第3話「配属の朝、散らばる六人」
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、地名、企業名等はすべて架空のものです。実在のいかなる存在とも関係ありません。
四月の最終週、金曜日の朝。
研修最終日の今日、お昼休みの後に、配属先が発表されることになっていた。
桜並木通りの桜は、もうほとんど散っていた。歩道の端には、薄茶色に変色した花びらが風で吹き寄せられ、小さな山を作っている。代わりに街路樹の若葉が、明るい黄緑色の影を地面に落とすようになっていた。
午前中の研修は、コンプライアンスとセキュリティの講義だった。重要な内容のはずなのに、正直、あまり集中できなかった。
配属先のことが、頭にあった。
ヨキエルの新卒の主な配属先は、五つあった。
受託開発部のチームA、受託開発部のチームB、組込み開発部、それから製品開発部の自社サービス事業チームとパッケージ事業チーム。
研修で各部のマネージャーを見てきた今、自分の中にはある程度の好みが、もうできていた。諏訪さんのチームAに行きたい。江口さんのチームBには、できれば行きたくない。組込みチームの大沢さんは技術力は高そうだったけれど、「今日の」という心の中の留保がまだ消えていなかった。牧野さんの自社サービス事業チームは、論外だ。
……希望は出せたけれど、決めるのは、会社だ。
お昼休み、社員食堂の六人席で、皆が同じことを話していた。
「私、たぶん、チームBは厳しいなぁって思ってる」
葉山さんが、味噌汁の器を持ち上げながら言った。
「分かるっす」
丸山さんが深く頷いた。「俺も、なんか、江口さんのとこは、ちょっと辛そうだなぁって」
「組込み、希望出したっす?」
丸山さんが黒木に聞いた。
黒木は小さく頷いた。
「俺は、そこ以外、考えてないから」
「俺は、希望は出してないっす。物流系の経験があるから、その関係の仕事に当たれば、ありがたいなぁって、それくらいっす」
杉本さんはこう言った。
「私はサポートとかQAとか、そういう、文書を扱う仕事に近いところに希望を出しています」
アユシュさんは肩を軽くすくめた。
「I want組込みチーム, but I'll go anywhere with research opportunity」
「桐谷くんは?」
葉山さんがこちらを見た。
「諏訪さんのチームA、第一希望に書いた」
言ってから少し恥ずかしくなった。誰でもそう書きそうな希望だと、自分でも思ったからだ。
「桐谷くんは、たぶん、行けるよ」
葉山さんが、なぜかそう言った。
お昼休みが終わって、研修室に戻った。
時計が十三時半を指したとき、人事の沢田さんが、薄い封筒を六つ持って入ってきた。
「皆さん、お疲れさまでした。三週間の研修、よく頑張ってくださいました」
沢田さんはいつもの低い声で、ゆっくりと言った。
「これから、皆さんの配属先を、お一人ずつ、お伝えします」
六人の新卒の前に、沢田さんが立った。
「葉山さん」
「はい」
葉山さんが姿勢を正した。
「受託開発部、チームB」
葉山さんの表情が、ほんの一瞬だけ固まった。けれどすぐに「はい、よろしくお願いします」と返事をした。
「丸山さん」
「はい!」
「同じく、受託開発部、チームB。葉山さんとは同じチームになります」
丸山さんが葉山さんの方を見て、小さく親指を立てた。葉山さんはそれを見て、ふっ、と短く笑った。
「黒木さん」
「はい」
「組込み開発部」
黒木は頷いただけだった。けれどその肩から、明らかに力が抜けていた。
「アユシュさん」
「Yes」
「同じく、組込み開発部。黒木さんと同じチームになります」
「Thank you」
アユシュさんが黒木の方を見た。黒木が、初めてはっきりとこちらに見える形で頷いた。
「杉本さん」
「はい」
「製品開発部のパッケージ事業チーム、サポートおよびQA担当」
「ありがとうございます」
杉本さんは深く頭を下げた。希望通りの配属だということが、彼女の表情から伝わってきた。
「桐谷さん」
「はい」
心臓が、ひとつ、強く打った。
「受託開発部、チームA」
……諏訪さん。
返事をする前に、頭の中でまず、その名前が浮かんだ。
「はい、よろしくお願いします」
声は、思ったより震えなかった。
配属先が、決まった。
葉山さん、丸山さん、僕の三人は、受託開発部。葉山さんと丸山さんはチームBで、僕がチームA。
黒木とアユシュさんは、組込み開発部。
杉本さんは、製品開発部のパッケージ事業チームのサポート/QA。
六人が、三つの部に散らばった。
三週間、同じ研修室で同じ方を向いて座っていた六人が、これから別々のフロアに分かれる。当たり前のことなのに、その当たり前が、少しだけ寂しかった。
「皆さん、午後三時から、それぞれの部のフロアに移動して、配属先のチームと顔合わせをしていただきます」
沢田さんは、最後にこう言った。
「今日からは、新卒同士、いつも一緒というわけにはいきません。けれど皆さんは、ヨキエルに同じ年に入った同期です。それは、これからの三年、ずっと続く関係です」
……これからの三年。
その言葉を、僕はノートにこっそり書き留めた。
午後三時。
受託開発部のチームAのフロアに、僕は向かった。
三階。エレベーターを降りると、フロアの真ん中にいくつかの島が並んでいた。それぞれの島が、一つのチームの席だった。チームAの島は、入ってすぐの窓側にある。
諏訪マネージャーが、僕を待っていた。
「桐谷くん、ようこそ、チームAへ」
諏訪さんは研修の時と同じ、穏やかな声でそう言った。
「まず、島田副部長に挨拶してから、チームの皆さんを紹介しますね」
諏訪さんは僕をフロアの奥、窓側の一番奥の席に連れていった。
五十代前半くらいの男性が、MacBookから顔を上げてこちらを見た。白いシャツの袖を肘までまくり上げている。机の上にはペンと小さなノートが一冊だけ置かれていて、整理されていた。
「桐谷くん、ようこそヨキエルへ。受託開発部副部長の島田です」
声は低く、穏やかだった。研修一週目に短く挨拶してくれた人と、同じ声だった。
「桐谷蒼太です。よろしくお願いします」
島田副部長は軽く頷いた。
「諏訪マネージャーから、桐谷くんの話は聞いています。三年間、ゆっくり育っていってください」
それだけ言うと、また視線をMacBookに戻した。
……短いけれど、ちゃんと顔を見て話してくれた。
諏訪さんは僕をチームAの島の方に連れていった。
最初に紹介してくれたのは、二十代後半の女性だった。
肩で揃えた髪を後ろで一つに結んでいる。白いシャツに黒のジャケット。机の上には、二台のディスプレイと観葉植物の小さな鉢が一つ。机の上は整然と片付いていた。
「白瀬凪さん。入社六年目、チームAの中堅エンジニアです」
白瀬さんは椅子から立ち上がって、軽く頭を下げた。
「白瀬です。よろしく」
声は低かった。それから、ほんの少しだけ目元が緩んだ。微笑みのつもりだったのかもしれない。けれどそれは、本当にほんの少しの動きだった。
「桐谷蒼太です。よろしくお願いします」
白瀬さんはもう一度、頷いた。それから、座った。
……静かな人だ。
心の中で僕は思った。
諏訪さんが次の島の人を紹介する。
「立花雄一さん、入社十二年目のシニアエンジニア」
三十代半ばの男性が立ち上がって、にこやかに笑った。スーツの仕立ては良かった。肌が少しだけ日に焼けている。
「立花です、よろしくね、桐谷くん」
声は明るかった。けれどその明るさが、なぜか、僕の中にすんなりとは入ってこなかった。
「次は、古川さん」
諏訪さんは別の島の方を指した。
三十代前半の男性が、椅子の背もたれに深く沈み込むようにして座っていた。スーツのジャケットの肩が椅子の枠に乗っかっていて、本人の背中はほぼ椅子の中にあるような状態だ。
「ども」
とだけ男性は言った。
目線は机の上のディスプレイから、ほとんど動かなかった。
「古川真治さん、入社十年目」
諏訪さんがそう紹介した。
……あ、はい、よろしくお願いします、と僕は頭を下げた。古川さんは頷いたのか頷かなかったのか、よく分からない動きを見せただけだった。
「そして、桐谷くんのOJTトレーナーはこちらの方です」
諏訪さんが最後にある人の机の方を指した。
三十歳前後の男性がすぐに椅子から立ち上がり、こちらに向かって大きく手を振った。
「桐谷くん、ようこそ!」
声は明るかった。明るすぎる、と感じてもいい程度の明るい声だった。
「赤坂拓真です、入社七年目! OJTトレーナー、よろしくね」
赤坂さんは僕の方に歩いてきて握手を求めてきた。
握手を返すと、力強い、けれど悪い感じではない握り方だった。
「桐谷蒼太です、よろしくお願いします」
「うちのチーム、本当に、優しい人ばっかりだから、心配しないで。分からないこと、何でも、聞いてね」
赤坂さんの言葉は、まっすぐ僕の方に向けられていた。笑顔も自然に見えた。
「うちはね、本当にアットホームで、みんな仲がいいんだよ」
……アットホーム。
その言葉が、僕の中でぴくっ、と反応した。
牧野さんと同じ言葉だ。
……でも赤坂さんは、たぶん、悪い人じゃない。
心の中で自分にそう言い聞かせた。
顔合わせは十五分ほどで終わった。
諏訪さんが最後にこう言った。
「桐谷くん、月曜日から、本格的な業務が始まります。最初の一ヶ月は、赤坂さんと一緒に簡単なタスクから始めてもらいます。来月の終わりに、私と最初の1on1をしましょう」
「はい、よろしくお願いします」
頭を下げて、フロアを後にした。
寮に戻ったのは夜の七時頃だった。
部屋に入ってジャケットを脱ぎ、机に向かう。ノートを開く前にスマホを見た。
同期六人のLINEグループに、もうたくさんのメッセージが流れていた。
葉山:皆、配属、お疲れさまでした
葉山:私、チームB、覚悟して頑張ります
丸山:葉山さん、俺もチームBっす、よろしくっす
丸山:江口さん、まあ、なんとかなるっしょ、っす
黒木:組込み、希望通りでした
アユシュ:Same here. We'll do well, Kuroki
黒木:よろしく、アユシュ
杉本:私もパッケージ事業チーム、希望通りでした、感謝です
葉山:桐谷くん、チームAおめでとう!
葉山:諏訪さん、本物の大人だもんね
しばらく考えてから、こう書いた。
蒼太:皆、ありがとう。月曜日から、それぞれ、頑張ろう
送信。
すぐに、葉山さんから返信が来た。
葉山:うん、頑張る
葉山:でも、一緒に、観察しようね
……一緒に、観察。
その一文が、なぜか、僕の中で温かく響いた。
ノートを机に置いた。
今日のページに僕はこう書いた。
配属先が決まった。
チームA(蒼太)、チームB(葉山、丸山)、組込み(黒木、アユシュ)、パッケージ(杉本)。
白瀬さん、立花さん、古川さん、赤坂さん。
四人の先輩と出会った。
それぞれの第一印象を書きかけて少し迷った。
まだ書けるほど僕は彼らを知らない。
だから、こう書いた。
四人の先輩。これから、よく観察する。
ペンを置いて、ノートを閉じた。
窓の外、四月の終わりの夜、街の灯りがぽつ、ぽつ、と点っていた。
来週から、月曜日から、本格的な業務が始まる。
……三年間。
受付の女性の言葉と、村瀬社長の言葉と、遠野CTOの三つの言葉が、僕の中でしばらく、ぐるぐると回っていた。
月曜日、僕の半径3メートルに、どんな人がいるのか。まだ、何も知らなかった。




