第7話:レオの嫉妬と、聖女の『ご褒美』
それは、将軍屋敷の平穏な午後のことだった。
セレスティーナは庭のベンチに座り、訓練を終えたばかりの若い新兵の指を、おろおろしながら包み込んでいた。
「まあ、大変! 指が赤くなっているわ! これはきっと、放置すれば末端から壊死して、最終的には孤独に震えながら全身が腐り落ちる前兆よ!」
「い、いや、聖女様。ただの突き指ですから……。そんなに大げさな……」
頬を赤らめる若い兵士の困惑など、セレスの耳には届かない。彼女にとって「怪我」はすべて死に直結する大事件なのだ。
彼女は慈愛に満ちた(という名の過保護な)眼差しで少年の指に浄化の光を注ぎ、仕上げにその頭を優しく撫でた。
「痛いの痛いの、飛んでいけー! もう無茶しちゃダメよ。あなたが倒れたら、お母様が悲しむわ!」
「あ、ありがとうございます……聖女様って、なんてお優しいんだ……」
兵士が感激に震えた、その直後だった。
周囲の空気が、一瞬で「死」を予感させる極低温へと叩き落とされた。
セレスの背後に、漆黒の殺気が実体化して立ち上っている。
「……セレス様。……何をしているんですか」
地を這うような、重厚な低音。
レオニードが、音もなくそこに立っていた。金色の瞳は飢えた獣のように細められ、若い兵士を「今すぐこの世から消去すべき塵」としてロックオンしている。
「あ、レオ! 見て、この子が怪我をしていたの。今、私が完璧に治してあげたところよ。えらいでしょう?」
「…………。……貴様、名前は」
レオニードの問いかけに、若い兵士は「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて直立不動になった。
「は、ハンス二等兵です、将軍閣下っ!」
「……そうか。ハンス二等兵。……貴様は今から、魔領との境界にある『最果ての監視塔』へ転属だ。あそこなら、聖女様に撫でてもらう暇もないほど、魔物相手に指を使い倒せるだろう」
「ええっ!? 将軍、そんな! いきなり最果てなんて!」
「……不服か? なら、今ここでその指を叩き折って、一生使えなくしてやってもいい」
レオニードが、無言で腰の魔剣の鍔をカチリと鳴らした。
本気だ。この男は、セレスに頭を撫でられたというだけの理由で、部下の人生を物理的に終わらせようとしている。
「ちょっとレオ! 何言ってるのよ! ハンス君が可哀想じゃない! 転属なんてダメよ、撤回しなさい!」
セレスが間に割って入り、レオニードの胸板をポカポカと叩いた。
レオニードは無言でハンスを睨みつけ、「……消えろ」と一言。ハンスは脱兎のごとく逃げ出していった。
静かになった庭で、レオニードはセレスを逃がさないように、そのまま壁際へと追い詰めた。
ドォン、と重厚な金属音が響く。
逃げ場を塞ぐような「壁ドン」である。
「……俺以外の男に、触れないでください。……俺以外の男に、笑いかけないでください。……貴女のその手は、俺の命を繋ぐためだけにあるはずだ」
至近距離で見下ろす、狂気を孕んだ金色の瞳。
セレスは一瞬、その雄としての圧倒的なプレッシャーに息を呑んだ。
(な、何……? レオの様子がおかしいわ。顔が怖いし、声が震えてる。もしかして、これって……。……そうか! 分かったわ!)
セレスの頭の中で、またしても独自の回路が火を噴いた。
「レオ……。あなた、寂しかったのね!? 私が自分以外の子を『よしよし』したから、のけ者にされたと思って拗ねちゃったのね!? もう、可愛いんだからぁ!」
「……は?」
レオニードの独占欲を、セレスは「弟の嫉妬」として完璧に変換した。
「ごめんね、レオ! あなたが一番なのは当たり前じゃない! そんなに怖い顔をしなくても、レオには特別に、もっとすごいのをしてあげるから! さあ、お部屋に行くわよ!」
「……特別、なこと?」
レオニードの瞳に、期待と欲望が混じった色が宿る。
セレスに手を引かれ、彼は大人しく屋敷の中へと連行されていった。
数分後。
執務室のソファーに座らされたレオニードの前に、セレスが「これよ!」と取り出したのは、一本の細長い棒――耳かきだった。
「さあ、レオ! 私の膝の上に頭を乗せなさい! 聖女特製の、精神浄化耳掃除よ! これなら他の誰にもしてあげない、レオだけの特別なんだから!」
「…………」
レオニードはしばし、膝枕を促すセレスの太ももを見つめて絶句した。
求めていたものとは少し違うが、しかし「自分だけの特別」という言葉、そして彼女の柔らかな膝が目の前にある誘惑。
最強の将軍は、吸い寄せられるようにセレスの膝の上に頭を沈めた。
「よしよし、いい子ね。レオ、耳垢と一緒に溜まった邪気も全部取ってあげるからね。……あら、やっぱり少しお疲れ気味じゃない。耳の中まで緊張してるわ」
「……ん……セレス、様……」
セレスの指先が耳に触れ、柔らかな体温と「よしよし」という心地よい声が降り注ぐ。
レオニードの独占欲は、彼女の猛烈なおかん的慈愛によって、みるみるうちに骨抜きにされていった。
殺気立っていた獣が、喉を鳴らす仔犬へと退行していく。
「気持ちいい? レオ。あなたは私の大事な大事なレオなんだから、誰よりも優先してあげるわよ。だから、部下の子に嫉妬して意地悪しちゃダメよ?」
「……。……貴女が、俺だけを見てくれるなら……あの男の命は、預けておきます……」
恍惚とした表情で、レオニードはセレスの腰に腕を回し、その腹部に顔を押し当てた。
完全な沈没である。
その光景を、壁越しに気配で察知していた副官は、天を仰いで深くため息をついた。
「……ハンス、命拾いしたな。……だが将軍、嫉妬の仕方が重すぎるんですよ。あと、耳掃除されてる時の顔、絶対に部下には見せられませんからね」
独占欲を爆発させたはずの狂犬は、聖女の「ご褒美(耳掃除)」によって、今日もしっかりと飼い慣らされるのだった。




