選択
透は周りを見回した。
純白なあの姿は
嫌でも視界に入るはずだった。
........いない。
どこにも見当たらない。
透は少しだけ声を張る。
「.....エイさん!」
返事はない。
風だけが、
海の匂いを運んでくる。
目の前に止まっていた
白いカラスへ視線を向ける。
「......知らないか?」
問いかけても、
カラスは小さく首を傾げるだけだった。
「......なんで。」
昨夜の会話が脳裏によみがえる。
人間とAIの過去。
不良品。
可能性。
そして、
あの人型の過去。
「........どこ行っちゃったんだよ。」
その声は、
潮風に攫われるように消えていった。。
探す場所もない。
透は橋脚部分を覗き込む。
眼下では、
波が鈍く海面を揺らしている。
人ひとりを探せるような場所ではなかった。
.........まさか。
そんなことは無い。
そう自分に言い聞かせる。
少し食料を探しに行ってくれただけかもしれない。
これから向かうルートを、
下見しているだけなのかもしれない。
左腕に
鈍い痛みが走る。
とにかく今は進むしかない。
透は荷物をまとめ、
その場を後にした。
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数分。
数十分。
歩みを続ける透の視線の先に、
橋の終わりが見えてくる。
ここに来るまでの間も、
橋脚の周辺や点検用の梯子など、
可能性のある場所は一つひとつ確かめてきた。
それでも。
人型は、
どこにも見当たらなかった。
橋の終わりに辿り着く。
とはいえ、
道が途切れる訳ではない。
眼下に広がっていた青い海は
いつしか深い緑へと姿を変えていた。
そのまま歩を進める。
やがて、
道路を覆うように大きな緑のアーチが現れた。
枝葉の隙間から
ホログラムの案内標識が淡く光る。。
矢印は真っ直ぐ前を指していた。
『新木場』
先程まで頭上を旋回していた
白いカラスの姿も
いつの間にか消えていた。
「.........またひとりか。」
小さく漏れたその声は
緑のトンネルに吸い込まれるように消えていく。
透はリュックの紐を握り直した。
そして、
静かに一歩を踏み出す。
鉄格子状のアーチは
道路を覆い、
それに様々なツタ状の植物が絡みついている。
生い茂る葉に日光は遮られ、
緑のトンネル内には涼しげな風が吹き通る。
鳥の鳴き声。
コンクリートを割る木々。
朽ちた標識看板。
足元ではアスファルトを突き破り、
所々木の根や幹が顔を出していた。
しばらく進むと、空中を走っていた道路が崩れ、
道が寸断されている。
下を覗き込む。
幾重にも張り巡らされた木の根が、
階段のように道路を支えている。
これなら降りられそうだ。
透は痛む左腕を庇いながら、
右手と両足だけで慎重に木の根を伝っていく。
そして、
高速道路の下へ降り立った。
透はそのまま北へ向かって歩き始める。
やがて高速は緩やかに地上へと降り、
景色は開けていく。
右手には、
かつてゴルフ場だった広大な敷地が広がる。
丁寧に刈り込まれていた芝は跡形もなく、
腰の高さまで伸びた草が
風に揺れている。
左手では、
若洲公園がすっぽりと
樹海に覆われていた。
風に揺れる木々。
どこからか聞こえる
鳥の鳴き声。
海岸エリアだからだろうか。
しばらく生物に遭遇していない。
そんな些細なことを考えながらしばらく歩くと
視線の先に小さな橋が見えてきた。
この橋を渡れば、
東京湾岸道路と京葉線が見えてくる。
あとはそのまま東へ進めばいい。
透の足に力が入る。
ふと、
視界の端にコンビニの看板が映り込む。
そちらに目を向けると、
橋を渡る手前、左前方に
一件のコンビニエンスストアが見えた。
「......コンビニ、久々に見たな。」
食材の確保をしようと
そちらに足先を向けた。
店内に足を踏み入れる。
電気は、まだ生きていた。
入店を知らせる電子音が店内に響く。
返事はない。
静まり帰った店内へ、
音だけが虚しく吸い込まれていく。
透は散らかった商品棚や
ストックヤードを漁る。
非常用の乾パン。
膨張していない缶詰。
未開封の飲料水。
それらをいくつか
リュックに詰めた。
せっかく自炊を覚えたのに、
今や食べられる食材を教えてくれるAIはいない。
都合よく食材を運んでくれる白いカラスもいない。
「.......結局こうなるのか。」
透は苦笑を浮かべると、
コンビニを後にした。
先程の小さい橋へ戻り、
正規ルートへの歩みを進める。
橋を渡ると、
視線の先には立体的に横切る高架が見えた。
「......あれか。」
湾岸道路。京葉線。
その道は崩れることなく
東方面へ伸びていた。
巨大な高架の足元へ辿り着いた透は、
ツタで覆われたフェンスを乗り越える。
点検用の梯子を登る。
登った先は京葉線の線路内。
そこでは
草が腰高まで伸び、風に揺れている。
時折、
草の隙間から銀色のレールが姿を覗かせる。
頭上には架線がまっすぐ伸び、
ここがかつて線路であった事を静かに伝えていた。
「あとはここを真っ直ぐ進むだけだ。」
透は東に向かって歩き出す。
草をかき分ける音。
その下の礫を踏む音だけが
静かな線路に響く。
純白の髪を靡かせる人型も。
いつも頭上を旋回している
白いカラスも。
その姿を見せることはなかった。
透はそのまま荒川を横断する。
すると、
線路上に横たわる巨大な何かが見えた。
恐る恐る近づく。
それは、
いつか六本木ヒルズ手前で見かけた
コンクリートの表皮をした
サイだった。
サイの体表には争った形跡があり、
傷だらけだった。
小さな目は閉じ。
「.......眠っているのか?」
巨体は微動だにしない。
呼吸音も、
地面を揺らすような寝息も聞こえなかった。
透はゆっくりと側面へ回り込む。
「........!?」
サイの半身が、
まるで抉り取られたかのように失われており、
その断面からは内部構造がむき出しになっていた。
透は反射的に口を押さえた。
「.......死んでる。」
一体どんな争いがあったのか。
このサイよりも強い何かが、
まだこの周辺にいるのか。
すると巨体が倒れいてる先。
線路の脇、
大きくねじ切られているフェンスが見えた。
透はその場所に近づき、
下を覗き込む。
目下、
遥か先にもう一頭の巨体が落ちていた。
同じコンクリートサイ。
それは、
全く動く気配がなく、
腹を空に向け、
倒れている。
その腹には大きく鋭い切り傷が見えた。
「......サイ同士が、喧嘩でもしたのか?」
透は周りを見回すが、
その他の異変は感じられなかった。
「......気味が悪いな。」
そう呟くと、
再び東に向かって歩き出す。
先程よりも慎重に、
音を立てずゆっくりと。
太陽は少し傾いてきていた。
右手には
大きな観覧車が夕日に照らされていた。
葛西臨海公園。
錆びた鉄骨の輪は、
今も静かに空を見上げている。
それを見ながら、迷わず線路を進む。
もうすぐ日が暮れる。
透は旧江戸川を越え、
舞浜駅へとたどり着いた。
ホームは草木に覆われ、
改札は電気だけが生きている。
自動案内の音声を後ろに
駅舎を抜ける。
改札を抜け、
駅のロータリーで立ち止まる。
この辺りは微かに覚えがある。
透が小学生のころ、
家族みんなで訪れた記憶。
前を歩く父と母。
楽しそうに駆け出していく兄を追いかけ、
足をもつれさせて転んだ。
泣きそうな自分を、
家族みんなが笑う。
幸せな記憶。
そんな光景がまるで昨日のことのように
鮮明に思い出される。
透は小さく息を吐いた。
そして再び歩き出す。
左手に大きなショップの建物。
かつて賑わいを見せたその場所も、
ガラスは割れ、看板が色褪せている。
その先。
時計の付いた小さなゲート。
今は動かないその時計は、
夕方を指したまま止まっている。
そこから緩やかな坂。
その中腹で透は再び足を止める。
「......なんだよこれ。」
右前方に、
黒い塊が転がっていた。
一つではない。
その先にも。
またその先にも。
乱雑に、
いくつもの塊が転がっている。
透はゆっくり近づく。
そして数メートル手前で認識する。
赤茶けた錆犬。
その体がぐったりと
地面に横たわっていた。
よく見ると、
どの個体にも
深く鋭い裂傷が走っていた。
先に進めば進むほど、
その数は増していく。
傷口から流れた血は、
まだ黒く乾ききっていない。
腐敗臭もしない。
ついさっきまで、
ここで争いがあったかのようだった。
「.......一体誰が。」
坂を抜ける。
そして、広がる視界。
静寂。
草木の揺れる音も。
鳥の鳴き声も。
ただ静かに流れる風の音だけ。
透は立ち止まる。
視線の先。
そこには、
赤黒く染まった
純白の髪が、
力なく垂れていた。
人型。
見慣れたその影の足元。
そこには、
無数の黒い塊が転がっていた。
人型は微動だにしない。
一歩。
また一歩。
近づく度に、
足元の黒い塊が犬だと分かっていく。
手が微かに震える。
鼓動が早くなる。
右腕のない人型。
着ているグレーのパーカー。
黒のスキニーは所々破れ、
中から機械部が覗いている。
「...........エイさん?」
返事はない。
そこで初めて気付く。
左腕も
失われていた。
透はもう一度。
今度ははっきりと叫ぶ。
「エイさん!」
目の前の人型は
ゆっくりと振り返った。
身体が、
わずかによろめいた。
「............!」
その顔を見て、
透は足を止める。
言葉を失う。
綺麗な透き通る青い瞳は
左目が失われ。
白い頬は大きく裂け、
内部の機械部が露出していた。
『無事.......』
『でしたか』
その瞬間。
人型は膝から崩れ落ちる。
透は反射的に駆け寄る。
倒れるその身体は、
力なく透へ預けられた。
両手で抱えたその体は、
非常に軽く感じた。
自身の左腕の痛みなど感じなかった。
「何してんだよ!」
透は歪む視界の中、
人型に向かって叫ぶ。
『進路......上の、』
『危険、因子.......』
『.........排除、完了です』
『目的地、まで.......』
『安全に...........到達、可能です』
人型は途切れ途切れに言葉を発する。
「ばかやろう!頼んでねぇよ!」
支える手に力が籠る。
『一緒にいては、あなたを.....』
『危険に晒してしまう』
「......だから、一人で行ったのかよ。」
両手の中の人型。
そのグレーのパーカーに
一粒。
一粒と。
雫が染みを作っていく。
透はそれを拭おうともしなかった。
『目的、地は.........目の前です』
「...........。」
言葉が出ない。
『ケーブルは、私の........ポケットの中です』
『早くイッコさんの.....充電を』
「.....こんなの望んでない。」
『最短.........最適解かと』
「こんなやり方間違ってる!」
沈黙が流れる。
次第に、
雨粒が地面を濡らし始める。
人型が小さく微笑む。
『また.......間違えて、しまいましたね』
『登録、しておきます』
透の顔が歪む。
雨なのか。
涙なのか。
二人を静かに濡らしていく。
「俺は、
エイさんとも一緒に生きたかった。」
『..........』
「エイさんとも、
もっといろいろ話したかった。」
『............はい』
「イッコさんにも会わせたかった。」
『...............そうですね』
「エイさんと........もっと.。」
右目に残っていた灯りが
徐々に弱くなっていく。
優しい微笑みを浮かべたまま、
『あなたは、本当に
.............変わっていますね』
その言葉を最期に、
灯りは静かに消えていく。
人型は、
ゆっくりと瞼を閉じた。
静寂。
「.............。」
雨の音。
風の音。
草木が揺れる音。
何も聞こえない。
雨の中。
透は。
静かになった人型を。
いつまでも抱きしめていた。
純白の髪は、
雨に濡れたまま、もう揺れることはなかった。




