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第2話:逃げ場なしの将軍屋敷と、おろおろ聖女の栄養管理


「……将軍、正気か!? そこは聖女様の私室、女子おなごの園だぞ! 扉を壊して土足で踏み入るなど、前代未聞、言語道断、神への反逆も同然だ!」


 神殿の廊下で、古狸枢機卿が顔を真っ赤にして叫んでいた。

 普段は威厳たっぷりに神の教えを説く彼も、今日ばかりは冠が曲がり、鼻眼鏡がズレ落ち、その姿はただの激昂した老人である。


 だが、その怒号を浴びせられているレオニード将軍は、微動だにしなかった。

 腕の中には、パニックで涙目のセレスティーナをしっかりと収めたままである。


「……警護上の問題だ」


 レオニードは、感情の欠落した低い声で言い放った。


「見ての通り、扉が壊れている。これでは不逞の輩が夜間に侵入し、聖女様に危害を加える可能性がある。よって、俺の屋敷で保護する。異論は認めない」


「壊したのはお前だろうがぁぁぁぁぁ!!」


 枢機卿の魂の叫びが神殿に響き渡る。

 だが、レオニードがその冷酷な金色の瞳で枢機卿を一瞥し、指の関節を「パキッ」と鳴らすと、空気は一変した。

 廊下の気温が氷点下まで下がったかのような凄まじい殺気。枢機卿の背後に巨大な死神の鎌がチラついた。


「ひ、ひぃぃ……っ、そ、そうだ、扉が壊れているのは危険だ……。早急に、将軍の屋敷で守ってもらわねば……な……」


 枢機卿は、白目を剥きながらガタガタと震え、そのまま壁を伝ってズルズルと崩れ落ちた。

 周囲の神官たちも「もう無理だ、将軍は狂犬だ」「狂犬に噛まれたら死ぬ」と、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。


「あ、ちょっと待って!? 枢機卿様! みんな! 私を置いていかないで!」


 セレスはレオニードの腕の中でジタバタと暴れたが、その抱擁は岩のように固い。


「レオ! 降ろして! 私、まだ今日のお祈りの日課が……それに、着替えも持ってないわ!」


「不要です。すべて俺が用意した」


「準備が良すぎるわよ! っていうかレオ、あなた顔色が悪いわ! さっきからずっと無愛想だし、もしかして戦場でお腹を壊したのを我慢してるんじゃないの!? そうよね、誰にも言えなくて辛かったのね、レオぉぉぉ!」


 セレスはまたしても、独自の「過保護フィルター」を通して状況を解釈した。

 抱きしめられているドキドキを、必死に「親心」と「介護欲」で塗りつぶそうとする。


「いいわ、わかったわ! あなたがそんなに体調が悪くて心細いなら、私が行ってあげる! 待ってなさい、今すぐ栄養満点のご飯を作って、あなたの内臓を浄化してあげるから!」


「…………」


 レオニードは無言だったが、心なしか抱きしめる力が強まった。

 彼はセレスを脇に抱え直すと、神殿の窓から外に停めてあった軍馬へと跳んだ。


「きゃあああ!? 拉致よ! これ物理的な拉致よー!」


 叫ぶセレスを乗せ、レオニードは全速力で王都を駆け抜けた。

 沿道の民衆は「将軍が聖女様をさらったぞ!」「いや、あれは救出だ」「結婚だ!」と大騒ぎだが、二人は風を切って進む。


 辿り着いたのは、王都の郊外。

 高い石壁に囲まれ、屈強な兵士たちが隙間なく配置された「将軍屋敷」――という名の軍事要塞だった。


「…………ここが、俺の家だ」


 レオニードは、屋敷の最奥にある豪華な寝室にセレスを降ろした。

 毛足の長い絨毯。天蓋付きのベッド。そこかしこに飾られた高級な調度品。

 だが、セレスはそんな贅沢には目もくれなかった。


「ちょっとレオ! この部屋、角に埃があるじゃない! 喘息になったらどうするの! それに窓を開けなさい、空気が淀んでいるわ。浄化! 換気! 除菌よ!」


 セレスは部屋に降り立つなり、持参した(いつの間にか握りしめていた)聖女特製の救急箱から布を取り出し、バタバタと掃除を始めた。


「セレス様……掃除は使用人がやります。貴女は……」


 レオニードが後ろからそっとセレスの腰に手を回し、その首筋に顔を埋めようとする。

 十年間の渇きを潤すための、甘い接触を試みたのだ。


「ダメよ、レオ! あなたは座ってなさい! さあ、舌を出して。粘膜の様子を見るわよ」


「……っ、セレス、様……そうじゃなくて……」


「はい、あーん! ほら、やっぱり少し荒れてるじゃない! これはいけないわ、ストレスと偏食ね。戦場でお肉ばっかり食べてたんでしょう? お野菜を食べないと、前世の私みたいに突然『うっ……』ってなって、誰にも気づかれずに冷たくなるのよ!」


 前世のトラウマが蘇り、セレスの目に涙が溜まる。


「嫌よ、レオ。あなたが一人で死ぬなんて、絶対に見たくない。私が、死ぬまであなたの健康を守り抜いてあげるんだから!」


 セレスはレオニードの大きな両頬をむぎゅっと掴み、至近距離で訴えた。

 その必死な瞳。潤んだアメジストの色。

 レオニードは、その熱量に圧倒された。


(……ああ。やっぱり、貴女しかいない)


 彼は無言で、セレスの手を掴み、その掌に深く、熱い口づけを落とした。


「……え、レオ? 手が汚れるわよ?」


「いいえ。……貴女が俺を守るというなら、俺も貴女を守り抜きます。誰の手も届かない場所で。……一生、離しません」


 レオニードの金色の瞳に、どろりとした執着の色が混じる。

 それは愛の告白というよりは、獲物を檻に入れた狩人の宣言だった。


 しかし、セレスティーナという女性は、その手の「雄の気配」をスルーする才能に関しては大陸随一だった。


「……あら、そんなに私の手作り料理が楽しみなのね? 可愛いわねぇ、レオ。よしよし、そんなに甘えなくても、ちゃんとピーマンも細かく刻んで入れてあげるから」


「…………」


 レオニードは、自分より一回りも小さいセレスに頭を撫でられながら、静かに目を閉じた。

 自分が求めているのは「母親」としての愛情ではない。

 だが、こうして彼女の体温に触れ、その声を独占できている現状は、彼にとって至上の幸福だった。


 その日の夕食。

 豪華なダイニングテーブルには、セレスが腕によりをかけた「野菜たっぷり健康スープ(肉なし)」と「苦い薬草サラダ」が並んだ。

 レオニードの副官が、震えながら報告に来た。


「しょ、将軍……。陛下がパレードの途中で消えた貴殿の処遇について、お怒りで……あ、あれ? 将軍、何を召し上がって……」


「……セレス様が作った、健康の素だ」


 レオニードは、見るからに不味そうな緑色のドロドロしたスープを、恍惚とした表情で口に運んでいた。

 その隣では、セレスが「えらいわレオ! ちゃんと飲み込んだわね! 偉いわ、かっこいいわよ!」とパチパチと手を叩いて褒めちぎっている。


「……もう、ダメだこの人たち」


 副官は、そっと部屋の扉を閉めた。

 最強の狂犬将軍が、年上の聖女に「よしよし」されながら毒々しいスープを完食する光景。

 それは、この国の平和(あるいは崩壊)を象徴する、恐るべき共依存の始まりだった。


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