24聖痕
ー白く、白く、
ーどこまでも真っ白な世界。
そこには、青い髪の少女と赤い髪の少女が向かい合って立っていた。
カリンは困惑したように少女を見つめ、口を開く。
カリン「ねぇ……知ってた? その昔、エリシオンっていう種族がいたんだって。」
「それに、女神メイデス様も、そのエリシオンだったらしいの。」
青髪の少女はいつものように儚く、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
青髪の少女「ええ、知っているわ。そして――それは、あなた自身のこと……」
「えっ!? 知っていたの!?」
カリンは驚き、思わず少女へ詰め寄る。
カリン「私、何も分からないことだらけなの。教えて。千年前、一体何が起きたの?本当に私は――」
青髪の少女「千年前、あなたは――」
カリン「え……?」
少女の唇は確かに動いていた。
けれど、その一節だけは聞き取れなかった。
青髪の少女
「――だから私は、ずっとここにいる……」
その瞬間。
真っ白な世界に、一筋の光が差し込んだ。
青髪の少女の姿は、光に溶けるように少しずつ薄れていく。
「待って!」
カリンが手を伸ばす。しかし、その指先は届かない。
少女は最後まで悲しそうな微笑みを浮かべたまま、静かに消えていった。
――ハッ!!
カリンは勢いよく目を見開き、起きた。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を繰り返しながら、額に浮かんだ汗をそっとぬぐう。
(あの子……今、何て言った……?)
必死に思い出そうとする。
だが、その言葉だけが霧のように霞み、どうしても思い出せない。
(あぁ……ダメ。まただ……)
(もう、思い出せないっ……!)
カリンは乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと身体を起こした。
「ここは……。」
そこは木の温もりを感じる、簡素な小部屋だった。
装飾らしいものは何一つなく、あるのはベッドが二つだけ。
静かで、どこか落ち着く空気が流れている。
自分が寝かされていたベッドから身を起こすと、ふと自身の身なりへ目を落とした。
血に染まっていたはずのドレスは、いつの間にか簡素な衣服へと替えられていた。
カリンはベッド脇の窓を覗き込んだ。
そして、思わず息を呑む。
窓の外には、どこまでも透き通る青い湖が広がっていた。
その向こうには深い緑の森と雄大な山々が連なり、太陽に照らされた湖面がきらきらと輝いている。
まるで一枚の絵画のような、美しい景色だった。
カリン「なんて……綺麗な所……。」
その時だった。
「カリン様――?」
近くでいつも聞いていた、大好きな少女の声。
その声にカリンが振り向く。
栗色の髪を編み込んだ、小さな女の子。
大きな瞳を見開き、揺れるその視線は、ただ真っ直ぐカリンを見つめている。
カリン「ミオっ……。」
教会にいた時と変わらず、当たり前のようにそこにいるその姿。
カリンの胸に、嬉しさ、安堵、戸惑い――様々な感情が一気に込み上げる。
駆け寄りたい。抱き締めたい。
けれど、真実を知った今、以前のようにミオへ触れていいのだろうか。
ミオがどれほど自分という存在に縛られていたのか。
その重さを知ってしまった今、彼女の優しさを何も知らなかった頃のように受け取ることはできなかった。
ぎゅっと胸元を押さえ、唇を噛み締めた。
「お目覚めに……なられたのですね……。」
ミオもまた、目を見開いたまま立ち尽くしていた。
ミオ「カリン様……その……。」
晩餐会で、カリンは自身に隠されていた真実を、きっと知ってしまった。
さらに、自分がラミアナ・フォードであることも。
それを知った今、カリンは自分をどう見ているのだろう。
そして、自分は最後までカリンを守り切れなかった。
その思いが胸につかえ、掛けるべき言葉が見つからなかった。
互いを想うからこそ、二人とも言葉を失っていた。
すると、その空気を吹き飛ばすように元気な声が響く。
「お姉ちゃんが起きたぁっ!」
「ピィーッ!」
「ピーピーッ!」
アメリと二羽のシルフィが、ミオの横を勢いよく駆け抜け、一目散にカリンのもとへ飛び込んでくる。
アメリ「お姉ちゃんっ!」
アメリは勢いよくカリンへ抱きついた。
水色の瞳をきらきらと輝かせ、満面の笑みを浮かべる。
アメリ「良かったよぉ~!」
シルフィたちも嬉しそうに羽をぱたぱたと羽ばたかせながら飛び回り、
一羽はカリンの肩へ。
もう一羽は頭の上へちょこんと止まる。
「ピィ♪」
「ピーピー♪」
カリン「アメリ……シルフィ。」
カリンは優しく微笑み、アメリの頭をそっと撫でた。
カリン
「アメリも無事で本当に良かったわ。」
「一緒に戦わせてしまって、無理をさせてしまったものね。」
「怖くなかった? ケガはない?」
アメリはカリンへぎゅっと抱きついたまま、ぶんぶんと首を横に振る。
アメリ
「平気だよ!」
「お姉ちゃんが一緒だったんだもん!」
少しだけ表情を曇らせる。
アメリ「それより……。」
「お姉ちゃんがひどいことされて……いなくなっちゃったらどうしようって……。」
「アメリ……そっちの方がずっと怖かった……。」
カリンは優しく抱き寄せた。
カリン「大丈夫よ。」
「ほら、私はここにいるでしょう?」
「それに、アメリのお陰で助かったのよ。」
アメリはぱっと顔を赤くし、照れくさそうにはにかんだ。
ミオ(私が危険視していたあの子が……。)
(カリン様を助けてくださったのですね……。)
ミオはその光景を静かに見つめ、小さく瞳を伏せる。
アメリは何の迷いもなく、カリンへ想いを伝えている。
その姿が、今のミオには眩しく見えた。
自分は……カリンを守り切ることができなかった。
気付かれないよう静かに踵を返し、部屋を出ようと歩き始める。
その時だった。
――コテッ。
何かへぶつかり、小さく尻もちをつく。
ミオ「あいたたた……。」
見上げた先には、褐色の肌に銀髪を揺らす青年が、飄々と笑っていた。
「あーっ、ごめんごめん、ミオちゃん。」
軽やかに笑うと、アッシュは小さなミオをひょいっと抱き上げ、そのまま肩へ座らせる。
「アッシュ……! そういえば……。」
カリンは改めて青年を見つめた。
ミオ「ア、アッシュさん……!恥ずかしいです……。」
ミオは困ったように視線を伏せ、小さく身を固くする。
アッシュは肩をすくめ、にっと笑った。
「調子はどう?カリンちゃん。」
カリンの顔色をひとしきり眺めると、安心したように頷く。
アッシュ「ここはデュトロープ湖だよ。」
「それなりに標高も高いし、ここまで道も整備されてないから、人間はほとんど来ない穴場スポット! いいところでしょ〜?」
カリンは窓の外へもう一度目を向け、穏やかに微笑む。
「ええ……本当に綺麗なところね。驚いたわ。」
アッシュ
「それにさ、もっと凄いのがこの家!」
「これ、ミオちゃんが魔法で作ったんだよ。」
カリン「ミオの……魔法……。」
アッシュ「俺も驚いたよ。こんなにちっちゃいのにさ、聖騎士顔負けなんだから。」
その言葉に、カリンはふと目を伏せた。
「カリン様……?」
不安そうに名を呼ぶミオ。
「えっ、カリンちゃん驚かないの?」
アッシュが不思議そうに首を傾げる。
カリンは我に返ったように顔を上げ、小さく微笑んだ。
「ええ。ミオの魔法には、いつも驚かされているわ。」
すると、アメリが嬉しそうに手を挙げる。
「もう一つのベッドはね、アメリとミオちゃんで一緒に寝てるんだよ!」
カリンは思わず頬を緩めた。
「ふふっ。二人で並んで眠っている姿が目に浮かぶわ。」
アッシュはほっとしたように笑った。
「カリンちゃん、マジで危なかったんだよ。」
「クレイドなんて、ほんの僅かしか残ってなかったし。かなり血も流してたらしいじゃん。」
そう言って、肩にちょこんと座るミオのほっぺを人差し指でつん、とつつく。
アッシュ
「このちっちゃいミオちゃんが、ずーっとカリンちゃんの看病してくれてたんだから。」
「体も拭いてくれてさ、付きっきりだったんだよ。」
ミオ「や、やめてください……アッシュさん。」
ミオは顔を赤く染め、小さな手でそっと頬を押さえた。
(また……私のために、そこまで……。)
カリンの胸の奥に、言葉にならない想いが静かに込み上げる。
アッシュ「カリンちゃん、三日も目ぇ覚まさないんだもん。正直、心配したよ。」
「えっ!? 三日も!?」
カリンは目を丸くした。
アッシュ
「そうそう。」
「しかもさ、聖騎士に襲われていたこともだけど、最後に色々変なこと言ってたじゃん。」
「教会の呪縛、とかさ。」
その言葉に、ミオは息を呑んだ。
「教会の……呪縛……?」
揺れる瞳が、まっすぐカリンを見つめる。
ミオ「カリン様……それは一体、どういうことなのですか?」
ミオの問いに、カリンは一瞬だけ言葉を失う。
この話は、今ここで皆の前でするべきではない。
カリンは慌てて咳払いをひとつすると、強引に話題を変えた。
カリン
「それよりも――アッシュ・クロフィア様。」
アッシュ「え? え?」
カリン「クロフィア家の家宝を持ち出し、行方不明となった貴方が、どうして私の前に現れたのですか?」
「しかも、聖獣フェンリル様の姿で。」
アメリ「クロフィア?」
ミオは静かに目を見開いた。
「……聖獣フェンリル様?」
カリン「クロフィア公は今もルクセリア軍を動かし、必死に貴方を捜索されています。ディノス様も、とても心配しておられました。」
「ちょ、ちょっと待って!」
アッシュは慌てて手をぶんぶん振る。
「その喋り方やめてよ、カリンちゃん!」
「『様』とかホント勘弁!」
ミオは驚いたようにアッシュを見つめた。
「ディノス様の……ご兄弟だったのですか?」
「確かに、髪の色やお顔立ちは似ておられますが……。」
はっとしたように姿勢を正す。
ミオ
「で、では……新貴族……!」
「し、失礼いたしました。」
「アッシュ様。」
慌てて肩から降りようと身を乗り出す。
ミオ「あっ。」
バランスを崩きかけた小さな身体を、アッシュは片腕でひょいっと抱え直した。
アッシュ「はい、降りなーい。」
ミオ「えっ……。」
アッシュ「ミオちゃんまでそんなノリになるの勘弁〜。この子、真面目なんだからさ。」
ミオは返す言葉に詰まり、視線をさまよわせた。
「……離してください。」
アッシュ「やだ。落っことしたら危ないじゃん。」
軽い口調とは裏腹に、その腕は驚くほど優しく、小さな身体をしっかり支えている。
アッシュ「カリンちゃんも、いつも通りでいいって。」
カリンは思わず笑みをこぼした。
「ふふっ。」
「相変わらずね、アッシュ。」
「元気でいてくれて、本当に良かったわ。」
アメリは小さく首を傾げた。
「クロフィア……?」
「うーん……何だか聞いたことある気がする……。」
ミオ「お二人は……幼い頃からのお知り合いなのですか?」
カリン
「ええ。前にも話した通り、クロフィア家と教会は昔から交流があるの。」
「歳も近かったから、アッシュとはよく一緒に遊んでいたわ。」
すると、アメリがぱっと顔を上げた。
「アッシュくん、お姉ちゃんとお風呂も入ったことあるんでしょ?」
「だーっ! アメリちゃん!」
アッシュは慌てたように声を上げた。
「それ、みんなの前で言っちゃダメなやつ〜!」
カリンは目を丸くし、みるみる頬を赤く染める。
「ちょっと、アッシュ!変なこと教えないで!」
「一緒に入ったのなんて、本当に小さい頃の話でしょうよ!」
アッシュは悪びれもせず笑う。
「いや〜。」
「アメリちゃんが不安そうだったからさ〜。」
「カリンちゃんとどれだけ親密か教えて、安心させたかったんだよ。」
カリンは真っ赤な顔のまま声を上げた。
「だから、その『親密』って言い方が違うでしょー!」
その様子を見ていたミオは、じとっとアッシュを見つめる。
「……ディノス様より厄介です。」
「排除いたしましょうか。カリン様。」
アッシュは苦笑しながら肩をすくめた。
「えっ、えっ!? ミオちゃん怖いって!」
そこへアメリが慌てて割って入る。
「お、お姉ちゃん、ミオちゃん!」
「アッシュくんは助けてくれたの……だから……。」
カリンは呆れたように笑った。
「まったく……。」
「そういうところも、相変わらずね、アッシュ。」
ふっと笑みを収めると、真っ直ぐアッシュを見つめた。
カリン「でも、クロフィア家の皆様は本当に心配していたわ。二年も行方不明だったのよ。」
アッシュは呆れたように笑う。
「いーや。心配してんのは俺じゃなくて家宝だと思うよ。」
「俺、あの家には帰りたくないの。」
「家宝?」
ミオとアメリの声がぴたりと重なった。
ミオ 「家宝とは、何のことですか?」
アメリ 「家宝ってなぁに?」
アッシュはにやりと笑い、親指で自分を指した。
「フェンリル。」
「今は俺と一体化してる。」
そう言って得意げにウインクする。
カリン
「聖獣と……一体化!?」
「そんなことが……。」
アッシュ
「えぇ〜?」
「見たじゃん、カリンちゃん。」
「俺の勇ましい狼フォーム。」
カリン「ええ……見たわ。」
「だけど、古の聖獣と人間が一つになるなんて、にわかには信じられないもの。」
アメリはぱっと笑顔になる。
「アッシュくんのオオカミさん、すっごくふわふわだったよ!」
「なー!アメリちゃん!」
アッシュは嬉しそうに笑った。
アッシュ「ミオちゃんが目を覚ますまでさ、可愛い子ちゃん三人まとめて、俺の毛でくるんで温めてたんだから。」
「えっ!」
カリンは頬を赤く染める。
「そうだったの……!?」
「またオオカミさんのお布団でお昼寝したい!」
アメリは目を輝かせる。
「いつでも大歓迎〜。」
アッシュが笑うと、アメリも嬉しそうに笑い返した。
ミオは小さく頭を下げた。
「私たちを助けてくださり、本当にありがとうございました……アッシュ様。」
アッシュ「あー、だから『様』は禁止〜。」
ミオは戸惑うように視線を泳がせ、小さく頷いた。
「……では、アッシュさん。」
「一体化ということは……。」
「もしかして、アッシュさんも――」
「聖痕を授かったのですか?」
「えっ!?」
今度はアッシュが目を丸くした。
「ミオちゃん……聖痕のこと知ってるの!?」
ミオ「ええ。聖獣が認めた者に刻まれると伝わる特別な証です。」
「現存する記録も極めて少なく、伝承として語られることの方が多いそうです。」
「フェンリル様は確か封印されていたはずです。それがクロフィア家の家宝となっていましたか……。」
アッシュは感心したように笑う。
「へぇ~。」
「ミオちゃん、何でも知ってるんだね~。」
そう言うと、肩に乗せていたミオをそっと降ろし、カリンのベッドへ座らせた。
そして右腕の袖をまくる。
飄々と笑みを浮かべたまま、静かにクレイドを巡らせる。
アッシュ「じゃーん。」
「これがフェンリルの聖痕。」
次の瞬間。
右腕へ刻まれた狼の聖痕が、眩い銀色の光を放った。
部屋の中が銀色の輝きに包まれ、その光が少女たちの瞳へ映り込む。
カリンは目を見開いた。
「それが……聖痕……?」
「わぁ……。」
アメリも思わず声を漏らす。
ミオは静かに見つめた。
「銀色……。それがフェンリル様の聖痕ですか……。」
二羽のシルフィは何かを感じ取ったように、小さく羽ばたいた。
「ピィ。」 「ピーピー。」
その時だった。
低く、重厚な声が部屋へ響く。
「……アッシュ。変われ。」
アッシュは困ったように頭をかいた。
「えぇ~。ここ、部屋の中だよ~。」
「皇女殿下がおられる。話がある。」
アッシュ「え? 皇女殿下って何のこと?」
「アッシュ。」
アッシュ「……わーったよ。もう、なんなんだよ~。」
次の瞬間、アッシュの身体が銀色の光に包まれた。
光が膨れ上がり、その姿はみるみる巨大な狼へと変わっていく。
狭い部屋は一気に窮屈になり、巨大な銀狼が静かに身を屈めた。
狼姿のアッシュが告げる。
「フェンリルが話したいって。ちょっと代わるね。」
その瞬間、狼の瞳の色がすっと変わる。
部屋の空気が一変した。
それまでの柔らかな眼差しは消え、永い時を生きた者だけが持つ威厳が宿る。
二羽のシルフィは「ピィ」「ピーピー」と小さく鳴き、フェンリルの頭へちょこんと飛び移る。
フェンリルは銀色の瞳でカリンを真っ直ぐ見据え、深々と頭を垂れる。
「――メイデス様。よくぞご無事で。」
その一言に、カリンは静かに息を呑んだ。
「あなた……アッシュじゃないのね。」
「本物の聖獣――フェンリル様。」
その放つ気配は、先ほどまでのアッシュとはまるで別人のようだった。
ミオははっと我に返り、慌ててカリンへ振り向く。
ミオ「カリン様っ……!」
その表情には焦りと不安が滲んでいた。
カリンはそんなミオの肩へそっと手を添え、穏やかに微笑む。
カリン「大丈夫よ、ミオ。」
「イグニス公から、エリシオンとメイデスのことは聞いたわ。」
ミオの瞳が揺れた。
(やはり……カリン様は真実を……。)
カリン
「でも、これだけは伝えさせて。」
「メイデスは、女神ではなかった。」
カリンはそっとミオの目を見つめた。
「私は、あなたが命を懸けるような存在じゃない。」
その言葉に、ミオは大きく目を見開く。
「カリン様……!?」
「一体、何をおっしゃっているのですか……!」
二人のやり取りを見つめていたフェンリルが、ふとミオへ視線を移した。
フェンリル「……お主。」
「キサラギの聖痕を刻んでおるな。」
ミオ「――っ!」
ミオの肩がびくりと震える。
カリンは息を呑み、ゆっくりとミオを見つめた。
カリン「ミオにも……聖痕が……?」




