第30話:孤独死回避の果てに。狂犬と聖女の、生涯パジャマ宣言
聖王国ルミナリスの歴史において、これほどまでに「脱力」し、かつ「幸福」に満ちた一日は後にも先にも存在しないだろう。
王都のメインストリートを埋め尽くした民衆が見守るなか、世紀の結婚パレードが幕を開けた。しかし、現れたのは黄金の馬車でも、重厚な甲冑に身を固めた騎士団でもなかった。
それは、十数頭の白馬に曳かれた、巨大な天蓋付きベッド型の移動舞台であった。
最高級の絹で作られたシーツが風にたなびき、その中央には、王都中の度肝を抜く格好をした主役二人が鎮座していた。
「皆様ー! 今日は無理せず、早めに寝るのよー! 睡眠不足は万病の元、孤独死への近道なんだからぁー!」
セレスティーナは、ウェディングドレスの代わりに、最高級シルクで仕立てられた「お揃いの仔犬柄パジャマ」を着用し、頭にはフリル付きのナイトキャップを被っていた。
彼女が笑顔で浄化の光を街中に振りまくたびに、民衆からは「えっ、パジャマ……?」「でも可愛い……」「なんだか急に、僕も眠くなって……幸せだ……」という、困惑混じりの安らぎの声が上がった。
その隣で、セレスを離すまいとガッチリ腰をホールドしているレオニードもまた、漆黒のパジャマにマントを羽織っただけの、あまりにもリラックスした姿であった。だが、その金色の瞳に宿る、セレスへの狂おしいまでの執着と独占欲だけは、戦場にいた頃よりも鋭く、そして甘く熱を帯びていた。
「……セレス様。……見てください。……皆が、俺たちが結ばれることを祝福しています。……これでもう、貴女を奪おうとする理屈は、この国のどこにも残っていません」
「ええ、レオ。……でも、そんなことよりあなたの手足が冷えてないか心配だわ。……パレードが終わったら、すぐにお布団に潜り込みましょうね」
「……。……くっ、はは。……承知しました。……貴女の命令には、一生、布団の中で従いましょう」
パレードの終着点である王宮の大広間は、もはや儀式会場の体をなしていなかった。
厳格な椅子はすべて撤去され、床一面にふかふかの絨毯と色とりどりのクッションが敷き詰められている。
そこには、パジャマ姿で「あ、ああ……礼法を捨てたら腰痛が消えた……」と涙ぐむ隠居済みの枢機卿や、青汁片手にパジャマでリラックスするエドワード前国王、そして「お母さーん!」「将軍ー!」と叫びながらニンニク鍋を囲む五百名の大家族(兵士)たちがいた。
セレスは、レオニードの口に特大のつくねを放り込みながら、周囲の騒がしくも温かな光景を見渡した。
(……ああ。……本当に、遠くへ来たものだわ)
ふと、セレスの脳裏に、前世の記憶が鮮明に蘇る。
誰の体温も知らず、誰からも名前を呼ばれず、ただテレビの砂嵐を見つめながら意識が遠のいていった、あのワンルームマンションの冬の夜。
あの時、私は世界で一番「一人」だった。
だが、今は違う。
背中から伝わる、レオの圧倒的なまでの体温。
耳をくすぐる、彼の不器用な愛の囁き。
そして、自分を「家族」と呼んでくれる、騒々しい部下たちの笑い声。
(孤独死なんて、もう怖くないわ。……だって、私は今、こんなにも『生きている』もの。……ありがとう、レオ。私を見つけてくれて。……強引に、連れ去ってくれて)
宴もたけなわ、夜風に吹かれようと二人はバルコニーへ出た。
王都の灯りが、宝石を散りばめたように眼下に広がっている。
「セレス様。……。……改めて、誓わせてください。……俺は、貴女が死ぬその瞬間まで、いえ、死んだ後も、貴女の魂を追いかけ、抱きしめ、二度と孤独を感じさせないと」
レオニードはセレスの手を、壊れ物を扱うような優しさで、しかし逃げ場を塞ぐような強さで握りしめた。
「貴女が俺を拾い、人間に戻してくれた。……なら、俺のすべてを貴女に捧げるのは、当然の帰結です。……。……愛しています、セレス。……貴女が、俺の神だ」
「レオ……。……ふふ、重いわね。……でも、私も同じよ。……あなたが死ぬときは、私が一番近くであなたの手を握って、『よしよし』してあげる。……その後、すぐ私が追いかけて、また天国でもあなたの健康管理をしてあげるんだから。……覚悟しなさいよ?」
「……望むところです。……地獄だろうと天国だろうと、俺は貴女の過保護から逃げるつもりはありません」
レオニードはセレスを深く抱きしめ、誓いを封印するように、その唇を優しく、重厚に塞いだ。
――数年後。
将軍屋敷の庭では、相変わらず騒がしい日常が続いていた。
「レオ! 揚げ物は週に二回までって言ったでしょ! また部下の子たちとこっそり屋台に行ったわね!? 孤独死予備軍になりたいの!?」
「……セレス。……。……言い訳はしません。……その代わり、今からたっぷり『よしよし』で更生させてください」
追いかけっこをする二人の足元では、セレスと同じアメジストの瞳を持ち、レオに似て執着心の強そうな(お気に入りの仔犬のぬいぐるみを決して離さない)小さな子供が、芝生の上をご機嫌そうに転がっている。
その光景を遠くから眺めながら、副官は手にした日誌に最後の一文を書き込んだ。
『――我が主たちは、今日も救いようがないほどに愛し合い、周囲を呆れさせている。……だが、この騒がしさが続く限り、この国に真の孤独が訪れることはないだろう』
前世で孤独に散った一輪の花は、今世で狂犬に愛され、世界で最も騒がしく温かい庭で、永遠に咲き誇るのだ。
二人の生涯パジャマ宣言は、幸せな寝息と共に、未来へと永劫に続いていく。




