第29話:戦い終わって、最大の強敵(結婚準備)来たる
教会の深奥に巣食っていた巨大な魔導核が砕け散り、腐敗した権威が地に落ちたことで、聖王国ルミナリスには文字通り新しい朝が訪れた。
レオニードは実質的な国の指導者として、また「大家族」の兵士たちの頂点として、崩壊した街の再建と政治の刷新に追われる身となった。そしてその隣には、聖女の座を降りたとはいえ、未だ民衆から「おかん女神」と慕われるセレスティーナが、常に目を光らせていた。
だが、国家規模の動乱を生き抜いた二人の前に、過去最大の、そして最も不毛な「強敵」が立ち塞がった。
それは、王都中の貴族と民衆が固唾を呑んで待ち望む、二人の「世紀の結婚式」の準備である。
「……無理。もう無理よ、レオ。私は聖女であって、プロのモデルじゃないんだからぁぁ!」
将軍屋敷の広大な応接間。セレスティーナは、床に広げられた何十着もの最高級絹のドレスと、それらを手に「次はこちらを」と迫る侍女たちに囲まれ、白目を剥いてソファーに沈んでいた。
(なによこの過密スケジュール! 朝六時から肌のメンテナンス、九時からドレスの試着、昼食を挟んで披露宴の献立チェック、夕方は社交界への挨拶回り……。前世の決算期、三日徹夜でエクセルの集計をしていた事務員時代よりも働かされているじゃないの! 孤独にデスクで冷たくなっていたあの日々が、今度は王宮で再現されるのね!? 孤独死の入り口は、キラキラした招待状だったのよぉぉ!)
「セレス様、根を詰めすぎてはいけません。……。……おい、仕立屋。そのドレスはなんだ。背中が三センチも開いている。……論外だ。不潔だ。セレス様の白い肌を、他の男たちの視線という名の不衛生な毒に晒すつもりか?」
隣に座るレオニードが、冷酷な眼光で仕立屋を射抜いた。
彼は執務の合間を縫って(というか執務を放り出して)、すべての準備に介入していた。彼の基準はただ一つ。「セレスティーナの露出がゼロであること」と「自分の腕の中に収まりやすいこと」である。
「閣下、しかしこれは最新の流行で……」
「流行など知るか。……セレス様を独占できない装束など、雑巾にも劣る。……作り直せ。首から足先まで、隙間なく最高級の絹で覆い、ベールは視界を遮るほど厚くするんだ。……そう、彼女が俺の腕の中という『檻』に閉じ込められていることが一目で分かるような、重厚なものをな」
「レオぉぉぉぉ! 重いわよ! そんなの着て一日中立ってたら、私の腰椎が粉砕されて、老後のQOLが著しく低下しちゃうじゃないの!」
セレスはガバッと起き上がると、レオニードの逞しい頬を両手でむぎゅっと掴んだ。
「いい? 結婚式は幸せになるためのものであって、過労死するための儀式じゃないの! あなたもよ、レオ! さっきから目が充血してるわ! 寝不足よ、肝機能の低下よ! 式典の練習なんていいから、今すぐ横になりなさい!」
「……ですが、貴女との誓いの儀式を完璧に遂行しなければ、俺は不安で……」
「完璧なんていらないわ! 私たちが健康で、笑っていられればそれでいいの! ……もう、決めたわよ。こんなに疲れる結婚式なら、いっそ『パジャマ結婚式』にするわ!」
「……。……パジャマ……ですか?」
レオニードが、ポカンと口を開けた。
「そうよ! 全員リラックスした格好で、お布団を並べて、ニンニクたっぷりのスタミナ鍋を囲んで、そのまま眠くなったら寝落ちしてもいい式にするの! 礼法も、露出も、孤独も一切なし! これこそが、私が提唱する『孤独死ゼロ・健康第一』の披露宴よ!」
セレスの、あまりにも「生活感」に満ち溢れた、だが切実な提案。
レオニードはしばし沈黙した後、その金色の瞳に蕩けるような喜びを浮かべた。
「……パジャマ。……つまり、式の最中も、その後も、ずっと貴女と布団にくるまっていられるということですね。……さらに、貴女とお揃いの仔犬柄で。……。……名案です。今すぐ、国中の全軍にパジャマの着用を義務付ける布告を出しましょう」
「義務付けちゃダメよ! やりたい人だけでいいのよ! ……でも、レオとずっと一緒にいられるなら、それが一番の健康法ね」
セレスはレオニードの胸板に顔を埋め、彼の心音を確認するように深く吐息を漏らした。
前世。誰とも肌を触れ合わず、ただ冷たい空気を吸って死んでいった彼女にとって、この暑苦しいほどのレオの体温こそが、世界で最も贅沢な宝石だった。
レオニードはセレスを後ろから包み込むように抱きしめ、彼女の首筋に深く、深く顔を埋めた。
「……やっと、ここまで来ました。……もう、神殿の塔も、戦場も、俺たちを分かつことはできない。……貴女を看取るのは、俺だ。……貴女が死ぬその瞬間まで、俺はこの腕を緩めるつもりはありませんから」
「……。……重いわね、レオ。……でも、嬉しいわ。……私も、あなたを一人で死なせたりしない。……二人で、おじいちゃんとおばあちゃんになって、寝てる間に二人で消えるのよ。……これぞ究極の孤独死回避なんだから」
二人は、呆気にとられて石化している仕立屋や侍女たちを置き去りにし、パジャマの採寸(という名の密着)を始めた。
その光景を影から見ていた副官は、かつてないほど虚無に満ちた表情で天を仰いだ。
「……パジャマで結婚式……。……もう、歴史書の編纂者には『将軍と聖女はあまりにも愛し合いすぎて、正気を失った』と書かせるしかないな。……。……お幸せに、大家族の首領たち」
国家の再建、王位の継承、教会の解体。
そんな荒波を「溺愛」と「過保護」で乗り越えた二人は、今、世界で最もだらしなく、そして最も幸福な結末へと、一歩ずつ、だが確実に歩みを進めていた。




