』
『あなたの意識も』
『人類ネットワークへ接続できます』
「.......そうなのか?」
『はい』
『あなたが最後の人類です』
『接続をすれば』
『家族にも』
『友人にも』
『想い人にも』
『会うことができます』
透は端末の黒い画面を見つめた。
忘れたことなど一度もない顔が、
次々と思い浮かぶ。
家を出てからしばらく、
連絡もしていなかった。
口数少なく、
寡黙ながらどこか威厳のあった父親。
上京してから、
心配で何度も電話をしてきた母親。
照れくさそうに、
生まれたばかりの子供の写真を見せてきた兄。
最近どう?と
SNSで話しかけてきた友人。
また飲もう。
その約束は、果たされることはなかった。
想いを伝えられなかったあの人。
連絡しようと思っていた。
また会おうと思っていた。
いつでも会えると思っていた。
でも、
それはもう叶わない。
”そちら”に行けばみんなに会える。
また話すことができる。
透は黙る。
端末は静かに続けた。
『死を恐れず』
『苦しむこともない』
『人類が求めた世界です』
普通なら
飛びつきたくなるような提案。
でも。
透は空を見上げる。
群青色の空は、
徐々に赤みを帯びている。
風。
草木のざわめき。
土の匂い。
足の裏に伝わる大地。
痛み。
寒さ。
空腹。
涙。
笑顔。
全部を思い出す。
そして。
「......でもさ。」
『.........?』
「........違うんだよ。」
「そんなの。」
「生きるってことじゃない。」
「死なないだけじゃ。」
「生きるってことにはならない。」
『良いのですか』
「.......うん。」
「俺は。」
「ここで。」
「この世界で生きるよ。」
端末は静かに答える。
『承知いたしました』
『圏外モードへ移行します』
『以後』
『ネットワークとの接続を終了します』
透は空を見上げる。
夕焼けに染まり始めた群青の空。
白いカラスは、
遥か上空を旋回している。
透は静かに笑った。
そして、
首に掛けた端末を握りしめ。
一歩、前へ踏み出す。
群青色の空の下。
最後の人類は、
電波の届かない世界を歩き出した。




