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25女神を見た少女

ミオはハッと首の後ろを押さえた。

その表情が強張り、頬には冷や汗がにじむ。

ゆっくりとフェンリルを見上げ、小さく問いかけた。



ミオ「……分かるのですか……?」



フェンリルは低く笑う。

「ふっ……。あの人間嫌いのキサラギがな。」

「こんな小さな娘に、何を見出したのか……。」



カリンは息を呑む。

「海を司る聖獣……キサラギ様……。」



アメリは目を輝かせた。

「ミオちゃんも変身できるの!?」



そう口にした瞬間、晩餐会で見た大人のミオの姿が脳裏によみがえる。



アメリ「あっ……!」



ミオは静かに首を横へ振った。

「違います……アメリ。」



そう言うと、首の後ろを押さえる手に力を込める。



ミオ「私の場合は……。」

「この聖痕によって……命を繋いでいただいたのです。キサラギ様に。」



カリンは思わず口元を押さえた。

「そんな……。」

胸に大きな衝撃が走る。



カリン「それじゃあ……。50年前、ストラトスで起きた出来事は、本当だったの……?」



ミオは静かに頷く。

「ええ。」

「私の身体は、あの時……バラバラになりました。」



「ひぃっ……。」

アメリが小さく息を呑む。



ミオ「そこへキサラギ様が現れ、唯一原形を留めていた上半身へ聖痕を刻み、その姿を基に私の身体を再生してくださいました。」



カリンは震える声で呟く。

「だから……子どもの姿に……。」



ミオ「はい……。」



そう答え、ミオは首の後ろから手を離した。

そこには、蒼く輝く龍の聖痕が静かに刻まれていた。



カリンは絶句した。



二羽のシルフィが呼応するように羽ばたく。

「ピーッ!」 「ピーピー!」



ミオは静かにベッドから降り、ゆっくりと立ち上がった。



次の瞬間――。 首の後ろの蒼い聖痕が淡く輝き、続いて純白の光がミオの全身を包み込んだ。



光が収まると、そこにはラミアナ・フォードが静かに立っていた。



カリンは静かに見つめる。

「……。」



アメリは思わず声を漏らした。

「わ……ぉ。」



フェンリルは目を細める。

「なるほど……。」

「子どもではなかったか。それが、お主の本来の姿か。」



ミオは凛とした大人の声で答えた。

「はい。」

「ようやくですが、この姿でいられる時間も10分ほどになりました。」



フェンリルは静かに頷く。

「あのキサラギが見込んだ器だ。これからも皇女殿下を、その身を賭して護り抜くがよい。」



「はい。」

ミオは迷いなく頷く。

「再び生を与えられたこの身、そのすべてを懸け――命尽きるまでカリン様を……。」



「そんなことはさせないわ!!」



部屋中に、カリンの鋭い声が響いた。

ミオはびくりと肩を震わせ、振り返る。

カリンは真っ直ぐミオを見つめていた。



カリン「ミオ。」

「あなたの人生は、私のためにあるわけじゃない。」


「キサラギ様や教会があなたに何を告げたのか、私はまだ知らない。」


「でも、そんな生き方だけは……私は絶対に認めない。」



ミオは言葉を失った。

なぜカリンがそんなことを言うのか理解できない。



ミオ「カ……カリン様……?」



カリンはそのままフェンリルへ視線を向ける。



カリン「フェンリル様。」


「私はエリシオンや皇帝のことを知ったばかりです。まだ何も分からないことだらけ。」


「ずっと信じてきた女神メイデス様が、自分自身だったなんて……今でも信じ切れていません。」


「でも、一つだけ分かったことがあります。」


「エリシオンを巡る思惑が、多くの人たちの人生を狂わせているということ。」


「だから私は、歴史を知り、世界を知り、この世界と向き合いたい。」


「ですが、それは私自身の問題です。」



カリンは再びミオを見つめる。



「友達の人生まで縛るつもりはありません。」


「聖痕がどんな意味を持っていようと関係ない。」


「私は、大好きなミオが……私に縛られたまま生きることだけは望みません。」


「だから、もう……そんな言い方はしないでください。」



大人の姿のミオは震え始めた。

瞳は大きく揺れ、冷や汗が頬を伝う。



ミオ

「カ、カリン様……。」

「何を……。」



声まで震えている。



ミオ「私には……。」


「カリン様をお護りすることが……すべてなのです……。それなのに……。」


「そのようなことを……おっしゃらないでください……。」


「お願いです……。」



ミオの胸を、言いようのない恐怖が締めつける。

カリンに拒まれた。

そう思った瞬間、積み重ねてきた心の支えが音を立てて崩れていった。



次の瞬間、その身体が淡い光に包まれる。

ゆっくりと身体が縮み始め、やがて大人の姿は消え、幼いミオへと戻った。

力なく床へ膝をつく。



ミオ「カ……カリン様ぁ……。」



アメリは目を見開き、どうしていいのか分からず息を呑む。



フェンリルは床にうずくまるミオを静かに見つめると、ゆっくりとカリンへ顔を向けた。



銀色の瞳が細められる。



フェンリル「……違いますな。」

「それが、本来のあなたなのですか。」



カリン「……何のことですか?」



「いえ。」

フェンリルはそれ以上語らず、一拍置いて続ける。



フェンリル「ですが、聖痕を授かった以上、皇族へ尽くし、その身を捧げるのが定め。まして、その聖痕によって命を繋がれている身であれば……。」


「その命は、すでにキサラギへ預けられたものと言えましょう。」



「なんですって!!」

カリンの表情が一変する。

怒りに満ちた瞳でフェンリルを見据え、ぎりっと奥歯を噛み締めた。



一方、ミオは床に崩れたまま、何も言えず俯いている。



カリンはシーツを強く握り締めた。



カリン「だいたい、『皇族』って何なのよ。エリシオンは滅んだのでしょう?」


「エリシオンの力を求める人間が、私を利用しようとするのは理解できるわ。でも、あなたたち聖獣が、関係のない人たちに聖痕を刻み、その人生まで縛るなんて……。一体、何が目的なのですか!」



フェンリル

「目的……という言葉は少々違いますな。」

「我らは皇族に仕えし聖獣。」

「皇族の血が続く限り、その命尽きる時まで仕えることこそ、我らの存在意義なのです。」



カリン「じゃあ……。アッシュも、それに巻き込んだというの!?」



「違います。」

フェンリルは即座に答えた。

「アッシュは、自ら望んで我を受け入れました。」



カリン「――っ!?」



その瞬間、どこか聞き慣れた軽い声が響く。



アッシュ「おっとっと! フェンリル、俺たちの熱い関係は秘密だって〜。」



フェンリルは呆れたようにため息をついた。

「分かっておる。」

「……まったく、この男は。」



アッシュの陽気な声が続く。

「ねぇねぇ、そろそろ俺に代わっていい?」

「俺もカリンちゃんから直接話を聞きたいしさ。」

「それに……ミオちゃんも心配なんだ。」



フェンリルは鼻を鳴らした。

「どうせ、お前のことだ。」

「大人の姿になった女性に目を奪われただけだろう。」



アッシュ「いや、今そんな冗談言ったらダメな状況でしょーよ。」



フェンリル「ふん……どうだかな。」



そして再びカリンへ視線を向ける。



フェンリル 「メイデス様。」

「現在は人間のお姿であられますが、こうして再び、アルファリア皇族のお姿をこの目で拝見できたこと……心より嬉しく思います。」



「アルファリア……皇族?」

カリンは目を見開いた。

「アルファリアは教会の名前でしょう?」



フェンリルは静かに首を振る。

「いいえ。それはフェナード家が築いた、偽りの組織。」


「千年前、この世界に栄華と繁栄をもたらしたエリシオン。」


「その民が築き上げた大帝国――。」



フェンリルは厳かに告げた。

「それこそが、アルファリア帝国です。」



カリン「アルファリア……帝国……!?」



フェンリルは静かに続ける。

「ですが、我は帝国の復古よりも、貴方様ご自身の意思を尊重いたします。」

「アッシュも同じ想いです。」

「どうか、貴方様をお護りする役目を我らにお与えくださらぬでしょうか。」



「だーかーら。」

横からアッシュの呆れた声が割って入る。

「役目を与えるかどうか、それを決めるのもカリンちゃんの意思でしょうよ。」

「まずは俺がちゃんと話すって。もし振られたら、その時は潔く諦めよーぜ。」



フェンリルは鼻を鳴らした。

「相変わらず軽い男だ。」



アッシュ「褒め言葉ってことで。」



その瞬間。

巨大な銀狼の身体が淡い銀色の光に包まれ、みるみる人の姿へ戻っていく。

やがてそこには、いつもの飄々とした笑みを浮かべる青年が立っていた。



二羽のシルフィは小さく旋回すると、そのままカリンの肩へふわりと舞い降りた。



アッシュ

「いや~、びっくり。」

「俺も全部初耳なんだよね~。」

「フェンリル、お堅いからさ。」



しかし、その視線が床にうずくまるミオへ向いた途端、笑みは静かに消えた。



アッシュ「……ミオちゃん。」



カリンも俯いたまま、シーツを強く握り締めている。



アッシュはミオの傍へしゃがみ込み、震える小さな肩へそっと手を添えた。



アッシュ「わりぃ。フェンリルが余計なこと言っちまったみたいだ。」



カリンは静かに首を横へ振る。

「いいえ……。いずれ知らなければならないことだったわ。私もまだ……何が何だか分からないけれど……。」



そう呟くと、シーツを握る手にさらに力が入る。



カリン「でも、ミオは……。ミオの呪縛だけは解きたい。」

「なのに……聖痕に命を繋がれているなんて……。」



「……呪縛。」

アッシュの脳裏に、戦いの直後、カリンが口にした言葉がよみがえる。



ミオへ添えた手から、小刻みな震えが伝わってくる。

項垂れた小さな背中を見つめ、アッシュはすべてを察した。



少しの沈黙のあと、アッシュは穏やかに笑う。

「なぁ、カリンちゃん。」

「歩けるかい?」



カリン「え? ええ……多分、大丈夫よ。」



アッシュ「じゃあさ。デュトロープ湖、ちょっと散策してきなよ。」

「ミオちゃんと二人で。」



その言葉に、カリンははっと顔を上げた。

アッシュはいつも軽口ばかり叩いている。

けれど誰よりも周囲をよく見て、人の心の機微を敏感に察する男だった。

その不器用な優しさを、カリンは静かに受け止める。



重苦しい空気に耐えられなかったのか、アメリが勢いよく手を挙げた。

「アメリ、オオカミさんに乗って山菜採り行きたい!あと釣り! お魚さん釣りたい!」



アッシュはぱっと笑顔を取り戻す。

「おー、いいね~!」

「じゃあ今夜は、とれたての魚料理にしよっか!」



そう言うと、床に座り込むミオをそっと抱き上げ、カリンのベッドへ座らせた。



続いてアメリをひょいと肩車する。



アメリ「わぁーっ!アッシュくん、高いー!」



アッシュは振り返り、二人へいつもの笑顔を向けた。

「そんじゃ、俺らは遊んで来るからさ。」



そして最後だけ少し真剣な表情になる。

「カリンちゃん。」

「あとで、俺とフェンリルの相手もしてよ。」



そう言って軽くウインクすると、アメリを肩車したまま部屋を後にした。






二人きりになった部屋には、重い沈黙だけが流れていた。

ミオは俯いたまま、一度もカリンの顔を見ることができない。



カリンもまた、そんなミオを見つめることしかできなかった。

初めて見る、心が折れそうなほど弱々しいミオの姿。



抱き締めたい。

それでも、今は抱き締めてはいけない。

まるで、すぐそばにいるのに遠い存在になってしまったようだった。



二羽のシルフィは心配そうに二人を見比べる。

「ピィ……。」

いつものように無邪気に飛び回ることもなく、小さく鳴くだけだった。



カリンは静かに口を開いた。

「私……歩きたいわ。」

「ミオ、少し付き合ってもらえる?」



ミオは俯いたまま、小さく頷く。

「……はい。」







***






夕日に染まるデュトロープ湖は、茜色に輝く水面が静かに揺れ、遠くの山々を優しく映し出していた。 涼やかな風が湖畔を吹き抜け、辺りは穏やかな静寂に包まれている。



その湖畔をカリンがゆっくりと歩き、その少し後ろをミオが俯いたままついていく。

二羽のシルフィも、小さく鳴きながら二人のそばを飛んでいた。



カリン「本当に……なんて綺麗な所なの。」



カリンは夕日に照らされた湖面を見つめ、穏やかに微笑む。



カリン「人の手が入っていない場所には、こんなにも美しい景色が残っているのね。」



ミオは何も答えない。 ただ俯いたまま、小さく歩みを進めるだけだった。



やがてカリンは足を止めると、静かに振り返った。

そして、ミオと同じ目線になるよう腰を落とす。



カリン「ねぇ、ミオ。」

「ミオにとって、女神様ってどんな存在だったの?」



真っ直ぐ向けられる水色の瞳。

その問いに、ミオは思わず視線を逸らし、小さく身体を縮こまらせた。

女神本人に、そのことを問われる――。

あまりにも気恥ずかしく、頬が夕日に染まる。



ミオ「……恥ずかしいです。」



カリンはくすりと笑う。

「じゃあ、私から話すわ。」



ミオ「え……?」



カリン「私にとっての女神様はね、とてもつらかった時、いつも心に寄り添ってくださる存在だったの。」


「ルノーと父さんが、突然いなくなってしまったでしょう?」


「だから毎日寂しくて……教本を抱きしめて眠っていたの。」



少し伏し目がちになりながら、カリンは懐かしむように微笑む。



カリン

「胸を締めつけられるような苦しい時にも、メイデス様はこう仰っていたの。」


『その痛みを、大切にしなさい。』

『強さとは、痛みを失うことではありません。』

『痛みとともに歩み続けることです。』

『痛みを知る者は、人の痛みにも寄り添うことができるでしょう。』



夕日に照らされたカリンの微笑みは、どこか優しく、どこか切なかった。

ミオは静かに息を呑む。



カリン「教帝への道をいただいた私にとって、この言葉は生き方の礎になっていたの。」



そう言って少し寂しそうに笑う。



カリン「ふふ……。」

「だけど、その女神様も……教会そのものも、偽りだったなんてね。」



ミオは勢いよく首を横に振った。

「そんなことはありません!」

「少なくとも私は……メイデス様に救われました!」



カリンは何も言わなかった。

ただ優しく微笑みながら、静かにミオを見つめる。



その眼差しに促されるように、ミオは震える唇をゆっくりと開いた。






ミオ「私が物心ついた時、その日常は戦争から逃げ惑う毎日でした。」



爆音。銃声。人々の悲鳴。

燃え盛る街を、必死に走り続ける人々。



ミオ「一緒に炎の中を逃げていた人たちが、家族だったのか、友達だったのか……今となっては分かりません。」



倒れた人々。飛び散る瓦礫。

銃弾に撃ち抜かれ、隣を走っていた子どもが倒れる。



ミオ「そんな中、大人の誰かが荷馬車を何台も盗みました。」


『早く乗れ!』


『国境を越えるぞ!』


『急げぇ!』



ミオ「私たちは荷台へ押し込まれ、そのまま走り続けました。」



ミオは少し俯く。



ミオ「私はずっと震えていました。」


「私だけではありません。子どもも、大人も……皆、震えていました。」


「命を奪われる恐怖。」


「ですが、その頃の私たちにとっては、それが当たり前の日常になっていたのです。」



カリンは何も言わなかった。 ただ静かに頷く。 その瞳は、ミオのすべてを受け止めようとしていた。



ミオはゆっくりと目を閉じた。




――その頃の記憶です。








〜〜〜








パカッ、パカッ――。



四台の荷馬車が街道を走っていた。

命からがら戦場を逃げ出した人々。

荷台には大人よりも子どもの方が多く乗っていた。



その中で最も幼い少女――栗色の髪をした少女が、小さく身を縮めていた。



しばらく走ると、突然荷馬車が止まる。

ヒヒーンッ!

御者の男が冷たく言い放った。



男「よし。大人を全員降ろせ。」



大人達「なっ……!」


「あんたら街の人間じゃないな!」


「やめてぇ!」



次の瞬間――。


ザシュッ。


ザシュッ。


ザシュッ。



次々と大人たちが斬り伏せられていく。



「いやぁぁっ!」「お母さーん!」


「父ちゃん!」「やめろーっ!」



飛び散る鮮血が、荷台の子どもたちへ降り注ぐ。

泣き叫ぶ声が辺りを埋め尽くした。



少女の瞳にも、真っ赤な血飛沫が映る。



その時だった。



誰かが少女を強く抱き締め、その身体を覆い隠した。



ザシュッ――。



温もりが震え、ゆっくりと崩れ落ちる。

栗色の髪をした一人の女性だった。



少女の視界いっぱいに、血の海が広がる。



男は倒れた大人たちを見回し、鼻で笑った。



男「16人か。チンケな街にしちゃ上出来だ。」


男「おいおい、大事な商品に血が付いちまったじゃねぇか。」


男「どうせ内戦国の孤児だ。血くらい問題ねぇ。」


男「急ぐぞ、邪魔な死体を捨てろ。」



大人たちは、まるで物のように街道脇へ投げ捨てられていく。



「やめて!」「お母さん!」


「嫌だ!父ちゃん!兄ちゃん!」


「手を離してよー!」



子どもたちの叫び声が響く。



しかし男は怒鳴りつけた。


「黙れ、クソガキども!」


「おめぇらもこいつ等のように切り刻むぞ!」



栗色の髪の女性も、乱暴に投げ捨てられた。

少女はその光景を、ただ見つめていた。

なぜ胸が苦しいのか。

その時の少女には、まだ分からなかった。



再び荷馬車は走り出す。









パカッ、パカッ――。



どのくらい走っただろうか。

子供達は覇気もなく項垂れていた。



そして、国境近くの街道へ差しかかった、その時だった。



ドォォン!!



轟音が大地を揺らした。

続けざまに、



ドォォン!!


ドォォン!!


ドォォン!!



四台すべての荷馬車が爆炎に包まれる。



馬は吹き飛び、

荷車は木端微塵に砕け散った。



街道には砕けた車輪だけが、カラカラと音を立てて転がっていた。



一人の男が血を流しながら立ち上がる。



「くそっ……地雷か!」

「やっちまった……。内戦国の仕込みか……。」



辺りを見回す。



男は叫ぶ

「おーい!生きてる奴いるかー!」



しかし仲間も、子どもたちも、

皆、無残な姿で横たわっていた。



返事はない。



「くそっ……。」



その時。

ゴトッ。

積み重なった子どもの亡骸がゆっくりと動いた。



その下から、一人の少女が這い出してくる。



「……!」

男は目を見開いた。

そして、足を引きずりながら少女に近づいた。



「お前……無傷か!歩けるのか!」



少女は小さく頷く。



男は顔を歪めて笑った。


「ははっ!一人でも生き残りゃ儲けもんだ!」


「怪我もねぇ!こいつはラッキー!」


「よしガキ、ついて来い!」



少女は散らばる亡骸を踏み越えながら、男の後ろを歩いた。





街道の端をしばらく歩いていると男は段々と辛そうな顔つきになる。



やがて男の足取りは重くなる。



「がっ……!」

そして男は倒れた。



大量の血を吐き、身体は痙攣し、

やがて動かなくなった。



少女はしばらく座込み、どうしていいかわからず、動かなくなった男を眺めていた。



すると――。


ドスッ。


ドスッ。


ドスッ。



巨大な魔獣だった。

二本の脚で歩き、短い前肢を胸の前で折り曲げたその姿は、獲物を狙う肉食恐竜を思わせる。



初めてみる魔獣に少女は青ざめた。



魔獣は男の亡骸へ近づくと、大きな口で一瞬にして喰らい尽くした。



そして。

血と唾液を滴らせたまま、その鋭い瞳が少女へ向く。



少女の全身が凍り付く。

爆撃とも、銃声とも違う。

初めて味わう、生き物そのものへの恐怖。



「ぁ……。」



声にならない。足も動かない。



魔獣は大きく口を開き、少女へ襲いかかる。

生臭い吐息と唾液が降り注ぎ、巨大な影が少女を覆った。



恐怖が極限に達した、その瞬間。

少女の全身が眩い白い光に包まれた。



次の瞬間、白い閃光が魔獣の喉元を貫く。

ドォンッ――!

光は激しく弾け、魔獣の身体は粉々に吹き飛んだ。



肉片と鮮血が雨のように少女へ降り注ぐ。

少女はその場にへたり込んだまま、目を見開いていた。

何が起きたのか。

何一つ理解できなかった。





やがて震えが少し収まると、少女は再び街道を歩き始めた。



太陽が昇り。沈み。

また昇り。沈む。



水も。食べ物も。

何も口にできないまま歩き続けた。

少女の体は限界であった。



そして真夜中。



ドサッ――。

ついに少女は力尽き、街道へ倒れ込む。

身体はもう動かなかった。



小さく震え、意識はゆっくりと遠のいていく。

恐怖しか知らなかった世界が、ようやく終わる。



ぼんやりとそんなことを思いながら、閉じかけた瞼の向こうに、かすかな光が揺れた。



朦朧とする意識の中、その光だけが不思議と温かく見えた。

少女は残された力を振り絞り、震える腕で身体を起こす。



何度もつまずき、よろめきながらも、その光だけを頼りに歩き続けた。



やがて辿り着いた先にあったのは――

白い石壁に灰色の屋根の、小さな教会。

木製の扉からは温かな灯りが静かに漏れていた。



少女が震える手で扉へ触れた、その時――

東の空から、朝日がゆっくりと昇り始めた。



ギィ……。



扉を開けると、静寂に包まれた礼拝堂が広がっていた。



長い中央通路の先には、白い祭壇が静かに佇み、両脇には木製の長椅子が規則正しく並んでいる。



高い天井には幾枚ものステンドグラスがはめ込まれ、そこから差し込む虹色の光が、まるで別世界へ迷い込んだかのように礼拝堂全体を優しく包み込んでいた。



少女は夢でも見ているかのように、その光を見上げる。



栗色の瞳に、揺れる虹色の光が映り込む。



恐怖以外の感情を、初めて知った。



少女は見上げたまま、ふらつく身体を引きずり、一歩、また一歩と祭壇へ歩みを進める。



そして――

ドサッ。



ついに力尽き、その場へ倒れ込んだ。

薄れゆく意識の中、

少女が最後に目にしたもの――。



それは、祭壇の最奥に静かに佇む、メイデス様の石像だった。



高く掲げられたステンドグラスから、幾筋もの虹色の光が降り注ぐ。



その光はまるで天から伸びる祝福のように、石像だけを神々しく照らしていた。



白く輝く女神は、穏やかな微笑みを浮かべ、恐怖に震える少女を静かに見守っている。



荒れ果てた戦場しか知らなかった少女には、その光景は現実とは思えなかった。



血も、炎も、悲鳴もない。

ただ、温かな光だけがそこにあった。



――まるで、別世界の女神様。



少女は震える瞳で、その姿を見つめ続ける。



その神々しい光景を、心の奥深くへ焼き付けるように。



やがて静かに瞼を閉じ、意識は闇へと沈んでいった――。

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