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第1話:孤独死寸前(?)の聖女と、扉を蹴破る狂犬将軍

「……ああ、終わった。私の人生、またしてもここで詰んだわ。間違いない、これは孤独死へのカウントダウンよ」


 聖教会の最深部、白亜の壁に囲まれた聖女の私室。

 セレスティーナ――通称セレスは、高級な絹のシーツに顔を埋めて、朝から悶絶していた。

 プラチナブロンドの髪は乱れ、聖女の象徴であるアメジスト色の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。


(前世もそうだった。アラサーで、誰にも必要とされず、コンビニ弁当の空き殻に囲まれて冷たくなった私。今世こそは『慈悲の聖女』なんていう立派な肩書きをもらったけれど、実態はどう!? 三十路よ! 三十路になったのよ私は!)


 この国、聖王国ルミナリスにおいて、三十歳は「行き遅れ」を通り越して「大ベテラン」の域である。周囲の若手聖女たちは、皆それなりの貴族と婚約を決めて寿退会(引退)していくというのに、セレスだけは「神への奉仕」という名の名誉職に縛り付けられ、気づけば独身のまま大台に乗ってしまった。


(神様は残酷だわ。あんなに可愛がっていたレオだって、十年前にはスラムから引き離されて、軍の学校に入れられちゃったし。今頃、どこかの戦場でピチピチした可愛い女の子と『戦場の恋』でも謳歌しているに決まってる! そして私はこのまま、冷たい神殿のベッドで誰にも看取られず……う、うわあああああん!)


 ベッドの上でゴロゴロと転がり、手足をバタつかせる。聖女の威厳など、前世のゴミ捨て場に置いてきた。

 窓の外からは、パレードの喧騒が聞こえてくる。

 今日は、北方の魔領を平らげた若き英雄、レオニード将軍の凱旋パレードだ。民衆は彼を「国の守護神」「狂犬将軍」と呼び、熱狂している。


(うるさーい! リア充爆発しろ! 英雄ならもっと品行方正にパレードを楽しみなさいよ! こっちはね、今日のお昼ご飯が精進料理かどうかで悩んでいるのよ!)


 その時だった。


 ――ドォォォォォォォォンッ!!


 神殿の、それも聖女の私室がある最上階の重厚な扉が、物理的な衝撃で「爆発」した。

 いや、正確には「あまりの威力で蹴破られ、蝶番が悲鳴を上げて消し飛んだ」のである。


「な、ななな、何事っ!? 暗殺!? ついに私の命を狙う刺客が来たのね!? 受けて立つわよ、孤独死するくらいなら戦死してやるわー!」


 セレスは枕を武器にして立ち上がった。

 埃が舞う中、そこに立っていたのは、一人の男だった。


 見上げるような巨躯。

 戦場からそのまま駆け込んできたのか、黒い鎧にはどす黒い血がこびりつき、周囲には獣のような圧倒的な殺気が渦巻いている。

 漆黒の髪を振り乱し、金色の瞳を鋭く光らせるその姿は、英雄というよりは地獄から這い上がってきた魔王に近い。


「…………いた」


 男の低い、地を這うような声。

 その背後では、泡を吹いて卒倒している古狸枢機卿と、「将軍! パレードの最中です! 陛下をお待たせしています! やめてください死人が出ます!」と叫びながら追いかけてきた副官たちが、阿鼻叫喚の図を繰り広げている。


 セレスは固まった。

 目の前の男の顔に、十年前の「あの仔犬」の面影を見つけたからだ。


「え……レ……レオ?」


 レオニードと呼ばれた男は、一歩、また一歩とセレスに近づく。

 床が軍靴の音でミシミシと鳴る。騎士たちが「聖女様に近づくな!」と剣を抜こうとしたが、レオニードが放つ殺気の一瞥だけで、蛇に睨まれた蛙のように硬直した。


「……セレス、様」


 名前を呼ばれた瞬間、セレスの思考は別の方向へフルスロットルで加速した。


(えっ、待って。この体格差、何? 肩幅広すぎない? 私の知ってるレオは、私の胸のあたりまでしか背がなくて、『セレス様ぁ、一人にしないでぇ』って泣いてた可愛い仔犬だったはずよ!? 何この、服の上からでもわかる岩みたいな筋肉! それにその返り血!)


「レオぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 セレスは枕を放り投げ、叫びながら駆け出した。

 周囲は、聖女が怒り狂って将軍を攻撃しに行くのだと勘違いした。


「なんてこと! レオ、あなた! その血は何!? 怪我したの!? どこ!? 死んじゃう、死んじゃうわレオ! こんなに血を流して! 私がいない間に、どれだけ無茶をしたのよぉぉぉ!」


 セレスは、レオニードの逞しい胸板に飛び込むようにして、その全身をベタベタと触り始めた。

 怪我はないか。欠けているパーツはないか。

 返り血(もちろん敵のものだ)を自分の血だと勘違いし、パニックになって涙をボロボロと流す。


「うわああああん、生きてて良かったぁ! やっぱり私がついてないとダメじゃない! スライム一匹にだって怯えてたあなたが、こんなにボロボロになって! 今すぐ浄化するわ、死なせないわよ!」


 セレスの手から、目も眩むような純白の浄化魔法が乱射される。

 傷一つないレオニードの体は、ただただ清潔になり、鎧の汚れがピカピカに落ちていくだけだ。


 当のレオニードは、自分に縋り付いて泣き喚くセレスを、無言で見下ろしていた。

 そして、震えるセレスの背中に、大きな手を回す。


 ガシッ、と。


「……捕まえた」


 レオニードは、セレスを包み込むように強く、重厚に抱きしめた。

 骨が鳴る一歩手前の、暴力的なまでの力強さ。

 だが、その腕の中には、彼が十年間、戦場でのたうち回りながら求め続けた執着のすべてが籠もっていた。


「……っ!? え、レオ……? ちょっと、苦し……くないけど、熱い……」


 セレスは赤面した。

 かつての仔犬は、今や自分を丸呑みにできそうなほどのおすの気配を纏っている。

 彼の首筋に顔を埋められ、深く、深く、彼女の香りを吸い込まれる。


「十年間……一瞬たりとも、貴女を忘れたことはない。……他の男に、一瞥もくれていないでしょうね」


「へ? 男? そんなの、孤独死の恐怖と精進料理の献立以外に私の頭にあるわけないじゃない!」


「……なら、いい」


 満足げに、レオニードはさらにホールドを強めた。

 周囲では、古狸枢機卿が「神聖な神殿が……不浄な愛欲の場に……ああ……」と白目を剥いて倒れ、副官が「もういい、勝手にしてくれ」と天を仰いでいた。


 泣き騒ぐ三十歳の聖女と、無言で彼女を物理的に拘束する二十歳の狂犬将軍。

 十年ぶりの再会は、感動的な英雄譚というよりは、逃げ場のない「捕獲劇」の様相を呈していた。


(……あれ? なんか、レオが全然離してくれない。っていうか、抱きしめられるの、ちょっと……いや、かなり幸せかも。でも怪我は!? やっぱり病院に連れて行かなきゃ!)


 セレスの過保護と、レオの執着。

 二人の異常な溺愛ループが、今、神殿の崩れた扉の前で華々しく幕を開けたのである。


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