第4話:聖女、将軍の執務室を占拠する
聖王国ルミナリス軍司令部。そこは、鉄と血の匂いが漂う、この国で最も厳格かつ殺伐とした場所である。
現在、最奥の執務室では、北方国境の再編を巡る重要会議が行われていた。
「……だから、この補給路の確保が最優先だと言っている。反論がある者は、今すぐこの場で俺が叩き斬ってやろうか」
レオニード将軍の冷徹な声が響き、居並ぶ屈強な将校たちは一斉に震え上がった。
漆黒の軍服を纏い、組んだ脚を机の上に乗せて睨みを利かせるその姿は、まさに「狂犬」そのもの。逆らえる者など、この世には存在しないかのように見えた。
――その時である。
バァァァァァァァァンッ!!
「レオぉぉぉぉぉぉぉっ!! 生きてる!? まだ息をしてるのね、レオぉぉぉ!」
今日二度目となる「扉の爆破(物理)」と共に、白い嵐が吹き込んできた。
聖女セレスティーナ。彼女の両手には、軍事機密が詰まった棚よりも巨大な「五段重ねの重箱」と、殺傷能力の高そうな「巨大なツボ押し棒」が握られていた。
「せ、聖女様!? ここ、ここは軍の最高機密会議中で……っ!」
副官が慌てて遮ろうとしたが、セレスはそれをマッハの速度で回避。一直線にレオニードの元へ突っ込んだ。
「レオ! あなた、朝ごはんに出したパセリを一本残したでしょう! パセリのビタミンCを舐めちゃダメよ! 今頃、過労とビタミン不足で内臓がボロボロになって、執務室の床で孤独に冷たくなっているんじゃないかって……私、心配で、心配でぇ!」
セレスはレオニードの首根っこを掴む勢いで顔を寄せ、その顔色を凝視した。
「ああ、やっぱり! 目の下にクマがあるわ! これは過労死のサインよ! 前世の私の同僚も、そうやってクマを作った三日後には消えていったんだから! さあ、会議なんて中止! お昼寝と栄養補給よ!」
静まり返る執務室。
将校たちは、自分の目を疑った。
あの「狂犬」が、眉間を指で揉みながらも、セレスの手が頬に触れるのを黙って受け入れているからだ。
「……セレス、様。今は会議中だ。……あとで、たっぷり相手をするから……」
「『あとで』なんて言ってる間に、寿命が縮まるのよ! ほら、机を空けて! 地図の上に野菜ジュースをこぼさないでね!」
セレスは、数万の軍勢の配置が記された貴重な戦略地図を「邪魔な敷物」とばかりに端に追いやり、その上に極彩色の野菜料理が詰まった重箱をドサドサと広げ始めた。
「さあ、あーんして! この『ゴーヤとケールの特製お浸し』を食べれば、血液が浄化されて、あなたの凶暴性も少しはマイルドになるわ!」
将校たちが「死んだ……聖女様は殺される……」と絶望した瞬間。
レオニードは、ゆっくりと口を開けた。
「……あ、ーん」
パクッ。
最強の将軍が、部下たちの前で、聖女にスプーンで野菜を食べさせられている。
その光景のシュールさに、一人の将校が耐えきれず「……ぷっ」と吹き出した。
刹那。
レオニードの金色の瞳が、冷酷な光を放ってその将校を射抜いた。
野菜を咀嚼しながらも、殺気だけは一滴も減っていない。
「……笑った奴から順に、北方の最前線で一生スライムの粘液を掃除する任務に就かせる。……文句はあるか?」
「ひ、ひぃぃっ! 滅相もございません!」
将校たちは慌てて直立不動になった。
レオニードは満足げに鼻を鳴らすと、今度はセレスの腰をグイッと引き寄せ、彼女を自分の膝の上に強引に乗せた。
「きゃっ!? レオ、重いわよ! 私は今、あなたの肩こりを解消するために……」
「……このまま食べさせろ。貴女の体温が触れていないと、栄養が吸収されない気がする」
「もう、レオったら! 甘えん坊なんだから! 分かったわ、特別よ。ほら、ブロッコリーも食べなさい」
セレスはレオの膝の上で、「よしよし」と彼の頭を撫でながら次々と野菜を口に運ぶ。
レオはセレスの首筋に顔を埋め、部下たちに見せつけるように深く息を吐いた。その顔は、紛れもなく「勝利者」のそれだった。
(……ああ。軍議の緊迫感が、聖女様の加齢臭……じゃなくて、お花の香りと野菜の匂いで完全に消滅した)
副官は、そっと窓の外を見た。
隣国との緊張状態? 補給路の確保?
そんなことより今、目の前で「野菜嫌いの将軍をあやす聖女」という平和の極致が展開されている。
「レオ、食後はマッサージよ! このツボ押し棒、聖水で清めておいたから、邪気と一緒に肩こりも消し飛ぶわ!」
「……ああ。……セレス様が言うなら、そうしよう」
レオニードは、部下たちに向けて「会議は終わりだ。全員消えろ」と片手で合図した。
将校たちは脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
静かになった執務室で、レオニードはセレスを強く抱きしめ直した。
「……セレス様。貴女がこうして、俺を心配して騒いでくれるたびに……俺は、生きていて良かったと思う」
「当たり前でしょう! あなたが死んだら、私の寿命も半分くらいストレスで削れるわよ! だから、絶対に私の前で倒れないでね、レオ」
「……ああ。貴女を一人にするくらいなら、地獄からでも這い上がってくる。……約束だ」
レオニードの誓いは、あまりにも重く、深かった。
セレスは赤面しつつも、「さあ、次はふくらはぎのマッサージよ!」と、彼の執着を全力の過保護で受け流し続けるのだった。




