23状況証拠
大陸横断鉄道の線路沿いを、一人の人影が風を切るように駆け抜ける。
ヴォルトの仮面を被ったその人物は、木から木へと飛び移りながら、驚異的な速度で森を進んでいた。
ヒュン――。
ヒュヒュン――。
アイ 「ルクセリア軍が来る前に離脱できたのはいいけど……。」
「姫さまの血溜まりを処理して、魔法停止装置を使用した痕跡まで消させるなんて。イグニス公も、人使いが荒いわね。」
枝を蹴り、さらに前方へ跳ぶ。
「それに本部まで自力で帰れとか、鬼畜すぎでしょ。」
再び大木へ飛び移る。
「ジェニスから教会本部まで約1700キロよ? 何日かかると思ってるのよ、イグニス公。」
深いため息をつく。
「……はぁ。さすがに疲れたわ。」
周囲を見渡す。
「ここまで来れば、ひとまず大丈夫ね。」
太い枝へ腰を下ろすと、ゆっくりとヴォルトの仮面を外した。
眼鏡を人差し指でクイッと押し上げる。
そして短杖と、血に染まった剣を取り出した。
「凶器の処分も別途手当て貰わないとねー。」
短杖を軽く振る。
血塗れの剣に魔法陣が展開し、静かに光へ溶け、そのまま跡形もなく消え去った。
「あー私ってほんと器用。」
くすりと笑う。
「聖騎士なんかより、センスあり過ぎる。」
そう呟くと、懐から紙と筆を取り出した。
筆を走らせながら、アイはなおも呟き続けた。
「宮殿の周り、派手に荒れてたわねー。姫さま本当に無事なんでしょーね。」
さらさらと筆を走らせる。
「けど、あの森の削られ方……。あんな魔法、普通じゃあり得ないわ。」
口元がわずかに吊り上がる。
「むしろウィンダムはラミアナ・フォードに殺られちゃってたりして!ふふ。」
くすくすと笑う。
「……それにしても。」
筆を止めることなく続ける。
「やっぱり、ウィンダムは裏切ったわね。」
「ハインケルが晩餐会の会場をジェニスにした理由は、国王とウィンダムに親交があったから。」
「国王なら、教会側の護衛の聖騎士にウィンダムを指名してくる。そう踏んでいたんでしょうね。」
「ま、すっかり出し抜かれちゃって。ふふ。」
スラスラと紙に文字を書き込みながら、淡々と続ける。
「ハインケルはやたらとウィンダムを買っていたけど……。」
「私は最初から怪しいと思っていたのよねー。」
一瞬、筆が止まる。
眼鏡が朝日に反射し、不気味に光った。
「だから、オーメン卿の権限で教会のデータベースを閲覧してみたら……。」
口元がわずかに歪む。
「陸上選手としての功績と、生成魔法なんて特殊技術を習得出来たから聖騎士になれただけの——。」
「――出生不明の男なんだから。」
「そんな素性も知れない男をありがたがってたなんて。」
そして吐き捨てるように笑う。
「革命武装勢力ナデラ?」
「ふん。カレド以下じゃない。」
再び筆を走らせる。
「教帝の暗殺は成功。聖騎士ウィンダムの裏切りを確認。カリン様に同行していた子供の正体は、ラミアナ・フォードだった。」
「緊急の報告はこんなもんね。」
最後に自らの魔法印を押し、書状を封じる。
懐から一羽の伝書鳩を取り出し、その足へ報告書を結び付けた。
そして書状へそっと口づけを落とす。
アイは小さく微笑む。
「カレドを晩餐会会場へ転送させたのも私。」
「ターゲット・プロテクション魔法を成功させたのも私。」
少しだけ目を伏せる。
「……全部、ちゃんとやりましたよ。」
「オーメン卿。」
「私を認めてくださるのは、あなただけですから……。」
パタパタパタ――。
鳩は朝日に照らされた空へ舞い上がり、そのまま南東――教会本部のある方角へ飛び去っていった。
アイはそれを静かに見送り、再びヴォルトの仮面を被る。
ヒュン――。
風だけを残し、その姿は深い森の中へと消えていった。
***
――半壊したジェニス宮殿。
イグニス公の筆頭補佐官・ハインケルは、ルクセリア軍のジュリア少佐から事情聴取を受けていた。
ジュリア少佐 「つまり、醜い仮面を被った教会のカレド部隊は、本来この晩餐会の護衛任務には就いていなかった。それにもかかわらず、何故かここで無様に死んでいる……そういうことですね。」
ハインケル 「ええ。教会側には、護衛は教帝直属の聖騎士のみと伝えてありました。」
ノマド大尉 「ああ……死んでもなお無様と罵られるカレド部隊……。羨ましい……。」
ジュリア少佐は答えず、静かにカレドの遺体へ歩み寄る。
しゃがみ込むと、 遺体にさっと目を向けた。
ジュリア少佐 「背後から銃撃されているわね。」
視線を床へ落とす。
そこには砕け散った石像の破片が散乱していた。
一つを拾い上げる。
ジュリア少佐 「……これは。」
女神メイデスの顔を象った石片だった。
それを見た拘束中のナデラ兵の一人が、ごくりと唾を飲む。
その僅かな反応を、ジュリアは見逃さなかった。
ゆっくりと拘束されたナデラ兵たちの前まで歩み寄る。
ジュリア少佐 「カレドは銃殺。床には大量の弾痕。そして、この石像も銃撃で破壊されている。」
石片を掲げながら続ける。
ジュリア少佐「……これは、お前たちの仕業か?」
ナデラ兵 「し、知らねぇよ……。」
「俺たちだって何も覚えてねぇんだ。」
その瞬間。
ノマド大尉が一人のナデラ兵の足首を掴み、軽々と持ち上げた。
「うおおおっ!?」
逆さ吊りにされたまま暴れるナデラ兵。
ノマド大尉はそのままジュリア少佐の目の前まで差し出す。
ノマド大尉 「ああ……最高です。」
「この体勢で見下されるなんて……。」
ジュリア少佐は逆さになったナデラ兵を冷たく見つめた。
ジュリア少佐 「では質問を変えるわ、低能。」
「ここは、お前たちのような無法者が足を踏み入れていい場所ではない。」
「宮殿地下保管庫から、衣服を剥ぎ取られたルクセリア兵が多数発見された。」
「軍服を盗み、兵士になりすました理由を答えなさい。」
逆さ吊りのナデラ兵は冷や汗を流しながら口を開く。
ナデラ兵 「……俺たちは、ルクセリア兵に成りすまして魔法停止措置を行い、会場通路にいた聖騎士を制圧しろって命令されていた。」
別のナデラ兵が叫ぶ。
「おい!喋るな!裏切る気か!」
逆さ吊りの男は苦しそうに続けた。
ナデラ兵 「その後は……ルクセリア兵を装ったまま会場へ突入して、教会の連中を全員拘束する……それが任務だった。」
その証言に、教会側へ衝撃が走る。
シエナ 「なんですって……!」
泣き崩れていたリリアンも震えながら顔を上げた。
リリアン 「まさか……あなたたちが……本当にアルバ様を……。」
聖騎士 「ふざけるな!」
別の聖騎士 「カリン様はどこへやった!」
イグニス公はわずかに目を細めた
(やはり、ウィンダムが我々の計画を利用し、ナデラ兵を動かしていたか……。)
ハインケルも静かに目を伏せた。
(……。)
逆さ吊りのナデラ兵は苦しげに息を吐く。
ナデラ兵 「……だが、会場の扉を破壊したところから先が思い出せねぇ。」
ジュリア少佐は砕けた石像へ視線を向ける。
ジュリア少佐 「この石像についても心当たりはない、と。」
ナデラ兵は黙ったまま目を逸らした。
次の瞬間。
ドゴッ!!
ジュリア少佐の拳が腹へ深くめり込む。
「ガハッ!!」
ナデラ兵は胃液を吐きそうになりながら苦悶の声を漏らした。
ジュリア少佐の拳からは淡いクレイドが湯気のように立ち昇っている。
ジュリア少佐 「低能の嘘ほど見苦しいものはない。」
ナデラ兵は激痛に耐えながら答える。
ナデラ兵 「……そ、それは……メイデスの石像の首だ……。」
「教会への見せしめに……用意した……。」
教会側に再び衝撃が走る。
シエナ 「そんな……。女神様の御像を……踏みにじるなんて……!」
リリアン 「女神様を……!なんて冒涜的なことを……!」
ナデラ兵は息を荒げながら続けた。
ナデラ兵 「だが……石像がこんなに壊れてる理由も……カレドが死んでる理由も……覚えてねぇ……。」
ゴッ!!
今度は顔面へ拳が叩き込まれる。
「ガッ……!」
ジュリア少佐 「記憶がなくとも、弾道、遺体、壊れた銃。痕跡はいくらでも残る。」
さらに拳を振り下ろす。
ドゴッ!!
「ぐっ……!」
ノマド大尉 「ああ……最高です、少佐……。」
ジュリア少佐は逆さ吊りの男を真っ直ぐ見据えた。
ジュリア少佐 「命令した者は誰。」
周囲のナデラ兵たちが叫ぶ。
ナデラ兵 「言うんじゃねぇ!」
ナデラ兵「黙ってろ!」
ナデラ兵「くそっ……ルクセリア軍の女……!」
逆さ吊りにされたナデラ兵は、痛みに耐えながら瞳を揺らした。 口を開こうとするたび、仲間たちの怒号が耳に突き刺さる。
ここで、ハインケルがふと口を開いた。
ハインケル 「そういえば……聖騎士の男性が一人、見当たりませんね。」
その一言に、拘束されたナデラ兵たちの表情が一斉に強張る。
その僅かな変化を、ノマド大尉は見逃さなかった。
ノマド大尉 「ジュリア少佐。今、こいつ反応しました。」
逆さ吊りにされたナデラ兵を見つめ、恍惚とした笑みを浮かべる。
「まだ絞り出せますよ。もっと……もっと虐めてください。」
ジュリア少佐 「いや、こいつはもういい。他の低能に変えなさい。」
ノマド大尉 「はっ。」
(なんでだ……。こいつをこのまま攻めた方がいいではないか……。)
納得しきれない表情を浮かべながらも、ノマドは逆さ吊りにしていたナデラ兵の足を離した。
ドサッ。
ナデラ兵 「ぐぁっ……!」
そのまま隣にいた別のナデラ兵の髪を乱暴に掴み上げ、ジュリア少佐の前へ引きずり出す。
ナデラ兵 「お、おい! やめろ! 俺は何も言わないぞ! 離せっ!」
ジュリア少佐の指先にクレイドが宿る。
白い湯気がゆらりと立ち上り、その指先がゆっくりと男の右目へ近づいていく。
ノマド大尉 「ああ……なるほど。」
そしてジュリア少佐は、先ほどまで尋問していたナデラ兵へ視線を向けた。
ジュリア少佐 「さあ。」
「命令した者の名を吐きなさい。」
「さもなくば――仲間の目玉をえぐり取る。」
殴られたナデラ兵 「な……なんだって!?」
指先が男の瞳に触れる。
髪を掴まれたナデラ兵 「や、やめろぉぉっ!」
耐えきれなくなった男が叫ぶ。
殴られたナデラ兵 「聖騎士の……ウィンダムさんだ!」
「ウィンダムさんが、俺たちのリーダーです!」
その告白に、教会側は一斉に息を呑んだ。
シエナ 「な、何を馬鹿なこと言ってるのよ!」
リリアン 「あり得ません!」
「聖騎士とは、女神メイデス様の御名の下に剣を捧げ、教帝に尽くす精鋭部隊です!」
シエナ 「それに、ウィンは私たちの友達よ!」
聖騎士 「ウ、ウィンダムさんが……?」
聖騎士「A級聖騎士だぞ……!?」
聖騎士「……でも、そういえば、何故ここにいないんだ……?」
ジェニス国王の亡骸に寄り添う王妃も、信じられないというように目を見開く。
王妃 「ウィンダム……さん……。」
一方、拘束されたナデラ兵たちは悔しげに歯を食いしばった。
ナデラ兵 「言っちまいやがった……。」
別のナデラ兵 「仲間を人質に使うとは……汚ねぇ女だ。」
さらに別のナデラ兵 「……だが、仕方ねぇ。」
「俺たちだって、この状況を飲み込めてねぇんだから。」
ジュリア少佐は淡々と頷く。
「そう。分かった。」
しかし、その指先は止まらない。
再び、人質となったナデラ兵の目元へゆっくりと近づいていく。
ナデラ兵 「ひっ……ひぃっ! やめろ!」
ジュリア少佐 「では、なぜそのリーダーがこの場にいない。」
ナデラ兵 「だから何度も言ってるだろ!」
「覚えてねぇんだよ!」
先ほどまで尋問を受けていた男も苦しげに叫ぶ。
殴られたナデラ兵 「勘弁してくれ……!」
「本当に覚えてねぇんだ!」
「だから、ウィンダムさんが何でいないのかなんて、答えようがねぇ!」
ジュリア少佐の指先から再び白い湯気が立ち上る。
ノマド大尉 「おお……。」
「久々に目玉をほじくるプレイが見られる……!」
その時だった。
静かだったハインケルが呆れたように口を開く。
ハインケル 「相変わらず、その下品な趣味はやめてもらえませんかね。」
「ジュリア少佐、ノマド大尉。」
ジュリア少佐は眉一つ動かさず答えた。
「ノマド大尉が勝手におかしな解釈をしているだけです。」
「私は忠実に任務を遂行している。」
「邪魔をしないでいただきたい。」
ハインケル 「そんなことをするよりも、状況証拠から読み解いていきましょうよ。」
ジュリア少佐は静かに手を下ろす。
「何か思い当たることでもあるのですか?」
ハインケル 「まず、軍の鑑識によると魔法媒体への干渉装置ですが、何も作動していません。」
イグニス公
(アイには、宮殿を去る前に干渉装置を停止させ、使用した痕跡を消すよう命じておいた。……予定通りか。)
拘束されたナデラ兵たちが、一斉に声を荒らげる。
ナデラ兵 「嘘だ!」
ナデラ「俺たちは確かに起動させた!」
ナデラ「そこだけは間違いなく覚えてる!」
しかし、調査を終えたルクセリア兵は首を横に振った。
ルクセリア兵 「いえ。確認したところ、装置は一切作動しておりません。」
「それに、この宮殿の損壊状況ですが……これは魔法による破壊と判断できます。」
シエナは思わず声を荒らげた。
「何よ、それ!」
「それじゃまるで、魔法を使える私たちの仕業だって言うの!?」
リリアン 「違うわ……。」
その言葉を聞いた瞬間、シエナは何かに思い至ったように息を呑む。
シエナ 「……もしかして……ウィン?」
一人の聖騎士が信じられないという表情でリリアンを見る。
「そんな……!」
「リリアンさん、ウィンダムさんがこの宮殿を壊したとでも言うんですか!?」
リリアンは苦しそうに首を振った。
「私も信じたくはないわ……。」
「でも、ナデラ兵たちは仲間を傷つけられると脅されて、ウィンダムの名を口にしたのよ……。」
シエナ 「そんな……。あのウィンがナデラの仲間だなんて……信じられない!」
ハインケルは皆の反応を静かに見渡しながら、淡々と推論を続けた。
ハインケル 「恐らく、ナデラの一員である聖騎士ウィンダムは、この場で予想外の事態に直面した。」
「そして、何者かと交戦になったのでしょう。」
ジュリア少佐が腕を組む。
「誰と戦って、この宮殿をここまで破壊したというのですか?」
ハインケルは迷いなく答えた。
「ここにいない、もう一人の人物です。」
「カリン・フェナード様。」
その名が告げられた瞬間、広間に衝撃が走った。
シエナ 「えっ!?」
リリアン 「カリン様が……ウィンと!?」
ジュリア少佐 「次期教帝のお嬢様ですか。」
ノマド大尉は首を傾げる。
「いやいや、次期教帝になるようなお方が戦闘なんてできるんですか?」
聖騎士たちは即座に否定した。
「いや……カリン様はお強い。」
「我々も本部の闘技場で何度も戦闘練習をした。」
「ベレットと呼ばれる特殊な武器を扱われる。カリン様のクレイドは鎖にも刃にも姿を変えるんだ。」
リリアンは慌てて制止する。
「あなたたち! 余計なことは話さないで!」
聖騎士たちはしまったという表情で口を閉ざした。
シエナは混乱したまま呟く。
「じゃあ……ルクセリア兵に成りすましたナデラが会場へ入った時、カリン様が迎え撃ったってこと……?」
ハインケル 「あるいは――。」
ジュリア少佐が視線を向ける。
「あるいは——?」
ハインケル
「カリン様は勘が鋭く、非常に聡明なお方だと伺っています。聖騎士ウィンダム殿の正体を最初から見抜き、密かにカレド部隊を同行させていたとしても、不思議ではありません。」
「そう考えれば、本来この場にいるはずのないカレド部隊が現れた理由にも説明がつきます。」
「そして、この場で何らかの衝突が起きた。その後、何が起きたのかは、記憶が失われている以上、断定はできません。」
「ですが、その結果、国王陛下は命を落とし、カレド部隊は全滅した。」
「さらに現場から姿を消したのは、カリン様とウィンダム殿のお二人だけ。」
「もちろん、現時点で断定はできません。ですが、事件の中心にこのお二人がいた可能性は、十分に考慮すべきだと思います。」
シエナ 「なっ……!?」
その言葉を聞いた瞬間、リリアンの脳裏に、イグニス公が密かに何かを企んでいたこと、そして枢機卿との繋がりがあったことがよぎる。
(違う……。)
(これは、カリン様を犯人に仕立て上げようとしている……!)
リリアンは強く叫んだ。
「そんなことは絶対にありません!」
「カリン様は確かに武術を心得ておられます。」
「ですが、人を殺めるなど、そのようなことをなさる御方ではございません!」
聖騎士 「そうだ!カリン様がそんなことをするわけがない!」
ジュリア少佐は冷ややかに言い放つ。
ジュリア少佐 「黙りなさい。」
「教会の犬どもの身内を庇う言葉など、聞く耳は持ち合わせていません。」
リリアンは必死に反論する。
リリアン 「ハインケル殿のお話はおかしいです!教帝とそのご一族には、身元の明らかな聖騎士だけが護衛につきます。」
「ここで亡くなっているカレド部隊は枢機卿直属の部隊。カリン様が秘密裏に彼らと繋がるなど――」
そこまで口にした時だった。
脳裏に、カリンがカレド部隊であるカマルグやクロムと接触していた光景がよぎる。
リリアン 「……っ。」
言葉が止まった。
シエナ 「どうしたの!? リリアン!」
その様子を見たイグニス公は、内心で静かにほくそ笑む。
(どうした……。)
(あの有能な秘書が、こちらのでっち上げに心当たりでもあるというのか……。)
ハインケルは鼻で笑った。
「身元のはっきりした聖騎士が革命武装集団、ナデラのリーダーだった。」
「教会の経歴管理のずさんさをこの場で披露してしまって大丈夫ですか?」
リリアンとシエナは言葉を失う。
リリアン 「くっ……。」
シエナ 「でも……。ウィンとは子どもの頃から魔法学校で一緒だったのよ……。」
「私たちはずっと彼を知っている。」
「何かの間違いよ……きっと。」
そのやり取りを聞いていたナデラ兵たちも、次第に状況を整理し始める。
ナデラ兵「……そうか。俺たちの知らないところで、何か起きていたのか……。」
ナデラ兵「だったら……俺たちは、本当にカレドを撃ったのか……?」
教会側の空気は、少しずつ、しかし確実に追い詰められていった。
ハインケルは静かに口を開いた。
「それにですね……凶器が見当たらないのですよ。」
ジュリア少佐はすぐに声を張る。
「鑑識。」
「はっ!」
一人のルクセリア兵が前へ出た。
ルクセリア兵「宮殿内外を隅々まで捜索しましたが、凶器と思われるものは発見されておりません。」
ジュリア少佐は続けて尋ねる。
「聖騎士たちの剣は調べたのか。」
ルクセリア兵「はい。全員分を確認しました。刀身の歪み、刃こぼれ、付着した血液、ルミノール反応――いずれも異常はありません。」
ジュリア少佐は小さく顎へ手を当てた。
「……そう。」
すると、ハインケルが静かに言葉を継ぐ。
「ならば残る可能性は限られます。」
「現場から姿を消した二人。」
「聖騎士ウィンダム殿の剣か――」
「カリン様がお持ちのベレット。」
「そのどちらかが凶器ということになりますね。」
ジェニス王妃はすぐに首を振った。
「ハインケル殿……。」
「あれほど陛下と親交の深かったウィンダムさんが、陛下を手にかけるなど考えられません。」
ハインケルは困ったように肩をすくめた。
「でしたら、現場から姿を消したもう一人を疑わざるを得ません。」
「……カリン・フェナード様。」
その名が響いた瞬間、教会側の空気が張り詰めた。
ハインケルは何かに気付いたようにアルバ教帝の遺体の側に立て掛けてある長杖に視線を向ける。
「そうか……。あの杖。」
「アルバ教帝は、何か不都合な事情が起きたために、ここにいる我々の記憶を消したのではありませんか?」
ジュリア少佐も長杖へ歩み寄る。
「教帝の杖か……。」
ゆっくりと手に取った。
ジュリア少佐
「事件の直後に、わざわざ全員の記憶を消した。その判断には、相応の理由があったはずです。」
「だとすれば――」
「孫娘を庇った可能性も、否定はできません。」
ノマド大尉が首を傾げた。
「じゃあ……教帝を殺したのは誰になるんすか?」
ジュリア少佐は静かに答える。
「凶器が見つからない以上、姿を消した二人を追うしかないわね。」
シエナが思わず叫ぶ。
「ちょっと待ってよ!」
「なんでそうなるのよ!」
聖騎士たちからも動揺の声が上がる。
「そんな……!」
その時だった。
リリアンが一歩前へ出る。
鋭い視線がイグニス公とハインケルへ向けられる。
リリアン「あなた達……最初から何か企んでいたのでしょう。」
「何もかもカリン様やウィンのせいにするなんて……!」
ハインケルは苦笑を浮かべる。
「いやいや。」
「私は状況証拠から推測を述べているだけですよ。」
リリアンは一歩も引かなかった。
「でしたら、お答えください。」
「カリン様やウィンダムが犯人だという証拠は、どこにあるのですか。」
「状況証拠だけで罪を着せるなど、あまりにも乱暴です。」
ハインケルは静かに頷いた。
「その通りです。現時点では決定的な証拠はありません。」
「だからこそ、私は"可能性"の話をしているのですよ。」
「しかし、犯行現場から姿を消したのは、お二人だけ。」
「そして凶器も見つかっていない。」
「これだけの疑いがある以上、まずは身柄を確保し、事情を聴く。」
「それが最も妥当な判断でしょう。」
「もし潔白であるなら、ご本人が説明すれば済む話です。」
そして、再びアルバの長杖へ視線を向ける。
ハインケル
「何より、この場をここまで混乱させている原因は――アルバ教帝が、我々全員の記憶を消してしまったことです。」
「記憶さえ残っていれば、誰が何をしたのかは明白だったでしょう。」
重苦しい沈黙が広間を包む。
誰も決定的な反論はできない。
状況証拠だけを並べれば、ハインケルの推論は一つの筋道として成立してしまう。
その巧妙な誘導に、要人たちの間にも疑念が広がっていく。
リリアンは悔しげに唇を噛み締めた。
ハインケルは静かに広間を見渡した。
「証拠はありません。」
「ですが現時点で最も優先すべきは、現場から姿を消したカリン・フェナード様とウィンダム殿の身柄を確保し、事情を聴くことです。」
「ルクセリア軍には、その判断をお願いしたい。」
広間が静まり返る。
ジュリア少佐は淡々と羽ペンを走らせ、その内容を記録した。
その時だった。
リリアンが堪えきれず、震えた声を上げる。
「……違います。」
静まり返った広間へ響いた。
リリアン
「これは捜査ではありません。」
「あなた達は最初から、カリン様を犯人に仕立て上げるつもりだったのでしょう。」
鋭い視線が、イグニス公へ突き刺さる。
リリアン
「教会では以前、あなた方とオーメン卿派の関係を疑う情報がありました。」
「あなた達は以前から繋がっていたのではありませんか!」
イグニス公は眉一つ動かさない。
「急に何の話ですかな。」
「それこそ憶測に過ぎません。」
「証拠はあるのですか?」
リリアンは息を呑んだ。
「そ、それは……。」
言葉が詰まる。
「ですが……!」
イグニス公は淡々と続ける。
「"情報"、ですか。」
「そのような曖昧なものだけで人を疑う。」
「それを証拠と呼ぶのであれば、あなたも私たちと何も変わりませんよ。」
「……っ。」
リリアンは言葉を失った。
その時だった。
「リリアン!」
シエナが慌てて肩を掴む。
「落ち着いて!」
「証拠もないまま新貴族閣下を糾弾したら、あなたまで処分されてしまう!」
リリアンは肩を震わせた。
悔しさに唇を強く噛み締める。
「……違います。」
「カリン様は……そんなことをなさる御方ではありません。」
堪えていた涙が、次々と頬を伝って落ちた。
しかし、その叫びが疑惑の空気を覆すことはなかった。
広間に集まった要人たちは互いに顔を見合わせ、小さく囁き始める。
「……確かに、状況だけ見れば筋は通る。」
「記憶がない以上、本人から話を聞くしかあるまい。」
「まずは二人の身柄を確保すべきだ。」
ジュリア少佐は静かに羽ペンを置いた。
「現時点では証拠は不十分です。しかし逃亡している以上、事情聴取は不可欠です。」
「ルクセリア軍は、カリン・フェナード及び聖騎士ウィンダムを重要参考人として全世界へ手配します。」
「なお、事件への関与も視野に入れ、捜査を継続します。」
その宣告に、教会側は誰一人反論できなかった。
リリアンはただ、拳を強く握り締めることしかできない。
要人たちの間では、すでに"犯人"として噂が広がり始めていた。
その様子を見つめながら、イグニス公は誰にも気付かれぬよう、わずかに口元を緩めた。
イグニス公
(これでカリン・フェナードは、次期教帝としての立場を失う。)
(教帝亡き今、オーメン卿率いる枢機卿が実権を握り、アルファリア教会はルクセリア政府の管理下へ置かれる。)
(あとは世界中が、自らあの小娘を我々の元へ連れてくる。)
隣に立つハインケルも、小さく目を伏せる。
ハインケル
(状況証拠だけで十分。人は真実ではなく、最も納得できる物語を信じる。)
(教会も世界も、今度は彼女を追う側になる。)
崩れ落ちたジェニス宮殿には、重苦しい静寂だけが残っていた。




