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新卒エンジニア、観察ノートを開く(上巻) 観察を、始める  作者: 音無 凪


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断章Ⅱ「遠野吉彦の夜」

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、地名、企業名等はすべて架空のものです。実在のいかなる存在とも関係ありません。

※ この話は、遠野吉彦CTOの視点で描かれています。蒼太たちの入社式から、約半年経った、ある夜の話です。

※ 時系列:入社からおよそ半年、九月の第三週の夜。


 九月の第三週、火曜日の夜、十一時。


 自宅、書斎。


 港川市の駅から車で十五分。古い住宅街の一角の二階建ての一軒家。子供が独立して、妻と二人だけの家。


 書斎は二階の北側、八畳ほどの部屋。本棚が三つ、机がひとつ、椅子がひとつ。床には薄いグレーの絨毯。窓は北向きで、夜は街の灯りがぽつぽつと見える。


 私は机の椅子に座って、MacBook Proの画面を見ていた。


 画面には、エンジニア部門の月次報告書が開かれていた。


 九月の半ばの各チームの業績、課題、それから各メンバーの面談記録。普段は業務時間内に目を通す、けれど今夜は特に考えたいことがあって、自宅に持ち帰っていた。


 ……桐谷くん、配属、半年。


 胸の内で、つぶやいた。


 画面の面談記録の中に、諏訪マネージャーが書いた桐谷蒼太の半期評価があった。


 諏訪マネージャーの評価コメントは、いつも簡潔で、しかし芯のある言葉だった。


「桐谷蒼太。観察とノートの習慣が確実に定着している。白瀬さんからのレビューを丁寧に受け止め、コードの書き方が根本から変わってきている。来期、設計のレビューに参加させたい」


 私はそのコメントを、何度か読んだ。


 諏訪マネージャーが、桐谷くんをちゃんと見てくれている、ことが伝わった。


 ……諏訪さんに任せて、よかった。


 そう、胸に落とした。


 桐谷くんをチームAに配属すると人事会議で決まったのは、半年前の三月の終わり頃だった。


 あの時、各部のマネージャーの意見を聞いた上で、人事の沢田と、村瀬社長と、私の三人で、新卒六人の配属先を最終的に決めた。


 桐谷くんは最初、自社サービス事業チームに配属する案もあった。私は彼の観察する特性を考えた時、自社サービスの方がスケール感のある観察ができるかもしれないと思った。


 しかし、当時の自社サービス事業チームのマネージャーは、牧野だった。


 ……牧野の下に桐谷くんを置くのは、まずい。


 私はその時、そう判断した。


 牧野の機嫌の波と、「家族みたい」の文化は、桐谷くんのような観察する新卒には毒になる。


 諏訪マネージャーのチームAは機嫌が安定していて、白瀬さんという本物のドキュメントの人がいる。桐谷くんが最初の三年で土台を作るには、ベストだった。


 チームBの江口の下にも置きたくなかった。だから葉山さんと丸山さんがチームBに配属になったのは、私の中ではある申し訳なさがあった。


 ……でも、葉山さんは強い。


 胸の内で、そうつぶやいた。


 最終面接で葉山さんは、「『家族みたいな会社』と言う会社を、私は信じないことにしました」と言った。あの強さを持つ葉山さんなら、江口の下でも生き残ると、私は判断した。


 丸山さんも運送会社で七年、過ごしてきた強さがある。江口の下で潰れにくいと、私は判断した。


 杉本さんはパッケージ事業チームのサポート/QAに配属。あそこのマネージャーは機嫌が安定している、別の人。安心して預けられた。


 黒木くんとアユシュさんは組込みチームに配属。これは二人の希望だった。大沢の機嫌の波は心配だったけれど、組込みの業務自体は二人の希望と合致していたので、最終的にはそこで決めた。


 黒木くんとアユシュさんを心配していた私は、組込みチームに藤村圭一という、中堅のエンジニアがいることを知っていた。藤村は機嫌が安定していて、技術力が高い人物だった。私は人事会議の後、藤村にこう依頼した。


「藤村さん、新卒の黒木くんとアユシュさんの相談役をお願いします」


 藤村は軽く頷いた。


「分かりました。月一で、二人とお昼を食べます」


 藤村が約束を守ってくれていることが、組込みチームの月次報告から伝わってきた。


 ……配属、ぜんぶ、慎重に決めた。


 胸の内で、頷いた。


 MacBook Proの画面を閉じた。


 机の上に置いてある、別のものに目を移した。


 


 古いノート。


 革表紙の、A5サイズのノート。表紙が擦り切れて革の色が薄くなっている。


 二十四年前のノート。


 私がヨキエルに来る前の、別の会社で書いていたノート。


 手に取った。


 最初のページ、開いた。


 「変革者になる」


 私が二十八歳の時に書いた、最初の一行。


 ……二十八歳、勢い、あった。


 胸の内で、苦笑した。


 ページをめくった。


 二十八歳から三十歳まで、私は当時の別のIT会社で、変革を起こそうとしていた。新しい技術、新しい開発プロセス、新しいドキュメント文化、それぞれを提案して、組織を変えようとした。


 ノートにはその二年間の提案と、その結果が書かれていた。


 提案、ぜんぶで四十二件。


 通った提案、五件。


 跳ね返された提案、三十七件。


 通らなかった提案のページには、当時の私の悔しさがにじんでいた。


 「なぜ、上司は、これを否定するのか」


 「なぜ、同僚は、これを面倒くさがるのか」


 「なぜ、組織は、変わろうとしないのか」


 二十九歳の私は毎日、なぜ、なぜ、と書いていた。


 三十歳の誕生日のページに、こう書いてあった。


 「もう、ダメかもしれない」


 ……あの日のこと、今でも、はっきり覚えている。


 胸の内で、つぶやいた。


 


 三十歳の誕生日、私は仕事が終わってから、心療内科の待合室にいた。雨の夜だった。傘をたたんで、横の傘立てに刺した。傘立ての底に、小さな水たまりができていた。


 待合室の蛍光灯は、白くて、少しだけ青みがかっていた。診察を待つ人が、他に三人いた。年配の女性が一人、若い男性が一人、それから、たぶん私と同じくらいの、ネクタイを締めた男性が一人。誰もが画面の中の何かを見つめていた。誰も顔を上げなかった。


 順番が来て診察を受けて、薬を処方された。会計の窓口で、私は財布から紙幣を出そうとした。指先が震えて、千円札を二枚、つかみ損ねた。床に落ちた紙幣を、受付の女性が静かに拾ってくれた。私はうまく「ありがとうございます」が言えなかった。


 帰りの電車の中で、窓に自分の顔が映っていた。三十歳の自分の顔。目の下に、深い影。誰のものか分からないくらい、知らない顔、だった。


 ……もう、ダメかもしれない。


 その一行を、家に帰ってからノートに書いた。書きながら、ペンが少し滑った。書斎の机の上の蛍光灯が、一度だけ、ちかっと瞬いた。電球の寿命が近かったらしい。けれどそのほんの一瞬の光の揺れが、なぜか、私に「まだ、書いている自分がいる」ということを思い出させた。


 三十歳の年、私は心身の両方で限界に近づいていた。残業、月百二十時間、心療内科、通院、三ヶ月。睡眠、平均、四時間。


 その時、当時の上司、別の会社のシニアエンジニアが、私をこう止めてくれた。


「遠野、変える前にお前が潰れるぞ」


 その上司は続けてこう言った。


「変革は、お前が健康でいる時間の長さに比例する。一年で潰れたら、変革できる範囲は一年分だ。十年続けたら、十年分になる。お前は、健康でいることを優先しろ」


 ……健康でいる時間。


 その言葉が、私の軸を変えた。


 私は当時の会社を辞めた。三年、ゆっくり休んだ。心療内科の薬もゆっくり減らしていった。


 そして三十三歳、ヨキエルに来た。


 ヨキエルに入って最初の三年、私はほとんど何も提案しなかった。代わりにヨキエルの人たち、組織、文化を、ゆっくり観察した。


 観察の中で見つけた軸が、「半径3メートル」だった。


 ……あの三年の観察、なかったら、半径3メートル、見つけられなかった。


 そう、胸でなぞった。


 ヨキエルに来て四年目から、私は少しずつ提案を始めた。コードレビュー文化の強化。ドキュメント文化の整備。マネージャー研修の立ち上げ。


 半径3メートルから始めて、徐々に半径を広げた。


 まだ届いていない場所も、分かっている。新卒の開発研修は、いまも外部の研修会社の汎用カリキュラムのままだ。プログラミング言語の入口だけを教えて、設計もレビューも現場任せ。研修員制度を先に作った。器を先に、中身は後に。順番は間違っていないと思っている。ただ、今年の六人の中に、あの教室を退屈に感じた者がいるとしたら、その退屈は私の宿題だった。社内の資格の対象リストも、私が来る前のまま、古い。直すべきものの一覧は、まだ長い。


 一度に全部は、変えられない。それも、半径3メートルの教えの内側だった。


 ヨキエルに最初に来てから十九年。途中、四十歳で一度ヨキエルを離れて、東京で別の場所も歩いた。メガベンチャー、スタートアップ。CTOという肩書きも、向こうで経験した。そして三年前、四十九歳のとき、村瀬さんの一行で、ヨキエルにCTOとして戻ってきた。


 今、私はCTOとして組織の技術方針を決める立場にいる。


 ……間宮のおかげも、ある。


 ふと、そう思った。


 東京でメガベンチャーに移って数年、四十四歳の年に、私は間宮という、当時ヨキエルに中途入社して間もない若手だったエンジニアと、東京の外部勉強会で出会った。


 間宮は当時二十代半ば、二十四歳。私と似たような変革者の悩みを抱えていた若手だった。


 私は間宮にこう言った。


「間宮、自分の半径3メートルだけ、ちゃんと見ていけ」


 その一言で、間宮は自分の変革の軸を見つけたと、後で私に教えてくれた。


 間宮との関係は、八年続いている。


 三年前、私がヨキエルにCTOとして戻ってきた時、間宮はもう、ヨキエルで五年目のシニアエンジニア(社会人としては七年目)になっていた。間宮はヨキエルで、私の半径3メートルの考えを自分なりに解釈して実践してくれている、シニアエンジニアだった。間宮の半径3メートルが、ゆっくりヨキエルの技術文化を形作っていると、私は感じていた。


 桐谷くんが間宮と出会ったこと。あれはたぶん、偶然と必然の両方だった。


 間宮の月次報告書にこう書いてあった。


「桐谷くんと、夜の『とんぼ』で何度か話しています。彼の観察ノートは、たぶん五年後、十年後、誰かを助けるノートになる」


 ……「誰かを、助ける、ノート」。


 胸の内で、繰り返した。


 間宮の書くコメントは、いつも深かった。


 ノートを閉じた。


 革表紙のノート、二十四年前の私の悔しさがぎっしり詰まったノート。今、私はヨキエルでCTOとして、新卒の桐谷くんが書いているノートと似たノートを持っている。


 桐谷くんのノートはまだ観察ノートだった。違和感、ぴくっとする瞬間を書き留めている。


 私のノートは、二十八歳から三十歳の二年間の、悔しさノート。違和感を超えて行動して、跳ね返されたノート。


 でも両方とも、たぶん本質的には同じノートだった。


 観察し、書き留め、組織と自分との関係を考えるノート。


 ……桐谷くんのノートが、十五年後どうなっているか、見たい。


 ふとつぶやいた。


 でも、それは私には見られない。私は桐谷くんが十五年、ヨキエルで過ごす頃、もう引退している。たぶん社長も四代目の村瀬さんから、別の代に移っている。


 私が桐谷くんにできることは、彼がヨキエルで過ごす最初の三年、丁寧に見守ること、だった。


 諏訪マネージャーが彼を丁寧に見てくれている。


 白瀬さんが彼のコードを磨いてくれている。


 間宮さんが彼の観察を深めてくれている。


 私はCTOとしてその三人を、ちゃんと保護する。マネージャー研修を続ける。江口、大沢、牧野、それぞれに外部の講師からフィードバックをもらえる機会を用意する。


 ……それが、半径3メートルの、私の責任。


 胸の内で、そうつぶやいた。


 窓の外、九月の夜。


 港川市の街灯が、ぽつぽつと見えていた。


 


 私は机の引き出しを開けて、革表紙のノートをしまった。


 代わりに、今使っている別のノートを出した。


 ヨキエルに来てから書き続けているノート。


 今夜のページにこう書いた。


 桐谷くん、配属半年、観察と、ノート、習慣化。


 諏訪、白瀬、間宮、三人で桐谷くんを見守ってくれている。


 マネージャー研修、続ける。半径3メートル。


 書きながら、ペンを止めた。


 もう一行、書きたい言葉があった。


 書いた。


 今夜、二十四年前のノートを、また読み返した。


 書いて、その文字を、しばらく見ていた。


 ……潰れかけた、経験は、私の財産。


 そう、口の中でつぶやいた。


 潰れかけた経験がなかったら、私はたぶん、半径3メートルを、見つけられなかった。間宮にも桐谷くんにも、同じ軸を伝えられなかった。


 潰れかけた経験は、私を変革者として、長く続けさせてくれている。


 ……間宮、桐谷くん、二人とも、潰れないで、長く、続けてほしい。


 ノートを閉じた。


 


 書斎の灯りを消した。


 階段を降りた。


 リビングで、妻がニュースを見ていた。


「お疲れさま」


 妻が、軽くこちらを見た。


「ありがとう」


 ソファに座った。


 ニュースの画面、地方の別の、IT中小企業の業績の話、だった。


「お父さんの会社、最近大丈夫?」


 妻が、聞いた。


「大丈夫」


「新卒の皆さん、ちゃんと育ってる?」


「半年で、ちゃんと土台を作りつつある」


「そっか、よかった」


 妻は、軽く笑った。


「明後日、河川敷で田中さんと走る日でしょ」


 妻が、ふと、思い出したように言った。


「うん。土曜の朝、五時半に集合」


 月に一度の、視覚障害者ランニングクラブの伴走の予定。田中誠一さん、六十代。私が二年前から、彼の左隣を、細いロープで繋がって、一緒に走っている。


「お父さんの伴走、田中さんがいつも『遠野さんの声、いちばん安心する』って言ってくれてるって、ご家族から聞いたわよ」


 妻が、薄く笑った。


「ありがたい話だ」


 私も、薄く笑った。


「ジャズの方は、今月ライブある?」


 妻が、続けて聞いた。


「来週、ブルー・キャットで、三十分だけ」


「いつものスタンダード?」


「うん、いつもの」


 妻は、コーヒーをひとくち飲んで、ニュースに視線を戻した。


 ……長く、続ける。


 もう一度、胸の内でつぶやいた。


 五十二歳。


 新卒の桐谷くんは、二十二歳。


 三十歳の年の差。


 でも二人とも、たぶん、同じ軸の上に立っている。


 半径3メートル、観察、ノート。


 その軸を、桐谷くんが十五年、続けることを、私は信じている。


 信じることは、きっと、私の責任の一部、なのだろう。


 窓の外、九月の夜風が、リビングの開けた窓から、すっと入ってきた。


 虫の鳴き声が、まだ続いていた。


 もうすぐ、秋。


 ヨキエルでの桐谷くんの二年目が、半年後に、始まる。


 


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