18イグニス公晩餐会6
アルバが長杖を掲げる。
『――記憶封印魔法。《メトルアンメモワール》。』
その瞬間。
宮殿全体を覆う巨大な赤い魔法陣が展開された。
赤い光が木々に覆われた宮殿を包み込み、ツルに拘束された者たちの頭上から淡い光がゆっくりと引き抜かれていく。
吸い上げられた記憶は一本の光となり、次々とアルバの長杖へ吸い込まれていく。
シエナは目を見開く。
「これは――!」
言葉を続けようとした瞬間、意識が霞み始めた。
「っ……。」
リリアンも苦しげに呟く。
「記憶を……消す……のです……ね……。」
そのまま瞼が閉じ、力なく項垂れた。
やがて会場中の者たちが次々と意識を失い、静寂だけが広間を支配した。
すると、ラミアナが残した魔法のツルが、意思を持つかのように拘束を解き始める。
宙づりにされていた人々は一人ずつ床へ静かに降ろされ、眠るように横たえられていった。
同時に、宮殿を覆っていた巨木もゆっくりと縮み始める。
巨大樹の森は見る見るうちに姿を消し、穴だらけとなった宮殿へ夜風が吹き抜けた。
見上げれば、砕けた天井の向こうに夜空が広がっている。
アルバは小さく息を吐く。
「……さすがラミアナの魔法じゃ。」
「規模だけではない。実に緻密で精妙……。」
「宮殿は修繕せねばならぬな。」
その時だった。
ヒュンッ――。
頭上、高く残っていた木々を足場に、一つの人影が次々と枝を蹴って駆け上がっていく。
そのまま天井の穴から夜空へ飛び出した。
アルバは目を見開く。
「何っ!? 動ける者がおるはずが――」
最後まで言い終える前だった。
ガシッ。
背後から何者かがアルバを羽交い締めにする。
アルバ「ぐっ――!」
次の瞬間。
ゴキッ!!
腕が無慈悲にへし折られた。
アルバ「ぐぎゃああぁぁっ!!」
長杖が床へ転がる。
無言でアルバを拘束していたのはハインケルだった。
その杖を、アイがひょいと拾い上げる。
くるくると弄びながら笑った。
アイ「ウィンダムが逃げちゃったー。そういえば、あいつにもターゲットプロテクションかけてたからね。」
そしてアイは仮面を外した。
素顔に薄い笑みが浮かぶ。
光を反射した眼鏡を、クイッと持ち上げる。
イグニス公は鼻で笑う。
イグニス公「ふん。あの裏切り者は放っておけ。ナデラなんぞただの武装組織。顔が利かなくなった分、もうこんな真似はできまい。」
アイ「姫さまを殺そうと追っかけていったとしたら?」
ハインケルはアルバを押さえつけたまま淡々と答える。
「だとしたらラミアナ・フォードを相手にする事になる。それは無謀すぎやしないか。」
アルバは苦痛に顔を歪めながら叫ぶ。
「ば……馬鹿な……!ターゲット・プロテクション魔法じゃと!?」
「特定の人物のクレイドの魔法だけを無効化する防護魔法……!」
「お主ら……全員、事前にそれをかけておったのか……!」
「何故、ワシの魔法を初めから……!」
その瞬間――。
アルバの瞳が大きく見開かれた。
「……まさか。」
イグニス公は、ゆっくりと口元を歪める。
「ようやく気付きましたか。」
「我々の狙いは、最初からカリン様ではない。」
「貴方ですよ、アルバ教帝。」
アルバは息を呑む。
イグニス公は愉快そうに続けた。
「世界中の要人が集まるあの場で、カリン様の正体と千年前以前の真実を白日の下にさらしたのも。」
「その直後に教会を悪として映る状況を作り上げたのも。」
「すべては貴方に、『この場の記憶を封じるしかない』と思わせるためだったのですよ。」
「貴方は教会を守り、そして何よりカリン様を守ろうとする。」
「だから、自ら記憶封印魔法を使う。」
「――すべては、貴方をこの状況へ追い込むための布石だったのです。」
「そして貴方は、期待どおり我々の策へ嵌ってくださった。」
アルバの表情から血の気が引いていく。
(……そういうことじゃったのか。)
(晩餐会で起きたすべては……。)
(ワシを、この瞬間へ導くための……。)
イグニス公
「貴方の慎重さこそが、最大の弱点だった。」
「決断を先送りにし、最後には後悔する。」
「オーメン卿は、そこまで見抜いておられた。」
「だから我々は、貴方なら必ず『守るために記憶を消す』と確信していたのですよ。」
アルバは息を呑んだ。
胸の奥へ押し込めてきた後悔を、そのまま言い当てられた気がした。
それと同時に、イグニス公の口から出た名に、全身が震えた。
アルバ「オ……オーメン卿じゃと……!!やはり……貴様らは手を組んでおったか……!」
イグニス公は口元を歪める。
「おやおや、気付いていたのですね。」
「晩餐会では色々と想定外の事が起こったが、貴方は、一歩たりとも我々の想定から外れなかった。」
アルバの胸の奥に、冷たいものが落ちた。
(……読まれておったのは、思考ではない。)
(ワシという人間そのものか。)
イグニス公は静かにアルバを見下ろした。
イグニス公
「……ひとつ、聞かせていただきたい。」
「あのラミアナ・フォードは一体何者なのです?確か彼女は私が九つの時に亡くなったはず。」
「それに子どもの姿になり、貴方は教会の誰にも伝えずに隠し持っていた。」
「我々の記憶も消すつもりでこの場に“投入”したのでしょうが、結果はご覧の通りです。」
「ルクセリアの軍事力を脅かす程の存在を隠し持っていた事は我々新貴族への裏切り行為に等しい。」
アルバは鋭く睨み返した。
アルバ「このような暴挙を働いたお主が……裏切りを語るか。」
ハインケルが無表情のまま、アルバの折れた腕をさらに締め上げる。
「メリ……ッ!!」
嫌な破砕音が、乾いた空気を裂いた。
アルバ「ぐぅぉおおおおっ!!」
息が一瞬、完全に途切れた。
肺の奥から空気が抜け落ちるような感覚のまま、しばらく声にならない。
歯を食いしばり、途切れ途切れに呼吸を戻す。
アルバ「はぁっ……はぁっ……。」
「彼女がいる限り、お主らの思惑通りにはいかぬ。」
「誰よりもメイデス様を信仰し、教会への忠誠と共に生き、一度はその命をささげた者じゃ。」
「はぁっ……彼女にとってカリンは、女神そのもの……。何があっても護り抜くじゃろう。」
イグニス公は小さく息を吐いた。
「はぁ……答えになっていませんね。もう結構です。」
「最強の魔法使いを側に置いたところで、意味はありません。世界中がカリン様の敵になるように――世論を操作すれば済む話です。」
ゆっくりと、言葉を落とすように続ける。
イグニス公
「――教帝殺しの罪を背負わせてね。」
その一言で、空気が変わった。
アルバの瞳が見開かれる。
「……何じゃと。」
理解が追いついた、その刹那。
イグニス公の手が、迷いなく動いた。
グサッ。
鋭い刃が、アルバの喉を深々と貫く。
「ぐっ……!!」
血が噴き出し、声にならない音が漏れた。
同時に、アルバを拘束していたハインケルが手を離す。
支えを失った身体は、そのまま床へ崩れ落ちた。
ドサッ……。
静寂。
その中で、アイが軽く笑う。
「ふふ……ついにやっちゃいましたね。」
光るメガネをクイッとやり怪しく笑う。
ハインケル「これから世界が変わる。」
イグニス公は静かに周囲を見渡した。
イグニス公「教帝という障害は排除された。もう、あの小娘が世界へ抗う力はない。」
「これよりアルファリア教会はルクセリア政府の管理下に置き、共にエリシオン復活計画へ移行する。」
アルバの瞳から、静かに涙が零れ落ちる。
(ワシは……結局……カリンを守れなかったのか……)
脳裏に、泥だらけで無邪気に笑う幼いカリンの姿が浮かぶ。
そしてその隣には、彼女を優しく抱き上げる男の姿。
男「ほらほら、こんなに汚してしまって。」
アルバは、かすれた呼吸のまま思考を絞り出す。
(レイノルド……!あやつは、必ずメイデス様のクレイドをどこかに隠している……。)
(それを見つけぬ限り、カリンを“エリシオン”として再生させることなどできぬ……。)
(それに……カリンに教帝殺しの罪など……決して、奴らの思い通りにはさせぬ……!)
アルバは最後の力を振り絞り、アイが握っている長杖へ視線を向けた。
その瞬間、アルバの体内から赤いクレイドが噴き出すように揺らめき、長杖へと共鳴するように反応する。
杖が一瞬、赤く脈動した。
アイが目を見開く。
「マズい!このジジイ、まだ何か──!」
イグニス公は即座に手を振り下ろした。
次の瞬間、鋭い一撃がアルバの喉を貫いた。
――音が、消えた。
何も起こらない。
ただ、静寂だけが落ちる。
アイ「……だ、大丈夫だったの?」
イグニス公は一瞬だけ間を置き、息を吐いた。
イグニス公「……危なかった。最後の最後まで、油断ならない爺さんだ……。」
ハインケルはアルバの首に手を当て、無言のまま確認する。
そして瞼を指で開き、わずかに頷いた。
ハインケル「……問題ありません。すでに、死んでいます。」
イグニス公はゆっくりと背を向ける。
イグニス公「アルバ教帝殺害計画……。」
「幾度かの誤算はあったが、結果としては成功だ。」
張り詰めていた息が、ようやくほどける。
イグニス公の口元に、安堵と歪んだ達成感が同時に浮かんだ。
イグニス公「ふ……ふはははははは……!」
こうして、アルファリア教帝アルバ・フェナードは、その生涯を終えた。




