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第3話:将軍の夜這い(?)と、聖女の強制就寝

 将軍屋敷の夜は、静かすぎて逆に落ち着かなかった。

 セレスティーナは、天蓋付きの広大なベッドの中で、一人天井を見つめていた。


(……静か。静かすぎるわ。前世のワンルームマンションなら、隣の部屋の目覚まし時計の音とか、深夜の道路を走る車の音とかが聞こえてきたのに。ここは、自分の心臓の音しか聞こえない)


 ふと、孤独死の恐怖が首筋を撫でる。

 今の自分は「行き遅れ聖女」ではあるが、一応この屋敷の主によって「保護」されている。少なくとも、冷たい部屋で誰にも気づかれずに事切れるという最悪の結末は回避できた……はずなのだが。


(レオ、ちゃんと眠れているかしら。あの子、昔は暗いところが嫌いだったのよね)


 そんなことを考えていた、その時だった。


 カチリ、と。

 施錠していたはずの扉の鍵が、音もなく回った。

 セレスはガバッと跳ね起き、枕を引き寄せて身構える。


「だ、誰!? 暗殺!? それとも不審者!? 言っておくけど、私は聖女よ! 全力で浄化して、あなたの煩悩を消滅させるわよ!」


 暗闇の中から現れたのは、巨大な影だった。

 窓から差し込む月光を背に受け、金色の瞳を妖しく光らせているのは――。


「…………俺だ」


「レオ!? ちょっと、びっくりさせないでよ! っていうか、どうやって入ったの!? 鍵をかけてたのに!」


「……合鍵なら、この屋敷のすべての部屋の分を持っている。あるじなのだから当然だ」


 レオニードは当然のような顔をして、一歩一歩ベッドに近づいてくる。

 彼は上半身の鎧を脱ぎ捨てており、薄いインナー越しに、彫刻のように鍛え抜かれた筋肉の輪郭が浮かび上がっていた。

 隠しきれない雄の気配。セレスはゴクリと唾を呑み込む。


(な、何? この雰囲気。もしかして、これがいわゆる『夜這い』ってやつ!? レオ、大人になってそんな不埒なことを覚えたの!? ダメよ、私たちはまだそんな……でも、レオに抱きしめられるのは……)


 セレスの顔が、深夜の神殿の灯火よりも赤く染まる。

 しかし、レオニードの口から出た言葉は、予想の斜め上をいくものだった。


「……眠れない。貴女の気配が遠いと、戦場にいる時のように、神経が逆立って……一睡もできない。だから、ここで寝る」


「は、はあぁ!? ここで寝るって……私のベッドで!? ダメよレオ! 男女が同じ布団に入るなんて、不潔よ! 堕落よ! 枢機卿様が聞いたら、今度こそショックで心臓が止まっちゃうわよ!」


「枢機卿の寿命など知ったことではない。……俺が眠れずに戦死してもいいのか?」


 レオニードは、仔犬が雨の中で震えるような、ずる賢いほどに哀愁を帯びた目でセレスを見つめた。

 その必殺の視線に、セレスの「過保護フィルター」が火を噴く。


「……っ! そ、それは困るわ……。レオが不眠症で倒れるなんて、絶対に許さないんだから! 分かったわ、いいわよ。でも!」


 セレスはベッドから飛び起き、クローゼットへ突進した。


「そのまま寝るのは絶対にダメ! 寝冷えして風邪を引いたらどうするの! 夜中の冷え込みを舐めちゃいけないわ! さあ、これを着なさい!」


 セレスが取り出したのは、自国から持ち込んだ『聖女特製・極厚もこもこパジャマ』だった。

 しかも、セレスの手作業によって、胸元には巨大な『仔犬』の刺繍が施されている。色はド派手なパステルピンク。


「……これを、着るのか」


「そうよ! これは私が心を込めて縫った、防御力最強のパジャマなんだから! さあ、脱いで着なさい! はい、早く!」


 レオニードはしばし沈黙したが、セレスが「これを着ないなら追い出すわよ!」と騒ぐのを見て、諦めたようにインナーを脱いだ。

 露わになった広大な背中と、戦場の傷跡。それを見たセレスは「あらあら、やっぱり傷だらけ! これも、これも私が治してあげるわ!」とおろおろしながら、レオにピンク色のパジャマを無理やり着せていく。


 数分後。

 大陸最強の「狂犬将軍」が、ピンク色のパジャマに身を包み、仔犬の刺繍を胸に輝かせながら、ベッドに横たわっていた。


「よし、これで安心ね。さあ、レオ、おやすみなさ……きゃっ!?」


 横になろうとしたセレスの腰を、レオニードの逞しい腕が背後からガシッと掴んだ。

 そのまま、彼は彼女を自分の胸板へと引き寄せ、布団ごと「抱き枕」のようにホールドした。


「……レオ!? ちょっと、近い! 近すぎるわよ!」


「……静かに。……こうしていないと、貴女が消えてしまう気がするんだ」


 レオニードの声は、かつての少年のように掠れていた。

 彼はパジャマ越しに、セレスの背中に顔を押し当て、彼女の熱と心音を確認するように深く吐息を漏らす。


(う、ううう……。パジャマは分厚いはずなのに、レオの筋肉が硬いのが分かるわ……。それに、この心臓の音。レオ、私を抱きしめて、こんなに激しく鼓動してるの……?)


 セレスは心臓が口から飛び出しそうだった。

 背中から伝わる、圧倒的な男の体温。

 レオの腕は、かつて自分が撫でていた細い枝のようなものではなく、自分を一息に絞め殺せるほどに太く、逞しい。


「レオ……苦しく……ないけど、ドキドキが……あ、あのね、私はあなたの健康を管理するためにここにいるのであって、こういう、その、不順な異性交遊的なことをするために……」


「……寝ろ。……それとも、俺に別のことをしてほしいのか」


 耳元で囁かれた低音に、セレスは「ヒッ!」と声を上げて沈黙した。

 これ以上騒ぐと、パジャマを脱がされるような、本能的な危機感を感じたからだ。


(……ダメ。無理。これ、心臓に悪すぎる。でも……レオの匂い、落ち着くわね)


 セレスはレオの腕の中で、次第に毒気を抜かれていった。

 大きな、大きな盾に守られているような、前世では決して得られなかった「究極の安心感」。

 彼女は赤面したまま、レオの腕をそっと握りしめた。


「……もう、レオったら。わがままなんだから。……おやすみなさい、レオ」


「……ああ。……愛している、セレス」


 小さな、消え入るようなレオの声。

 だが、セレスはすでに「レオが寝言を言っているわ。やっぱり疲れてるのね」と、都合よく解釈して夢の中へ落ちていた。


 翌朝。

 朝食の準備を告げにきた副官は、寝室の扉が開いているのを見て、不審に思い中を覗き込んだ。


 そこには、ピンク色の仔犬パジャマを着たまま、幸せそうな顔で聖女を抱え込み、死んだように眠っている最強将軍の姿があった。


「……よし、今日は王城に行くのをやめよう。……死にたくない」


 副官は静かに扉を閉め、その日のスケジュールをすべて白紙に戻した。

 二人の異常な溺愛の朝は、誰にも邪魔されることなく、静かに、そして熱く過ぎていった。


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