道標
どれほどの時間が、
流れたのだろうか。
透は、
静かにうずくまっていた。
空は、
すっかり闇に包まれている。
雨だけが、
静かに地面を打ち続けていた。
両腕のなかで、
人型は
いつまでも動かなかった。
やがて、
透はゆっくりと立ち上がる。
人型を抱えたまま、
入口ゲートの下まで歩いた。
雨の当たらない場所を探し、
柱の足元へ、
そっと人型を横たえる。
透はその場に立ち尽くし、
もう動かない人型を見つめた。
今にも、
目を開きそうな。
そんな穏やかな表情で、
人型は眠っていた。
ふと、
後ろを振り返る。
そこには、
今の心とは対照的に、
華やかな入口が
静かに来場者を待ち構えていた。
透はその脇にある門へ
ゆっくりと身を預ける。
そのまま力なく
座り込んだ。
雨は、
次第に強さを増していく。
透は、
自らの左腕へ目を落とした。
今になってようやく、
鈍い痛みが、
じんわりと押し寄せてくる。
透は、
小さく息をついた。
ここ数日の記憶が脳裏をよぎる。
海底トンネルで出会った瞬間の
警戒心高く敵対した表情。
朝日に照らされた
純白の髪と透き通る青い瞳。
簡易濾過装置を作った時の
自慢げな顔。
海を泳ぎ渡った先で
手を差し伸べる姿。
怪我をした透を
治療し心配そうに顔を覗く姿。
『不良品』
自らを卑下した人型の、
切なさを帯びた横顔。
そして、
『あなたは本当に
................変わっていますね』
あの時、
微笑みながら向けられた言葉。
もうその声を、
聞くことは出来ない。
記憶は、
雨音とともに静かに流れていく。
どの場面にも、
人型はいた。
透は俯く。
雨音だけが響く。
濡れた服から、
一粒。
一粒。
雫が落ちる。
乾いた地面へ、
静かに染み込んでいく。
それを、
ただしばらく眺めていた。
いつしか、
透の意識は静かに途切れた。
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冷たい風が、
頬を撫でる。
透はゆっくりと目を開ける。
雨音は、
もう聞こえなかった。
顔を上げると、
目の前には横たわる人型。
「おはよ......。」
言いかけて辞める。
人型はもう動かない。
純白の髪が、
風に少し揺れた。
風の音。
揺れる草木。
その音に紛れて、
空から羽ばたく音が降ってきた。
人型の奥。
広場に降り立つ。
白いカラス。
こちらを見て、
小さく首を傾げる。
「......お前。どこ行ってたんだ。」
カラスは、
小さく一鳴きした。
返事をするように、
透の腹が鳴った。
身体に力が入らない。
昨日から、
何も口にしていなかった。
リュックから乾パンを取り出す。
口に放る。
数回、咀嚼して、
水で流し込んだ。
ペットボトルをリュックに入れようとして
黒い端末に目が留まる。
IK-K003。
「........イッコさん。」
透は端末を取り出すと、
首に掛けた。
本来の目的。
人型がつないでくれた命。
無駄にしてはならない。
透は荷物をまとめ立ち上がる。
人型に近づき、
ポケットから充電ケーブルを取り出す。
引き抜いた拍子に、
小さな何かが地面に転がった。
乾いた音が響く。
「.......?」
拾い上げたそれに、
透は見覚えがあった。
透明な、
板状の部材。
お台場コンテナヤード。
キュービクル設備の前で
拾ったものと同じだった。
透は自分のポケットを探る。
以前拾った、
透明な部材を取り出した。
形は同じ。
だが、
コンテナヤードで拾ったものには
ひびが入っている。
透明な板には「IK」の刻印。
一方、
今手の中にあるそれは、
傷一つなく、
なんの刻印もなかった。
透は手の上で、
その2枚を重ねる。
寸分違わず一致した。
「......同じ?」
しばらく眺めたが、
何の部品かは到底分からなかった。
透はその二つを自らのポケットに入れる。
そして、
ケーブルも反対側のポケットに入れた。
「.........借りるよ。」
透は立ち上がる。
静かに横たわる人型を
見下ろす。
静かな風が、
二人の間を吹き抜けた。
「.......エイさん。」
「...............ありがとう。」
そう呟くと、
後ろで白いカラスが、
小さく羽ばたいた。
透は振り返ると、
その背を追うように
園内へ向け歩き出した。
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園内に入り、
すぐの広場へ足を踏み入れる。
その瞬間。
足元で、
微かな電子音が鳴った。
同時に目の前の空間に、
青白い光が走る。
やがて、
大きなホログラムマップが浮かび上がった。
どこからか、
陽気な音楽が流れている。
人々に夢を与え続けた場所。
笑顔が溢れていた場所。
夢の国。
その場所には、
もう。
透以外の人影は見当たらない。
象徴的な園内アナウンスが流れる。
しかし、
節々にノイズが入る。
誰もが夢見たテーマパークとは
ほど遠い。
ガラスは割れ。
建物は荒廃し。
地面には亀裂が走る。
色鮮やかだった景色は、
長い年月に削られ、
灰色へと変わっていた。
透は、
ホログラムマップで目的地を探す。
現在位置を示す光点が、
ゆっくりと点滅している。
目線を移すと、
見ている先の建物や
アトラクションの名前が
浮かび上がっては消える。
ランドの奥。
シンデレラ城の
さらにその先。
一つの建物へ、
視線が止まる。
夢の国とは、
あまりにも似つかわしくない。
建物の名が、
青白い光となって浮かび上がる。
『東京電力湾岸統合蓄電区画』
「..........あそこか。」
マップから目を離す。
透は、
かつて売店が栄えた
アーケードへ目線を移す。
白いカラスが
こちらをじっと見つめている。
やがて、
小さく羽ばたくと、
アーケードの奥へと飛び立った。
透は、
リュックの紐を握り直す。
目的地。
シンデレラ城の先へ。
歩き始めた。
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アーケードの中。
両脇にある店は、
草木が生い茂る。
割れたショーケース。
散乱した店内。
夢の国の象徴とも言える、
数々のキャラクターの絵は、
長い年月を経て。
擦れ、
消えかけている。
そんな中、
流れ続ける陽気な音楽。
かつて、
ポップコーンの甘い香りが
漂っていただろう。
そんな面影は、
どこにも残っていない。
店先に浮かぶホログラム看板は、
今も点灯を続けている。
誰も訪れることのない店先で。
透は、
それらに目をくれず。
アーケードの先。
曇天に向かってそびえ立つ。
白い塔を見つめていた。
その時、
目の前に光が横切る。
足を止める。
視線を移すと、
ホログラムが、
ゆっくりと形をなしていく。
『ハハッ!ようこそ!』
「...........。」
陽気なその声は、
透の返事を待たずに続ける。
『今日はどこに行くんだい?』
「...............。」
『どうしたんだい?
元気がないね!』
「..........うるさい。」
そう小さく呟くと、
再び歩き出した。
透の身体は、
ホログラムをすり抜ける。
透がホログラムをすり抜けた瞬間、
光は粒子となって四方へ散った。
やがて再び集まり、
キャラクターは、
歩き去る透の背中へ手を振る。
『素敵な旅を!
Have a nice day!』
陽気な声だけが、
アーケードに響いた。
透は、
振り返らない。
少しだけ、
空を見上げる。
「.........来る前は、
あんなにワクワクしてたのにな。」
誰に言うわけでもなく、
一人空に呟いた。
しばらく歩くと、
アーケードを抜け視界が開けた。
視界いっぱいに、
緑と灰色の景色が広がる。
園内には薄い霧が立ち込めていた。
ぼやける視界の中。
透は歩き続ける。
すると目の前に、
さっきのキャラクターと
人間が手をつなぐ銅像が姿を現わした。
透は、
一瞬だけ視線を向ける。
そして、
何も言わず歩き続けた。
広場をまっすぐ進む。
次第に、
青と白のシルエットが
大きくなっていく。
薄い霧の向こうで、
少しずつ輪郭を取り戻していく。
やがて、
その姿は現実味を帯び、
目の前に現れた。
シンデレラ城。
天高くそびえ立つ城。
その足元には
苔やツタが絡みついていた。
その中央。
大きな門の中は、
幾重にも絡み合う木の根に
塞がれていた。
だが、
その奥から
一筋の光が差し込んでいる。
木の根の間には、
人ひとりが通れる程の隙間がある。
通路は確保されているようだった。
透は城の足元に辿り着いた。
頭上を見上げる。
すぐそこの屋根に
白いカラスが止まっている。
こちらを覗き、
一声鳴いた。
視線を城の中に戻す。
木の根の間。
身を捩りながら、
奥へと進んでいく。
若干湿った木の根は、
力を掛けると滑ってしまう。
透は左腕を庇いながら、
進む。
やがて、
木の根を越える。
視界が開ける。
目の前には、
巨大なドーム。
城の中を照らしていたのは、
その屋根が反射する、
空の光だった。
木の向こう。
大きな弧を描くその建物の屋根。
その三分の一は、
大きく崩れ落ち
骨組みを晒していた。
視界の端に
白い塊が映り込む。
あの白いカラスが
ドームに向かって羽ばたく。
透は、
その後を追うように歩き出した。
シンデレラ城の裏手。
生い茂る木々の先。
夢の国から、
現実へ引き戻される。
『東京電力湾岸統合蓄電区画』
ホログラムの文字が、
静かに明滅していた。
透はポケットに入れた
ケーブルを握りしめる。
「.........あとちょっとだ。」
小さく呟くと、
ドームの入口に向かう。
巨大なドームと対照的に、
入口は人ひとりが通れるほどの
小さな扉だった。
手を掛け、
ドアノブを回す。
施錠音。
開かない。
「.......まじか。」
すると、
『社員証を提示してください』
頭上のスピーカーから
音声が流れた。
「........社員証?」
「そんなのねぇよ。」
別の入口を探そうと、
透は振り返る。
その瞬間。
背中が、
緑色の光に照らされた。
「......?」
透は再び扉に向かう。
緑色のランプが転倒する。
『社員証を確認しました』
開錠音。
「......え?」
先程動かなかった
ドアノブに手を掛ける。
今度はすんなりと回った。
扉が開く。
透はリュックを降ろし、
中を漁る。
社員証なんて持っているはずがない。
すると、
リュックの側面。
ポケットの中が淡く光っている。
その中に手を入れ、
触れたものを取り出した。
「.......これは。」
海底トンネルの入口で拾った
ブレスレット。
そのプレート部分が
淡い光を放っていた。
そこに刻まれた刻印。
『A』
「........エイさんのだったのか?」
透はブレスレットを握りしめ、
再びリュックのポケットにしまった。
立ち上がり、
リュックを背負う。
そして、
ドームの入口。
その暗闇へ足を踏み入れた。
一歩、
中へ踏み入れた。
その瞬間。
続く廊下の照明が点灯した。
廊下は、
ドームの外壁に沿って、
緩やかにカーブしている。
左右に伸びる廊下。
透はひとまず、
右に向かって進み始めた。
真っ白な廊下。
床も。
壁も。
天井も。
全てが白く染まっている。
長く続く廊下に、
透の足音だけが響く。
どこからか、
微かな機械音が途切れることなく鳴っていた。
しばらく歩くと、
部屋の入口が見えた。
その前で立ち止まる。
『休憩室』
そう書かれた看板が
浮かび上がる。
透は、
扉を開けた。
照明が点灯する。
真っ白な室内。
テーブルや椅子も
統一された白で揃えられている。
角に設置された自動販売機。
ぼんやりと明かりが灯り、
飲料を販売している。
その横に置かれた植木鉢には
枯れた観葉植物が垂れていた。
透は自販機の目の前で立ち止まる。
冷えた飲み物。
栄養補助食品。
缶詰。
どれも、
まるで昨日補充されたかのように並んでいる。
喉から手が出る程欲しかった。
しかし今は、
小銭も電子決済端末も持ち合わせていない。
長い年月を経たそれが、
食べられるものかどうかも分からない。
透は、
部屋を出て廊下の奥へ進んだ。
いくつかの部屋を通り過ぎる。
『更衣室』
『会議室』
『トイレ』
しばらく歩くと、
開けた空間に出た。
大きな機械が立ち並ぶ。
どれもが、
まだ稼働を続けている。
規則的な機械音が
空間に響いていた。
その中、
ひと際背の高い機械に目が留まる。
上部はアンテナのような形状で
休むことなく旋回している。
その機械の至る所から無数の配線が
地面へ垂れ下がっていた。
その配線の中を流れる光りは、
所々で明滅しながら
機械の中へ吸い込まれていく。
透はその足元へ向かう。
足元に転がる配線を跨ぎ、
奥へ進む。
巨大なアンテナの根元。
そこだけ床が一段高くなり、
その周りは手摺で囲われている。
中央には小さな端末。
人が立って操作するコンソール。
画面は真っ暗だった。
機会を見上げる。
「これで電気を送ってるのか?」
すると、
後ろからカラスの鳴き声がした。
透は見上げると、
ドーム状の天井が崩れ、
空が覗いている。
むき出しになった鉄骨に
白いカラスが止まっていた。
一声鳴く。
羽を一度広げ、
真下を見下ろす。
「.........なんだ?」
透はカラスのいる方向に進む。
すると、
外壁沿い。
ちょうどカラスの真下の位置。
腰高程の小さな機械。
側面から伸びた太いケーブルが
床を這い、
先程の巨大な機械へと続いている。
正面には黒いモニター。
その横には、
手のひらほどの窪み。
そして、
差し込み口が並んでいる。
「.........これ。」
透はポケットの中を漁る。
人型から借りた
充電ケーブル。
その片方を、
目の前の機械の差し込み口と合わせる。
一致。
奥まで差し込む。
首に掛けていた端末を外す。
ケーブルのもう片方を、
端末の側面へ差し込んだ。
その瞬間。
機械から小さな電子音が鳴る。
それと同時に、
巨大な機械のアンテナが
回る速度を早めた。
透は、
手元の端末の黒い画面を見つめる。
数分。
いや、数秒だけかもしれない。
とても長く感じた。
見つめる面の左上。
画面の隅。
緑色の灯りが
小さく鼓動を打つように灯った。




