37絵本のような人里
長きにわたり、世界に大きな影響を与えてきたアルファリア教会。
その教会を巡る情勢が大きく変わり、世界各地では、これまで誰も想像しなかった変化が起きていた。
だが――
そのすべてを、カリンたちはまだ知らない。
アルバの葬儀も。
教会で起きた変化も。
そして、自分たちが事件の関係者として追われる身となったことさえも。
イグニス領とクロフィア領にまたがるデュトロープ湖を後にし、カリンたち一行は、西のスカニア領を目指していた。
カリンとミオは、これからの道のりについて話し合い、公共の乗り物は一切使わず、徒歩でスカニア領を目指すことにした。
何日もかけ、山を越え、平野を抜けながら、ひたすら西へ向かって歩みを進めていく。
この辺り一帯の地形を知るアッシュが先導しているため、道に迷うこともなかった。
二羽のシルフィも、羽ばたきながら一行についてきている。
まだ幼いアメリには、何日も歩き続ける旅は少し大変だった。
疲れると狼姿のアッシュの背中に乗せてもらい、元気になると、また自分の足で歩く。
そして、アッシュの背中に乗っている間は、
ミオがアメリに絵本を見せながら、文字を教えていた。
揺れる背中の上で、二人は並んで絵本を覗き込んでいる。
ミオ「その魔法によって、目の前には沢山のご馳走が現れて、お腹を空かせた子ども達は目を輝かせました。」
ミオは『子ども』という文字を指差す。
「ここに書いてあるこの文字、覚えていますか?」
アメリは、指先の文字をじっと見つめた。
「……こども?」
「そうです。よくできました。」
ミオは優しく頷く。
「じゃあ、これは?」
今度は『ごちそう』という文字を指差した。
アメリは少し考えてから――
「……ごちそう!」
ミオ「正解です。」
「できた!」
アメリは嬉しそうに笑った。
銀狼姿のアッシュは、二人を振り返って目を細めた。
「可愛い〜! ほんと可愛いな〜!」
「耳の後ろにも目をつけて、ずっと二人を眺めていたいくらいだよ〜。」
ミオが少し困ったようにアッシュを見る。
「アッシュさん。さすがにちょっと危ないセリフに聞こえます。」
「え〜? そう?」
アッシュは楽しそうに笑う。
「それなら、お姉さん姿のミオちゃんが教えるのはどう?」
「凄く絵になると思うよ〜。」
そして、隣を歩くカリンへ視線を向けた。
「ね、カリンちゃん?」
「アッシュ。お勉強の邪魔はしないで。」
カリンは呆れたように言った。
「はーい。」
アッシュは素直に前を向く。
旅に出るにあたり、ミオの精製魔法によって、カリンたちはそれぞれ動きやすい服へと着替えていた。
カリンが身につけているのは、ショートパンツ。以前から密かに憧れていた服装だった。
腰には愛用のベレットを装着している。
カリンは、どこか嬉しそうに歩いていた。
アッシュは改めてカリンへ目を向けると、目を細める。
「カリンちゃんも、もちろん可愛いよ!」
「それにその格好、すっかり気に入ったみたいじゃん?」
「ショートパンツ、俺も大好物ー♪」
「もう、アッシュ!」
カリンは細い目でアッシュを見つめ、呆れたように眉を寄せた。
「けど……。」
カリンは少し照れながら、自分の服装へ目を落とした。
「こんな格好、ずっとしてみたかったのよ!」
「なんて動きやすいの!」
カリンが嬉しそうに笑うと、二羽のシルフィもその周りをくるくると飛び回った。
「ピィッ。」「ピィーッ。」
そして、ミオへ振り返る。
「ミオ、ありがとう。」
ミオは穏やかに微笑む。
「ショートパンツは、これから行く西の地域では若い女の子たちに大人気ですからね。」
「その装いも、とてもお似合いです。カリン様。」
「そう? ふふっ。」
カリンが嬉しそうに笑う。
すると、アメリが自分の服を見下ろし、ミオのほうへ顔を向けた。
「ミオちゃん、アメリは?」
アメリは、ミオに作ってもらったフリルのついた可愛らしいキュロットを身につけていた。
ミオはアメリの姿を見つめ、優しく微笑む。
「もちろん、アメリもとても可愛いですよ。」
「フリルもよく似合っています。」
アメリはキュロットの裾をちょこんとつまみ、嬉しそうに揺らした。
「ミオちゃんの魔法は本当に凄いね!」
「ありがとう!」
ミオは少し顔を赤くし、思わず視線を逸らした。
「ど、どういたしまして……。」
そんなミオを見て、カリンも微笑む。
「ミオの格好も、とても素敵よ。」
ミオは、異国の雰囲気を感じさせる、動きやすく軽やかな服を身につけていた。
小さな身体に合わせたデザインながらも、どこか少し大人びた雰囲気が漂っている。
ミオは頬を赤らめ、少しだけ身を縮める。
「カリン様……。」
「ありがとうございます……。」
すると、アッシュがふと声をかけた。
「ねぇ、ミオちゃん?」
ミオ「はい?」
アッシュ「その『カリン様』って呼び方、やめないの?」
「二人は友達なんでしょ?」
ミオの表情が固まる。
「えっ……と、それは……。」
ミオは困ったように視線を逸らし、ほんの少し肩をすぼめた。
カリンは、そんなミオを優しく見つめた。
「ふふ。そんなに悩まなくてもいいのよ。」
「カリン様……。」
ミオは小さく呟いて――
「あっ……!」
自分が思わずいつもの呼び方をしてしまったことに気づき、慌てて口元を押さえた。
アッシュが、くすっと笑う。
「ははっ。やっぱり、つい出ちゃうんだね。」
カリンも、くすりと笑った。
「ふふ。ミオと友達になれて、本当に嬉しいの。だから、呼び方まで無理に変えなくていいわ。」
「はい……。」
ミオは照れたように目を伏せる。 それでも隠しきれない嬉しさが、口元に小さな笑みを浮かべていた。
それから、しばらく歩みを進めた後――。
カリンが、ふと口を開いた。
「それにしても……そろそろ、何か情報が欲しいわ。」
ミオも頷く。
「そうですね。」
「アッシュさん。近くに市街地はありますか?」
「できれば、ルクセリア軍の基地や政府の重要施設がない都市がいいですね。」
アッシュは少し考えるように唸った。
「うーん……大都市は検問があるから、俺も入りづらいんだよね。」
「ていうか、都市部の情報なら、ミオちゃんのほうが詳しいんじゃないの?」
ミオ「私が現役だったのは、もう50年も前の話ですから……。さすがに、街の様子も大きく変わっているでしょう。」
すると――。
アメリが、悪びれる様子もなく尋ねた。
「ねぇ、ミオちゃんはいくつなの?」
「アメリ!」
あまりにも突然の質問に、カリンが思わず声を上げる。
アッシュも苦笑した。
「あー、アメリちゃん。女の子に年齢を聞くのは、失礼なんだよ〜。」
けれど、ミオは気にした様子もなく、穏やかに微笑んだ。
「71歳です。」
「71ー!?」
アメリは目を輝かせた。
「そんなに大きかったの? ミオちゃん!」
「……。」
カリンとアッシュは、そろって言葉を失った。
ミオはそんな二人を気にすることなく、微笑みながら続ける。
「ええ。」
「どれだけ歳を重ねても、この姿から成長することはありませんので……。皆さんも、どうか気を遣わないでください。」
その言葉を聞いたカリンの表情が、ふっと曇った。
「それは……聖痕の力のせいでしょう……。」
その言葉に、二羽のシルフィもぴたりと動きを止めた。
ミオは、一瞬だけ視線を伏せた。
「……はい。」
カリンは何かを言いかけて、ぐっと拳を握りしめた。
けれど――今は、何も聞かずに飲み込んだ。
アメリは、そんな二人を不思議そうに見つめている。
すると――。
重くなりかけた空気を吹き飛ばすように、アッシュが声を上げた。
「あーっ!」
「そういえば、森の中に小さな家が何軒か集まってる場所があるよ。」
「それに、確か……教会もあったはず。」
カリンが驚いたように顔を上げる。
「それ、本当? 教会があるの?」
アッシュは、少し呆れたように笑った。
「えー。カリンちゃん、全支部のこと頭に入ってるんじゃないの?」
カリンは苦笑しながら、アッシュへ尋ねる。
「あはは……。具体的な場所までは……。」
「その集落の名前は分かる?」
「うーん……名前、あったかな〜。」
アッシュは少し考えるように首を傾げた。
「集落って呼ぶほどの規模でもなかったし。」
カリンは思わずアッシュを見返した。
「そんな場所に教会があるはずないわ。」
「見間違いじゃない?」
「見間違いじゃないよ。ほら。」
アッシュが、鼻先を前方へ向けた。
カリンたちが一斉に顔を向ける。
すると――。
森の奥深くを、細い小川が静かに流れていた。
そのほとりには、木々に囲まれるようにして、小さな家が何軒か寄り添うように建っている。
まるで絵本の中に出てくるような、ひっそりとした小さな人里だった。
その奥へ目を向けると――。
家々の向こうに、白い壁の建物が見えた。
三角屋根の上には、教会の紋章が掲げられている。
「……あれって。」
カリンが目を細める。
森の小さな家々に溶け込むように建つ、こぢんまりとした教会だった。
「ね。あったでしょ〜。」
アッシュは得意げに尻尾を揺らした。
アメリは目をきらきらと輝かせ、身を乗り出す。
「わあ……!」
「かわいいおうち……!」
その隣では、ミオも目を輝かせながら、森の中に広がる小さな村を見つめていた。
「わぁ……。」
「なんだか……絵本の中に迷い込んだみたいです。」
カリンは、村をじっと見つめる。
「何故、こんな所に……?」
「地図だと、どの辺りなのかしら……。」
アッシュは、にっと笑ってウインクする。
「公務で来たことなかったのなら、ちょうどいい機会じゃない?」
「挨拶がてら、情報収集〜。」
ミオは少し考えるように、村を見渡した。
「ですが、こんな隔離された場所に、情報なんて集まってくるのでしょうか?」
「確かにね……。」
カリンも村を眺めながら頷く。
「だけど、大都市で動き回るよりは気が楽かも。」
「教会があるのだし、本部との連絡も取れているはずよ。私たちが無事だと、お祖父様へ伝えてもらいましょう。」
ミオは顎に手を添え、考え込む。
「……。」
すると――。
「ミオちゃん!」
アメリが、待ちきれないとばかりに声を上げた。
「アメリ、あのおうちをもっと近くで見てみたい! それに見てみて! あれ、なんだろう?」
そう言って、小川に架かる小さなアーチ型の橋を指差す。
ミオがアメリの指差す先を見る。
「あれは橋ですね。」
「かわいい!」
アメリは楽しそうに声を弾ませる。
「あそこも行きたい!」
そして、ミオの袖をちょこんと引いた。
アメリ「ねぇ、ミオちゃん。行こうよ!」
ミオはまだ少し悩んでいる様子だった。
すると、アッシュが声をかける。
「あの規模の村なら、俺も変装しなくて良さそうだよ。」
「ミオちゃん、少し休もう?」
カリンはアッシュの背中に乗るミオの顔を覗き込む。
「ミオ、私が先導するわ。」
「それに、教会よ。何も心配することはないでしょう?」
ミオはカリンに見つめられ、しばらく黙っていた。
やがて、ふっと目を伏せる。
「……分かりました。」
「皆さんも、少し休みたい頃でしょう。」
そして、アメリへ優しく微笑む。
「少しだけ、村を見てみましょうか。」
カリンは笑顔で頷く。
「ええ。」
「やったー!」
アメリはぱっと顔を輝かせた。
「ミオちゃん、早く行こ!」
アッシュは背中に乗せていた二人をそっと地面へ降ろすと、身体を伸ばした。
次の瞬間――。
銀色の毛並みが淡い光に包まれ、アッシュの身体がすっと人間の姿へ戻っていく。
銀色の光が収まると、アッシュはミオに作ってもらった新しい羽織りを身につけていた。
そのままフードを頭へ深く被ると、目元だけが覗く。
先ほどまでの銀狼とはまた違った、どこか旅人らしい姿だった。
それを見たカリンが、思わず声をかける。
「変装しないんじゃなかったの?」
アッシュは得意げに笑った。
「ミオちゃんが作ってくれたんだから、村のみんなに自慢しないとじゃん?」
ミオは呆れたようにアッシュを見る。
「初対面の方に自慢も何も……。」
けれど、少し嬉しいのか、頬がほんのり赤くなっていた。
カリンはくすりと笑った。
「とてもいいアイデアよ、ミオ。おしゃれだし、顔も隠せるもの。」
「アッシュには必要ね。」
「でしょ〜?」
アッシュは上機嫌に笑った。
その間にも――。
アメリは待ちきれないように小川へ向かって駆け出していった。
「わぁーっ!」
「アメリ、待って!」
「勝手に行っちゃダメよ!」
カリンも慌てて後を追う。
その二人の姿を見つめながら、アッシュはふっと目を細めた。
「……やっぱり、アメリちゃんって昔のカリンちゃんそのものだよ。興味のあるものを見つけると、すぐ駆け出していっちゃうところとか……。」
「……本当に、同じなんだな。」
その瞳には、懐かしさとともに、アメリを見つめるどこか柔らかな光が浮かんでいた。
ミオも、遠ざかっていく二人の姿を静かに見つめる。
「……そうなのですね。」
(あれが……カリン様の幼い頃の姿。)
アメリは、初めて見る小さなアーチ型の橋の上で、ぴょんと跳ねた。
「お姉ちゃん! 見て見て!」
欄干から身を乗り出すようにして、小川を覗き込む。
アメリ「お水が流れてる! キラキラしてるよ!」
「アメリ、こっちにおいで。危ないわよ。」
カリンは慌てて駆け寄ると、アメリの身体をそっと抱き寄せた。
「えへへ……。」
アメリはカリンに抱かれたまま、もう一度小川を覗き込んだ。
「……子ども?」
ふいに、二人の横から声がした。
小川を覗いていたアメリが、顔を上げる。
「?」
そこには――。
大きな眼鏡をかけ、そばかすの浮かんだ修道女が、驚いたように立っていた。
カリンも、その声に気づいて振り向く。
すると、修道女はカリンの姿を見て、驚愕に息を呑んだ。
「カ、カ、カ、カリン様っ!?」
カリンも驚いて声を上げる。
「リーザさん!?」




